第十三話
※戦闘シーンが若干えげつないです。
凶狼の番が、ナオキの姿を見つけたようだ。真っ直ぐに視線を向けてくる。
ナオキは口元に小さく笑みを浮かべて、周囲の音に耳を済ませる。
上位の番だけでなく、下位の凶狼たちも、獲物が凶狼に気付いていることを理解している。足音や息遣いは十分に聞こえてきた。
気取られずに囲むのではなく、いかに隙を見せずに包囲するか。指示はおそらく「すばやく慎重に囲め」といったところだろう。
(四、五、六……十以上……いいや、いっぱいで)
最初の日、ナオキとコナーに襲い掛かった凶狼を返り討ちにした時はどうだったか。思考の片隅に思い出す。
一頭目は全力で顎をカチ上げた。それだとオーバーキルだった。
二頭目は近接コンボだったが、相手が単体でなければ隙が大きい。
三頭目は飛び蹴りだった。肩口を蹴り付けて、衝撃で首の骨を折った形だ。
参考になるのは二頭目、コンボの初撃で折った感触があった。その時の力加減はどうだったか。連撃を意図していたから全力ではなかった、かといって半分程度の力で様子見したわけでもなかった。
(八割くらいの力で打ってみて、あとは調整しよう)
隠れていた木に背を預ける。
これで最初は背後を気にしなくていい。凶狼は、ナオキが隠れられるほど太い木をぶち抜けない。
包囲している凶狼を視界に入れる。
密集する木に隠れて半分以上は見えないが、それでも尾の先や鼻先が覗いているものも多い。
ナオキは狂狼を視界に入れた、つまり最初は速度を出せる位置の個体から攻撃してくる。警戒している獲物の反応を、速度で上回るためだ。
直線上に障害物が無く、金色の瞳が見分けられる程度の距離。視界上、その位置にいるのは四頭だ。
包囲網はじりじりと動いている。最外周は次第に近づいているのだろうが、内側では円を描く左右への動きのみだ。
近い位置の四頭のうち、右端の個体が牙を剥いた。鼻面に皺を寄せ、低い唸り声を上げる。身体を低く、太い脚は地を掴んで、尾はぴんと張っている。今にも飛び掛ってきそうな姿勢だ。
(初手フェイントかな? ゲーセンのワニ叩きの後半戦と同じって、攻略サイトに書いてあったけど)
なぜそんな例を挙げたのか、編集者はワニ叩きマニアか、あのワニに恨みでもあるのだろう。でなければワニの攻撃パターンを連想するはずがない。
とはいえ、言っている事自体はわかりやすい。単純なフェイントだ。
右が威嚇して注意を引き付け、左が攻撃する。左が何度か攻撃して注意を引いて右が攻撃する。180度のフィールドを360度に広げて、奥行きも利用した緩急を付けて、障害物を目隠しにしているだけだ。
ナオキは、すでに検証されつくした凶狼(群れ)の包囲攻撃パターンを念頭に、四頭を等しく警戒している。
ただし、フェイントに乗った方が読みやすいので、顔は右端の個体に向けていた。
――――ゥウオッッ!!
