第五話
ペルグランデ大陸生活安全保障組合アズーリ支部は、木造二階建ての重厚な建物である。
外国の木造建築ではなく、直希の見る限り日本の伝統工法で建てられている様だが、そこに何らかの設定があるかどうかは不明だ。
直希はてっきり2X4工法だと思っていたが、釘の一本も見当たらない外壁を見るに、やっぱり伝統工法の方らしい。とてもどうでもいいが。
「壁材はレッドシダーで、柱が檜か。床は何使ってるんだろう」
「ナオキ、それどうでもいいよ」
「いや、どうでもよくない。すごく気になる」
「いやどうでもいいから。登録するのに建材の見極め必要ないから」
キングオブ杣育成高校に一年半通った直希は、しっかり毒されてしまったらしい。哀れ、青少年は犠牲になったのだ。ただし木曾の未来は明るい。
やいのやいのと言い合いながら中に入ると、年経た木材の静かな香りが小僧どもを迎えた。
築五十年は固いだろう建物の、その随所に用いられた木々は、伐り出され製材されてなお緩やかな時を刻んでいる。
重厚な檜の大黒柱は深い飴色に染まり、無垢の表面は穏やかな艶を放って美しい。
床は桜だ。緻密な木目は長年の使用で磨き込まれ、劣化でも磨耗でもなく、老いた材としてのあでやかな光沢を湛えている。
細い柱には槙が使われている。途中で交換されたのか、他の材よりも色の薄いそれは、若々しい健気さと共に特有の芳香を纏う。
内壁材は楢が使われているが、傷が付きにくいためだろうか。戦士組合という荒っぽい場所にはちょうどいいかもしれない。大きな傷は一つも見当たらないので、この選択は正解と言えるだろう。
職員の立つカウンターは樫だ。丈夫さ、頑丈さでは群を抜く材だが加工は難しい。直希も樫には手を焼いた覚えがある。が、ここのカウンターは樫の自然味を活かして実用性を確保するという、難易度の高い加工をしている。ぜひともこのカウンターを作った職人に会ってみたいものだ、と木工バカは思ったそうな。
目を転じればどっしりした梁がある。落葉松だ。ねじれる材だが、ねじれを計算に入れた構造をしているため、建物全体に狂いは生まれていない。職人技が光り輝いている。
天井は何か、と目を凝らしてみたが、朝方の光は不十分で、もしかしたら檜だろうか、という程度までしか判別は出来ない。
というか、見ただけで分かる直希がおかしいのだが。
「ナオキ、おい、ナオキ! 大丈夫か!」
「……ここは……夢の国か……」
「うん、起きよう!? 目を覚まそうか!?」
好きなものに餓える、というのは、よくある事だろう。
読書家は隙あらば本を読みたがるし、ゲーマーはちょっと目を離すとコントローラーを握っている。女好きは毎日のようにナンパしたがり、料理好きは飯テロに余念が無い。
直希の場合は、それが木材だった。
良質な木材を前にハァハァしちゃうレベル、と言えばどの程度のキワモノか分かるだろうか。同じように木地師の仕事にもハァハァしちゃうので、うっかり製材所だとか工房に連れて行くと賢者モードに入ってしまう。
「コナー、止めるな! 俺はあの槙の匂いを胸一杯に吸い込みたいんだ!」
「わー! 待って待って! 通報する! 通報するよ!!」
っていうか登録しろよ。
騒ぎに目を覚ましたカウンターの事務員が、慌ててすっ飛んできて取り押さえたため、幸いにも大騒ぎにはならなかった。
しかし、素手で凶狼をヌッ殺す直希である。
被害の軽減の為に、槙の柱に十五分間抱きつく許可を与えた事務員は賢明だったと言えよう。
閑話休題、戦士組合登録である。
「ええと、組合への新規登録ですね。知っているとは思いますが、ざっと説明させていただきます」
早朝から変な騒ぎに遭遇してしまった可哀想な事務員、名札によればアデレイドさん。長身の美人女優と同名だが、長身の美人なところは似ている。クール系ではなくスポーティ系なのが、こっちのアデレイドさんだ。
