やっぱり人の肉は、ミディアムレア
「あのぅ、あのぅ、もし、もしよろしければなんですけれども……ごはんを恵んではくれませんか?」
人間とはつまるところ、『骨』である。
それが、十年ほど、火葬場で働いている俺の結論だ。
十年間、さながらルーチンワークのように行っている仕事内容を、ざっくりと分かりやすく、五回を招きやすいように説明すると、死体を焼くのが、俺の仕事だ。
残された人がしくしくと泣いていたり、案外気丈に、控室の方で食事を和気藹々と楽しんでいる中、俺はただ、死体を焼いて骨にする。
火葬することには、もちろん意味がある。
墓に入れるとき、最近の墓は小さいから、少しでもサイズを小さくするため、骨だけにするため。
釈迦が火葬だったから。
火葬することで、魂が天に昇るためだとか。
しかし、例えば火葬をすることで、魂が天に昇るのならば――容器である肉体は燃やしたところで全く問題がないとするのであれば。どうして残った骨をあんなに大事にするのだろうか。
魂が天に昇ったのだとすれば、骨だって、肉と同じように、焼かれ砕かれてもなんら問題のない存在と言えるのではないだろうか。
しかし、人はどういうわけか、骨を大切にする。
つまり、魂は天に昇ってなんかいなくて、骨こそが魂であり、人間なのではないだろうか。
そんなくだらないことを考えてしまうぐらいには、この仕事は結構暇である。
知らないやつの死と、知らないやつの生の証拠をひたすら眺めるだけなのだ。退屈で退屈で、俺自身が死にそうになってしまう。
だからこそ、わざわざ火葬場に来てまで、こんなことを言ってくる彼女に、少しばかり興味を持ったのは事実だった。
午後に焼く予定の仏さんが到着し、遺族の方々は事故による渋滞に巻き込まれているらしく、未だ到着する気配はない。なので、待っている間、昼飯のサンドイッチを食べながらぼーっとしていると、彼女は入り口からふらふらっとやってきた。
初めは、送れていた遺族が来たのかと思ったが、喪服じゃあなかったし、なんだか様子が変だ。足元がおぼつかないのか、あっちへふらふら、こっちへふらふらと歩いている。
おいおい、やめてくれよ。不審者なんて面倒くさい。
と、思いながらも、あれがなにか問題を起こしたら俺の責任にもなる。
腰を持ち上げて、不審者のもとへと向かう。
「あの、すみません。埋火葬許可証の方をお持ちでしょうか」
「お腹が空いたんですぅぅ……」
「……はい?」
一応、もしかしたら遺族とか関係者である可能性があるため質問の形を取ってみたけれども、彼女から返ってきたのは、質問とはまるで関係のないことだった。
がばり。と俺の顔を見上げてきたその顔は、ひどくやつれていた。
白髪混じりの黒髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、肌は病的なまでに真っ白。目は淀んでいて、濁っていて、汚れている。唇からは潤いというものが全て抜き取られていて、さながら砂漠のようだ。か細い、骨の上に皮膚が引っかかっているだけみたいな腕を伸ばして、俺の腕を掴みにこようとする。俺は思わず後ずさった。
「ふべら」
手が空をかいた彼女は、バランスを崩して、顔からアスファルトの地面につっこんだ。ガツン、と痛い音がして、ピクリとも動かない。
もしかして、死んでしまったりしてないよな……?
心配になって、彼女に向けて手を伸ばそうとすると、ぐわば。と彼女は顔を持ち上げた。
顔には大小様々な石ころがザクザクと突き刺さっていて、眼球の黒目にも、深々と突き刺さっている。
彼女はそれをどかすことなく、唐突に泣きだした。
口ではわんわんと泣いてはいるが、目からは涙は一切こぼれていない。
「ひどいですよぅ、腕を引っ込めるなんてぇ! いじわるにもほどがあります!」
「え、あ。そっち?」
「そっちじゃあなかったらどっちなんですかぁ!」
「いや、こけたときの痛みとか」
眼球に深々と刺さっている石ころへの驚きとか。
眼球に痛覚ってないんだっけ?
