店長はくまさんです怖くありません多分
疲れた。
もうそれしか頭に浮かばない。
東堂 千代25歳 無職です。面接で落ちたのはこれで30社。
疲れたので人生終了への片道切符を自分から踏み出そうと思います。
親の借金は子の責任だと思って頑張らされてきたがもう無理だ。頑張れるはずがない。
お父さんお母さん先立つ不幸をお詫びする…気はないです。むしろ貴方たちが不幸になりやがれ
そもそも親の借金は親の借金だ。子供巻き込むんじゃねえ。
16の時に両親が事業に失敗したと夜逃げした。
方々から借りた金1000万 利子はまとめて月50万
返せるわけが無い。
高校の校門の手前でニッコリ待っていた黒いスーツの怖いにーちゃんたちにそんな説明を受けて必死に土下座したら借金を一本化して利子も法定内に戻してやる代わりに綺麗な方の会社の事務やら雑事をやれと言われ、必死でこなしてきた。
折を見て組長に何故思ったより真っ当な金の返し方なのか、と聞いたら裏ルートでJKのエロ物売るのは今はもう流行らないと言われた。あとやはり顔。顔が売れ筋から遠かったらしい。そばかすか。そばかすが原因なのか。
それはさておき、今どき珍しい任侠系のにーちゃんたちは資格を取ればとるほど褒めてくれ、給料も上げてくれた。
他にもバイトしたりあちこちで小遣い稼ぎして、ようやく返済の目処が経つかもしれない、と思った矢先、組にヘリが落ちた。
その日はお偉いさんとの飲みだったそうで組のほとんどがそこに集まっていて、御陀仏になった。
死に顔は身内ではないため見せてもらうことが出来ず、正式な組の関係者でもなかったので葬儀にも出席出来なかった。
組のほとんどが死んだせいで会社は潰れ、組の準関係者として数少ない生き残った人間としてメディアは私を面白おかしく書き立てた。
世間が勝手に望んで勝手に貼り付けたレッテルにより私は世間から追放される。
出来たら子供に関わる仕事に付きたかった。もしくは食事系の仕事。
誰かの笑顔のために働きたかった。
だけどその夢ももう終わりだ。
嗚呼、疲れた。
後ろ指さされるのもニヤニヤと嫌な笑いを向けられるのも。道を歩くだけで眉をひそめられるのも。
一つ一つは小さくても、重なり重なって重くのしかかる。
嗚呼、疲れた。
まるで喪服のような憂鬱な黒のリクルートスーツに身を包み、適当にホームについた電車に飛び乗った。
どこか誰も私を知らない場所に行きたくて聞いたことの無い駅で降りて宛もなくひたすら歩き続けた。
血のように真っ赤な夕日の中に沈む住宅街は、どこか重苦しい。
そんな赤い空間を歩いて歩いて、たどり着いたのは、懐かしい言葉が書かれた看板。
『どなたもどうかお入りください。決して御遠慮はいりません。
くまのぱんやさんまで目を閉じて真っ直ぐに大股1歩で小股50歩、右に大股3歩、左に小股45歩』
可愛らしくデフォルメされた、エプロンを付けた動物。くまだろうか。それが釜からパンを取り出しているイラスト。
そして後半の意味不明な道案内。
久しぶりに笑いが零れた。
懐かしい、どこかゲームのようなそのバカバカしい道案内。
「行ってみようかな」
どうせ多分今夜私は自分で死ぬんだ。最期くらい誰かと笑顔で会話したい。
「おーまた、いーっぽ!」
なんとなく子供の頃を思い出しながらヒールで踏み出した1歩は晴れやかな音を響かせた。
真っ直ぐに大股1歩、そして小股で50歩。
右に大股3歩。左に小股45歩。
目を閉じた状態で進むにはなかなか勇気が必要な距離だった。
大した距離じゃないのにだんだんパンの焼ける匂いが鼻をくすぐってくる。
「43、44…よんじゅう…ご!」
こんな夕暮れに新しくパンを焼いて売れるのか?そんなお節介気味の疑問が頭を掠めたが怖いもの見たさの好奇心で胸がいっぱいで私は気づけなかった。
「……かわいい」
目を開くと目の前にあったのはカントリー風とでも言うのだろうか。詳しいことは分からないがレンガや木枠の窓など可愛らしい童話のような…今どきの言葉ならSNS映えするとでもいえばいいのか、そんな素朴で可愛らしい煙突のついたパン屋。
外にはバケットやハード系のパンが入ったテーブルの上に置かれたバスケットが並べられていて、ご自由にどうぞと書かれたボードを持っているクマがいた。
くまのぱんやさん、やはりクマがテーマなのか、よく手入れのされた庭のあちこちにも小さなクマの置物がまるでかくれんぼしているかのように見え隠れしていて可愛らしい。
『どなたもどうかお入りください。決して御遠慮はいりません。
くまのぱんやさんまで目を開いて大股10歩。
店長のお顔は怖いですが優しいクマなので安心してください』
1番手前でまるで出迎えるように立っていた白衣を着てコック帽を被ったくまの置物。パンを焼く鉄板に似せた黒板にはそんなことが書いてあって思わず笑いが漏れた。
この言い回しはどこかで聞いたことがある、目にしたことがあるのだろうか?
