裏山のエルフ村は緑茶を欲する
お茶。
チャノキの葉を加工し作られる飲料である。
日本では緑茶、グリーンティーが主流で百年以上前からその味は日本人のDNAに刻まれている。
しかしお茶を飲みこそするが、それ自体の知識を有している人間は決して多くない。
たとえば抹茶は、お茶の葉を粉々にすれば出来る、と考えている人が居る。
これは大きな間違いで、抹茶の原料となるのは碾茶と呼ばれる、独特の育て方や加工がされた茶葉だけだ。
また、どこかの誰かが言った言葉ではあるが、お茶にはたくさんの魔力が含まれているとか、いないとか。
……真実は不明である。
「給料よりもね、大切なものがあるでしょ? やりがいとかさ」
「休み? だめだめ、人数ぎりぎりなんだから、休みなんてだめだよ」
「君やる気あるかなぁ。残業もしたがらないし、そりゃ残業代は出せないけど、みんながんばってるんだよ?」
「やっぱり今時の子はゆとりがありすぎるねえ」
……あのとき「そうですか、では辞めさせていただきます」と言えた自分自身をほめてあげたい。
大窪新葉は吐き気を催しつつ起き上がり、枕もとのスマートフォンに手を伸ばす。
時刻は八時を過ぎており、しかし肉体の疲れは取れ切れていない。
二年、たった二年であの会社は彼の肉体と精神をすり減らし、自主退職へと追いこんだ。
会社そのもの、上司そのものに明確な悪意は無かったかもしれないが、無自覚の悪意ほど質の悪いものはない、そうつくづく痛感する。
未だ健在の会社を恨めしく思うが、もうあの場所には関係ないと言い聞かせた。
現在、新葉は亡くなった祖父祖母の家に住み、精神的な療養中だ。
会社に行かなくても良い今、契約していたアパートに住む意味はない。
「つっても、なにもしないのもあれだな……」
両親もこの療養を認めてくれているが、なにもせずただ貯金を使っていくのは気が引ける。
過労死寸前、発狂寸前まで働いていたのに、給与は平均かそれ以下だった。つまりのんびりと暮らし続けることは難しい。
いずれ再就職するためにも、多少の運動は必要だと感じていた。
ついでに、可能なら何か生産的なことがしたい。
歯磨きを終え居間に戻る。
と、棚の上に未開封の缶詰を見つけた。
それは果物や非常食ではなく、パッケージを見るにどうやらお茶が入っているようだ。
賞味期限は切れておらず、あけてみれば香ばしい香りが漂う。
ふと、祖父達はお茶を作っていたな、と思い出した。
恐らく友人にでも頼んで、缶詰にしてもらったんだろう。
「そういえば……何回かお茶畑に行った記憶があるぞ?」
古い思い出だが、この家のすぐ近くに裏山があり、その奥にはお茶畑があった気がする。
二人とも亡くなって数年以上経っている、手つかずのままで放置されているに違いない。
「これはタイムリーだな」手早く朝食のパンを食べ、靴を履く。
探検心とあわよくばお茶でも作ってみるか、という情熱が湧き上がる。
が、山に行くなら飲み物が必要だ。
幸い缶詰のお茶葉(賞味期限は切れていない)はあるので、紙パックに茶葉を摘め、冷水で満たした水筒に投じる。
これでしばらく待てばお茶が出来上がる算段だ。腰に紐でぶら下げておけば丁度良い。
「さて、行ってみるか」
その歩みは、ブラック企業に向かうあの頃も、遙かに軽やかだった。
……そして十数分後、消えかけた山道を必死でかきわけ(元から狭い道な上、雑草がわんさか生えている)、記憶を頼りにお茶畑を探す。
この山は円錐状で、しかし頂上部は窪んでいる。
たしかその窪地でお茶を作っていたはずだ、と群がる蚊をはねのけて歩む。
そうしてさらに数分後、どこか見覚えのある光景が現れた。
数列に並んだ、背の低い樹木。
ツバキ科特有の光沢を持った葉が鬱蒼と盛り上がっていた。
間違いない、雑草が生え、剪定はされず放置されているが、これはお茶の木だ。
駆け寄ってそれを眺める。
「ああ、やっぱりここにあったんだ! ……あれ?」
直後、違和感を覚えた。
向こうの方に一際大きな雑草の茂みがあるのだが、その一部分だけが綺麗に刈り取られていた、まるで通り道のように。
しかし獣道ではない。
数秒かけてこの光景の意味を飲み込み、思わず身震いする。
誰もいないはずの山なのに、知らない何者かが来ている。
この山は私有地な上、今新葉が住んでいる家以外に周囲に民家はない。
鼓動が早まるが奇妙なことに、恐怖よりも興味が自己主張して、足は自ずとその茂みに向かう。
そして、見つけた。
倒れ伏せた人影を。
