第六話
鉄製の無骨な棚を覗き込む。
ナイフは三本、無造作に置かれていた。
装飾などは一切無い、実用一辺倒の量産品である。
一口にナイフと言っても、その種類は多い。
すべてに共通するのは折りたたみ式ではなく、鞘付きだという点だ。それ以外は実にバリエーション豊かである。
ここにあるのは、刃先の鋭いクリップポイント(あるいはサバイバルナイフと言うと想像しやすい形だろう)、逆に丸みを帯びた刃のドロップポイント(グルカナイフをもっとうんと大人しくした感じ)、それから両刃で鋭いダガーナイフだ。
どれも量産の廉価品なので固有名や銘は無い。
(ありゃ、スピアポイントもスキナーもないのか。じゃあダガーにしようかな)
「ほう、そいつにするのか、坊主」
「わひゃぁ!」
真剣に刃物を吟味している(※手に取っている)人に、こっそり背後から声を掛けてはいけません。
危機を感じなかった直希はけったいな悲鳴だけで済んだが、危機を感じていたら突いていた自信がある。手に持ったダガーで体重乗せて脾臓辺りを狙って。
「ああああぶないなあああ!」
「おう、悪い悪い」
ニカッと笑って歯が光る。
絶対に微塵も悪いと思っていない顔だ。いっそ爽やかですらある。
「いやなに、初心者らしくねえ選び方すると思ってな」
「武器の選び方に初心者とか熟練者とかってあるんですか?」
だからなぜキミが熱心に質問しているのだコナー少年よ。
「うん、じゃあ偶然かもしれないから説明しようか。まず、お前いまナイフ見る時に、刃のどこを見てた?」
「刃の向きと刃の厚さです」
「はい質問! エッジって何?」
「刃の切れる部分だよ。鋭くなっていないと切れないけど、どういう形に鋭くしてあるか、ってこと」
「え、でも向きなんてパッと見て分かるんじゃないの?」
「ああ、えーと、そうか。俺とコナーの言ってる刃の意味が違うのか」
まずは思い浮かべてほしい。
台所にある包丁を。形の説明にはそれが一番いい(と思う)。
手で持つ部分は「ハンドル」あるいは「柄」だ。ここを手で持って、刃でものを切る。常識的な使い方だ。
つぎに刃の部分。切る時にものに当てるところがエッジで、反対側は切れないようになっている。背とか峰とか言われる部分だ。
ではブレードとはどこを言うのかというと、ハンドルより先の全体の事だ。
クリップポイントやドロップポイントの「ポイント」は切っ先である。
では、直希が確認していた「刃の向き」は、どこの向きを意味するか。
ブレードの断面図である。
ブレードを断面で考えた時に「切れる部分」の断面がどうなっているか。
断面がこう(<)なっているか、こう(∠)なっているかの違いだ。分かりづらくて申し訳ない。
どうしても分かんなかったらぐぐってくだしあ。
「へええー、そんなのがあるんだ」
「つっても、片刃のナイフは多くねえけどな。分かってて見てたんなら、刃の形状は確認で、刃の厚さがメインだろうな」
「どれも実用ギリギリの薄さかと……まあ、折れなければ何でもいいんだけどさ」
「それでダガーを選ぶとか、ますます初心者らしくねえな。まあ、この訓練は実戦形式とかそういうンじゃねえから、使いたいものの特徴を理解できてりゃ問題ねえ」
「あ、そうなんですか。てっきりマーシュさん相手に模擬戦でもするのかと」
実際、チュートリアルでは模擬戦を行っていたのだが。
目をぱちくりさせている直希に、マーシュはごつい手を振ってガハハと笑った。
「武器の使い方も分からん素人は模擬戦だがよ、お前はそれの使い方分かってんだろ?」
「そうですね、使った事はないですけど」
あったら困る。平和大国日本の高校生が、ナイフの使い方熟知してたらそれはそれで大問題である。
まあ、遠藤由里子(25)とかいう酪農バカは、ハンティングナイフの熟練者なのだが。奴は猟師でもあるので問題ない。
「で、実際に手に持った感じ、そいつをどう思った?」
「……若干、柄が重いです。でも軽いよりはいいかな、と」
「ふむ。他には?」
「ハンドル材が磨耗気味なんで、実用前提ならグローブが必要ですね。これ、フルタングでしょう」
「合格だ。それだけ分かってりゃ心配いらねえな」
ウムウム頷くマーシュと、初期装備しょっぺえ等と思っている直希。
コナーは元気よく挙手して「フルタングって何?」とワクワク顔だ。やはり男の子はナイフにロマンを覚えるものだろう。
