心歪能力者は今宵も狂い舞う
歴史にはターニングポイントが数多く存在する。たった一つの発明や発見で、世界全てが大きく変わる事はそれほど珍しくはない。
では、もっとも新しい歴史の転換点はいつなのか?殆どの者は口を揃えてこう言うであろう。
「十年前に発表された『伊桜論文』である」と。だが、一部の者はこう答える。「今宵である」と……。
◆◆◆
「よぉ、黒河~。いーところで会ったなぁ?また金貸してくれねぇ?」
「カラオケ行く金もなくてさ~。アタシら友達じゃん?今度返すからさぁ」
「黒河、教会の子でしょ?哀れなアタシらにお恵みを~。なんつってね!」
「「「ギャハハハハハハ!!」」」
「……」
陽が落ちた街角。小柄な一人の女子高生が、同じ制服を着た三人の少女に囲まれていた。
「なに無視キメてんだよ、ア˝ァ˝ン⁉」
「何回教育しても、どっちが上か覚えられないとか頭悪すぎなんですけどぉ~」
「確かにぃ。黒河より猿の方が賢いんじゃないの?」
「猿以下だから人間の言葉で説明しても理解されなかったのね。なら、黒河でも分かる様に躾をしてやりますか」
「そーね!アタシらで黒河を猿レベルに教育してあげよう!」
「「「ギャハハハハハハ!!」」」
現代において、イジメは昔ほど忌避される行為ではなくなっていた。
もちろん推奨はされておらず、教師や警察に見つかれば注意は免れないが、不良のグループが同じ学校の少女を暗がりに連れ込んでいるのを目撃しても、見て見ぬ振りをする程度にはイジメは日常茶飯事となっていた。
全ては少女の不安定な心を歪ませるため。
自分の手を汚したくない大人達は、『沈黙』と言う形でその役目を子供達に押し付けた。
『沈黙』を『肯定』と捉えた少女達が、毎日の様にカツアゲと暴行に精を出したとしても、成果が出るかは運次第。生まれ持った才能に大きく左右される。
つまるところ……。
「アンタのその目が気に食わないのよ、ねっ!」
「ほら、『ありがとうございます』はどうした?黙ってんじゃねぇぞ、おいッ!」
この三人には運が無く。
「……ぅるさい」
この少女には運があった。
「失せろッ!」
少女の瞳が燃え上がる様に真っ赤に変化し、呼応するように漆黒だった髪が真っ赤に染まり、炎を纏って煌々と燃え上がり始めた。
「うわッ!なんだ⁉火が!」
「その目……!心歪能力⁉」
「ちょっ、ヤバイよ。行こ!」
少女の真っ赤に燃え上がる瞳に見つめられた三人が我先にと逃げ出す。少女は感情の窺えない瞳で三人を見送ると、ゆっくりと立ち上がり服に付いた埃を払った。
心歪能力。その見た目から超能力と呼ぶ者も多い、超常の能力の名称。
加速するストレス社会に適応するために、人類が新たに生み出した能力。抱えきれない程に心が歪んだその時。精神のバランスを保つために、心の歪みは心歪能力として外部に出力されるようになった。
心歪能力者は希少で有用。エントロピーを無視して無から有を生みだす能力が有用でない訳がない。故に、人類は心歪能力に目覚めやすい心が不安定な思春期の子供にストレスを強いる事にした。
「お見事!流石はウチが見込んだ能力者だけはあるわ~」
「……?」
飛び出して行った三人と入れ替わる様に、誰かがゆっくりと手を叩きながら路地へと入って来た。
見た事のない人物の登場に、能力を解除した少女が小さく小首を傾げる。
「せやったせやった。こうして顔を合わせるんは初めてやったな。ウチの名前は只埜 美波や。そっちの名前は?」
「……黒河。黒河 朱花」
「朱花ちゃんな。かわいい名前やな~」
美波の言う通り、朱花の記憶では美波と出会ったのはこれが初めてだが、美波が纏っている高校の制服の事は知っていた。もちろんその制服を着ている意味も。
ニコリと微笑む美波だが、朱花の表情が固まったままなのを見ると、肩をすくめて苦笑した。
「積もる話も、モリモリあるんやけど……その前に、招かれざるお客さんの登場やね」
「……?」
美波が朱花の背後。路地の奥の暗がりを指さす。朱花も釣られて背後を振り返ると、そこに『ナニカ』がいた。
「人影……?」
「文字通り人の形をした影やな。ほら!おのれらの出番やで!」
「「ハッ!」」
美波が号令をかけると、美波の背後から黒装束の男が二人飛び出し、朱花の背後に現れた人影へと躍りかかった。
黒装束の男達はその手に黒塗りの小太刀を持っており、人影へと斬りかかる。だが、人影は実体を持っていないようにその凶刃をすり抜けた。
「倒す事はできへんやろうけど、時間稼ぎぐらいは出来るから安心しぃ。にしても朱花はアレを見ても全然びっくりせぇへんのなぁ。ちょっぴり拍子抜けやわ」
「……びっくり」
