正義とエゴの差を求めよ、ダークヒーロー
Ⅰ
この世に無限にあるしがらみを、人はそれぞれひとつだけ無視することができる。
それが異能だ。
コートの内ポケットからスマートフォンを取り出す。
暗い画面に映るのは覇気のない男の顔。少し癖のある黒髪は耳にかかるほどで。
顔立ちこそ十人並だが彼の纏う雰囲気は鋭い。
この都市の繁華街にあるビル群。お昼時の街はざわめきで満たされていた。
その様子を青年、空木或は湧きあがる感情もなく眺めている。
黒いコートとズボンに身を包んだ或。彼はスマートフォンを、チャットを確認するとコートの中にしまい込んだ。
一拍おいて右手の五指に嵌められた指輪を一瞥。即座に視線を外すのだが。
吹きすさぶ風にコートの裾をはためかせながら、懐から仮面を取り出す。
それを付ければヒヤリと冷たい感触が顔に伝わる。
感覚を研ぎ澄ませる。
それと同時に目的地の方角へと向けて走り出し――屋上の柵を飛び越えた。
瞬間、見えないワイヤーにひっぱりあげられているかのように或の身体が空へと浮かび上がっていく。
空から見下ろす景色の中に目的地が近くなっていく。
下にあるのは銀行。それが今回の目的地だ。
或は能力を解除するとそのまま屋上へと向かって落下していく。
びゅうびゅうと風が身体を叩きつけて、熱を奪う。叩きつけられていく空気のせいで呼吸が浅くなっていく。
けれど、これも慣れたものだ。
或は落下の速度を緩め、屋上に着地する。
「……っと」
まあ、今回は上出来だ。
或は仮面のポジションを細かく調整すると、階下へと向かう階段へと向かう。
銀行の真下には警察、ヒーロー、そしてそれらを無遠慮に撮影する野次馬たちが見られる。
こんなところでまごついているヒーローたちを見るに、人質を取られていており、突入は現状不可能。
ヒーローが裏で動いているのだろう。
会いたくないな、と口内で呟く。
出くわしてしまえば争いは避けられない。それは本意ではない。
扉を開けて階段を下りていく。
このまま店舗のある一階まで下りてしまうのは犯人に遭遇してしまうかもしれない。
まずは犯人と人質がどの位置にいるのか、どこからであれば確実に奇襲できるかを確認しなかればならない。
地図は頭の中に入れているから、どこに行けばいいというのはわかる。
まず目指すべきは二階の管理室だ。
そこには銀行内に設置された監視カメラの情報が集まっているからだ。
監視カメラが得た情報が集まる管理室へとたどり着く。扉は施錠されておらず、簡単に入ることができた。
管理室はがらんどうだった。誰一人としていないものの、飲みかけのドリンクや、開きっぱなしの雑誌などと、そこかしこに先ほどまでそこに人がいたという痕跡があった。
モニタに映るのは、ロビーに大勢の人間が座っている様子だ。
ロビーのカウンターに向けて猟銃を向けては下げるを繰り返している男が居て、他の人たちは彼の方を向いている。一挙手一投足を見落とさないように必死なのだろう。
男はロビーのカウンターに背を預けつつも、不規則に後ろを振り返ったりするなど、警戒に余念がない。
男の容貌は、男にしては長い金髪。彫りの深い顔立ち。カメラ越しでもわかる身体の鍛えよう。
監視カメラの解像度でもこれだけの情報は集められる。
そして、それは事前に得ていたものと合致していた。
本日、正午十二時。
とある銀行が立てこもり強盗の場と化した。
犯人、力石種次は警察に対して、自らの安全と人質の命を交換しようと持ち掛けている。
現在、警察、ヒーローは強硬策に出ることもなく、沈黙を保っているそうだ。
監視カメラに意識を戻すと、ロビーの一角には血が飛び散っており、見せしめが行われたことが容易に予測できた。
死体はシャッターで閉ざされた入口付近に移動されている。
「隙を突いて速攻で片付けるしかない、か」
異能が電撃系であるなら、電気を強制的に落とすこともできるのだろうが。
また、抜け道になるところもなさそうだ。
そうなると、通常の経路を使い不意を打つしかない。もうここに用はない。或は管理室をあとにすると、階段を下りていく。
一階廊下、ロビーに繋がる扉の前に辿り着くと或はわずかに扉を開いて先を覗く。
相変わらず受付にもたれかかりつつも猟銃からは手を離すことはない。
察するに彼が持つ異能は攻撃能力のないものなのだろう。だから武器を必要とする。
おそらく異能は拘束系。もしくは物質に性質を与える付与系か。
思考を打ち切り視界の先に犯人を捉える。
すると次の瞬間、犯人が足をふらつかせ体勢を崩す。
男はたまらずに両膝と片手を地面につけるが、銃は手放していない。
しかし、男が地面に手をつける以前から或は走りだしていた。
「誰だ!」
