サバンナに留学という名の島流しにされていたはずの従妹が帰ってきたらしい。
「やあ、遅くなってすまんね」
そう後ろから声をかけられ振り向くと目と鼻の先に青白い顔があった。
いつも思うんだけど、この登場の仕方は心臓に悪いので止めてほしい。
特に今回は掃除が一通り終わり居間でコタツに足を突っ込んでお茶でも飲みながらゆっくり待つかーなんて考えていたら、だ。完全に気を抜いていたとこを突く完璧な不意打ちだった。
「ようこそウワバミさん」
努めて動揺を殺してそう答えた。
何の支えもなくふわふわと宙に浮かぶ、青白い生首がにっこりとほほ笑んだ。
顔は特徴と言える特徴がない青白いだけで印象の薄い顔立ちをしているのに、頭に生えた黒曜石のような艶のある角が彼を鬼であると印象付ける。
彼がウワバミさん、正真正銘の鬼である。
ちなみに渾名の由来は彼が無類の酒好きでいくら飲んでも酔わないと豪語するもっぱらの酒豪だからである。
「いや悪いね、急に押しかけることになっちゃってさ」
「いえ、構いませんよ」
どうせ暇してましたし、と付け加えておく。
ちなみに嘘ではなく本当に暇しているのであしからず。
「大学はいいのかい」
「いちおう単位は足りてますし、必修科目は全部抑えてます」
「就職活動は?」
「公務員目指してますので」
「夢のない話だねー」
公務員の何が悪いというのだろうか。
夢に出てきそうな存在がやれやれと言わんばかりに首を揺らした。体があったら肩を竦めていたに違いない。
「海馬コーポレーションに勤めたいとか夢はないの?」
「ウワバミさんは夢に溢れすぎてませんか?」
それと今の子供たちには海馬コーポレーションは解んないんじゃなかろうか。
それはともかくとして、
「僕はともかく、ウワバミさんこそ仕事はどうなんですか」
「うん? 今年中にはするよ? それはそれとしてさー」
あっさりと流されてしまった。
そしてウワバミさんの要件は、
「食べてもいい美少年探してくんない」
「うん、帰れ」
「ちなみに食べるのは性的な意味じゃないぜ!」
「はいはーい今すぐ颯爽とお帰りくださーい」
僕はウワバミさんの頭を両手でつかんで玄関までお送りすることにした。
何も喋れないように口をふさいでいるが手の中でもごもごとくすぐったくて気持ちが悪い。
というか、コイツ本当になんて要件でうちに来やがったんだ、この野郎。
憤慨する僕をなんとか止めようとウワバミさんは声を大にして叫ぶ。
「ちょっ、まっ、俺が食べるんじゃないから! うちのイバちゃんのために食べさせたいだけだから!」
ウワバミさんの必死の抵抗(べろべろと僕の手を舐めて指先を甘噛みする等)による不快感から思わずウワバミさんを手放してしまう。僕の手から解放されたウワバミさんはハァハァと気持ち悪く息を切らしながらふわふわと僕の目線の高さまで浮き上がって言い訳を始めた。
「別に俺は人間食べなくても全然生きられるんだけどイバちゃんはグルメ気取りで美少年しか食べないってワガママ言っちゃってさー。でもこの御時世じゃん? 人間食べたいっつーてもそんなことしたらすぐさま狩られて駆除されちゃうわけじゃない俺らはさ」
「だからといってここに来てそれを僕に言われても断固として断りますよ」
というか、いくら知り合いとはいえ何で僕にそんな薄ら暗いことを相談しに来たんだコイツは。
「えーっ、いいじゃんかよー。鵺子さんが食べる分少し分けて貰えたらそれでいいからさー」
「いや、鵺子さんあれでベジタリアンですから」
「えっ、マジで?」
「マジマジ、大マジですよ」
どうやら鵺子さんは普段から人肉を食しているだろうから鵺子さんのアモーレである僕に頼めば貰えるだろうと判断しての訪問らしい。
たしかに鵺子さんは見るからに肉食系女子であるが彼女はトマトと人参が大好物の根っからの草食系ベジタリアン、スーパーグラマラスベジタブラーなバニーガールである。
まあ、もし見た目通りの肉食系であったとしてもカニバリズムはこの御時世では淘汰されて当たり前だし、もしも成長期であり思春期真っ只中の鵺子さんが人食に手を出そうものなら殴ってでも矯正するのがアモーレというものである。
そうしなければ無駄に有能で優秀な日本の警察の方々にすぐさまお縄になって裁判ドーンで首吊るなり毒ガス吸わされるなりで死刑に処されるのが世の常。
当然それは僕と鵺子さんだけの問題ではなく、この日本に住んでいる以上この生首だけの鬼とその同居人のイバちゃんも守らなければならない法である。
「というわけでお帰りください。そして是非ともイバさんもベジタリアンになるもとをおススメしておきます」
やる気のない宗教勧誘みたいなことを言ってしまったな、なんてどうでもいいことを考えながらコタツの上に座布団を置く。何も言わずもウワバミさんはこちらの意図を察してコタツの上の座布団の上に生首だけの体を乗せて鎮座した。
「とりあず、美少年の肉の代わりにみかんでもどうぞ」
「おやおや、これは肉よりいいもんが出てきたね」
コタツとみかんはセットでコンビなのである。これは人間だろうが鬼だろうが、生きているなら神様だってそういうものなのだ。
ウワバミさんの口にみかんを放り込んでやるとウワバミさんはみかんを噛んで飲み込む。不思議なことに飲み込んだみかんが首から下のない体から出てくることはない。いったいどういう構造をしているのか。以前興味本位にウワバミさんを下から覗いてみたことがあったが普通にグロテスクな瑞々しい首の断面図あっただけだった。まったくもって不思議な生き物である。
「こうゆう美味しいもんに溢れてる世の中なんだからこうゆうので我慢すればいいのにね、バカだよねイバちゃん」
鬼にとってもこのみかんは美味しいのか、なんて今更なことを思った。
イバさんのことは、実は顔を合わせたことがないのでなんとも言えないが、ウワバミさん曰くグルメであるとしか聞いていない。美少年が食べたいというのも今日はじめて聞いた話であるし、もしかしたらあれはお茶目なジョークだったのかもしれない。そう思うことにした。
「おかげでもう何百年も何も食ってないんだよ? 修行僧かっつーの!」
からからと目の前の生首が笑ってる。
しっかしこっちは笑えやしねえ。
これは鬼流のジョークなんだろうか?
そうだよね?
「そういえばザクロって人肉の味がするって言うけどあれさ―――」
「あ、それ以上いけない」
お願いだからジョークってことで終わりにしてくれ。