第二話
(ああ、うん、大丈夫。俺は大丈夫だ。考える事ができるし、身体も動く。ここがRDだって言うんなら、俺はRDを知っている。プレイ歴三年でクラス572は伊達じゃない。たとえ今がニューゲームでクラス1未満だとしても、俺はここから前期終了まで暗記するくらいには知ってる)
リアルダウティにレベルは無い。ステータスのほとんどはマスクデータだ。けれどそれは、攻略スレや解析班の努力や公式発表などで解き明かされている。直希もそれを知っている。
強さ、言い換えるならば己の到達点を客観的に表すのは戦士階級で、チュートリアル終了後にクラス1になり、最終到達点はクラス1000。クラス300からが上級者の本番と言われていて、572は上級者の中の中堅相当。
レベルではない強さとは、キャラクターのスペックではなく、プレイヤーの操作スキルおよび思考能力を指している。ざっくりまとめてPS。リアルダウティとは「PSを上げて物理で殴る」ゲームなのだ。
その「物理で殴る」ための操作方法を覚えるまでがチュートリアル。
ソフトに同梱されている専用コントローラーは、左右アナログスティックに左十字キー、右6ボタン、LRが1~4と左右スティック押し込みボタンという、人類の限界に挑戦するシロモノで、当然そのボタンの多さから操作も複雑になる。おまけに、アクションゲームのほとんど全てで採用されている「技」が無い。
プレイヤーは1「突く」2「薙ぐ」3「引く」などの動作に、アナログスティック等を使用して「方向」「速度」「強弱」を加えて、武道や格闘技の様にキャラクターを動かして戦うのだ。
まあ、それはいい。
それよりも今重要なのは、オープニングイベントの内容だ。
(オープニング時点で、主人公はまだ一般人。戦士じゃない。その一般人が戦士になるきっかけは)
このイベントで、幼馴染が怪我をするのだ。魔物によって。
護衛役として同行していた主人公は、幼馴染を守れなかった後悔と反省から、魔物を狩る戦士になろうと決意し、戦士組合に登録する、という流れだ。
つまり、全てのRDプレイヤーのデータにおいて、幼馴染は必ず負傷しているのである。
負傷と言っても、治っておしまいの怪我ではない。
ヒルダならば顔に傷痕が残り、コナーならば利き腕を失う。大怪我である。
(どっちが来てたとしても、怪我はさせたくないな。ヒルダは可愛かったけど、あの傷は何度見ても痛々しかったし。コナーも、腕を失うって隻腕になるってことだろ? そんなの見過ごせるわけない)
ゲームであれば、それはイベントであって仕方がない。
チュートリアル前のプレイヤーは歩き方すら知らない素人で、おまけに負傷シーンはムービーなのだ。
だから、ヒルダもしくはコナーは、必ず、絶対に、どうあがいても、大怪我をした。
だが今は。
歩きながら、足首のバネを使って軽く跳んでみる。肩をぐるぐる回してみる。腕の動き、膝の動き、体幹の動き、指の動き、それから五感の働き、どれも「直希の知る直希の身体」と同じようで、どこにも違和感は見当たらない。
鬼畜的な専コンを介さずに、直希は直希の体を動かすようにして動くことが出来る。脊髄反射がボタンに阻まれる事も無い。
何より、本来ならムービーであるはずの「幼馴染との会話シーン」がムービーではなかった。直希は直希の意思で発言していた。だったら負傷シーンでだって、直希の意思で動けるに決まっている。
「なあ、コナー」
「今度は何かな。ヒルダが来る予定なのに僕が来たのが不満かな。でも仕方ないよ、ヒルダは父さんと調薬してるんだから。あと、そろそろ父さんが渋い顔し始めてるよ。いくら幼馴染とはいえ、それなりの年齢の男女が二人っきりで出かけるなんてけしからん、とか言ってたし。ヒルダと出かけたいなら、まず父さんを攻略しないと難しいと思うよ。まあナオキなら、父さんも嫌がらないとは思うけどさ、あれはたぶん父親として一回でいいから言ってみたい、ってやつだろうね」
「おまえに怪我させねーから。絶対」
「……へ、あ、お、おう。……え?」
イケメンの端正な顔の中、ペリドットより綺麗な双眸がぱちぱちと瞬いた。
