そして現実の心象風景<エゴイズム>
『――先日の強盗事件の続報です。犯人グループには異能力者が含まれている可能性が高く、警察の異能力犯罪対策本部の主導により操作は継続されているようです』
「おーおー、物騒だなぁ……」
カップラーメンに『お湯を入れてから三分待て』と書かれていたら、二分ちょいぐらいの麺がまだ堅い時が一番美味いような気がする笹山鋼である。そんなわけで割り箸から快音を鳴らし、ウキウキで蓋を開く。
どこにでもある激安オンボロアパートの一室。何なら鍵すらぶっ壊れているが、侵入されたところで盗むものが何もないので無問題。そんな感じの六畳間で、鋼はテレビの報道を見ながらズルズルとカップラーメンを啜っていた。時代はトムヤムクン一択。
それにしても、早急に対応しなければならない問題が一つある。
「暑い……」
季節は夏。七月二十八日。部屋には蒸し暑い熱気が渦を巻いていた。当然、鋼はすでに汗だくだくである。室温は三十五度を超えていても不思議ではない。なぜこのクソ暑い中でカップラーメンを食べようと思ったのか。財布を開けばすぐに分かる。
エアコンは元々ついていないが、ついさっき扇風機まで大往生なさった。電化製品は蹴り飛ばせば直ると聞くけれど、やってみたら普通にもっと壊れた気がする鋼である。
馬鹿はともかくとして、もう命を救ってくれた風は吹かない。世は無常。
もはや暑すぎてカップラーメンを食っている場合ではなかったが、鋼の中にある貧乏人根性とトムヤムクン愛(?)によって何とか完食をなしとげた。
最高気温を更新した、などというふざけたニュースがテレビに映るのを横目に、鋼は出かける準備をする。さっきまで補習で学校に行っていた鋼は洗濯やら服の数やらを考え、制服指定の白Yシャツと黒ズボンを着直した。汗がべたついて気持ち悪い。
そんなわけで空の財布を持って外に出ていく鋼だが、オンボロアパートの二階から一階に下りると、ちょうど自室の真下にある扉の前で足を止めた。
ゴンゴン! とデカい音を立てて扉を叩く。三秒ぐらいで誰かが出てきた。
「何だよ、鋼じゃねえか」
完全に寝起きです、といった表情をした金髪イケメンの登場である。
外の熱気と汗だくの鋼を見て、その金髪イケメンこと加賀義人は顔をしかめた。が、問答をする前に鋼は義人の体を押しのけてさっさと中に入っていく。
「涼しすぎる……」
生き返った気分だった。部屋は冷房天国である。
「おいおい、テメェなんでそんなに汗だくなんだよ」
義人は頭をかいてあくびをしながら、エアコンの前を陣取る鋼に尋ねてくる。
「扇風機が壊れた」
「は? エアコンは――元々ねえのか」
「分かってくれるか、友よ」
鋼が義人の方に振り向くと、彼はうんざりしたように顔をしかめた。
「テメェがそういう風に友達を強調してくる時にあんまり関わりたくねえんだ」
「そんなことはねえだろ――金を貸してくれ」
扇風機を直す金が手に入るかどうかは、鋼にとって死活問題である。ゆえに全力の土下座をキメたわけだが、義人は呆れたようにため息をつき、肩をすくめている。そんな仕草すらもどこかサマになっているのはイケメンの特権と言うべきか。普段ならそれが憎いと思うところだが、今日のところは扇風機の命――つまり、同時に鋼の命が懸かっている。彼の性格もイケメンである可能性に賭けるしかないのだ。
「バイト代が入ったら返すよ」
高校生の貧乏な一人暮らしでは、バイト漬けになってもお金が足りない。せめて親の仕送りがあれば話は別だが、鋼は今、何やかんやで親とは疎遠になっていた。
義人は財布から一万円札を出して放った。鋼は犬のように飛びついていく。が、その直前で一万円札がぶわっ、と宙を舞った。窓は空いておらず、エアコンの風を考慮しても不自然な軌道。だが、鋼はそれが誰の仕業なのかよく分かっていた。
「――まあ待てよ、タダで貸すとは言ってねえ」
空飛ぶ諭吉はくるくると回転しながら、義人の手に舞い戻っていく。
どう見ても物理法則に反している奇怪な現象。
それは異能力と呼ばれ、人類の理解を越えた不思議な力が引き起こしているものだ。
十年ほど前に初めて超能力を発現したと名乗り出た人物がおり、それ以来、異能力を発現する者はどんどん数を増やしている。その謎はほとんど解明されておらず、唯一分かっていることは「異能力者は、己の心象を現実と同調させ、世界の法則に干渉する」という理論の欠片もない一文のみ。進まない研究がなされている間にも異能力による犯罪で治安は悪化していき、警察はその対処に苦慮していた。先の強盗事件も今の世では珍しくない。たった十年で信じられないほど物騒な世の中になっていた。
