シルバー・ブレット~墓場鳥は鎮魂歌を謳う~
「――――抜けよ」
数多の十字が立ち並ぶ、此処は墓場。
沈みゆく太陽を背に、小柄な少年が傲岸不遜に言い放つ。年の頃は十四か十五か。まだ、あどけなさの残る顔付きだ。
小さな体躯に合わない使い古したロングコート。両袖を何重にも捲り上げ、ところどころが擦り切れている。腰まで伸びきった髪は後ろで一つに纏められていて、生暖かい風によってなびいていた。
その眼は猛禽類のように鋭く、口元は相手を挑発するように不敵に歪んでいる。
「どっちが速いか、試そう」
続けて少年は親指でコインを弾いた。くるくると、宙を舞うコイン。
同時に彼は手に持つ得物をくるりと回転させる。ガシャンと装填音。
レバーアクションのライフル、開拓時代に多くの活躍をした銃だ。今となっては時代遅れと言っても良いような、年季の入った代物。ただ一点を除けば旧い銃に過ぎない。
一点……本来、弾丸が射出されるべき穴が別の物によって塞がれているのだ。
杭だ。
銃の先端には槍の穂先のように鈍い白銀色の杭が取り付けられている。半分は銃、半分は槍のようなひどく歪な武器。
少年は自分はいつでも構わない、とその銀杭を相手に差し向けた。
コインは重力に導かれるままに地に向け落ちていく。
「ティーーーーッ!!」
少し離れた場所、墓石の陰に居たもう一人の叫びが少年の耳朶に響く。ティーと呼ばれた少年は反射的に声の主――翡翠の方を一瞥した。黒一色のロリィタ調の服装に身を包んだ、華奢な体付き。交錯した視線がかち合うと、瞳に涙が浮かんでいるのが見えた。
「問題ない」
ヒスイの悲痛な表情とは裏腹にティーは事もなげに答えを返す。
そして何度も、何度も繰り返している言葉を彼は口にするのだった。己を賭けるに足る大言壮語。彼が彼である為の誓い。
「『オレ様は――――最強だ』」
これは決闘だ。
意思と意思とのぶつかり合い。
一対一での殺し合い。
己と己を賭ける鉄火場。
彼我の合意によって成される契約。
「――――――ッ!!!!」
ティーの目前に居る決闘相手が吼えた。
黒い、そこだけが闇に切り取られたような人の影。手には回転式拳銃。引き金に影の指が掛けられた。
銃口の先には、影自身の眉間。
銃声。
自殺、そう思わざるを得ない光景。
しかし……
金属の破音。溢れ出る殺意。黒く輝く眼光。四肢は地に着き、影の身体が肥大化していく。周囲の墓石をなぎ倒し、その真なる姿が露わになる。
獣のようだが、その姿はどの獣とも似ても似つかない。ティーの数倍もある、巨大な体躯。三つ首の頭は鶴に似ていて、その無機質な瞳からは感情が窺い知れない。口から滴る涎は地面に生えた草を焼き、その様相は、ギリシャ神話に名高い地獄の番犬を彷彿とさせた。
悪意と恐怖と絶望をない交ぜたような怪物が、全ての嘴をティーに向ける。
コインが地面に落ちた。
落下音は怪物の咆哮によって掻き消された。
契約は成立した。
互いの銃口は既に向き合っている。
これは、決闘。
ただ一つ、違いがあるとすれば――――
「――――さぁ、来い。相手をしてやる」
その相手が人間ではなく、悪魔という点だ。
黄昏、逢魔が刻。
墓場にて、魔と逢う刻にて鳥が歌う。
死者を弔う鎮魂歌。
*
――――数時間前。
「『ソロモンの小瓶』?」
夢中で頬張っていたサンドイッチを一息に飲み下すと、ティーは耳に入った単語をそのままオウム返しに口にした。
大陸の東に位置するとある街。数世紀前のかつて、魔女裁判の悲劇が起こった場所。しかし、過去の悲劇は既に過去。今は観光地として売られていて、そこかしこに魔女を象った看板が出ている。
こんな光景を当時の人々が見たら、どんなことを思うのだろう。そんな益体ないことを考えたが、きっと今の住人も街興しに躍起なのだろう。その効果はさておいて、努力だけは評価するべきか。
今はカフェで一休みの真っ最中。のはずだが、どういうわけかヒスイの顔には疲労が浮かんでいた。
「そう、『ソロモンの小瓶』。ティ-、やっぱりボクの話、何も聞いてなかったでしょ」
「話は聞いていた。ただ、意味がさっぱり理解出来なかっただけだ。問題ない」
「いや、問題しかないじゃん」
ふわふわとしたゴシック調のドレスにソプラノの高い声。やれやれ、と華奢な肩を可愛らしく竦め、ヒスイはいつも通りの相方に説明を始める。ティーはふむ、と腕を組んでヒスイの話を聞き入った。
「ソロモンの小瓶……流石にソロモン王はティーでも知ってるでしょ? ボクたち一応、聖職者の元で育ってるし」
「…………………………あぁ」
「うん、それは覚えてない反応だなぁ」