明らかに「幼馴染が予想外にかっこよくキメてくれちゃってハトが豆鉄砲」状態である。
が、直希はそんな事には気付かない。それどころではなかった、と言い換えてもいい。
直希は、オープニングイベントを、可能な限り正確に思い出しているのだ。
(アズーリを出て、景色とかのムービーが入って、二人で歩いてるところを上から追うアングルになって、タイトルロゴが出て、街道の真ん中辺って分かって、ズームして、会話シーンがあって、迫り来る敵っぽい演出があって……)
直希とコナーの右手は森だ。そよ風がさわさわと音を奏でる。
直希は右を見た。森の中は見通しが良くない。何も見えないほどではないが、遠くまで詳細に見ることはほぼ不可能だ。
直希は左を見た。金髪緑眼の少年が、薬入りの葛篭を背負って歩いている。
直希は前を向いた。
見遣る先で、街道はゆるくカーブしている。下手くそな伐り方をされた切り株があって、ちょうどそこがカーブの頂点だ。
ゲームの時は、あの切り株が目印だった。AE街道のぴったり中間地点。
耳を澄ます。音を拾う。感覚を研ぎ澄ませる。
探すのは音の向こうの気配だ。
何が襲ってくるかを知る直希にとって、必要なのは「いつ」襲ってくるか、という事。
幼馴染に大怪我をさせる敵は、凶狼が三体だ。
ムービーでははっきりと描かれていなかったが、主人公が幼馴染をかばう仕草を見せていたので、おそらくは右の森から来るのだろう。
同じくムービーでは描かれていなかったが、サベッジウルフの行動パターンを考えれば、一頭ずつ三方向に散開して飛び掛ってくる可能性が最も高い。
そこまで分かったのなら、次は対処法だ。
サベッジウルフは魔物の内、魔獣タイプの下っ端で、ゲームとしては実戦の入門編で知られるザコofザコである。
とはいえ、未だ一般人でしかない主人公はザコofザコさえも大変な脅威であり、おまけにそんな危険が間近な街道だというのに無手でテクテク出かけちゃっている無謀ボーイである。いや直希が無謀なのではなく、その辺りはニューゲームスタートと同時に処理されているであろう部分なので不可抗力なのだが。
(普通の新人なら、何も出来ないよな。普通の高校生がここにいたって同じだ。だけど、戦い方なら知ってる)
遠藤家は武道一家だ。
じいちゃんは91歳現役の剣道家で、数少ない範士九段を持つ剣の化け物。「趣味で新陰流を極めた」とか言っちゃってるくらいにはバケモノだ。
ばあちゃんは少し若くて85歳現役。直希は詳しくないのだが、小笠原流礼法を真髄まで極めた戦神である。礼法のはずなのに馬術と弓術も極めている辺りが先祖返りかも知れなくて怖い。ちなみに旧姓は小笠原である。
父ちゃんはばあちゃんの影響か、弓道家の道へ進んだ。小笠原流を修め、段位は七段。しかし戦神としてのレベルは第四位と目されている。
母ちゃんは薙刀だ。イギリス生まれだと直希は聞いているのだが、薙刀はどこで習ったのだろうか。天道流の六段である。
下の姉の真理子は高校生で剣道部、段位は二段と大人しいが、脳筋過ぎて筆記で落ちるという弱点のせいであり、段位ではなく順位だったらどこまで登り詰めるのか想像もつかないくらいには強い。ただし上記四柱の戦神にはまだ勝てない。
上の姉の由里子は、特に武道は習っていない。のだが、素質はバッチリらしく、叔父から継いだ牧場で牛たちと激しく戯れて傷一つ無い鉄壁のガードを誇っている。暴れ牛とキャッキャウフフなんて鯵缶(AGIカンスト)してても難しいのに、由里子の回避能力はどうかしている。
そして直希は、母ちゃんの知り合いとじいちゃんの知り合いから、若干物騒な格闘技を習っている。
その名を「フェアバーン・システム」、あるいは「サイレント・キリング」と言った方が通じるかもしれない。
直希が習っているのは軍隊格闘なのだ。
なぜそんなものを、と言えば「なんかカッコイイから」である。格闘技を習う理由なんてそんなもんだ。
音を探る。森の音が乱れる場所を探す。
右側だ。
右前方と、真横、それから右後方。きれいに分かれたようだ。
さわさわと下草の葉擦れ。そよ風のささめき。ふわりと反転、風向きが変わる。森から街道へ、右から左へ風が抜ける。
「コナー、しゃがめ!」