田舎だからか、相手が年若い問題児だからか、敬語もややくだけて親しみやすい。もしかしたら、若干睡魔に負けかけていたからかもしれない。現在時刻午前六時である。
薄く営業スマイルを浮かべて、アデレイドは説明を始めた。
「まず覚えていただきたいのが、組合の正式名称は戦士組合ではなく、ペルグランデ大陸生活安全保障組合である、という事です」
のっけから捻じ込んできた。
よほど、正式名称忘却事案は由々しいらしい。ノンブレスで淀みなく言い切った。
「登録するのは二人? ああ、ナオキさんだけですね。ナオキさんが組合に登録して組合員――別名を特殊遊撃隊員、通称は戦士ですね――になると、組合の事業に取り組む義務が発生します」
組合の事業は大きく五つに分かれる。
1、指導事業
①クエストの遂行および遂行補助
②救急救命措置の指導
③自己の生活の安全を守る為の訓練や講習の実施
2、購買事業
武防具や薬品、食料品、衣料品等の他、生活資材等も販売している。
3、販売事業
魔物素材の流通
4、利用事業
①魔物素材の利用・加工
②魔物の生態調査
③開拓の許認可
④治水・治山工事の測量・設計・管理
5、金融事業
ギルドの運営する銀行。金利一律5%でローンも可能。
「これらの事業に取り組む義務、つまりお手伝いをしてもらう、ということです。たとえば指導事業の①クエストの遂行および遂行補助は分かりやすいですね。ナオキさんが何らかのクエストを受注して、それをクリアする。もしくは、別の誰かが受注したクエストをクリア出来るように手助けする。これが①に取り組む、という事です」
「なるほど。購買事業は、どう手伝うんですか」
「主には仕入れですね。薬品の材料は薬草などですが、それを採集してきてもらう。食料品なら動物を狩ってお肉にしてもらう。武防具なら、利用事業で魔物素材を加工したものもあるので、その材料、つまり魔物を狩ってもらう。といった具合です。あとは消費、ナオキさんが組合で薬を買ったりするのもそうですし、時々ですが輸送もありますね」
「輸送っていうと、アズーリからエイリノンに商品を運ぶ、とかですか?」
「そうですね。大抵は行商の皆さんが運ぶんですが、タイミングだとか大人の事情だとかで、半年に一回くらいは輸送のクエストが出ています」
大人の事情って何だ? と首を傾げる少年二人。
アデレイドさんは勿論、にっこり営業スマイルでスルーだ。
「頑張っていただきたいのは、利用事業の②魔物の生態調査ですね。どこにどんな魔物がどれくらい生息していて、繁殖期はいつで、その対策はどんなものが考えられるか。他の組合員さんが調査した地域でも、定期的な再調査が必要となります。魔物も生き物ですから、移動したり繁殖したりして増えたり減ったりしています。その把握が目的ですね」
「ふーん。調査するのは森ですか?」
「主に森ですが、街道から外れた平野部や、可能であれば虹湖も対象となります。未調査地域の初調査には褒賞が出ますよ」
「ほうしょう」
「ごほうびがもらえる、という事です」
建材についてあれだけ滔々と語りまくっていたくせに、ちょっと難しい言葉は分からない直希である。
学業の成績はお察し下さい。
「それから、組合員さんには組合員証が発行されます。組合員証は組合に対する納税の証明にもなります。再発行は出来ませんので、失くしたらまた登録し直しになります。気を付けてくださいね」
「分かりました」
「組合員証の発行には時間が掛かるので、その間に適正診断も兼ねて武器訓練を受けておいてください。訓練後、メインで使っていく主武器を決めて、このカウンターで報告していただくと、その情報も組合員証に記載されます。今お話しできるのはここまでですが、何か質問はありますか?」
「えーと、武器訓練はどこで受けられますか?」