短い咆哮は右から。
力強い跳躍は左から。
予想通りだ。
ナオキは少し屈み、凶狼の右前脚を取る。身体は木にくっつくほど左へ寄せて、飛び掛った勢いを利用して投げ飛ばす。一本背負投というほど背負っていないので、柔道で言うなら浮落とか隅落だろうか。これの技名はTHROWSなので、他の呼び方をナオキは知らない。
地面に叩き付けられた凶狼の顎を、踵で踏みつけつつ仰け反らせて、体重と勢いを乗せて踏み抜く。下顎が砕けたのが、靴底越しに分かった。
次の凶狼は、威嚇していた右端の個体だった。
仲間を落とされた恨みはあるだろうが、ナオキの動きが止まる技後を狙ってくるのは狩人としての冷静さか。
それでも、飛び掛ってくるのならナオキにとっては想定内。得意のチンジャブで迎え撃って沈める。
今度は残りの二頭が同時に駆け出し、僅かな時間差を置いて襲い来る。
先に低いジャンプで足狙いの噛み付き、視線が下に向く一秒後に高くジャンプして頭狙いの爪だ。
「シッ!」
足狙いの凶狼は軽くジャンプして躱し、両足の踵で鼻梁と首に踏み付け。
頭狙いの凶狼には、ジャンプの際に捻った上体で、外へ払うような手刀を叩き付ける。狙いは前脚の中ほど、人間で言うなら肘だろうが狼なら前腕の半ばだ。二本の骨――橈骨と尺骨が、手刀の衝撃で軋む。折れはしないが重度の打撲だ、敏捷性は落ちる。
瞬く間に三頭の屍を作り出したナオキは、ここで木のそばを離れた。
各個撃破で対応できる、と判断したのだ。
「さーて、俺のお小遣いになってくれなさい」
ニヤリ、と笑んだ顔は狂獣。
誰が呼んだか「首刈り」とは、まさに相応しい通り名だ。
そこからは、もはや戦闘ではなく蹂躙だった。
もともと、クラス1でも倒せる程度の凶狼である。今回は群れている上に繁殖期で気が立っているため、討伐クエストはクラス5以上の制限が付いていたが、数が多くても個体の性能が上がるわけではない。
ワンショット・ワンキルに等しい速度で倒せれば、継戦能力がある限り群れでも単体でも大差ないのだ。
「全部倒す前に番は落とさないと、逃げられたら困る」
ナオキが欲しいのは番の方だ。
繁殖期の番は、フリーハント報酬が若干高くなる。おまけに、繁殖期に入ると毛皮の質が良くなるのだ。故に、買取価格も上がる。いいことずくめだ。
しかし、群れで生活する凶狼は、群れの崩壊の危機に逃走することもある。まして、新たな個体を増やせる番だ。下位の個体を囮に逃げることもままあるのだ。
おおよそ十頭を屠ったところで、ナオキは急激に方向転換する。
蹂躙しながら移動して、番まで真っ直ぐに進める位置を取っていたのだ。その向こう、番が逃げたい方向には、やや細い木が密集している。凶狼の巨体ですり抜けるのは苦しいだろう。
スターティングブロック代わりに木の幹を蹴って、勢いよく飛び出す。森の中の地面は平らではないし、木の根や立ち木も邪魔をする。
しかしそこは「森の中」だ。森林と木材をこよなく愛し、森を知るために駆ける術を身につけた竜胆高生が、最も得意とする戦場だ。
森の中で、ナオキの障害となるものはない。細かなジグザグを描いてナオキは番に迫る。
「らぁっ!」
手前にいた大きな方の頭を、飛び越えながら膝で蹴り上げる。その向こうの小さい方は、走りながら抜いたダガーを根元まで首に突き込んだ。そのまま、ダガーを支点に顎を持ち上げてトドメ。振り返って大きな方の首に踵の踏み付けを追加して、両手を下ろす。
お小遣いゲットだ。
顔を上げれば屠った凶狼の死体が散らばっている。
その向こう、まだ無事な凶狼たちの更に向こうに、じっとナオキを見る一頭がいた。
かなり大きい。額に引き攣れた傷痕があるのが、遠目にも見えた。
佇まい、雰囲気、何よりその傷の狼に従うような凶狼たちの行動。あれがリーダーなのだろう。
「……やる気か?」
目が合った傷の狼に問いかけ、ナオキは狂獣の笑みを浮かべる。
戦るなら受けて立つぞ、と姿勢で示す。