タングとは、ハンドルに隠れた鋼材部分のことだ。日本刀で言う「茎」「中子」のことである。
ナイフに限らず刃物というものは、木のハンドルに鋼鉄の刃がくっついているのではない。
鋼材の芯を挟んで木材を貼り合わせる形でハンドルを作る。その上から革を巻いたり真鍮などで覆ったりもする。
この芯の部分がタングなのだが、タングの形は二種。
ハンドルと同じ形か、ハンドルより小さいか。
前者をフルタングと呼び、大抵の場合はハンドルの上下に鋼材が見えている。強度の面では最強のタングだが、鋼材をそれだけ使っている分だけ重くなり、全体としてのバランスが崩れているものも多い。
後者はハーフタングやコンシールドタングなどがある。ハーフタングはフルタングの下半分を切り落とした状態、コンシールドタングはブレード幅よりひと回りほど細くなっているのをハンドル材で挟むタイプだ。
ハンドル材は主に木材が使われるが、動物の角や骨を使うものもある。
直希が選んだ安物のダガーは、ハンドル材にローズウッドを使用している。良い木なのだが手入れが雑だったのか、あるいは経年劣化か、油脂分の多い材なのに滑らかさがなくなってきていた。
木工バカとしては激萎えもいいところだ。
「フルタングはこうやって鋼材が手に当たるから、グローブしてたほうが痛くないんだよ。ダガーは突くタイプだから余計に」
「え、その刃で斬らないの?」
「斬るなら長剣か刀だろ。ナイフなんてこんな小さいんだから、斬るにしても重量が足りなくて浅くなる。どうしても斬るなら首とか狙うしかないな」
「うわー……怖っ! 首の筋肉鍛えようかな!」
「心配しなくても、おじさんくらいになると刃の方が欠けると思う」
「だよねー!」
そんなこんなで、武器訓練は終了である。
選んだダガーはどうしたらいいのか、とマーシュに尋くと、
「初期装備ってことで貸与だ。どうせ金ねえんだろ」
とサムズアップが返ってきたので、ありがたく借りることにする。
ちなみに手入れ用の砥石は、組合員登録祝いの名目で一つもらえるとのこと。
貸与ダガーともらった砥石でどうにか稼いで、自分で武器を買えるようになったらダガーは返却、という流れだそうだ。つまりしょっぱい初期装備のこのダガーも、何百となくクエストをクリアしてきたベテランということだ。ダガーは、だけれど。
「訓練が終わったら、カウンターで主武器の報告だっけ」
「そうそう。で、それから組合員証を受け取るんだよ」
「登録料とかいらないのかな。何も言ってなかったけど」
「さあ……どうなんだろう。さっきのお姉さんに聞いてみようか」
手ぶらでやって来た彼らだが、無一文というわけではない。
コナーの財布は未知数として、主人公の財布には500ディナルが入っている。町のお手伝いの報酬としてコツコツ溜めた貯金、らしい。ディナルが通貨単位だ。形状は硬貨で、材質違いの七種類がある。
1ディナルがだいたい100円、というのが、情報収集班の突き止めたレートだとか。そしてその基準となったのがダガーの買価だとか。50ディナルである。
『五千円あればナイフ一本買えんじゃね?』
どうでもいいが、日本では買えても所持できないのでダガーはやめておこう。
というわけで、所持金五万円(500ディナル)の銃刀法違反(※日本基準)の直希は、再び樫のカウンターの前に立った。
「お疲れ様です。主武器は決まりましたか?」
にっこり営業スマイルのアデレイドが尋ねる。
朝方は一割くらい寝ぼけていたっぽいが、今は完全に覚醒してバッチリ仕事モードのようだ。ギルドの始業は午前四時、無理もなかろう。早朝からご苦労様です。
「はい。ナイフにします」
「分かりました。では、それを組合員証に記載してもらっている間に、説明の続きをしますね」
「あ、ちょっと質問なんですけど、いいですか?」
「はい、どうぞ」
「組合の登録って、お金はかかるんですか?」
気になっていた登録料の件だ。
所持金の確認も説明もなかったので、まさかぼったくられることはないだろうが。
「これからちょうど、その説明です。結論を先に言いますと、登録料は掛かります」
「あ、そうなんですか」
「ただし、現金支払いではなく、十分割で報酬から天引きとなります」
「てんびき」
直希の脳味噌に期待してはいけない。
こいつは木工バカの戦闘脳なのだ!
