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憂国の士と鷲獅子の旗を掲げよ

私は夢を見ていた。


 王宮の美しい庭に面したテラス。そこには誕生日を迎えた私のために用意された豪華な食事がテーブルいっぱいに並べられている。

 母と七歳になったばかりの私が座り、侍女たちが後ろに控えているが、なぜか彼女たちの顔が引き攣っている気がしていた。

 幼かった私は最愛の母と一緒にごちそうを食べられることがうれしく、そのことに気づくことはなかった。

 母が取り分けたケーキを私に差し出す。私がケーキを頬張ると、「ジーク、ほっぺにクリームが付いていますよ」といって指ですくい取ってくれた。

 母が美しいカップに入った紅茶に手を伸ばした。


『それは駄目だ! それは!』


 見ている私は大声でそう叫ぶが、母には聞こえず、そのままカップに口を付ける。

 ガシャンという音がテラスに響く。そして、母は苦悶の表情を浮かべ倒れ込んだ。


『あああ!』と私は叫び声を上げた。


 私の目の前では「母様! 母様!」と幼い私が叫んでいる。

 しかし、侍女たちは顔をこわばらせながらも誰も動こうとしなかった。


 幼い私が狂ったように「誰か! 母様を! 母様を!」と喚き散らしている。


「ジーク……」というか細い声が聞こえた。


 幼い私は僅かに安堵の表情を浮かべながら、「母様!」と言って縋りつく。

 しかし、見上げる母の顔は苦痛で歪んでおり、危機が去ったわけではないと幼い私でも気づいていた。

 その表情が見えたのか、母は苦しみに耐えながらも微笑みかけた。


「ジーク……あなたは強い子。そして優しい子……だから、今のまま強く優しいままでいてね……」


 幼い私は「いや! 母様!」と叫んでいるが、私は別の言葉を伝えようした。


『はい、約束します。母様、ご安心を……』


 その時の私が伝えられなかったこと、それを伝えたかった。

 私の声が聞こえたかのように、母は優しく微笑んだ。


「あなた……は、私の……だから……」


 母の声が更に弱くなっていく。幼い私にも母の命の火が消えようとしているのがはっきりと分かった。


「母様! いやだ! 母様!」


「……まっすぐに生きて……私のかわいいジーク……」


 母は最後まで私を愛し、そして慈しんでくれた。

 私は母の分まで生きようと思い、感謝の言葉を伝える。


『ありがとう、母様……私はあなたの息子であることを誇りに思います……』


 私がそう伝えると、母は静かに息を引き取った。


 その時の私は母の死を受け入れることができなかった。泣きじゃくる私を侍女たちは無視するかのように立ち尽くしている。

 私はそのまま泣き疲れるまで母に縋りついていた。


 そこで場面が変わった。

 その日の夜、私は母のいない寂しい寝室で眠っていた。そこに一人の女性が入ってきた。

 バタンというドアを開ける音で目を覚ます。

 私の目の前には美しいが憎しみで醜く歪んだ顔があり、その顔が私には悪魔に見えていた。

 私はガクガクと震えることしかできなかった。


「どうして、お前は生きているの! 本当にしぶとい子! すぐにあの女の下に送ってやるわ」


 そう言ってガウンの中から一本のナイフを取り出した。

 ナイフの刃がランタンの光を受けてキラリとひかり、私は逃げようと後ずさる。しかし、ベッドの上では逃げようがなく、その恐ろしい刃を見つめることしかできなかった。


 ジリジリとにじり寄ってくる悪魔の姿に思わず目を瞑ってしまった。

 痛みを覚悟していると、「何をしておられます! 王妃殿下!」という声が響き、一人の女性が飛び込んできた。


 その女性はカルラといい、褐色の肌と長い耳を持つ闇森人で、濃い茶色の薄手のチュニックを身に纏う“影”と呼ばれる護衛だった。


「また邪魔をするつもりなの! お前たちはいつも私の邪魔をする!……」


 そこで目を覚ます。

 いつも見る夢と同じだった。しかし、これは私が見た現実でもあった。



 私は王国の第三王子ジークフリート。

 十一年前、母は毒を使って暗殺された。誰が暗殺したのかは分かっている。私の義理の母でもある第二王妃アラベラだ。


 第一王妃であり、私の母であるマルグリットを暗殺した者が未だに王妃として王冠を戴いている。

 それだけではなく、私は父によって北方の辺境、ネーベルタール城に幽閉された。


 そんな私には家臣と言えるものがほとんどいない。特に信頼できる者はごく少数だ。

 守役シュテファン、ネーベルタール城の城代ラザファム、護衛であるアレクサンダー。そして、カルラたち“影”だ。


 私はこの十年間、荒野の中に佇むネーベルタール城で過ごした。

 その間、シュテファンから学問と教養を、ラザファムから用兵学を、アレクサンダーから武術を学んだ。