盛大に話が逸れたが、つまりは義人も件の異能力者の一人ということだ。
義人が持つ風系統の異能力が気圧に干渉し、不自然な風を発生させた。実質的には無能力者の鋼からすれば妬ましさしか感じないわけだが、対する義人は構わずに告げる。
「夕飯の買い出し、頼んだ」
清々しいほどの笑みだった。この男、クソ暑い外に一歩も出たくないだけである。
「扇風機、直してえんだろ?」
「ぬぅ……今日のところは従ってやるが、あくまで今回限りだぞ! 覚えてろ!」
三下感丸出しの煽りをしつつ、某諭吉を受け取った鋼は義人の部屋を出ていく。実はもう少し冷房天国を体感したかったが、啖呵を切ったくせに居座るのもアレである。
そんなわけでじりじりと体を焼く眩しい陽射しの中をひいひい言いながら歩いていく。
目的の電気屋までは徒歩五分。肩にかけているのは扇風機そのまま。
道路に人気もないド田舎だが、もし誰かいたら注目を集めるのは間違いない。
「なぜ俺がこんな目に……」
鋼はうだうだと愚痴りながら方向転換。曲がり角を曲がり、脇道に入っていった。
そして前方を見ると、
「あ……?」
なんかいた。
より具体的に言えば、金髪の少女がコンクリの地面にぶっ倒れている。
「お――おい! 大丈夫かよ!?」
鋼は扇風機を降ろして慌てて駆け寄った。
近くで見ると、染めたようには見えない美しい金髪と、人形のように端整な顔立ちに思わず見惚れそうになったが、それどころではないと首を振る。
四十度にも迫るかもしれないこの暑さだ。放っておけば命に関わる。
現に、少女はひどく体調悪そうにぐったりとしていた。
「救急車……!」
鋼はポケットに手を入れるが、スマホは充電が切れたまま部屋に置きっぱなしであることを思い出して舌打ちをした。
「悪いな、体触るぞ!」
ひとまず、このまま日向には置いておけないのでお姫様抱っこで日陰へと運んでいく。
どうするか、と鋼は焦ったように呟く。ここは昼間の住宅街。道路に人気はないが、大声で呼びかければ誰かが家から出てきてくれるかもしれない。
鋼はそれが最善手と考え、大きく息を吸った。だが、その瞬間。
「待っ……て……!」
「っ!? 気づいたのか!?」
金髪の少女が僅かに目を開け、掠れた声で呟いた。
鋼が返答すると、少女は意識が朦朧としているのか、息も絶え絶えに言う。
「逃げ、て……わたし、から、離れ……」
鋼は眉をひそめる。少女の言葉が要領を得なかったからだ。
「何言ってんだ、こんな状態の奴を放っておけるわけねえだろ……!」
そう言うと、少女は苦しそうな表情で首を振る。
どういう意味なのか尋ねようとしたときには、少女は目を閉じて意識を失っていた。
躊躇っている場合ではないと考え、鋼は大きく叫んだ。何度も。
「おーい! 誰かいないのか!? 救急車を呼んでくれ!」
流石の鋼も、段々とおかしいと思い始めた。いくらド田舎の住宅街で、しかも昼間とはいえ、これだけ叫んで誰も気づかないというのは流石に考えにくい。
シン……とした空気が、何だか肌を刺すようだった。
雰囲気が、いつもの街中とは違う。
「――いくら叫んだところで、無駄だよ少年。一般人が我々に気づくことはない」
カツ、と硬質な足音が真後ろで響く。
振り向くと、そこにいたのは炎のような赤い髪をなびかせる、凛とした雰囲気の女。
煙草を口にくわえている彼女は、冷淡な調子で告げた。
「率直に言う。その少女を渡せ。君は何も見なかったことにして日常に戻るといい」
「何だ、テメェ」
「その少女の保護者のようなものだ。君が心配する必要はない」
本当にそうだとしたら、鋼とてそのまま引き下がっていただろう。だが、少女が苦しむ姿を見て平然と煙草を吸っていられるような奴が、彼女の保護者のはずがない。
「こいつに何をした?」
鋼は僅かに膝を落とし、警戒態勢を取る。女の冷然とした眼光を受け、強く睨み返した。
女の視線は、明らかに家族に対するソレではない。モノを見るような目だ。
「面倒な奴だ。ただ居合わせただけで、ソレにこだわる理由があるわけでもないだろうに」
徐々に、女が纏う雰囲気が変質していく。
「ふざけんな。苦しんでる奴を放っておけるわけねえだろうがよ」
「……なるほど。面白そうな力の気配があるな」
女は煙草を手に取って深く息を吐きながら、スッと目を細めた。
(……俺が能力を使う『条件』を整えていることに気づかれてんのか?)
この暑さの中でも冷や汗というものは流れるらしい。
「なあ異能力者の少年」
警戒する鋼の前で、赤い髪の女は妖しげな微笑を浮かべた。
「君は――呪術というものを知っているかね?」
その言葉の、直後の出来事だった。
轟!! という凄まじい音が炸裂し、理解不能な現象が顕現した。