「登録料は100ディナルで、非課税となります。これを10ディナルずつ十回に分けて、クエストの成功報酬などから支払っていただきます」
なにか生々しい単語が聞こえたが、聞こえなかった事にしよう。
「例を挙げて説明しますね。まず、ナオキさんがクエストを受注し、それをクリアします。報酬は50ディナル。普通であれば、ナオキさんは50ディナルを受け取りますね」
「あ、はい」
「登録料は天引き、つまりナオキさんに渡す前にギルドで10ディナル引きます。なので、実際にナオキさんが受け取る報酬は40ディナルとなります」
「そうですね」
「これを十回繰り返すと登録料の支払いは完了するので、あとは報酬を丸ごと受け取れる、ということです」
「へえー、なるほど! 分かりやすかったです!」
さすがの直希も算数は出来るのだ。ご安心下さい。
「えっと、さっき成功報酬などから、って言ってましたけど、たとえば魔物素材を売って、その売値から支払うことも可能なんですか?」
これはコナーだ。薬屋とはいえ商売人の息子、金が絡むことはなあなあにしないようだ。
「可能です。ほとんどの方は今の二通りの方法で支払われますが、それ以外にも可能な方法はありますので、疑問に思ったらその都度確認してください」
「分かりました」
「あともう一つ、組合への納税ってさっき言ってましたけど、税金ってどうなってるんですか?」
なにか生々しい単語が聞こえたが、聞こえなかった事にしたい。
「組合員さんが支払う税金は二種、あるいは三種類あります。まず一つ目が所得税。クラス15以上の方が対象です。一ヶ月間の報酬総額の2%が税額となり、翌月中にカウンターで支払っていただきます。ずっと先の話ですが、クラス300以上の方は、報酬額と素材売却金額の総合計を総所得として、その3%が税額となります」
「ふむふむ」
「二つ目が消費税ですね。これは全ての方が対象です。組合で販売している商品を購入する際、商品価格の3%が消費税となります。これは値札に明記されているので、買い物の際はしっかり確認してくださいね」
「なるほど。三つ目は何ですか?」
「住民税です。ただし、定住組合員のみが対象となりますので、全員ではありません。こちらは年間の報酬総額の1%が税額で、翌年の二月末までの支払いとなります」
「定住組合員というのは?」
「その町でのクエスト初回クリアから一年以上、その町に実住所を置いている組合員、となります。なので、ナオキさんはまだこれには該当しません。住民税は組合から通知をお出ししますので、普段は忘れていても大丈夫ですよ。通知が来て思い出して支払っていただければ」
「じゃあ、今のところナオキが支払うのは消費税だけ、って事ですね。ありがとうございます、分かりやすかったです」
イケメンのコナーは爽やかなキラキラ笑顔で頭を下げた。
長身美人のアデレイドがそれを受けて「いいえ、説明が省けて助かりました」と返礼する。
直希は頭から煙を噴いて沈黙していた。生々しいどころじゃなかった!