 私は優秀な生徒ではなかった。その証拠に未だにこの三人の足元にも及ばない。

 私には学んだことを使う機会すら与えられないと思っていた。私は母の遺言を守り、まっすぐに生きようと、それだけを考えて生きてきた。

 しかし、状況は大きく変化する。

 統一歴一二一八年の年が明けた時、私は国を守るため、そして母の仇を討つために立ち上がることを決意した。


■■■


 王国は大陸の北西部に位置する古い国である。千年以上の歴史を持ち、王都には多くの歴史的な建造物の他に、貴重な書物も残されている。


 この年、その古い王国は滅亡の危機を迎えていた。

 東と南から強国による侵略を受け、両国に比べ国力が圧倒的に低い王国とって両面作戦は限界に近付いていた。


 このような状況においてもこの国の支配層は手を拱いていた。

 国王は優柔不断な性格であり、敵国の侵攻に対し有効な手を打たなかった。否、打てなかった。

 王宮では王妃と彼女の弟である侯爵が国政を専横し、王の命すら危うかったのだ。


 王妃は自ら生んだ王子、第二王子を玉座につけようと画策している。

 王妃は弟と共に自らに批判的な重臣たちを排除していった。それが隣国の更なる侵攻を招く。まさに内憂外患であった。


 統一歴一二一八年が明けた日。

 ネーベルタール城の一室は新たな年を祝う日だというのに、重苦しい雰囲気に支配されていた。

 ジークフリードはその空気から逃れるように、窓越しに嵐で荒れる海を見つめている。

 彼の後ろには偉丈夫であるアレクサンダーが顔を強ばらせながら直立不動で立ち、その横にはラザファムとシュテファンが同じように無言で立っていた。

 窓ガラスを叩く雨と轟々と響く風、そして、時折響くゴトッという暖炉の薪が崩れる音だけ聞こえている。


 薪が崩れる低い音がきっかけとなり、アレクサンダーが徐に王子に声を掛けた。しかし、その時の声はその表情とは異なり、硬いものだった。


「ご決心がつきませんか、殿下」


 その言葉に彼は振り返った。


「陛下の命に異を唱えることになる。このことをもって義母上が行動を起こされるかもしれない」


「その危険はございます! ですが、この状況を看過しては国を失いかねません! 隣国の侵略を許せば、多くの民が苦しむことになるのです! ご再考を!」


 正義感に溢れる彼の声が、嵐の音に負けじと響く。

 更にラザファムが話に加わった。


「第一王子殿下にご期待しても無駄でございます。殿下は暗殺を恐れ、王位継承権を放棄するのではないかという噂も流れております。このままでは第二王子が正式に立太子されてしまいます。それでよろしいのですか? マルグリット様を暗殺したアラベラ王妃の思い通りになってもよいというのですか?」


 ラザファムの言葉にはジークフリートを非難する響きがあった。彼の言葉は更に続いた。


「ここで殿下が立たれねば、王国の民は今以上に苦しむことでしょう。自らの欲望に従うことしかできぬ為政者に支配されるのですから。それだけでも悲劇ですが、隣国との戦争で多くの民が命を失うでしょう。そうなる前に手を打つには今しかないのです。それでも決心がつきませんか」


 声を荒げているわけではないが、ジークフリートの心にラザファムの言葉が深く突き刺さる。


「妃殿下の仇を討たず、民を見捨てて逃げるというのであれば、これ以上何も言いますまい。成すべき時に成すことができぬ主君に仕えた自らの不明を恥じるだけです」


 その辛辣な言葉にシュテファンが静かに抗議する。


「言い過ぎではないですかな、ラザファム卿。貴殿の言いたいことは分からぬでもありませんが、今の言は臣としての分を過ぎております……」


「よい。ラザファムの言は耳に痛いが事実でもある」


 シュテファンは一礼すると半歩下がった。

 ラザファムは「ご不快にしたことについては謝罪いたします」と言ってシュテファンに頭を下げた。


「ラザファムに問いたいことがある。以前より候補に挙がっている者たちはどの程度、私に従ってくれるのだろうか」


 ジークフリートの問いにラザファムは正面からしっかりと目を見て「殿下のご覚悟次第かと」と答え、


「殿下はご自身のことを過小評価されております。殿下が心より望まれれば野に埋もれておる者たちも喜んで馳せ参じることでしょう。しかしながら、今のような中途半端なお気持ちでは彼らの心は動きませぬ。真に国を憂いている者たちの心には響かないことでしょう」


 ジークフリートは小さく頷くと、静かに目を瞑った。そして、数秒後、ゆっくりと目を開き、三人をしっかりと見つめた。


「覚悟を決めた」


 決して大きな声ではないが、三人には耳元で叫ばれたほどしっかりと聞こえていた。

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