第十九話
今回から随時投稿に切り替わります。
森の奥から従魔が駆け戻る。
走りながらすれ違い、視線が交錯する一瞬に頷き合う。
過剰な心配は必要ない。ゼンは賢く、人間よりも強い。そして何より、己の力量を十分に知っている。無理はしないだろう。
ナオキは駆けた。森の中はナオキのフィールドだ。ゼンが尾で示した方角に向かい、小さな方向転換を繰り返しながら迷いなく進む。
蒼狐は狡猾だ。雌狐の名が示すように、メスを中心とした家族単位で群れを作る。
よく似た紅狐とは違い昼行性で、狼のように群れでの狩りを行う。
敏捷性が高く、走る速度もかなりのものだ。反面、素早さを追い求めた体躯は小柄でHPが低い。つまり打たれ弱い。分かりやすいスピードタイプと言える。
(蒼狐は首折り難しいんだよな……背骨狙いで行くか)
体重の軽い蒼狐では、ナオキの得意技チンジャブの威力を生かせない。掌底で突き上げると、身体ごと吹っ飛んでしまって首が折れないのだ。
そこで、ゲームでの弱点に従って背を狙う。
ある程度重量のある武器――長剣やランス、ハンマーなど――では、背中を殴りつける攻撃が最もダメージが大きい。小柄で華奢な蒼狐は骨が細いのだろう、背を殴れば背骨が折れる、というわけだ。ちなみに軽い武器なら脇腹か首狙い、と若干難易度が上がる。
抜き身で携えたナイフで斬るか、ナイフの柄頭や肘膝踵で背骨粉砕、という目論見だ。
森を駆けるナオキの視界に、ちらりと一瞬、ひるがえる蒼。
何かを考える間も惜しんでそれを追う。三度目の方向転換で姿を捉えた。小さい。若い個体だろうか。
狐はちらりと振り返り、進路を変える。
(皆の居る場所から離そうって魂胆か……!)
方角の魔法を使わなくても、屋外なら方角が分かるナオキだ。
小さい狐が駆けて行く先に、木工所の面々が居ないことはすぐに分かった。
可能性は二つ。ナオキを単独で引き離して、その間に残り四頭が狩りをするための時間稼ぎ。それから、群れから離れたナオキを残り四頭のもとへ連れて行き、囲んで狩る誘導。
後者であればナオキは嬉しいが、ここで賭けるのは止めておく。敵を視認していない以上、堅実に立ち回ることを優先したのだ。
ここは、ゲームとは違う。現実だ。
ナオキはそう思っていた。
真実がどうであっても関係ない。
出来る限り、誰にも怪我をさせたくない。
『もしもゲームだと思っていて、本当は現実だったら、怪我をした人は怪我をしなかった事にはならない』
それに、単純に嫌なのだ。防げる怪我は防ぎたい。
だからナオキは安全策を選ぶ。
ナオキは戦士だ。英雄でも勇者でもなく、泥臭く戦う一人の人間だ。英雄譚も武勇伝もいらないから、皆の安全が欲しい。
その上で、より強い敵を、より激しい戦いを、ひりつき震える闘争を求めているだけだ。
小さい狐を無視し、木工所の面々が居る方へとターンする。
狐はイヌ科だ。聴覚と嗅覚に優れている。ナオキが群れから離れたのも、もうすでに分かっているはずだ。
(やっぱりあのチビは囮だ。残り四頭は皆を囲みに掛かる)
