出逢いの始まり
ルーナと夜空との出会いは凡そこんなものであった。
……物語は異世界へ行く人間の殆どがそうであるように、某県、某月土曜日、朝の9時頃、現実世界から始まる。
その頃、夜空はいつものように飲食店街の中にあるスナック「スクランブル」の路地裏で、ぶつくさ文句を言いながら昨晩店で出たビール瓶の片づけをしていた。
「ったく、ドギーさんも高校生遣いが荒いよなあ」
どうして夜空がこんな休みの日の朝っぱらから少なくとも日本では健全な男子高校生が飲むことを禁じられている飲み物の瓶を片づけているか、を説明するにはドギーさんについて触れておかなければならない。
ドギーさん。通称ドギーママ、もしくは疾風のドギー。本名、岡田源太郎。
早い話が、このスナック「スクランブル」のママをしている年がら年中胸元がスパッと開いたセクシーな服を着たちょっとオネエが入った気の良いアフロのおっさんである。
夜空の入ったばかりの高校生活を自分の仕事の諸事情で邪魔をしてしまっては申し訳ないという理由でよせばいいのに親父や母親や、丁度高校に上がる頃だったのですんなりと海外の高校へ行けた妹たちの提案というか半ば強制的な良心によって日本に留まることを余儀なくされた夜空は、丁度俺の通っている高校の近くに住んでいた母親の妹の婚約者の兄という夜空からするとおじさんという名義に当たるこのドギーさんの所にお世話になっていた。
高校生を法治国家日本で一人暮らしをさせるのは不安で、この飲食店街のどっからどうみても怪しい店のどっからどうみてもイカしたおじさんの所に住まわせるかのは安心であると判断した両親の頭の中身がどうなっているのかについては議論が絶えないところではあるが、そもそも小学生どころか幼稚園の頃から父親の仕事の都合で引っ越しが絶えず、これといった親友と呼べる人間を作ることが叶わなかった夜空は日本に残る事については不満は無かったし、父親も自身が昔通っていたアメリカの高校には一年ほどしか通わずに大学へと進学してしまい、息子の夜空には高校生活というものを無事三年間送ってもらいたいと考えていたこともあり、とにもかくにも黒野夜空はスナック「スクランブル」の二階に住まわされていたのだった。
そしてなぜ夜空がビールの瓶を片づけているのかといえば、色々と世話になっているドギーさんへ少しでも負担をかけさせまいと自分から申し出たからである。
しかし、自分で言いだしたもののやはり面倒くさい事には変わりがないので土日にはこうやってぶつぶつと文句を言いながら店の手伝いをするのが日課になっていた。
「ちょっとお!? 夜空ちゃん!? 片づけは終わったのお?」
店の中からドギーさんの高音域なのに渋い、いい声が聞こえてくる。
「あ、はい! 今終わったところです!」
丁度作業も終えていたので、その旨を伝える。
「んふふふふ、それが最後だから今日はお・し・ま・いよ、夜空ちゃん。いつもあ・り・が・とねん。むふふーん。もう好きな事していいわよー」
休日。
その日の土曜日は一日中なにも予定が入っていないフリーな日で、手伝いも終えたその時の夜空はそれこそ特にやることもなく、ただいつものように、好きな本の新刊が並んでいないか書店に足を運ぼうか、それとも新発売のCDでも買いに行こうか、はたまたもういっそ自室で一日中ネットサーフィンにでも明け暮れようか悩んでいた。
この他に何もやる事が無かったという状況が俺の好奇心というものを大きくさせていたのかもしれない。
それとも、もし仮にこの日に予定が詰まっていたとしても避けられない運命だったのかもしれない。
「……あれ? 裏路地ってこんな奥……あったか……」
三軒ほど先へ行けば別の店の空調設備に阻まれてしまういつもの狭く薄暗く、四方八方行き止まりであったはずの裏路地の果てには、見たことも無い曲がり角があった。
見慣れた場所に見慣れない道が出来たと言うならば誰だって不審に思っただろう、その時の夜空も例外に漏れなかった。
見慣れない裏路地を進んでいった俺の目の前にはまるでそこだけそうポカリと開いた空間になるかのように周りを高い建物に囲まれた、一辺が十メートルほどしかない狭い空き地の真ん中に、淡く輝く、銀色の縁をした鏡が浮かんでいた。
どうしてそんな事をしてしまったのか。
そのまま引き返すことが出来たのなら、どんなに良かった事だろう。
「……なんだこれ、……浮いてんのか…?」
夜空は当然のように呆気なく、無自覚なほど愚かに手を伸ばしてしまった。
美しい鏡に触れてしまった。
触れた瞬間に目も開けていられないほどに輝きを増した光は俺の身体を覆い、その銀色の眩い光により夜空の身体は、黒野夜空の存在は、異世界へと、「もっていかれた」。