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邪龍神殿へようこそ!

「うーん、今日も良い天気! ……たぶん」


 ぐぐっと両手を天に向かって伸ばし、そんなことを言った。

 巨大な地底洞窟の最奥に位置するここからは、どうやったって今日の天気の善し悪しなぞ分からないけど、そこはまあ気分だ。

 すぐ近くに地底湖があるからかここは年中湿っぽい。言葉だけでも溌剌としなければ精神すら病んでしまいそうだ。


「まったく、なんでこんなとこにこんなものを……」


 振り向けば、静寂の中で佇む荘厳な門がある。

 その奥に待ち構えるのは、見上げるほど巨大で立派な石材で組まれた神殿だ。八角形の太い柱が八本、分厚い屋根を支えている。玄関から続く長い階段の両脇には、絶えることのない炎の燃える燭台が等間隔で立っていた。


 ここは邪龍神殿、我らが七龍聖教の聖域である。



 僕、リツ・ローリルは七龍聖教の神官で、つい一週間ほど前にここへやって来た。元々は聖都の大神殿で日々の仕事に忙殺されていたんだけど、ある時うっかり厳重に保管されていた七秘宝の封印を解いてしまってここへ左遷された。まあ、栄転っていうやつだと思ってるけどね。

 この神殿は世間から隔絶され厳重に秘匿されている。そのためここに住む人間は僕ただひとりだ。月に一度の定期報告以外で外界と通信を交わす手段もない。

 そんなわけで、今日も僕はただ一人、この不気味なほどに静かな神殿の掃除から一日を始めるのだ。


「掃除といっても僕以外に見る人もいないし、やり甲斐ないよねぇ」


 地底湖で汲んだ水を使って雑巾がけをしながら、ついついぼやく。

 この神殿、大礼拝堂とか大図書館とか大食堂とか大武器庫とか、とにかく大きい部屋が無数にある。今せこせこと床を拭いている大礼拝堂だけでも、100人くらいは余裕で寝そべることができる広さなのだ。始めはその高い天井に刻まれた精緻な彫刻や煌びやかな絵画に感動したけど、そんなものは三日で飽きた。

 自己承認欲求が満たされることも無い孤独な作業は、愚痴の一つでも零さないとやってられない。とりあえず僕は即興で考えた元上司の嫌なところ100選を連ねながら掃除することにした。


「五月蝿い、うざい、神官のお姉さんに鼻の下伸ばしてる――」


 自分でも驚くほどにすらすらと罵詈雑言が飛び出す。清純だと思っていた自分の心が、実はこんなに汚れていたのかと少しショックだ。自分の心もゴシゴシと掃除できたらいいのに。


「――金遣いがあらい、なんか臭い。……わお、もう掃除終わっちゃったよ」


 気が付けば床一面の雑巾がけが終わっていた。我ながらどれほど上司のことが嫌いだったのか。ここに飛ばされたことで上司は元上司になったのだけど、結果的に良かった気もしてきた。


「さて、ひとまず大礼拝堂の掃除も終わったし。探検するか」


 僕はバケツに雑巾を投げ入れて、神官服の裾で濡れた手を拭う。そうして、日課にしている神殿の探検に出発した。この広い神殿の全部を数日前にやって来たばかりの僕では到底回りきれず、まだ知らない場所がたくさんあるのだ。


「立場的に神殿の構造も知っておかないといけないしね……。しかし地図の一つくらいあってもいいのに」


 書類上、僕はこの神殿の長、神殿長兼管理者という立場にある。実情がどうであれ、客観的に見るならこの神殿の長なのだ。しかし管理者とは名ばかりで、僕はこの神殿の全容を一切把握していない。それはちと拙かろうということで、大礼拝堂の掃除を終えた後は神殿の奥を探索すると決めていた。


「ひーろいひーろい神殿でー、ひーとりひーとりさびしーなー」


 即興で作った下手な歌を口ずさみながら、僕は神殿を奥へ奥へと進む。

 礼拝堂の奥には先述の図書館や武器庫の他に長い廊下が続いている。その廊下の左右には沢山のドアがあり、簡単な宿泊スペースになっているようだ。ちなみに僕は神殿長の居室と思われる一等豪華な部屋で寝泊まりしてる。


「あれ? 廊下の奥は階段なのか」


 長い石畳の廊下を突き当たりまで進むと、分厚い石の扉を挟んで下りの階段が続いていた。

 壁には等間隔で燭台が並び、僕はそこに魔法の炎を灯しながら奥へと進んだ。

 この神殿は長い地下洞窟の最奥にあるけど、その神殿の奥は更に地下へと伸びているようだ。コツンコツンと木靴を打ち鳴らしながら、僕は慎重に進む。


「何故か、こんな場所にある割には空気も淀んでいないし、ほとんど劣化していなんだよね」


 石の壁を手で撫でながら、ふと来た当初から思っていた疑問を口にする。

 これだけ地下深くの洞窟となれば空気など腐り果てていているものだと思っていたけど、案外そうでもない。むしろ冷たくて新鮮な空気は、聖都のごみごみとしたそれよりもおいしいくらいだ。

