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理想のあの世で会いましょう

「あー、もう。さいってー!」


 つい先程まで彼氏であった男を叩いた手が、ジンジンと痛む。

 叩いた方だって痛いんだという戯言をドラマか何かで見た記憶があるが、本当だったんだと。

 そんなくだらない事を少女は思う。


 ボスッ、と。大きな音を立てて鞄が床に叩きつけられる。

 階下に誰かがいたら怒られそうなものだが、父親は仕事。母親も仕事の真っ最中である。

 家にいるのは、少女を除けば黒猫のノルのみ。

 そのノルも主人の不機嫌を察してか、ドアの隙間からじっと見てくるだけだ。


「もー、ホント最悪。マジ死ねばいいのに」


 そんな物騒な事を呟きながら少女は制服のままベッドに身を投げ出す。

 どこぞの学者先生が聞けば「最近の若者は気軽に死ぬとか死ねとか……」とご高説を垂れ流しそうだが、お生憎。

 中学生にとっては目に見え足が届く範囲が世界の全てなのだ。

 それ以外の「世界」なんてものは、ドラマの中となんら変わりない「ふーん」の一言で終わるものでしかない。


 さて、そんな少女……東森涼子に「死ね」と言わしめたのは、それこそ世界の全てと信じていた「彼氏だった男」に起因する。


 中学二年生の涼子が、その彼氏だった男……以後浮気犯と命名する……と出会ったのは、小学校の頃。

 なんとなく気があって、なんとなく遊ぶようになって、なんとなくバレンタインにチョコをあげる仲になって。

 大きくなったら結婚しようね、なんて顔から火が出るような約束までしたのも、今は消し去りたい記憶。


 中学受験の波に巻き込まれ、私立中学に入学した涼子と地元の公立中学に入学した浮気犯。

 学校が違ってもずっと一緒だよ、なんて言葉を交わして電話やラインをやりとりして。


「……やっぱり、あの頃からだよね」


 電話がかかってこなくなって、ラインの返信が遅れるようになってきた頃。

 既読無視というわけではないから、きっと忙しいのだと。

 そんな風に自分を納得させていた涼子が、たまたま学校の早帰りの日に駅で浮気犯と……その学校の女子制服を纏った何者かと遭遇したのが、つい先程のこと。


 仲良く腕を組んでいるその姿に、涼子は一瞬で全てを察し……しかし、理解できなかった。


「ねえ啓太、何あの子」

「え? えーと……前カノ」


 そんな事をほざいた浮気犯の頬にスナップをきかせたビンタと「この浮気男、死ね!」という罵倒を投げて帰ってきたのが丁度今。

 何が前カノだ、ほんと死ねばいいのに。

 浮気犯から届いたラインに「ごめん、誤解だ」とあったので「お幸せに」と返してからブロック。

 ベッドに転がると、なんだか急に涙がせりあがってくる。


 ああ、本当に好きだったんだなあ。

 でもそれって、私だけだったんだな。

 そんな情けない感情に支配されて、部屋の中に嗚咽が響く。


 好きだった。両思いだと信じてた。

 一生懸命作ったチョコのことだって覚えてる。お返しに貰ったキャンディの入ってた可愛い箱だって、まだ飾ってある。

 悔しくて。本当に悔しくて。

 でも、何に悔しいのかは自分でも分からない。

 浮気されたのが悔しいのか、彼をとられた事が悔しいのか。

 それとも、こうして泣くしかない自分が悔しいのか。

 

 分からない。

 分からないのも悔しい。

 抑えようとする涙はけれど、止まりはしない。

 涙よ止まれとベッドに顔を押し付けて。

 止まれ止まれと、呪文のように唱え続ける。


「……全部、夢だったらいいのに」


 そう、呟いて。

 気が付いたら、涼子は何処かの電車の中に居た。

 一体何が。此処は何処。


 湧き出てくる疑問を解決するべく、涼子は周囲を見回す。

 なんだか野暮ったいデザインの車内には車内モニタどころか電光掲示板すらない。座り心地の悪そうな椅子には誰も座っていないし、電車の扉は開いたまま。駅のホームにも、誰も居ない。

「え。ええ……?」


 思わず電車の外に飛び出て、涼子はホームから周囲を見回す。

 普段乗り慣れている電車ではなく、こう……古い感じだ。


 試しに頬を抓ってみると、痛い。

 つまり、夢ではないということだろうか? では、これは一体?

「タイムスリップ……?」


 そんな言葉が自然と涼子の口をついて出る。

 この青い電車がいつのものか知らないけど、たぶんきっと相当昔だ。

 どうしたら。お巡りさんに言ったら信じてくれるだろうか?