「そんな落ち着いた声と表情で言われてもなぁ……。朱花はかわいい顔しとるんやし、もっと感情を表に出した方がええと思うで?」
ニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべながら、朱花の顔を覗き込む美波だが、人影と黒装束の戦闘しか目に入っていない様子の朱花を見て、諦めた様に一度だけ笑って、話を続けた。
「朱花は『伊桜論文』については知っとるか?」
「……授業で習った」
「そーやろな。一応ザックリ説明しとくと『限界まで心が歪んだ人間は心歪能力が現れるで~』『心歪能力者はこれからドンドン増えてくで~』ってのが、『伊桜論文』の内容や」
「で、ここからが大事なんやけど。実はな、『伊桜論文』には、続きがあるんや。それは知っとったか?」
「……知らない」
「やろなぁ。こっちは一般公開されてへんもん。知っとったら目ん玉飛び出るで、マジで」
「アッハッハー!」と、薄暗い路地に美波の能天気な笑い声が木霊する。黒装束二人が戦闘で手が離せない今、朱花が乗らなければ美波に付き合ってくれる者はいないのだ。
「……おほん。で、や。その『伊桜論文』の続きに書かれている事はこうや。『ストレスに耐えきれんなっとるんは世界も同じやで~』『限界まで世界が歪んだら、心歪能力の様に具現化するで~』ってな。それがすなわち、あの人影や。ウチらは便宜上『世歪生物』って呼んどる。まぁ、『怪物』でだいたい通じるけどな」
「世歪生物……」
斬られても意に介さず、黒装束へと腕を振り回して攻撃している人型……世歪生物へと視線を向けている朱花が、口の中で転がすようにその名を呼んだ。
こちらの話がしっかり聞こえている事を確認した美波は、満足そうに一つ頷くと、続きを語る。
「大体はあんな感じでモヤっとした人影で現れる事が多いな。ヤツらは厄介な性質を持っててなぁ。物理的な攻撃は殆ど効果が無いんや。全く無い訳ではないから、このまま攻撃を続ければいつかは倒せるが……その前にうちのがへばるやろうな」
「さて、そんな面倒くさい世歪生物やけど、効果的に倒す方法が一つだけ存在する。なにか分かるか?」
「……?」
「それはな、心歪能力での攻撃や。理屈はよー分からんが、心歪能力でなら世歪生物に普通に攻撃が通せるんや。んでもって。世歪生物ってのは大抵、耐久力が高くない。体がモヤモヤなんやから当然やな。攻撃が出来る心歪能力者ならワンパンで倒せるで」
「心歪能力者……」
ずっと世歪生物へと視線を向けていた朱花が美波へと視線を移し、美波が纏う制服を見た後に再び美波の瞳へと視線を合わせた。
それだけで察した美波は、朱花の視線を切るように自分の顔の前で手をヒラヒラさせる。
「残念やけど、ウチは攻撃系の心歪能力は持ってへんのよ。それは向こうで戦っとる二人も同じやな」
「……攻撃系の心歪能力者は……」
「この場に居るのは朱花だけって事になるなぁ」
「……」
美波があっけらかんと言い放った言葉を聞いて、朱花は黙り込んだ。
「もちろん無理して戦う必要はあらへんよ?朱花はまだ力の使い方もよー分かってへんやろうし、例え逃げても無能力者が何人か―――――」
「シッ!」
美波の放った朱花を励ます言葉は最後まで語られる事は無かった。
すっかり暗闇に慣れていた美波の瞳に、眩い閃光が突き刺さったと思った次の瞬間には、世歪生物は激しく燃え上がり、あっさりと消滅した。
一瞬前まで死闘を繰り広げていたのに、突然敵が消滅した黒装束の二人は、呆然として先ほどまで世歪生物が居た場所を見つめる。その先には、髪が真っ赤に燃え上がり、長い炎の爪を生やした朱花が何事も無かったような自然体で立っていた。
◆◆◆
「いやぁ~。あの新入り!朱花ちゃん!すごいっすね!うちへの入学も承諾してくれたし!ちょっと表情が乏しいけども、思ったより普通な子で安心っすわ~!」
「はっ!アホ抜かせ。朱花が普通の子?そんなわけあるかい」
美波は脳裏に焼き付けた朱花の姿を思い出す。燃える髪に炎の爪。一瞬で敵を切り裂いた、その姿は炎の獅子と呼ぶに相応しい姿だった。
「ええか?心歪能力ってのは、心の歪みの反動が生み出す能力なんや。つまり、能力が強ければ強い程、心の歪みがデカイってことや」
「という事は朱花ちゃんも……?」
「あれだけ強力な能力を持ってるんや。よっぽど盛大に心が歪んでるんやろうな」
今まで何人もの心歪能力者と接触を持ち、本人と直接会話をして直に能力を見れば、心の歪みをおおよそ把握することが出来る美波にも、朱花が抱える心の歪みは見通せなかった。
「あぁ~。朱花と再会出来る日が今から待ち遠しいわぁ~」
クスクスと笑う美波の声が路地裏に響く。
何十分も。何時間も。クスクスクスクスと……。