「え、うわっ!」
風が獣の臭いを運んだ。
狼もそれに気付いた。
飛び掛ってきたのは、風向きが変わって数秒と経たない内だった。
三方向から、狼の爪が、牙が迫る。
直希は真横に動いた。
三体いる狼の真ん中を見据え、飛び掛ってきた勢いを利用して首を折る。
狼相手は初めてだったが、直希の得意技チンジャブだ。掌底で顎を突き上げ、ついでに指先を目に突き込む基本の技。
力は加減しなかったので、狼の頭頂部が背中にくっつくくらいまでは折れた。即死だ。
掌に首折りの感触を確認したと同時、直希は後ろに跳び退る。
しゃがんだコナーを抱えて更に後ろへ。
右後方から迫っていた狼をも前方に捕らえる位置だ。
彼我の距離は約五メートル。
「コナー、俺の後ろにいろよ。じっとして、静かにしててくれ」
「……このまま逃げよう、ナオキが危ない」
「あっちのが速いさ、追いつかれる。だったらここで倒しておく」
襲撃地点に置き去った一匹目を見る。ぴくりとも動かない。だらりと垂れた舌も、半開きの瞼も。
首折りは、遠藤直希の技は、サベッジウルフにも有効だという証拠だ。
残り二体も、このまま倒してしまいたい。
追われるからではなく、コナーを守るために。
(怪我するって分かってて、怪我するのを黙って見てなきゃならないとか、俺はそういうの嫌いだ)
武道の達人に囲まれて、自身は軍隊格闘なんぞを習っていても、直希は血の気が多いわけではない。
怪我なんか、しなくてすむならそれが一番いい。痛い思いなんか、するのもさせるのも嫌だ。
毎週恒例の終末戦争だって、誰一人かすり傷も負わない平和な戦争なのだ。
二体のウルフは、一体倒されたのを理解してか、じりじりと慎重に距離を詰めようとしている。
おおよそ二メートル、それがウルフの間合いだ。そこまで寄れば一気に飛び掛ってくるだろう。
直希の間合いはもっと狭い。腕や膝が届く範囲、一メートルにも満たないその距離が、直希には必要だった。
ただ近付かれたら負ける。
ザコ敵とは「敵の中では最弱」なのであって、それは「人間より弱い」とはイコールでない。
直希だって、一般的な男子高校生よりは強いが、狼と取っ組み合って平気かと問われればNOである。人間はそこまで頑丈にはできていない。
人間とは脆弱な生き物なのだ。
どっかの暇を持て余した戦神たちだって、大怪我をしてたくさん血が出たり、病気になったりしたら無事ではいられないだろう。幾ら鍛えても人間は不死身にはならない。
だがそれでも強くなろうとするから、人間は技を用いる。武器を用いる。そうやって儚い身体に牙を備えて戦うのだ。
静かに息を吸う。静かに息を吐く。音を探る。目で探る。
じりじりと少しずつ近付く狼に目を据える。視線が噛み合った。かちりと音を立てて殺気立つ。
直希は狼を見ている。
耳と、目と、鼻と、体中の感覚を総動員して、直希は狼を見据えている。
太い後脚が地を蹴った。
瞬く間に距離が無くなる。疾風にも似て狼は速い。唸り声も咆哮も無く、獣の風は静かだ。
直希も地を蹴った。履き慣れない靴だということは気にしなかった。着慣れない服であることも、意識の外にあった。
視野を広く、音を拾う。正面の一体が突進してくる。もう一体は?
「シッ!」
真っ直ぐ駆けて、ぶつかる寸前に半身を開く。
くるりとターンした勢いを肘に乗せて、狼の首へ叩き込む。ごぐり、と鈍い感触。
一撃目の右肘を振り抜き、左の掌で狼の頭を捕捉。未だ残るターンの勢いのまま地面へと叩き付ける。
三撃目がトドメだ。時計回りのターンの最後の遠心力を踵に込めて、肘をぶち込んだ首を踏みつける。めぎめぎと折れる音。踏み砕く感覚。骨と毛皮と肉と血の詰まった獣を踏み台に跳ぶ。
突進しなかった方の狼、残りの一体は、コナーを目掛けて飛び掛っている。
(間に合えッ!!)
突進してきた狼を沈めるのに要した時間は五秒足らず。
しかし人間は翼を持たない。
直希の跳躍は、踏み切る力の惰性に過ぎない。
「逃げろ!」
目を見開いたコナーの顔が、やたらとスローに見えた。
小笠原流礼法:ばあちゃんは礼法だけでなく糾法も修めているようです。
無音暗殺術:ザブザさんとは関係ないですよ(・∀.)!