「に、人形?」
それにしては妙に生々しい、やはり人のようだが、だが問題は髪の色だ。
新緑を思わせる緑色で、しかし染めているとは思えないほど鮮やかな発色だった。だが、緑色の地毛なんてあるのだろうか、と首を傾げてしまう。
死体遺棄かと冷汗が流れた。
「やっぱり人形か?」
「う、んんっ」
「うおおおおっ!?」
突如人影、詳しく言えば学生くらいの少女が呻く。
思わず腰が抜けそうになるが、顔を見て思わず息を飲んだ。
「か、可愛い。けど、どうしてこんなところに」
アイドル以上の美貌だった。
白い肌に優しそうな目尻、着ている衣服はなんだか民族的だが、その上からくっきりわかるほどバランスの良いボディをしている。
しかし鑑賞している暇はないな、と改めて近寄って介抱に移る。
「良くわかんないけど、海外からの観光客でも迷い込んだのかな」
「おい、動くな」
「全く。私有地に入ってきたら……え?」
振り向くと、眼前には矢じりがあった。
きりきりと弓の弦がしなっており、今にでも矢が発射されそうな状態。
本格的に腰を抜かしながら顔を上げると、そこには、金髪の少女が立っていた。緑髪の少女より何歳か年上に見える。
「私たちの村に、何の用だ」
「む、村? いやここ俺んちの私有地……」
「嘘をつけ! 魔術師の手先だな!」
「えええっ!?」
鬼気迫る表情でぐいぐいと矢を押し付けられる。
へたりこみつつ弁明をするが、どうにも聞き入れてもらえない。
「誤解ですって! 俺はこの子が倒れてたから、介抱しようと思っただけで病気かもしれないし」
「病気なんかではない」
「なんでそんなことがわかるんだ」
その質問に、少女は一瞬戸惑った。
しかしそれは原因がわからない、という表情ではなく、原因がわかっているが言いにくい、という感じの表情で……と、前後からきゅるるる、と腹の虫の声が響く。
新葉は前後を軽く見やり、やや迷いながらも理解した。
「腹減ってるの?」少女は気まずそうに唇を噛む。
よく見れば二人とも痩せ形で、しかし不健康な印象だ。大学時代、断食ダイエットをしていた友人をふと思い出してしまうほどに。
「俺の家に食い物があるから、持って来ようか」
「だめだ。これ以上、村に関わるな」
「さっきから言ってるけど村ってなんだ? この山に村に村なんか無いはずだぞ?」
「……ええい、喋りすぎた。さあ、ここで死ぬか、帰るか、選べ」
あくまで強硬な姿勢は崩さないらしい。
なんだか狐に摘まれたような気分ではあるが、帰らねば本当に命が無いかも知れない。
ゆっくり立ち上がろうとすると、袖を緑髪の少女に掴まれた。見ると薄く目を開いている。
「うぅ……魔力の、気配……」
「魔力?」
「どうしたんだっ、リーフっ?」
あわてて金髪の少女が、リーフのもとに駆け寄る。
そして本人は新葉の袖を掴みつつ、腰に下げた水筒に視線を送っていた。
「その中から、魔力の気配がするよ、フォレンお姉ちゃん……」
「落ち着け。幻覚だっ」
「でも、本当に感じるんだよ? おいしそうな魔力が……」
魔力という聞き慣れているようで聞き慣れない単語に戸惑いながら、新葉は恐る恐る水筒を二人の前で開いてみせる。
たちまち懐疑的だったフォレンの目が真開く。
「んんっ!? ま、魔力だ……」
「ほらね?」
「なんだその、魔力って」
リーフと姉は顔を見合わせる。
「私たちエルフの、食物以外の栄養源だ」
「エルフ? あっ」
言われて、二人の耳が普通の人間より極端に長いことに気が付いた。
いわゆるエルフ耳で、手に持った弓や、ふわっと可愛らしい服装も相まってファンタジー世界の住人のようだった。
コスプレしているようには見えず、その言葉には真実味しかない。
「……すまない、矢をつがえたことを誤る。だからその、それを私たちに分けてくれないか? ……頼む」
「お、お茶を? 別に良いけど」
恐る恐る渡すや否や、二人は水筒を開け、お茶を手に乗せて飲み始める。
砂漠でようやくオアシスを見つけた旅人がごとくの必死さだった。
するとたちまち二人の顔に生気が戻り初め、しかし半分も飲まないうちに手を止める。
「どうしたんだ? 苦いのか?」
「味は、普通においしいが。私たちだけで飲むわけにはいかない。村に、分け与えないと……こんな高濃度の魔力が詰まった薬液、そうそう手に入れられないからな」
「いや、やろうと思えば作れるよ?」
「は?」
「この茂みの葉っぱが原料だし」
お茶の木を指さすと、二人は唖然とそれを見つめた。