数拍後にコクリ、とティーは頷く。照れる様子も無く仏頂面にいかにもな顔をしているが、彼のことをヒスイにはよく理解していた。伊達に長年一緒につるんではいない。ヒスイは呆れつつも言葉を続ける。
「旧約聖書、『列王記』……」
「待て、ヒスイ」
「……何?」
「その話は、長いのか?」
「まだタイトル言っただけだよ!? もう! ソロモン王はずっと昔に居たっていう偉い王様!」
「そうか。なんでその昔の王様が持ってた小瓶が問題なんだ……?」
「ソロモン王は魔術に関連する逸話が多くて、その中でも有名なのが多くの魔神を使役してたって話。それらを封じ込めてたのがその小瓶なんだよ」
「魔術……? 使役……? ……異端?」
「その辺はややこしいけど我らが主の御心なのでセ――――フ!!」
「そうなのか」
二人は教会に住む孤児だ。それぞれ理由は別で、血が繋がっている訳でもない。ただ漠然と気が合って、気付けば常に行動を共にするようになった。いわゆる腐れ縁という奴だ。
今もこうして二人で朝早くから神父に頼まれ事をされ、その用事も終わり、帰路の途中。他の子達には悪いと思いつつも、少しのサボりくらいなら神様は見逃してくれるだろう。
ヒスイはティーに目を向ける。
口数が少なく、端から見るだけならクールな少年といった感じだが、ティーという少年は一言で言ってしまえば馬鹿だった。もちろんヒスイはそのことで彼を軽視する事はない。要領の悪い友人に呆れながらも、ヒスイはテーブルに置かれた紅茶へと誤魔化すように口を付けた。
「ふぅ。そのソロモンの小瓶がこれさ。神父様に頼まれたものの、気になってちょっと調べたんだ」
カップに代わり、懐から取り出されたヒスイの手には真鍮製の小瓶が握られている。本来の黄金色は見る影も無い。いかにもな魔法円が表面に刻まれており、煤けて古臭さが際立っていた。
「……なるほど?」
「なんでそこで疑問形なのさ。まぁ、半分ぐらいはわかってくれたかな。……だといいなぁ」
「その小瓶、本物なのか?」
「……なんでそういう核心的なところはすぐ出て来るのかなぁ。実際の所、眉唾な話だよ。読んだ本の内容だと中身は既に空っぽ。だから神父様もボクたちに頼んだんじゃないかな」
「そうか」
ティーのいつもと変わらない淡白な反応に構わずヒスイは話を続ける。
ソロモン王の使役したものたちは魔神と呼ばれてはいるが、その実、大半は悪魔、魔王、異教の神々だったりする。あまりの節操のなさにこの話自体、魔術師を騙る者たちの創作という説もある。
だが……
「うーん。仮にね? 仮にだよ? この小瓶が本物だったら、どうする?」
「たとえ本物でも、その中に居た連中はもういないんだろう?」
「それはそうなんだけど。もしも、万が一。中に残ってたりしたら……」
「魔神……つまりは、悪魔や異教の神だろう? 倒す、そしてオレ様が最強であることを証明してやる」
まるで漫画の主人公のような台詞をティーは真顔で言う。ヒスイは呆れると共に口元をほころばせた。
「ティーはやっぱり。そう言うと思った。そんなことばっか言って、この間も街の不良たちに絡まれたばかりじゃないか。神父様が来なかったらどうなってたか……」
「来なくても勝てた。最強だからな」
「そう言って。ティーって別に喧嘩強いワケじゃないじゃん」
「喧嘩が強ければ最強とは言えない」
「義兄さんの受け入り、ね……」
ヒスイは今はもう居ない、一人の男の背中を思い出す。ティーが着ているコートも彼の形見の品だ。
「魔神……悪魔、か。本当にそんなものが居れば、ボクは……」
「どうした?」
「ううん、なんでもない!」
「そうか」
ティーは冷め切ったコーヒーを口に付け、一息に啜った。猫舌なんだから最初からアイスコーヒーを頼めば良いのに、とヒスイは思ったが、それも彼が背中を追い続ける義兄の真似であることを思い出した。
「ヒスイ」
「なに?」
「悩みがあるなら、聞くぞ」
「ッ……!」
本当に、こういう事だけはティーは鋭くなる。
「……大丈夫だよ」
「そうか」
「うん、心配してくれてありがとう」
ヒスイは陽だまりの花のような笑みを浮かべ、席を立った。
「長居しすぎてサボってるのがシスターにバレたら怖いし、そろそろ帰ろっか」
「あの女は苦手だ」
「あはは。ティーにも苦手なものがあるんだね。じゃ、支払い行ってくるね」
手の内には件の『ソロモンの小瓶』を握り締めて。ティーに悟られまいと自然と早足になる。
「……禁忌の容れ物の中にはいつも一つだけ残ってる物があったりするじゃないか」
ヒスイは暗く瞳を濁らせ、小さく呟いた。