傷の狼はしばらくナオキを見つめて、ふいと視線を外した。短く鳴いて踵を返す。
群れはそのまま去って行った。
「…………うあー、驚いた! 傷面の狼の群れだったのかよ!」
最後尾が見えなくなると、ナオキは大きく息を吐いた。
けっこう緊張していたのだ。
魔物の種類が多くないRDだが、特徴的な個体はわりと多い。
先程の傷の狼もそうで、最初に出会う特殊魔物だった。固有名は無かったが、プレイヤー間の通称は傷面の狼。なんかカッコイイ。
傷面の狼の特徴は額の傷と大きな身体、それから知能の高さだ。
凶狼はたいてい、リーダーが率先して攻撃してくる脳筋ヤンキー集団なのだが、傷面の狼の群れは本物の狼や、あるいは人間の軍隊に近い。
指揮官たる傷面の狼は冷静沈着かつ冷徹で、囲い込みに追い込み、罠に潜伏と多様な手段を用いてプレイヤーを追い詰める。脳筋ヤンキー凶狼集団に慣れてきた初心者の最初の壁であり、初心者殺しの最初の砦だ。
ナオキがゲームで出会ったのはクラス10くらいの時で、やっと操作に慣れてきたと思ったら罠にハメられた上に潜伏していた伏兵狼に群がられてあっさり死亡した。後にも先にも、RDプレイ中に呆然としたのはあの時だけである。
それから戦い方を考えて、敵愾心を使った誘導を覚えて、地形を利用する事を覚えて、こっちも罠を張ることを覚えて、それでようやくギリギリで倒したのだ。
力押しでは倒せない、という大事な真実を教えてくれた傷面の狼は、当時はとんでもない強敵だったし大変な苦労をさせられたが、傷面の狼のおかげで後々まで大切な「戦い方の基本」を覚える事ができた。ナオキは師匠と呼んでいる。
「今あいつと当たるとか、ちょっとそれは無理ゲーすぎるわ……」
ぶちぶちとぼやきながら、仕留めた番の凶狼の処理をしていく。
他の凶狼は討伐証明として尾だけ持ち帰るが、番は高めに売れるので丸ごとお持ち帰りだ。が、重いので血と内蔵を抜くのである。
突き刺したままのダガーを引き抜き、喉を切って後脚をロープで縛り、木の枝に吊るして放血する。二頭とも吊るしたら、放血している間に死体めぐりだ。尾を根元から切り取って逆さに持ち、こちらも血を抜きながら集めていく。
最初の木の所まで辿り着くと、前脚に手刀を喰らわせた一頭が、怯えた顔でナオキを見た。
「あー、そういえば倒してなかったっけ。置いていかれたのか」
血の滴る尾を持ち、見下ろすナオキが何に見えたのか。
前脚を負傷した凶狼はきゅんきゅんと哀れっぽい声を上げた。耳はぺたんと伏せられ、尾も不自由な身体の下に巻き込んで震えている。
尾を刈られると思っているのだろう。実際、死んでいれば刈ろうと思っているナオキなので間違いではない。
が、首刈りの狂獣でも、ナオキは(一応)日本の高校生だ。平和大国生まれ、平和な田舎育ちだ。
「どーすっかなぁ」
敵対するものは倒す。攻撃されたら反撃する。害獣は駆除一択。だが、飼い犬は可愛がっている。
姉の由里子が働く牧場の裏山で、拳でタヌキ狩りをしていたナオキは、十頭に一頭は見逃していた。害獣でも全滅させたら生態系がどうかなってしまうからだ。
木刀を引っ提げたじいちゃんと熊狩りに行ったときは、親子まとめてヌッ殺した。残しておいて人里に下りられても困るからだ。
凶狼の群れを潰す気でいたナオキが生き残りを見逃したのは、それが傷面の狼の群れだからというだけではなく、十数頭減らしていたからだ。これだけの戦力減を立て直すには、五年かそこらは時間が掛かる。一時の安全は確保できたのだ。
何より、目の前で震えている凶狼は、じいちゃんを怒らせて怯えきった飼い犬と、よく似ていた。
「あー……」
生き物を殺せないわけではない。由里子が憎んでやまないタヌキなら言われなくても駆除しに行く。
が、生き物を殺すのが好きなわけでもない。害獣駆除も、気分のいいものではないからだ。必要だから殺るのであって、好きかと問われれば嫌いと答える。
ナオキが好きなのは過程、つまり戦闘であって、戦闘の結果として在る「死」をきちんと認識しているだけだ。