蒼狐の行動パターンを思い出す。
狩り行動の基本は包囲だった。数頭で包囲し、攻撃力の高い個体が一頭か二頭で標的を屠るのが鉄板。
けれど今いる蒼狐は五頭、うち一頭が囮。残り四頭で二十人からのマッチョをどう狩るか。
(三頭で円周包囲で一頭が攻撃、たぶんこれだ)
思考を止めず、脚も止めず、駆ける先に視界が開けた。
むさくるしい強面の集団がナオキを見る。無事だ。
鋭く一声、ゼンが吼える。
「ゼン、遊撃! 当てずに逃げ回れ!」
「わふ!」
目の前に一頭、まっすぐ突っ込んでくる蒼い狐がいる。
これがおそらく首領だ。手にしたナイフを構える。上体を低くしてナオキは駆ける。速度は落とさない。かっと見開いた目はギラつく獣の瞳を捉えている。蒼狐の跳躍。イヌ科の習性だろうか、獲物には飛び掛って攻撃することが多い。ナオキは更に体勢を低くした。片手を地面について、すれ違い様に逆立ちするような踵の蹴り。ぱきぽきと軋む感覚が足から伝わる。蹴り飛ばした狐は意識の外へ。跳ね起きたナオキの目は次の狐に移っていた。
ひゅん、と空気を裂く音、勢いのままにナイフの切っ先は蒼い毛皮を貫く。首から肩へ、ハイス鋼の切れ味は斬りづらい毛皮を物ともしない。振り抜き、勢いを殺さず反転、ゼンが追う三頭目へと迫る。
「ぅおらあっ!」
真正面からの踵落としが、細身の狐の頭蓋を踏み砕く。
「あと二つ!」
猛る獣のごとく吠える。
獲物を探すナオキの目は既に、狩人というよりも野生の獣に近かった。
「――アニキ!」
不意に、ヒースが叫んだ。
脳筋の群れの最外周で、鉈を片手に肉盾を勤めていたらしい。
「アニキ、あっち、凶狼が!」
「凶狼?」
ヒースの指差す先を見れば、見覚えのある大狼――傷面の狼が、木々の間からじっとナオキを観察していた。
覚えのある威圧感に、ナオキの口角が吊り上がる。
「ゼン、陽動。傷面の狼だ!」
対傷面の狼の訓練は、少しずつ地道に繰り返していた。
いずれ超えなければならない障害なら、始めから踏み台として訓練に組み込んでしまおう、というナオキの短絡的思考である。
しかし、その厳しい訓練は確実にゼンを強くしていた。
魔獣の中で最弱、という不名誉な称号を、返上したいのだ。
「一匹喰らってやれ!」
戦士と違って、従魔の強さはレベル制だ。上昇値は微々たる物とはいえ、戦いを重ねるほどに強くなることは確実だ。
当然、格上の敵を倒せば、それなりに美味しい経験値を得られる。
傷面の狼の群れは、通常の凶狼の群れよりも経験値・GCP共に多く設定されている。群れの一頭だけでも、他の凶狼を倒すより実入りがいいのだ。
降って湧いたチャンスを逃すほど、ナオキは余裕を持っていない。
(凶狼はゼンに任せる。俺は蒼狐の掃除だ)
蒼狐は狡猾だ。凶狼よりも賢く、打たれ弱いがために臆病でもある。
つまり、群れを壊滅させられることを避ける傾向が強い。早い話が逃走だ。
五頭のうち三頭を倒されて、蒼狐二頭はナオキを脅威と認めた。くるりと背を向け、走り出す。
(甘いっ!)
