実家を出た元貴族の俺は、死に戻り系鬼畜難易度のダンジョンにソロで挑むことにした
「お義兄さんの事が大切なのも分かるわ。でも、あなたも父親なんだから、考えて。貴族としての務めも果たさず、部屋に籠もりっきりのお義兄さんは、それだけで噂になるわ……いいえ、もう噂自体は出ているの。この間の侯爵家のパーティーでも……」
そんな弟嫁さんの言葉が聞こえたのは夜、手洗いを済ませた戻りの廊下でのこと。
そういう話をするなら、戸締まりには気をつけてもらいたいモノだ。
弟夫婦に気付かれないよう気をつけながら、部屋に戻ることにする。
さて、弟嫁の台詞を振り返ってみよう。
俺、ウィルキンソン・フォション・サーフィアは公爵家の長男だが、色々あって家は継いでいない。
継いでいるのは弟だ。
美人の奥さんを娶り、今は娘が一人。もうじき二人目が生まれるが、医師の見立てでは男の子だという。そうなれば、跡継ぎの問題も解消される。
……そんな家庭に、俺のような人間がいれば、弟嫁さんの不満も分かる。
これまでダラダラと、この家で生活をさせてもらっていたが、いいきっかけかもしれない。
出ていくことにしよう。
弟はおそらく引き留めるだろうが、さすがにこの状況が誰にとっても望ましくないモノであることぐらいは、分かるはずだ。
とりあえず、荷物をまとめよう。
公爵領を出て二ヶ月後、王都。
冒険者となった俺は、古い寺院の門を開いた。
ここは、ダンジョン『英雄へと到る試練場』への入り口。
こぢんまりとした石造りの寺院はメインとなる礼拝堂と、俺がいる居住区、そしてダンジョンの入り口となる離れという構造になっている。
居住区は小さいが、リビングに寝室。
キッチントイレ、なんと小さいながら風呂もついている。
各部屋に、照明や水回り用の魔石をセットしていく。
「屋根があるだけでも、ありがたかったんだが、これは嬉しい誤算というヤツだな」
冒険者ギルドから、この無人の寺院を管理をするのを条件に、住み込みが許可されたのだ。
「さて」
渡り廊下を進み、離れへと向かう。
離れは複雑な彫刻の施された大きな両開きの扉が印象的な、しかしそれ以外には何の特徴もない建物だ。
扉を開いて中に入ると、薄暗い空間に転移の魔法陣が彫られた台座が一つ。
それだけだ。
実家から持ち出した、装備を確認する。
自己修復機能を持つ魔剣一振り。
魔術を組み込んだ外套、首掛け式の護符、軍靴一足。
周辺の状況が自動で記されていく、魔法の巻物。
このダンジョンのことを記していた、曾祖父の手記。
そして、道具袋に少々の食糧。
ダンジョンには、それぞれ『ルール』が存在する。
例えば『火気厳禁』のダンジョンでは、火の魔剣や火炎の魔術は使えない。それどころかそもそも、食糧を火に掛ける事もできない。火自体が発生しないのだ。
『英雄へと到る試練場』にも『ルール』があり、『単独専用』、『入場時、構造更新』、『魔石以外の持ち帰り不可』、『死亡不可』である。
……人気がないのも分かるというモノだ。
『単独専用』の時点で、持ち込める荷物が制限されてしまう。
大量の荷物を持ち込んで、機動力が落ちれば、あっという間に中にいるモンスターの餌食になってしまうだろう。
『入場時、構造更新』は、入るたびにダンジョンの構造が変わる。
マッピングは役に立たず、罠の場所も毎回異なる。
さらに『魔石以外の持ち帰り不可』だ。
この縛りは事実上、儲けがほとんど無い、ということだ。魔石が大量に手に入るというのなら話は変わるだろうが、それならこのダンジョンにもそれなりに人の出入りがあっただろう。
ただ、唯一メリットとしてあると思われるのが、『死亡不可』だ。
このダンジョンでは、冒険者は死なない。
力尽きた時点で、魔法陣に戻されるのだという。
ダンジョンは全十階層。
実家の書斎にあった曾祖父の手記によれば、曾祖父は第三階層まで踏破したところで異種族の侵攻が間近に迫り、急ぎ戦場へと投入されたらしい。
そこで大きな武勲を立て、公爵領を拝領したのだという。
曾祖父は後に曰く、
「このダンジョンは、間違いなく強くなれるであろう。しかし、二度と挑戦したいとは思わない。いくら死なないとはいえ、何度も致命傷を負うこの鬼のようなダンジョンは、常人では精神が保たないからだ」
とある。
……これを読んだからには、そりゃあ挑戦してみたくもなるというモノだ。
「よし、行くか」
転移魔法陣の上に立つ。
視界が白く瞬いたかと思えば、次の瞬間には俺はダンジョンにいた。
石造り、等間隔で魔力灯が設置された、スタンダードなダンジョンだ。
正面と右手に通路は延びていて、先は暗くて分からない。
正面に進むと、通路の幅が広い、いわゆる『部屋』が先に見えた。
そして佇む、いくつかの気配……直後、矢が飛んできた!