 混乱する涼子の腕を、誰かが掴む。


「ひっ!?」

 そのまま引っ張られ、車内に引きずり込まれる。

「ち、ちかーん!」

「人聞き悪いな……いいから車内に居ろよ」


 涼子を車内に引きずり込んだその誰かは、涼子をそのままぐいと反対側に押し付ける。

「まったく、驚いたよ。此処の主かと思えば、全然別口ときたもんだ。お前、俺と同じ事出来るのか?」

「へ? 何が? ていうか……ええ?」


 その誰かは、涼子よりもずっと身長が高かった。

 引き締まった体を見たことのある詰襟の制服に包み、顔に狐みたいなお面をつけている。

 見えている無造作な黒髪からすると、たぶん日本人だが……それよりも。


「その制服……同じ学校!?」

「そうだよ、東森。俺とお前は同学ってやつだ。残念なことにね」


 ぶっきらぼうなその口調に、涼子は思わずムカッとする。

 

「何よそれ。ていうか、なんで私の名前知ってるの!? まさか同じクラス……じゃないよね。クラスの男子、ここまでおっきくないし」

「お前有名だよ、東森。元気で可愛いって。好きだって連中が結構いる」

「……貴方は?」

「俺? ……別に」


 そういってふいと顔をそらす狐面の男子の顔……もとい狐面を掴もうとして、涼子はその手をがっしと掴まれる。


「離しなさいよ!」

「いやお前、今何しようとした」

「そんなお面被って失礼じゃない! あと名乗りなさいよ!」

「余裕だなお前!? まだ此処がどんな場所かも分からねえってのに!」

「分かるわよ、昔でしょ!? タイムスリップとかってやつよ!」

「違ぇよ!」


 そう叫ぶと、狐面の男子は涼子の手を離し一歩離れる。


「お前、この電車がデロリアンにでも見えるのかよ」

「でろりって……何それ。アニメの何か?」

「デロリアンだよ。知らなきゃ別にいい。とにかく此処は過去とかじゃねえよ」

「じゃあ、何?」

「夢だよ。決まってんだろ」


 そんな事を言う狐面の男子に、涼子は肩をすくめてみせる。


「ばっかねー、知らないの? 夢ってのは頬を抓っても痛くないものなのよ?」

「だから問題なんだろ。お前、夢ってだけじゃすまない領域まで飛び込んできてるんだぞ?」

「……へ?」

「お前、ダンテの神曲って知ってるか?」

「知らない」

「だろうな」


 ハッと鼻を鳴らす狐面の男子にムカッときて涼子は狐面に手を伸ばすが、今度はヒョイと避けられる。


「まあ、ダンテの状況ともまた違うけどな。平たく言うとお前、下手すると死ぬかもしれない状況にあるってことだよ」

「え……な、なんで?」

「知らん。その様子だと偶然っぽいけど……災難だな、お前」


 肩をすくめる狐面の男子だが、涼子はそれどころじゃない。死ぬ。その言葉が単純に恐ろしいのだ。


「な、なら目を覚ませばいいんでしょ? 夢なんだもん」

「まあな。でも此処はお前の夢じゃない。勿論、俺の夢でもないけどな。つまり、夢の終わりは俺達以外の誰かに委ねられてるわけだが……」


 言いかけた狐面の男子の言葉が、止まる。

 涼子を壁に……ホームとは反対の閉まったドアに押し付けて「静かに」と告げてくる。

 何事かと混乱する涼子は、狐面の男子の体のその向こうに……黒い人型のもやのような何かが現れたのを見た。


「さよならー!」

「ばいばーい!」

「またねー!」


 いつの間にか。

 そう、いつの間にかホームには、先程まで影も形もなかったたくさんの誰かが居た。

 祝福するようなその顔は、電車の中にいる何者かに別れを惜しんでいるようで。


-……行き、……発車します。閉まるドアに……-


 ところどころが理解できない言語の車内放送が響き、電車のドアが閉まる。

 ゆっくりと動き出したドアの向こうを、黒い人型のもやは眺めていたが……やがて、ゆっくりと電車の後部車両へと向かって歩き出す。


 ガタンゴトン、ガタンゴトンと。のどかな音を立てて走る電車の中で、黒い人型はゆっくりとドアを開けて後部車両へと消えていく。


「な、なんだったの? 今の……」

「アレが夢の主だよ。下手に顔覚えられてみろ、お前「This man」になっちまうぞ」

「で、でぃす……?」

「目ぇ覚めたらネットで調べてみろ。さて、と……」


 ぐにゃり、と。突然世界が歪む。


「え、え!? 何!?」

「あー、やっぱり悪夢だったな。たぶんそうじゃないかとは思ったんだよなー」


 黒い人型の消えていった後部車両を見ながら、狐面の男子はそう呟く。


「なんなの!? ねえ、なんなの!?」

「落ち着けよ。無事に帰れるってことだ。向こう行ったらヤバかっただろうけどな」

「訳分かんないわよ!」

「そんなもんだ。夢ってのは何処までも理不尽で、自由で……けど、可能性に満ちてる」


 ぐにゃりと、涼子のいた場所が不自然に盛り上がる。

 落ちる涼子に慌てたような様子で狐面の男子が駆け寄り……その勢いで、涼子の手が狐面に触れる。


「あ」

「げっ……」


 ポロリと外れた狐面。

 そうして見えた、涼しげな顔立ちは……やはり記憶になかったけれど。

 溶けるように消えていく自分の事が気にならない程に、その顔は涼子の脳裏に焼きついた。

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