「入り口に向かって左手に扉が」
「栗材の見事な扉ですね!」
「……ええ、その扉です。あそこを出て通路を左手に進むと鉄扉がありますので」
「そこは木製じゃないんですね……」
「……ええ、鉄製です。その鉄扉を出た先が訓練場になっています。係員に連絡しておきますので、必要事項を記入してから向かっていただければ丁度いいかと思います」
こんな変な食いつき方されたことないよ! とアデレイドさんの表情が物語っているが、それに気付いたのはコナーだけだった。合掌。
さておき、氏名年齢住所といった内容を、アデレイドの差し出した用紙に記入する直希。
それを覗き込んでは「うわ字きったな」「ナオキ、そこ字が違う」と的確なフォローをくれるコナー。
ちなみに見かねたコナーが書いたお手本は達筆だった。イケメンは字も美しいのか。許しがたし。
それをカウンターに提出して、いそいそと訓練場に向かう。
もちろんコナーもついてきた。
「なあ、コナー」
「ん?」
「おまえ、こんなに付き合ってて大丈夫なのか?」
主に親父にナイショ的な意味で。
「大丈夫だよ。今日はナオキについて行くって言ってきたから」
「昨日の今日で、よくおじさんOK出したよなぁ」
「まあ、町の中だし。父さんも、ナオキがギルド登録するっていうの、気にかけてたからさ」
何だかんだ甘いんだよ父さんは、と言ってコナーは笑った。
「ところで、ナオキは武器って何を使うの?」
「うーん、どうしようかなぁ……」
「あんまり想像つかないよな。武器って言っても筋肉くらいしか思い付かないし」
「どうかなー。まあ、当てはあるから何とかなるさ」
「そうだね。どうしても決められなかったら筋肉にするといいよ。薬屋でもサポートできるし」
何だかんだコナーも毒されているらしい。
ヒルダが残念なので、せめてコナーは直希の安住の地であってほしいところである。
重々しい鉄扉をくぐると、漆喰の壁で囲まれた広場に出た。二十メートル四方といった所だろうか。
ここが訓練場のようだ。
屋根は無く、地面の土色は風雨に晒され褪せている。
その土を踏んで、大柄な男が立っていた。
年の頃は中年、おおよそで言えば四十代半ばくらいだろうか。
がっしりした体つきと、日焼けしたいかつい顔、身に纏う使い込まれた革鎧と背負った槍とが、いかにも手練れといった雰囲気を醸し出している。
決して若くはないが、鍛え上げられたその身体はいざ実戦となれば無駄なく動き、苦みばしったその顔に戦意を漲らせれば魔物さえ怯むのだろう。それがひしひしと感じられる。
「どっちが新人だ?」
巨岩が擦れ合うような太い声で、その男は少年達に問いかけた。
結構な迫力だ。
しかし、どっかの筋肉薬師に比べれば怖くない。虎と猫ほどに差がある。もしくは赤カ○トとPさん。
どっかの筋肉の洗礼をばっちり受けている小僧どもは、とくに怯えもせずに「あ、俺です」「僕は付き添いです」などと受け答えしていた。
「組合の訓練担当、マーシュだ。得物はスピアとランス、まあ槍だな。お前は?」
「直希です。格闘が主体なので武器は」
「筋肉です」
「特にありません」
「そうか、分かった」
筋肉礼賛モードのコナーは放置して、マーシュは説明に入る。
というか、ごつい割りに名前がかわいいのは何故なのだろう。濁音の一つ二つは入っていてもいい見た目をしているのだが。
「格闘の心得があるのはいい事だ。武器が壊れたりどっかいっちまったりしても、ある程度戦えるって事だからな。だが、それだけじゃ弱い。何故だか分かるか?」
「リーチが短すぎる事と、相手が固かったらこっちのダメージの方が大きいです」
「そういうことだ。ってわけで、最低でも一つは武器の扱いを覚えてもらう。なんとなく知ってるだろうが、きちんと説明するぞ」
RDにおける武器とは、近接十種と弓二種の合計十二種がある。