「っ!?」
ブーツに組み込まれた魔術『疾風』を起動させ、これを回避。
しかしその間に部屋から三体の小鬼――ゴブリンが、短剣や鉈を手にこちらに迫っていた。
さらにその後ろからは、蠢く粘体――スライムも這い寄ってきている。
いきなりの、対複数戦闘か!
魔剣を抜き、ゴブリンに振るう。
距離はまだあったが、剣に組み込まれた『波動』の魔術が衝撃波を生み出し、ゴブリンをまとめて吹き飛ばした。
さらに距離を詰め、俺を取り込もうと身体を広げたスライムを斬り伏せる。
同時にもう一本矢が飛んできたが、これは『鉄鎖』のマントが弾いてくれた。
部屋に突入する。
左右に太い柱があるが、気に欠けている余裕などなく、起き上がろうとするゴブリン達に刃を振るった。絶命したゴブリン達は黒い塵となり散っていった。
矢を撃ったのは、部屋の奥にいるゴブリンだ。
首から掛けた護符に、魔力を込め、その力を引き出す。
「――『火球』!!」
手をかざし、火の球を打ち込んだ。
「ギャッ!?」
ゴブリンは短い悲鳴を上げ、炎に包まれた。
やがてゴブリンは黒い塵となり、魔石が一つ残された。
この大きさの魔石なら、大体、食堂の定食一食分といったところだ。
「ふぅ……」
息をついた瞬間、視界が鈍くにじんだ。違う、身体全体が何かに覆われている。熱。身体全体が、熱い。痛い。これは……まさか、天井にスライムが潜んでいたのか!?
まずいまずいまずい、素肌の部分はさすがにマントの効果が及ばない!
さらに、背中から鋭い痛み。
振り返ると、短刀を持ったゴブリンのシルエットがにじんだ視界に映っていた。コイツ、柱に潜んでいたのか!?
「ぐぅっ……!!」
『疾風』を起動させ、身体にまとわりついたスライムを強引に振り払う。
背中を刺したゴブリンは無視し、とにかく部屋を脱出、転移された場所へ急いで戻る。
そして寺院に転移……魔法陣が、なくなっていた。
後ろからは、ゴブリンとスライムが追いついてくる気配。
俺は振り返り、魔剣を構える。
まずは戦って、この状況を切り抜ける……!
薄暗い、天井。
寺院の離れだ。
どうやら、戻ってきたらしい。
「あー……」
あれから五戦して、手に入った魔石は結局二つ。
一度、ダンジョンに入ったら転移の魔法陣がなくなっている、というのは想定外だった。
なるほど、曾祖父が二度と挑戦したくない、精神が保たないと手記に記していた理由に納得がいった。
つまりあのダンジョンから脱出する方法は、おそらく二つだけ。
ダンジョンを完全に攻略するか、死んで戻るかしかない、という訳だ。
立ち上がってみると、装備は元通り。傷も痛みもない。
ダンジョン内で食べたパンはちゃんと消費しているのに、この辺りは謎仕様だ。
「……」
魔法陣の上に座り直し、考える。
完全攻略するか、死ぬまで出られないダンジョン。
モンスターは序盤から群れでやってきて、しかも待ち伏せや背後からの奇襲をするほどの知恵を持っている。
剣や矢でダメージを受ければ、死ぬほど痛い。
得られる成果は、わずかな魔石のみ。
正直きつい。
……が、この『英雄へと到る試練場』も、悪いことばかりではない。
まず、何より本当には死なない。
通常の依頼には、常に危険がつきものだ。
高いランクの依頼ほど、死ぬ確率は高まる。
このダンジョンでは怪我は負うが、死に戻ればそれもなくなる。
真の意味での死の危険はゼロなのだ。
加えて物理的に手に入るのは魔石のみだが、戦った経験はちゃんと俺の中に残っている。
そして、ダンジョン内の宝箱には食糧の入っているモノもあった。だから、運がよければダンジョン内で空腹を満たすこともできる。
最後に何より大きいのは、人付き合いは最低限で済む、ということだ。
煩わしい干渉が、一切ない。
自分のペースでやれる、というのが何より素晴らしい。
「……やろう」
ノルマは最低、一日の食費となる魔石三つ。
贅沢をいえば、装備に組み込む魔術を購入したいし、寺院の照明や水回りに使用する消耗品としての魔石も欲しい。
文化的な生活を送るなら、書物も欲しい。
欲をいえばキリがないが、まずはこのダンジョンに慣れることだ。
「本日二回目の探索といこうじゃないか」
俺は立ち上がり、足下の魔法陣に魔力を込めた。
真っ白い空間に突入する。
こうして、俺のダンジョン攻略生活が、この日、ひっそりと幕を開いたのだった。