「…………ついて来るか?」
傷面の狼の群れは精鋭集団だ。獲物に襲い掛かって敗れ、負傷した個体は切り捨てられる。
かと言って、単独で生きられるほど森は優しくない。凶狼の負傷は死に至る傷だ。
反撃したのはナオキとはいえ、このまま見捨てるのも何だか後味がよろしくない。
「俺の従魔でよけりゃ、ついて来てもいいぞ」
ぴん、と凶狼の耳がナオキを向いた。
尾はまだ身体の下にあるが、ナオキを見上げた顔に、その目の中に、怯えの色は薄くなっていた。
ウゥ、と聞こえた唸り声は承諾か拒否か。
凶狼は、怪我をした前脚を庇いながら、そろそろと寝転がって腹を見せた。
これは服従姿勢ではなく、凶狼が承諾を示すための姿勢だ。
凶狼は、ナオキの従魔となることを受け入れたのだ。
「うん、じゃあ、ちょっと待ってろ。荷造りしてくるから」
「ガゥ」
「怪我は俺じゃ治せないから、町に着くまで我慢してくれ」
凶狼に指示すると、ナオキは荷造り(つまり尾を刈ったり内臓抜いたりする作業)に戻った。
春とは言え、日中は気温も上がる。R18な臭いと見た目の死肉を組合に持ち込む度胸は、ナオキには無かった。
従魔システムとは、RDの特徴の一つである。
主人公に従う魔物で、ゲームでは従えた従魔から一体を選択してフィールドを連れ歩き、戦闘や採集などを手伝わせる事が出来る。
魔物を従えることを「テイム」と呼び、一応はスキル(=魔法)に分類されるが、音声入力で発動という一風変わったものである。
専用コントローラーに内臓されたマイク(あるいは、対応する外部機器)で「我に従え」と言うとスキル「テイム」が発動し、テイム成否判定で成功すれば従魔となるのだ。
ゲームではテイム発動キーワードは「我に従え」のみで、標準語発音でなければならない。そのためにフルボイスでテイム用の説明ムービーがあるくらいだから、さすがの変態開発会社も方言には対応できなかったらしい。
しかし、今のナオキは「我に従え」とは言っていない。が、我に従え的な内容は喋っている。
(まさか、あれだけで成功するなんてな……いや、リアルにあのキーワード言うのはちょっと恥ずかしいし、いいんだけど)
開発秘話では、当初は「私に従いなさい」「俺に従ってくれ」など、幾つかのバリエーションを持たせたかったらしいのだが、日本語の難しさから容量が天井知らずにフィーバーしてしまい挫折したと言う。その結果、一人称は男女問わず(なんとか)使える「我」になり、命令形で最もシンプルな「従え」を選んでようやく実装できたそうだ。ご苦労様です。
とはいえ、歩くだけでもそれなりの操作が必要なRDだ。実は音声入力は最も簡単な操作であり、標準搭載されているボイスチャット機能も音声起動であるため、従魔を複数持っているプレイヤーは全体の九割を越えるといわれている。ボタンだけで20もある専コンが「喋るだけ」の音声入力に負けるのは必然だろう。
ここは、RDによく似た世界だ。しかし、RDそのものではないのだろう。
オープニングイベントしかり、組合登録しかり、そしてテイム発動しかり。
よく似た、何か別の世界であるのかもしれない。
それでも似ていることは似ている。外せないポイントを外さないだけで、他は結構自由に行動できる、ということだろう。
ナオキは、本来のテイム発動キーワードを発声しなかった。しかし、テイムの前提条件をクリアし「我に従え」的な発言をした。その言葉を聞いた凶狼が、耳を立ててナオキを直視した事から、その時点でテイム成否判定が行われていたと考えられる。
判定結果が「成功」だったのは、凶狼が腹を見せたことで確定だ。凶狼の従魔を持っている友人から「成功したら腹見せるよ」と聞いたことがあるので、間違いない。
こうして、ナオキは従魔を手に入れた。
初手の投げ技は、分類するならWRIST THROW……かなあ?
傷面の狼はクック先生ポジション。師匠(゜∀。)!