そんなはずないと思うんだが。
彼女はきょとんとした表情を浮かべたあと、自分の目に石ころが突き刺さっていることに、ようやく気がついたようで、恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべてから、眼球に指を伸ばして石ころを引っこ抜いた。
「えへへ、お恥ずかしいところをお見せしました……ん? いえ、見苦しいところを。でしょうか?」
どっちでも変わらないだろう。とは思ったものの、確かに、石ころが目に突き刺さっている姿はお恥ずかしいところというより、見苦しいところであるかもしれない。
見てていい気分のものではないし、見ていたいものではない。見て痛いものではあるけど。
「それで、あの」
右眼球に穴を空けたまま、彼女は俺に問う。
「私、すごくすごぉく、お腹が空いているんですぅ……。だから、その、もしよろしかったら、なにか恵んではくれないでしょうか……?」
現代日本において、乞食に出くわす。全くないとは言いずらいが、かなり珍しいイベントであるとは思う。
彼女は両手を合わせて、濁った――死んだ魚のような目で俺の顔を覗き込んでくる。
どうやら、俺がサンドイッチを食べているところを見ているようだった。
さて、どうしたものか。
追い払ってもいいのだが、彼女の顔は、不健康を擬人化したかのようなものではあるが、実は、好みではあるのだ。
正直な話、追い払うよりも、これをきっかけに、お近づきになりたい。とも思っているぐらいだ。
それに、まあ。いい暇つぶしにもなる。
「いいよ。あっちにある。取ってこようか?」
「ひゃっほー。あっりがとーございまーす!」
彼女は俺が指さした方向に向かって走りだした。
走れるんだ。その体躯で……。
なんだろう、どっかで見たことあるなあ。あの走り方。
ああ、そうだ。ゲームでよく見る、走るゾンビだ。
そんなことを考えながら、見えなくなった彼女を追いかけるようにして、控室の方に戻ってみると、サンドイッチはまだそこにあった。
はて。彼女はここにたどり着けていないのだろうか。やっぱり、案内したりした方が良かったかな。と、首を傾げていると、壁の向こうから車の揺れる音が聞こえてきた。
壁の向こうには五、六台ぐらい止まれる駐車場があって、霊柩車が止まっている。遺族が着いたのだろうか。それとも、彼女が道に迷って、そっちの方に行ってしまったのだろうか。
もしも後者であったならば、霊柩車の運転手や遺族に、彼女の姿が見られることになる。不審者を放置したあげく、あまつさえ、招き入れたことがバレたら、良くて減給。悪くて仕事を辞めさせられる羽目になるかもしれない。
それは困る。非常に困る。
俺は急いで控室を出ると、駐車場の方へと向かった。
幸いにも、遺族はまだ到着しておらず、しかも、霊柩車の運転手も、トイレかなにかに行っているようで、この場に居合わせることはなかった。
いや、本当に。幸いにも。不幸中の幸いにも。
霊柩車はガタガタと揺れていた。
まるで、霊柩車の場所だけ地震が起きているかのようだった。
バックドアが開いている。そこから仏さんが入っている木製の棺が見える。棺のフタが開かれていて、誰かが棺の中に上半身を突っ込んでいた。
バタバタと両足を振っている。棺がなんとか入るぐらいの狭い車内だからか、足が床や壁や天井にぶつかっている。あれが、車が揺れている原因だろう。
病的なまでに――生気が感じられないぐらい真っ白で、少し力を入れたらぽっきり折れてしまいそうなぐらい細い脚に、俺は見覚えがあった。
「おい……」
俺は恐る恐る声をかける。
ピタリ。とバタバタと動いていた足は動きを止めて、さながらシーソーのように体は動いて、棺の中に突っ込まれていた上半身が姿を現した。
もっちゃもっちゃと、膨らんだ頬がなにかを咀嚼しているように動いている。
口は、人の足首を咥えていた。断面は食いちぎられたようになっていて、骨と変色した肉が見える。
「ああ」
彼女は口に咥えていた足首を棺の中に落としながら言う。
噛んですり潰されたコンビーフみたいなのか、口からポロポロとこぼれていた。
「やっぱり生じゃああんまり美味しくないですねぇ。お腹が空いていたので、文句は言いませんが。あの、もしよろしかったら、これ、そこで焼いてきてくれませんか? 焼き加減はそうですねぇ、ミディアムレアで」
彼女は棺の中を探って取り出した足首を僕に手渡してきた。
くっきりと歯形のついた、骨の飛び出した足首だ。
よく分からない状況に頭が追いつかず、俺は。
「火葬炉はオーブンじゃあねえんだけどなぁ」
とよく分からない返しをしてしまった。