 神殿を構成する堅い石材や燭台、家具や調度品の類いもほとんど経年劣化が見られない。


「これも龍の加護っていうやつなんだろうかね」


 我らが七龍聖教が崇めるのは、世界を管理する七柱の龍だ。七種の色と属性を司る七柱の龍を、僕たちは七つの神殿と一つの大神殿で奉っている。実際に龍は存在するらしいけど、永い眠りについているらしくて誰もその実際の姿を見たことは無い。

 そして、その七龍聖教の分厚いベールの奥に隠された重要な秘密。忘れられることを宿命づけられた、最後の一柱の龍。邪龍エルトナを封印するのが、この神殿なのである。


「邪龍エルトナ、どんな文献にも載っていない、口伝でのみその名が伝えられる龍。猛毒の牙と漆黒の鱗を持ち一度地上へ顕現すれば遍く生命が枯れ果てる、だっけ?」


 左遷が決まったときに教皇様から直々に教えられたその存在。一介の神官にすぎない僕にはちんぷんかんぷんだった。なんてったって小さな頃孤児院の時代から教えられていた七龍聖教の根底を覆されたのだから。


「龍か……、一度見てみたいな……」


 永い眠りにつき、誰もその姿を目にしたことは無い、しかし確かに存在する聖なる存在。まったく、心躍らせるね。


「あれ……行き止まりだ」


 長い階段は唐突に終わる。

 辿り着いたのは小さな石室だ。左右に二本ずつの燭台と奥の壁際に小さな台座がある以外には何も、装飾すらない質素な部屋だ。

 上にある豪華絢爛な様相を考えると、かなりの違和感を覚える。


「なんだろう、ここ……」


 他の神殿には無い、僕も見たことの無い施設だ。正直、何に使う場所なのかすら分からない。

 僕は隅々まで歩き回って、じっくりと観察する。

 けれど、特に何かが分かる訳でもなかった。


「うーん、上の図書館に行けば何か分かるかな?」


 神殿に内蔵された図書館には膨大な量の蔵書があった。多分あれだけで残りの人生を飽きること無く過ごせるだろう。その中に一冊くらいは、この邪龍神殿について書かれた本があるかもしれない。


「ふぅ、しかし疲れたな。ちょっと一休みしていこう」


 階段を下るだけでも、距離が距離なら随分と疲れる。僕は台座に腰掛けて休憩しようと壁にもたれる。


「うお!?」


 しかし、壁に受け止められると思っていた背中は宙を泳ぐ。完全に油断していた僕は勢い余って後ろへ倒れ込む。


「なん――」


 ガンッ! と硬い音が響く。

 したたかに打ち付けた後頭部をさすりながら、僕はゆっくりと立ち上がった。


「あれ……? 壁が……」


 そこで僕は気付いた。

 台座のすぐ後ろにあった壁が、跡形も無く消えていたのだ。直前まではっきりと見えていた石の壁が、まるで煙だったかのように綺麗さっぱり無くなっている。

 代わりに、その奥へとまた細く長い階段が続いていた。


「ええ、更に進めってこと?」


 げんなりしつつも、見つけてしまった物は仕方が無い。僕はまたゆっくりと歩き出す。

 しかし、今回はすぐに底へとたどり着く。


「うんん? また同じ部屋?」


 そこはさっきの石室と同じくらいの小さな部屋だった。ただ一つ違いがあるとするならば、台座があった場所には細長い石棺が横たわっているくらい。


「うーん、なんだかまた意味ありげな石棺だよね」


 ほとんど時代を感じさせないこの神殿において、その石棺だけは相応に風化していた。角が取れ、ゴツゴツと表面の粗く削れた石棺は、物も言わずただそこにある。


「……ちょっとくらい触っても良いよね」


 ふつふつと胸の奥から好奇心が湧き上がる。

 誰もいるわけ無いというのに僕はキョロキョロとあたりを見回し、そっと近づいた。

 元々は滑らかで美しい物だったんだろう。蓋の上部には何やら文字が彫られているが、掠れて読むことができない。なんなら、古代文字のような気もする。

 恐る恐る、手を伸ばす。

 ゆっくりと、ゆっくりと、指先を近づける。

 そして、爪が石棺に触れた瞬間――。


「うわっ!?」


 バチンッ!! と弾ける音が響き、電流が全身を駆ける。思わず僕はのけぞり、壁際まで後ずさる。指先が火傷したように熱い。


「あっ!」


 目を開けば、無残にも砕け散った石棺の蓋が映る。

 つつ、と背中を冷たい汗が伝う。

 なにやら、やらかしてしまったようだった。

 怖じ気づきながら、僕はゆっくり石棺に近づく。そしてその中をのぞき込む。


「おんなの、こ……?」


 そこに横たわっていたのは、ミイラでも骸骨でもない。

 眠るように瞼を閉じた、長い黒髪と白い柔肌の少女だ。彼女は腕を十字に組み、彩色豊かな花に包まれて眠っている。

 彼女の瞳が、ゆっくりと開く。

 黒耀の様な深い闇が、僕を捉えた。


「貴方はだれ? 私が、邪龍エルトナと知って封印を解いたの?」


 瑞々しい桃色の唇から紡がれた言葉は、僕を驚かせるには十分すぎた。

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