第十八話
「俺に足りないのは経験だ。たった十七年しか生きてない俺が、何十年ものキャリアを持つ先輩を超えられるわけがない」
ナオキはそう語った。
「参考までに、ジュードさんの樵歴は何年ですか?」
「俺っちは五十年って所だな。オーブリー兄貴はもうちっと長いぜ」
「というわけで、ノックスさんが生まれる前から樵やってる大先輩だ。俺とジュードさんたち、どっちに師事すべきかは明らかだよな」
のほほんと笑いながら、ナオキは伐採班を見渡す。
<鬼のジュード>と<森熊オーブリー>は、だいぶ白いものが混ざったヒゲをしごきながら、ガハハと笑って眺めている。
木工所代表兼伐採班班長ノックスは、脂汗をだらだらと流しながら小さくなっている。
伐採班は、過去にずいぶんとヤンチャをしでかしたらしく、鬼と森熊の指導を恐れているのだ。
ジュードは小柄だが筋肉は分厚く、腕の筋肉は筋肉薬師を超えるかもしれない。ずんぐりむっくりのドワーフ体型だ。
オーブリーは巨漢である。175センチのナオキが大きく見上げるので2メートル以上あるだろう。もしかして本物の熊なのだろうか。
「オレたちは、アニキに教わりたいんだ……」
それでも、勇気を振り絞ってそう伝える。
「うん、慕ってくれるのはありがたいよ。そこで、ジュードさんとオーブリーさんに、一つ質問です」
「おう、何だい」
「俺は、伐採班を指導して間伐を行いました。その際に見本としたのは、森の街道中間地点付近の環境です。実施したのはアズーリから五キロ圏内で、ちょうど今いるこの辺りが一番出来がいい区域です」
「一昨日までやってた作業だな。それで?」
「俺が指導できるのはこのレベルまでです。俺は、理屈は知っていても経験がありません。では、この程度で褒められるほど、アズーリの樵は低能でしょうか?」
「ふむ」
ナオキの主導による第一期治山工事()は、一昨日に完了している。第二期は半年後の予定だ。
完工時、ナオキは伐採班の頑張りを褒めた。高校生以下の児戯に等しかった技術が、とりあえずナオキレベルまで上がったからだ。
筋肉たちは大喜びで大盛り上がりの大騒ぎだった。よほど嬉しかったらしい。
が、ジュードとオーブリーは辺りを見回し、切り株をチェックして、鼻で笑った。
「洟垂れ小僧が頑張ったにしちゃあ上出来だが、これで樵を名乗るなんざ片腹痛え」
「では、それを指導した俺の力量は、どの程度でしょうか」
「俺っちたちが十年しごいて一人前、って所だな。見込みはあるが、今はその程度だ」
「十年ですか! ありがとうございます!」
「嬉しいか、坊主」
「三十年頑張ればどうにか、と思ってたので!」
切れ味鋭いガッツポーズをキメてから、ナオキは伐採班に向き直った。
「というわけで、俺はヒヨッコだと言われた。そもそも俺は加工の勉強をしてたから、伐採のほうはそんなに詳しくないんだよ。だから、教えられるのは基礎だけだ」
「マジか……アニキでもヒヨッコなのか……」
「……あれ、じゃあオレらって……」
「まあタマゴ以下は確実だよな。早く孵化してもらわないと、伝説への道は遠いんだぞ」
「坊主、伝説ってのは何だ?」
気になる言葉だったのか、ジュードが問い掛ける。
オーブリーは無口な性質らしく、喋るのはもっぱらジュードに任せていた。義兄弟だそうで、息の合い方はバッチリである。
「伐採班の目標です。アズーリの林業史に燦然と輝く伝説の樵を目指そう、と」
「それを組合の者が指導するってか? 樵ナメちゃいかんぞ?」
「俺にナメられる程度の実力しか無かったノックスさんたちは、多少でも力をつけたと思います。だから、ここからの指導は本物の樵であるジュードさんたちにお願いしたいんです」
鬼と森熊に「あぁん?」と睨まれても、一歩も引かないナオキだ。
更には、指導の中でレベルアップしたらしい挑発スキルを躊躇いなく使う。
「筋違いは百も承知ですよ。でも、本当なら彼らの指導は、先輩である貴方たちの役目です。洟垂れ小僧が鼻で笑うような樵しか育てられなくて、何が先達ですか。彼らは誰の背を見て育ったんですか。貴方たちは本当に本物の樵なんですか」