ナオキは戦士階級5の新人――ただし、プレイヤーとしてはクラス572まで這い上がった中堅だ。
多少の誤差こそあれ、アズーリ周辺で初心者が遭遇する程度の蒼狐の行動など、誘導しようと思えば可能だ。ただ脳筋の群れがいたことと、突発的な遭遇だったから誘導の準備が整っていなかっただけで。
単独戦闘で誘導する――追い込む先は、罠か危険地形。崖や滝などに追い込んで仕留める方法は、群れ行動をする魔獣に対して一般的なソロ戦法である。
今回は、いい位置に傷面の狼が現れてくれた。
モブの蒼狐とユニークである傷面の狼とでは、傷面の狼の方が実は強い。だったらその群れを罠代わりに利用してやればいい。
脅威から逃れようとした蒼狐たちは、逃げ道が凶狼に塞がれている事に、走り出してから気付いた。
もう遅い。
ゼンの陽動を受けて殺気立った凶狼の群れは、突っ込んでくる蒼狐に対して牙を剥いた。
強さの格差、そして数の差。
蒼狐の速度が落ち、ナオキが追いついて二頭の首にナイフを突き立てたのは、凶狼の威嚇の直後だった。
たまにはベテランらしい立ち回りをしたナオキは、凶狼の目の前で立ち止まって、ボスである傷面の狼を真っ直ぐに見据えた。
人と獣の視線が交錯する。
「今日も様子見か? それとも俺とゼンに嫉妬してストーカー?」
「……」
「ヤる気なら受けるぞ」
「……」
互いに退かない睨み合いは、今日はナオキから視線を外した。
ふいと踵を返し、ゼンを呼ぶ。
応えて近寄ったゼンは、ナオキの指示通りに一頭を倒したのか、返り血に汚れていた。
「俺もゼンも、お前には負けない。足止めされてやる義理も無いからな」
それきり、ナオキは傷面の狼を気にする素振りを見せずに、木工所の面々の方へと去っていった。
そろそろ潮時か、とナオキは考える。
別に何か悪事がバレそうだ、とかいうわけではない。ただナオキのボキャブラリーが貧困なだけである。
ゆえに、正しく言えばこうだ。
「そろそろ近所のボス倒してエイリノンに行くか」
クラスが15になると、エイリノンへの移動が可能になる。
ボス討伐というのは、そのための必須条件だった。
基本的に、戦士階級というものは、GCPを稼いでいれば自動的に上がっていく。
例外として、100ごとに昇級試験があり、それに合格しなければGCPが足りていても昇級できない、というルールはあるが、基本的にはGCPの累積値=クラスである。
そのもう一つの例外が、この「クラス15認定試験」だ。チュートリアルの延長、とも言う。
クラス1から15というのは本当の初心者だ。それなりに操作できるようになってきても、まだまだRD世界を生き抜くには実力が足りない。
薬草の種類を覚え、武器の扱いを覚え、魔法の扱いを覚え、傷面の狼を始めとする特殊個体とのスパルタ式ブートキャンプを通して戦法を学び、群れ行動をする魔物との戦いに慣れたところで、単独行動をする強個体との戦闘の洗礼を受ける。
クラス300以上の中堅や、はるか高みにいる上級者たちの戦術も、もとはこのアズーリ近辺で学んだ事の応用なのだ。
「傷面の狼は倒さなくても進めるし、GCP足りたらボス倒そう。うん、そうしよう」
ナオキの苦い思い出の通り、傷面の狼は初心者殺しの最初の砦。ただ突っ込むだけではない「戦闘思考」の担当だ。
二番目の砦が蒼狐。スピードタイプの動きに翻弄される初心者は後を絶たない。
そして最後の砦がボス・王鹿だ。群れを作らない鹿で、単独か番で行動する。繁殖期には小鹿を連れた雌王鹿も見られるが、戦闘に至るのは単独行動のものだけだ。
王鹿は、プレイヤーが初めて出会う大型魔物である。その大きさは4tトラックと評され、ヘラジカの如く枝分かれした、七支刀より凶悪な角が特徴。攻撃方法はシンプルに突進とカチ上げ。それなりに考えなければ勝てない相手である。
が、しかし。
王鹿なんて障害はとっくの昔に卒業したナオキには、これといった不安も特に無い。あるとすればゼンがまだまだ低レベルであることくらいだ。
「王鹿のトドメはゼンに任せて、あとは無難な遊撃辺りやらせとこう」
ナオキのポリシーとして、パワーレベリングはしない。寄生嫌いなナオキなのだ。強くなりたいなら戦え、という体育会系脳でもある。
なので、トドメをゼンに刺させるとしても、そこまで見学させる気は毛頭無いのだ。
ナオキ式ブートキャンプが着々と進んでいく中、脳内ツッコミを諦めてスルースキルを身に付けたゼンは、凶狼らしからぬ深い溜息を吐いてのこのことついて行くのだった。
とんでもねえスランプに陥ったorz