近接十種はさらに四つに分かれる。刀剣四種、槍二種、斧二種、鈍器二種だ。
マーシュは用意よく、武器種の表を取り出した。
近接十種
├刀剣┬ナイフ
│ ├短剣★
│ ├長剣
│ └刀
├槍┬スピア★
│ └ランス
├斧┬アックス
│ └ポールアックス
└鈍器┬ハンマー
└メイス★
弓二種
├短弓
└強弓
「こんな感じだな。使いこなせるなら、どの種類でも好きに使えばいい」
「この★は何ですか? マーシュさんのお気に入り?」
「そりゃ盾装備可能武器だ。逆に言えば片手で扱える武器ってことだな」
「ナイフは盾が無いですけど」
「ナイフは小さすぎるから、盾はむしろ邪魔なんだよ。素早さを活かす武器だからな」
「あと、この表に筋肉が入ってません」
「交換可能な筋肉があれば表に入るかもな」
直希はもちろん熟知している内容だったので、黙ってフムフムと表を眺めている。
質問しているのはコナーだ。組合員登録していないのに教えてくれるマーシュさんの親切が眩しい。
「それぞれの武器の、いわゆる入門用ってやつはあそこの棚に置いてある。どれか振ってみるか?」
「……あ、はい。じゃあナイフを」
「ほう。ナイフは左の棚の最上段だ」
ナイフと言った途端にキラリと光ったマーシュの目は、気にしない事にしようそうしよう。
直希は心中に唱えつつナイフを探す。
入り口の鉄扉の両脇に、頑丈そうな棚が据え付けてあった。残念ながら鉄製だ。
(武器種は変わりない。でもニューゲームだから、ステータスも初期値になってるんだよな……)
RDのステータスは、ほとんどがマスクデータである。画面上で確認できるのは武器能力(いわゆる武器の攻撃力)だけだ。
長年の議論と解析班の根性と公式発表により、基礎ステータス五項目は存在が公表された。
おなじみのSTR、VIT、AGI、TEC、LUCである。
このうちVITはHPに影響し、他の四項目はダメージ計算(式は非公開)に関与する。
そして、同じ公式発表で「モーションに影響するステータスはこの五項目とは別にある」事が明らかになった。
攻略スレで言われる「筋力値」である。コナーの言う「筋肉」ではない。あれは分類で言うと鈍器だ。
攻略スレの熱い議論と、解析班のど根性により、ここ二年ほどで「モーションの精度・速度・強弱は筋力値に依存し、誤差は筋力値の上昇に伴い小さくなる」という事が、公式発表は無いもののほぼ確定、というところまで解き明かされた。
どうやら筋力値は複数あるらしく、それはおそらく「腹筋と背筋の違い」「腕の筋肉と足の筋肉の違い」だと言われている。
『たぶん、人間の筋肉はほとんど有るんじゃないか。それで、武器種によって鍛えられる筋肉=上昇する筋力値が違うから、同じくらいプレイしているデータでも剣と弓でモーションに違いが出るんだと思われ』
解析班の調べた限り、筋力値は上昇しても減少はせず、現実の筋肉で起こる相互干渉も起きない、らしい。つまり、鍛えれば鍛えただけ強靭で実用的な筋肉が手に入る、ということだ。筋肉教徒、大歓喜である。
直希のゲーム時代の主武器は刀。ゆえに刀のモーションやコンボは結構な練度で組み上げてある。
しかし、刀は初期の筋力値では扱いきれないのだ。振っても止められず、構えても静止できない程度には。
(最初はナイフである程度ステ上げて、そっから刀に転向するほうがいいな。強弓もまだ手を出さないほうがいいかも)
主武器二種、副武器二種の四つを常時装備できるため、リーチ違いの武器を複数背負っているプレイヤーは多かった。
直希なら主武器1が刀、主武器2が強弓、副武器1にナイフの三種である。
扱いなれていて、初期の筋力値でも取り回しが容易な武器。
軽く、素早い動きが前提のナイフは、今の直希にぴったりだった。
説明回でした。
作者はサワラが好きです。樹皮たまらん(・∀.)!