サバンナに留学という名の島流しにされていたはずの従妹が帰ってきたらしい。
「お、ウワバミさん来てんじゃん」
「君はまた勝手に人の家に上がってくるねえ」
ウワバミさんと美味しいレトルトのパスタソース談義で盛り上がっていたら呼び鈴はおろかドアを開けたり廊下の床板を踏みしめる音すらなくそいつは居間に現れた。
そいつは世界的に有名な人気ブランドの某ネズミのキャラクターの着ぐるみで全身を隠している。
その中身は誰も見たことはなく、声を着ぐるみでくぐもってまともに判別できない。性別さえも分からないが普段の言葉遣いから男だとこっちは勝手に判断しているこの人。
その着ぐるみさえ手に入れば誰でも彼に成りすませるが、夢の国の住人達からの制裁が怖くて誰もその真似をしようとはしない。
その名も、
「どうもこんにちは、着ぐるみさん」
「その安直な渾名やめてって言うたやん」
なぜか関西弁で返されてしまった。
「すいませんね、実は着ぐるみさんの名前知らないもので」
「うん。名乗ったことないしね」
着ぐるみさんとはけっこう長い付き合いではあるのだが僕は着ぐるみさんの名前を知らない。
何故なら、何故か着ぐるみさん自身が自分の名前を秘匿とし断固として言わないのだ。
「俺様の名前は言ってはいけないんだぜ」
「ヴォルデモートかよ」
「そうゆう君はハリー・ポッターだろ?」
「黒髪と眼鏡と額の傷に心が少年であることしか共通点ないんですけど」
「それもうほとんどハリー・ポッターじゃんか!」
「エクスペクト・パトロナーム!」
「ぎゃー!」
着ぐるみさんが膝から崩れて床に転がった。
その一部始終を見てウワバミさんが一言。
「いやー、君ら二人そろうと変なテンションになるよね。なんで?」
いや、本当になんでだろうね。
やっぱり無駄に付き合いが長いからじゃないかな。
もしかしたらウワバミさんとも順調に交友を深めていったらウワバミさんともこうなるかもだし、もしかしたらいつの日か軍人さんともこんなバカなことする間柄になるかもしれない。きっと来ないだろうけど。
ま、それはそれとして、
「で、着ぐるみさん今日は何の用があって来たの?」
着ぐるみさんとは付き合いが長く、仲もいいと自負しているがその実僕らの間柄は実にドライである。僕らは基本的に用事がなければ合わないし特に特別連絡を取り合ったり積極的にお互い誘って合うこともない。それなのに付き合いが続いているのは不思議だと自分でも思う。何せ僕と着ぐるみさんを繋ぐものは一応同じ大学に通っているからという共通点からだけである。
そんな着ぐるみさんが僕の家に来たということはきっと火急の用事に違いない。
いったいどんな要件でここまで御足労いただいたのかと僕の全力のエクスペクト・パトロナームを食らってビクンビクンと痙攣している着ぐるみさんに訊いた。……なに? その迫真の演技。
「ああ、そうそう、うーんと、なー」
先ほどまでの痙攣はやっぱり演技だったんだとあからさまなくらいにケロッとして平静を取り戻しコタツに足を突っ込みながら着ぐるみさんはなんだか勿体ぶったような微苦笑を浮かべながら僕に向き直ってこう言った。
「今日から自称君のハニーが留学から帰ってきた」
「……ぉう」
思わず変な声が出た。
「何それ面白そう!」とウワバミさんが喜色ばんだ声を上げた。
「悪いやつではないんだけどなぁ」と着ぐるみさんは着ぐるみで顔が見えないはずなのにどこか遠いところを見ているかのような顔をしているのがありありと見えるような声色で言った。
「今日学生課で見かけてさ、なんか君のことでまた騒いでいたみたいでまた学生課の職員の方々と揉めてるのを見たぞ」
しばらく大学に来ないで彼女が出る講義を把握してなるべく顔を合わせないように予定組んだら、と言われて今日ほど真面目に必修科目を抑えていた真面目な自分に自惚れたことはない。
あとはしばらく頑張って彼女と顔を合わさないように気を付けていればまた彼女は留学という島流しに合うに違いない。というか、そうであれ。
「何? その福さんの自称ハニーってそんなヤバいの? メンヘラ?」
へらへらと笑いながら訊いてきたウワバミさんにここ一年で一番の衝撃に項垂れている僕に代わって着ぐるみさんが答えてくれた。
「コイツの婚約者ですって」
「正確には許嫁ですよって」
どう違うのかは知らないけど。
あ、珍しいことにウワバミさんが目見開いて僕を見てる。
まあ、普通はそうゆう反応だよな。
こんな世の中とはいえ、時代錯誤というかなんというか。
「……マジで?」という信じられないものを見たと言わんばかりの顔してウワバミさんが訊いてきたので「マジです」と僕は答え「ずっと昔に僕の祖父が向こうの両親と酒の席でそんな話をしたとかなんとか」それがどんなとこで勝手に決められたものなのかを説明した。
「酒の席の酔っ払いが勝手に、書面や音声での記録なし、口約束で、そもそもその時に当人は生まれてないのに、酔っ払いどもが勝手に決めたことです」
「それって有効なん?」
「無効に決まってるでしょ」
「お前がそう思うんならそうだろう、お前の中ではな」
「うるせえ」
着ぐるみさんにみかんを投げつけてやった。
みかん汁が落ちない染みになってしまえ。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 目が、目がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
その着ぐるみでそのリアクションはどうかと思う。
「いや、そっちの着ぐるみさんは置いといて、その彼女とはそうゆう関係じゃないんだろ?」
「はい。誓ってそんな関係ではありません」
「で、その彼女はどうして自称ハニーなわけよ? まさかその彼女の方は満更でもなくて福さんとはその口約束でつながってるからハニーなわけ?」
「あっちはそう思ってるみたいですね」
そんなん思われててもどうしようもないだろうに。
自由恋愛主義がはびこるこの御時世にそんなことを本気で信じられても困るんだけどねえ。
「今時ラノベでだって許嫁なんて出て来ないでしょうに」
「Web媒体の小説でなら出てくんじゃね」
早々と復活した額に黄色い染みのついた着ぐるみさんがそう言いながら、今期の時間割を印刷したプリントを着ぐるみの首のつなぎ目から出しながら何やら確認している。どうでもいいけど、なんでそんなとこから出したんだろう。時間割のプリントぐしゃぐしゃになってるし真ん中の方破れてるじゃないか。
「この時期だと今まで全部出てればとりあえず出席は大丈夫だろ。捨てられる単位は捨てる勢いでぶっちしてアレと顔合わせないようにしときなよ」
そう言って時間割のプリントを僕の前に寄こした。
……えっ、これもしかして僕のために持ってきたの?
この破れてるやつを?
「またケガ人多数の食堂半壊、グラウンド壊滅っつー大惨事は避けないと不味いでしょうよ」
「そうだね。実験棟なんかで暴れられたら大災害になるだろうしねえ」
「えっ、何それ怖い」
本物の鬼が唖然としてる。
まあ、普通そうだよな。
「その自称ハニーってもしかして鬼?」
「違いますよ」
鬼かどうか訊いてくるってことはもしかして鬼ならそれくらいできるんだろうか。
まあ、どうでもいいか。
「鬼ではないですけど似たようなものですね」
「マジかよ。物騒だな」
それ、物騒の代表みたいな鬼が言うなと言いたい。
前書きとか後書きとかって何を書いたらいいのかずっと悩んでいたら一日が終わった件について。