天然いじられドジキャラかと思いきや、コナーは賢い子だったのだ! 直希の主人公の座が危うい!(棒読み)
「それから、組合の事業内容の詳細と規則はこちらに記載されています」
とアデレイドが取り出したるは極太の冊子。
どのくらい極太かと言うと、この冊子の背で殴ったら怪我では済まないくらいの分厚さだ。
直希のHPが危険域に入った! もうやめて、これ以上はしんでしまうわ!(棒読み)
「規則といっても、難しい事は多くありません。他人に危害を加えない、迷惑をかけない、お金の扱いはきちんとする。ざっくり言えばこの程度です。冊子の半分は、困った時の参考にしていただく先例集と、比較的知名度の高い魔物等の一覧になっています」
「……はい……」
「そちらの冊子は組合員さんは一人一冊持っていただくものですので、一度は目を通してくださいね。そこに書いてある内容は『知らなかった』では通りません。気をつけてください」
「……ナオキが読めるとは思えないんだけど」
「……自信ないな……」
「では、悩み事があるときに読んでください。おすすめしますよ」
圧倒的な情報量で悩み事を押し流す作戦ですね、分かりたくない。
むしろ、悩み事が押し流される前に直希のHPが土石流である。
「さて、組合員証が出来たので、お渡しします。だいたい、皆さん首に掛けて携帯しているそうですよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
とアデレイドが取り出したるは、掌に納まるほどの鋼のプレート。
大振りなドッグタグ、とでも言えばいいだろうか。
硬質なきらめきを持つプレートの表面には、斧と杖、それから月桂樹をモチーフにした組合紋章が刻まれている。
裏返せば、細かな文字で様々な情報が彫り込まれていた。
「組合員証の見方は、そちらの冊子にも記載がありますが、分かりやすく説明しましょうか?」
褒賞とか天引きが分からない直希を案じてか、アデレイドがそう申し出る。
事務的なだけでなく、こういった気配りも出来るとは、なかなかやり手の事務員のようだ。
「あ、いえ、大丈夫です。自分で見て勉強します」
「ナオキ……そんな健気な事言うなんて……」
「分かりました。頑張ってくださいね。あ、それから、クエストを受注するときは、このカウンターで申請してください。受注する際に契約金が必要になりますので、お財布も持って来てくださいね」
「はい。いろいろとありがとうございます」
ギルド支部を出た直希たちは、やや高くなった太陽を背に受けながら、テクテクと町を歩いた。
目的地は特にないが、直希は凶的な厚さの冊子と組合員証をじっくり見たがったので、じゃあどこか座って落ち着ける場所に行こう! となったのである。
ナビはコナー任せだ。
「なんか、あっさり登録できちゃったね」
「うん」
「これでナオキは戦士になったのかぁ……なんか、不思議な感じだな」
「戦士っていうか組合員だけどな」
組合員だけどな!
「あ、ここだよ。一応公園なんだけど、隣が墓地だからか、あんまり人いないんだ」
「うわあ……」
夜には来たくない場所だ。
しかし、今は午前。雲はあるがよく晴れた空の下、陽の光がさんさんと降り注ぐ気持ちのいい公園である。
休憩用なのか、いくつか設置されているベンチ(丸太二つ割りのワイルド仕様)に腰かけて、凶悪な鈍器――もといギルドの冊子と組合員証を取り出す。
「ナオキ、それ早速読むの?」
「いや、先にタグ見てみる」
「じゃあちょっと読ませて」
なんとも物好きな申し出をしたコナーに、鈍器――もとい冊子を手渡す。両手でないと危険だ、片手で持ったら落とす自信がある。足の小指になんて落としたら、悶絶するどころか小指が千切れるかもしれない。
冊子をぱらぱらめくるコナーを横目に、直希は掌中の組合員証を見た。
作者は刃物マニアです(・∀.)!
なぜかククリ持ってるけどあれ大丈夫かな……ばっちり斬れるガチなやつなんだけど。