発砲音。悲鳴。騒然とするロビー。
放たれた銃弾は大きく外れ、誰もいない壁に食い込む。
突如現れた黒づくめで仮面の男が向かってくるのだ。相手からすればそうわめきたくなるのも仕方のない話である。
離されていた距離がゼロへと近づく最中、力石は体勢を整えようと冷静に立っていく。まだ、距離はある。
仮面の下、或は憎しみを隠さない声色で告げる。
「お前の異能、貰い受ける――!」
「抜かせッ!」
体勢を持ち直しながら力石が引き金を引く。わずかに閃く銃口、肩に走る激痛。
銃弾が肩に食い込んだのだということはすぐに理解した。
身体を少しばかりよろめかせる或。
すぐさま第二射に入ろうとする力石。
或は手をかざしてジグザグに進み、射線から外れようとする。
強盗犯は脚をふらつかせると、おもむろに舌打ちをする。
「音の振動で俺のタマ取ろうたァ舐め腐りやがって!」
ゼロ距離まであと十数歩。
叫んだ力石は猟銃を捨て、腰に帯びていた大振りのナイフを抜き去る。
或を迎え撃つ姿勢へと切り替えたのだ。
悲鳴と安全を求める地鳴りのような足音が銀行内を満たす。
その中で、或たちの戦いは接近戦へと移る。
力石のナイフが上段から振るわれ、それを怪我をした方の左腕で受け止める或。
切られてはいない。わずかにうめいてしまう程度だ。間隙を縫って、或は右手で力石の顔を掴もうとするが失敗。
しかし、その勢いで力石のナイフを掴む。するとナイフが爆発し、刃と柄が分かれていく。
「爆発の異能! まさかテメェ!」
「黙れ」
強盗の腹に拳をくらわせると、男は後ろに倒れていく。
止めを刺そうと顔を踏みつけようとするが、力石は後ろ側に転がって難を逃れる。
機を逃してたまるものかと或は距離を詰めていく。
流れるように追撃をした瞬間――力石が逆立ちの要領で或の顎をめがけて足が弧を描く。
それを両腕で防ぐがそのまま空中に浮かぶ或。しかし力石の拳が腹に直撃。
サッカーボールのごとくシャッターへと叩きつけられていく。青年は不随意運動により肺の酸素を吐き出した。
酸素を出し切った或は息を思い切り吸い込む。
目の前には十メートル前後の間合いを一瞬で踏み込む敵。
ここで死ぬわけにはいかない、そう口内で吐き捨てる。
悪あがきとばかりに身体をひねると、先ほどまで顔のあった位置を強盗犯の拳が通り過ぎ。
金属製のシャッターは大きく陥没し、軽々とはぎ取られてしまう。
なんて力だ。
或は空中に浮いて力石から大きく距離を取ると、重々しく口を開いた。
「貴様の異能は『身体能力限界の無視』。……その異能の持続時間は三分程度」
「ビンゴだ。だが、俺は異能を使って負けたことはないッ!」
にぃ、と男は口端を歪める。その表情に油断はない。
相手がこちらを侮っている分にはやりやすかったのだが。
それに、こちらの異能に気付いている。
息を整えて、この相手をどう攻略するかを組み立てていく。
やれる。自分ならやれる。
これまで何度も危ない橋を渡ってきたのだ。
或は空中でくるりと体勢を変え、天井を蹴る。勢いがつけられたまま床に着地するや否や、力石の回し蹴りが頭を掠める。それを回避するが、コマのごとき回し蹴りの連撃。
後じさり避けていくが、最後の一撃を胴体に命中させてしまう。
蹴りを防いだ右腕がみしり、と嫌な音を立てる。
「ぐっ……!」
呻き、たたらを踏む。
直後、男の正拳が或の腹部に食い込む。
身体は宙に浮き、衝撃が突き抜けていく。
だが、
「捕まえた」
或は力石の腕を片手で掴み――その箇所が爆発する。
「――ッッ!!」
腹の奥底からせり上がっているような絶叫。
身体を震わせる叫びを無視して腕を掴むと、力石がふわりと力なく宙に浮かぶ。
男の瞳に怯えが宿る。
けれど或の心には一分の同情も沸いていない。ただ目の前のゴミを処理しなければと思うだけ。
重力を失った犯罪者は空中でもがいている。
しかし無重力下では速度のあるパンチは到底放てない。当然、緩やかな拳は避けられる。
或は手のひらで力石の顔を覆い、徐々に力を込めていく。
その直後、力石の頭部が爆炎とともにはじけ飛んだ。
――作戦終了。
或の右手にはめられている五つの指輪。
立てこもり犯の力石が動かなくなるのと同時に、指輪の一つが消え、その場所に新しい指輪が出現していた。
或はそれを確認すると、頭部が破損した力石を見下ろし――
「お前の異能、確かに貰い受けた」
無機質な声色で一言呟く。
Ⅱ
この世にある無限のしがらみから、人はそれを一つだけ無視することができる。
或が無視できるしがらみは――「異能がひとり一つである」ということだ。
悪人殺しのダークヒーロー、ホロウ。
彼は殺した者の異能を奪い、正義を実行する。