「……言ってくれるじゃねえか、小僧」
「言うしかないですからね。ここ半月、組合の仕事で森の中走り回ってましたけど、まあ無残なものでしたよ。何年前からマトモに手入れしてなかったか。凶狼だの藤色鹿だの、魔獣が多いのは知ってますけど、それは言い訳にならないですよね、組合があるんだから」
「俺っちたちの仕事まで馬鹿にする気か?」
「森を見れば、そうなります。いいんですか? こんな洟垂れ小僧にバカにされっぱなしで。弟子も掻っ攫われた挙句、俺の方に懐いてる。樵でもない俺が彼らを育てて名を上げても、本当にいいんですか? 貴方たちに、親方としての意地はまだありますか?」
おや? 伐採班の様子が……
「俺っちたちを乗せようってのか、小僧。いい度胸だ」
「弟子を放り出した負い目を、ここで清算したらどうかと言ってるんです。貴方たちは、もう現役ではない。だけど貴方たちは、未だに彼らに恐れられる先輩です。そのくらい、俺に言われなくたって貴方たちは知っているはずだ。かつての弟子が、今どうなっているかを」
「…………断る」
無口なオーブリーが呟いた途端、伐採班が叫んだ。
「待ってくれ! いや、待ってください、親方!」
「…………何だ」
「オレらに、もう一度木の伐り方を教えてください!」
ノックスがテンガロンハットを放り出して、逞しい老人たちの前に膝をつく。
現代表であるノックスが、無駄に高かったプライドも今までの意地も擲って、怖くてたまらない親方に土下座したのだ。
「オレは思い上がってました! 年取ってきた親方より、オレの方が上手くやれるって思ってた。だけど何一つ上手くいかねえ。オレがこだわってたモンは、何の役にも立ちゃしなかった」
「…………」
「業績は下がる一方で、組合からも薬師会からもせっつかれて、それで逆に意地張ってたんだ。でも、アニキはそれをぶっ壊してくれた! 組合の仕事いくつも抱えて忙しいのに、毎日オレたちに構ってくれた! アニキのおかげで思い出したんだ、オレはすげえ樵になりたかったんだって、子供の頃の夢を!」
「…………」
「あの頃、憧れたのはあんたなんだ、オーブリー親方! オレは、森熊の技術を受け継ぎたい! お願いします、もう一度だけ、オレたちの親方になってください!!」
ノックスだけではない。いい歳のおっさんたちが、次々と土下座に加わっていく。
すぐに伐採班総出の土下座になり、口々に「オーブリー親方!」「ジュード親方!!」と懇願の叫びが上がった。
「…………だとよ、ジュード」
「……ふん、暑苦しいこった」
「俺からもお願いします」
ナオキも深々と頭を下げた。土下座でないのは、ナオキと伐採班とでは立場が違うからだ。
ノックスたち伐採班は、彼らの言葉の通り、ナオキの指導によって童心の夢を取り戻した。そのために何をしなければならないか、自分たちが親方に何を言わなければならないか気付いた。
ナオキの役目は、あくまで火付け役なのだ。最後まで面倒を見られない以上、はじめからナオキは伐採班に火をつけて親方に託すつもりだった。名前や住所を知らなくても、上の世代が「引退」だから、口出しできる樵の二三人は居るはずだ、という予想である。
どこの軍師か、というような周到さであり、それを悟らせない演技力だった。培ったのは竜胆高校の縦割り授業で、一年生の面倒を見た経験からだ。
「小僧、一つ聞かせろ」
「はい」
「お前は悔しくないのか? 仮にも一度は弟子にしたんだろう」
「悔しいです。だけど、俺では彼らを育て切れません。そっちのほうが、もっと悔しい」
「……分かった、引き受けよう」
「ありがとうございます」
「お前に言われる筋合いは無え」
「筋違いは承知の上です」
熱い涙を流し、心の底から叫んだ伐採班も、森を震わせるほどの「ありがとうございます!!」を轟かせた。それは森だけでなく、頑固な親方たちにも響いたに違いない。
「うるせえ!」だの「暑苦しい!」だのと憎まれ口を叩きながらも、どこかスッキリした顔つきをしている。