しかし優しいクマとは自虐ネタもいい所である。
どんな強面なのだろうか。
ふと脳内に不器用でバカで怒りっぽい愛すべき任侠ヤクザの兄さんたちが浮かんだ。
彼らも大概強面だった。背中には色鮮やかな刺青を背負い、顔には大抵怪我を負った傷跡が残っていた。
黙ってるとちびりそうなほど怖いのに思い出せるのはいつでもバカ笑いしているような顔だけだった。
「うん、大丈夫」
怒った時のあいつらより怖い人間なんていないと思う。少なくとも堅気の人間の中には。
そこまで考えてから今更止まってしまった足を無理やり動かした。
どうせこのあと死ぬんだ、最期の食事が焼きたてのパン。最高じゃないか。
兄さん達を思い出してツンとした鼻と、じわりと熱を持ちそうになった目を軽く押さえ、歩調を早める。
パン屋の扉には今どき珍しいノッカーが着いていて、持ち手を打ち付ける部分が熊の手の形をしていた。
どこもかしこもクマ1色なのに少し、呆れてしまう。
念の為、使い込まれて落ち着いた古美金のノッカーを4回、鳴らしてから同じ色のノブをゆっくりと回した。
「いらっしゃいませ」
開けた扉を即座に閉める。
ありえない。ありえるはずがない。むしろあっちゃいけない。見てしまった景色を無かったことにするため私はもう一度細く扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
再びかけられる歓迎の言葉。物腰は柔らかく、丁寧に手入れを重ねられた革のような耳障りの素敵なバリトン。
しかしそれを口にしているのはどう見ても白衣を着た熊なのだ。さりげなく奥にも似てるくまがもう一頭いる。
食肉目クマ科、大きなお顔。意外と長いマズルにつぶらな目。
『おばあちゃんのお口はどうして大きいの?』
『お前を食べるためさ』
ふと思い出した一節、あれはなんだっけ、ああ赤ずきんだ。あれは狼だ良かった関係ない。そもそもあの口で丸呑みはできない大丈夫。
どこか抜けていることを考えつつもう一度扉を閉める。その途端間髪入れずに向こう側から扉が開けられそうになった。
「無理無理無理、流石に住宅街にクマを解き放つとか自殺志願者でも良心の呵責に耐えられないから」
「どうぞ中にお入りなさい、決して遠慮はいりません」
「遠慮はしてないです!」
結構な力で開きそうになる扉を気合いと体重で抑え込む。
「いや、大丈夫ですよ。外は寒かったでしょう。さあさあおなかにおはいりください」
「お腹は嫌!お腹は嫌!」
結局、私の努力も虚しく、そもそもか弱い女性が熊の力に勝てるわけもないのだが…扉は開いてしまった。
「ようこそ、くまのぱんやさんへ」
「幸せになれるぱんやさんにようこそ」
扉の向こうには熊の首を小脇に抱え、笑みを浮かべる老紳士とぶっきらぼうに呟く二足歩行の熊その2が私を出迎えていた。
「き、ぐるみ……?」
度重なる異常事態に脳がショートしたのか、残念ながら私が覚えていたのはここまでだった。