上の世代も、グレてしまった若手の現状を憂いていたらしい。
むさ苦しくも清々しい樵たちを、ニコニコしながら眺めていたナオキだが、ふとゼンの様子に気が付いた。
まったく存在感が無かったが、ゼンは狩りモードで付近に待機していたのだ。
「どうした、ゼン」
返事は無い。片耳がピクリと反応して、ナオキの方に一瞬向いただけだ。
「……数は」
どうやら何か、それも友好的でない生き物がいるらしい。
ナオキの問いに、ゼンの前脚がたしたしと地面を叩く。
「五か。種類は分かるか?」
「くぅん」
「魔獣か?」
「わふ」
「分かった。偵察してこい」
するり、とゼンの姿が森に溶ける。
さすがは森に生きる凶狼、音も気配もない。
ナオキは盛り上がっている伐採班に声を掛けた。
「近くに魔獣が居る。今、ゼンが偵察に行ってるから、出来るだけ静かにここで待機してくれ」
「あ、アニキ、それって……」
「数は五頭、まだ包囲はされてないはずだけど、移動はゼンが戻ってからだ」
雰囲気の変わったナオキに、慣れている伐採班は静まり返った。
親方二人も空気を読んだが、ジュードは声を低めてナオキに提案する。
「俺っちとオーブリー兄貴は、それなりに魔獣の相手も出来るぜ。手伝おうか」
「いえ、相手が何か分からないので、まだ……」
遠くで凶狼の咆哮が聞こえた。
ゼンだ。ナオキが仕込んだ暗号で、敵が何かを伝えてきたのだ。
「マジか、まずいな……」
「アニキ、何だったんだ?」
「相手は蒼狐、狩りの体勢に入ってる。俺たちは獲物と思われたんだ」
蒼狐は、アズーリ周辺のザコのうち、中堅クラスの魔獣。くすんだ青色の毛皮を持つ狐だ。肉食傾向の強い雑食性で、群れで狩りを行うため大型の獲物を得る事も多い。
今ここには肉付きの良い大型の獲物(マッチョな巨漢)がたくさんいるので、一人か二人仕留めれば上出来、という狩りをするつもりだろう。
蒼狐は、ナオキにとっては「普通に勝てる相手」だ。しかし、蒼狐の素早さが今は苦しい。
マッチョの群れを守らなければならない以上、突出して各個撃破、という戦い方ができないのだ。
「蒼狐と凶狼なら蒼狐が格上、ゼンが誘導するのは難しいか……それなら俺が誘導でゼンが護衛……いや、それでも複数来たら守りきれない……」
ナオキとゼンだけなら、どんな戦法も自在だった。ゼンの強化の為に、ナオキがフォローしながら戦わせる事だってできる。
けれど今は……
「アニキ、迎撃ならなんとかする。斧も手斧も何本か持ってきてあるぜ」
「……分かった、じゃあゼンを護衛につけるから、円陣組んで外周が斧持って、迎撃に専念してくれ。絶対にはぐれたり別れたりしない事。いいな?」
「了解っす!」
「怪我するなよ」
迷っていたが、ノックスやヒース、ジョージたちのキリッとした顔を見て、任せることにする。
ゼンに「戻って番犬」の合図を送り、ナイフを抜いたナオキは狩人の顔になった。
感情を殺ぎ落としたかのような、ある種無機質な顔に、炯々とぎらつく二つの瞳。ほんわかのほほんとした少年も、熱血木工バカ17歳も、もうどこにも居ない。スイッチの入ったナオキは、ただ獲物を狩る捕食者だった。
生態系のバランスも、GCP効率も、フリーハント報酬額も、今は何一つ関係ない。今はただ一つ「戦闘」が欲しい。
漲る緊張感が、ナオキの感覚を研ぎ澄ませる。目が、耳が、肌が、身体のすべてが、森の抱くあらゆるものを感じ取る。今はただ一つ「死線」が欲しい。
ああ、この感覚だ。ナオキは思った。
この張り詰めた空気。このひりつく衝動。この、溶岩のようにどろどろと煮え滾るひとくさりの興奮! 今はただ一つ、デッドオアアライブの境界線で踊る死闘が欲しい!
ニィ、と唇が吊り上がる。
ちくちくと刺すような緊張の中で、湧き上がるのは歓喜だ。恐怖も怯懦も二の次だ。何より楽しい。何より嬉しい。
(さあ、戦闘開始だ!)
これから始まる『闘争』が、何より狂おしく愛おしい!
木工所をどげんかせんといかん、と思ってたら思いのほか長くなりました。
おかげで文字数の調整がてんてこまいだよ(゜∀。)!




