第十二話
「え? 凶狼が?」
「はい、そうなんです」
組合登録から数日経った日の朝。
森林整備の工期を提出したナオキに、受付事務員のアデレイドが世間話を振っていた。
いわく「昨日の夕方に街道で凶狼が目撃された」とのこと。
RD世界に紛れ込んだ最初の日、コナーと出かけた際に凶狼に襲われたナオキであるが、そもそも森の街道は凶狼の被害が多くない場所だ。
街道沿いでの凶狼被害は、そのほとんどが「街道沿いの森の中」である。道の方にまで出てくることは稀だった。
魔獣――動物型魔物とはいえ、凶狼の生態は動物の狼と酷似している。群れを作り、協力して獲物を狩るハンターである。
狼と凶狼の違いは、狼が人間を獲物と見なさないのに対して、凶狼は人間も獲物と見なす、という点だ。ゆえに、街道で人が襲われるのは、凶狼としては当たり前の事である。
しかし、狼とは知能の高い動物だ。凶狼も、それは同じ。
狩りに要する労力と、獲物から得られる食物との収支が「黒字」かつ「安全」でなければ、その狩りからは手を引く。たとえば、取り囲んだ獲物が激怒する鹿であったり、俊足で知られるアンテロープだったりすると、反撃される危険だとか逃げ切られる可能性を考慮して、無理だと判断したら諦めるのだ。
凶狼であれば、街道の「道」で人間を襲う事は、戦士という天敵を誘引する事に繋がるので、よほど餓えたり増えたりしなければまず襲わない。
森の中に入れば「凶狼のテリトリーに入り込んだ獲物」であるため、普通に襲う。あっさり狩られるようなら「群れからはぐれた」=町の鼻つまみ者であるため、戦士もそうそうやって来ないからだ。
「昨日は昼から夕方まで森に入ってましたけど、鹿とか結構見かけましたよ」
「森の、どの辺りですか?」
「ええと……整備用の測量図でもいいですか? 縦A横3から縦B横4の辺りです。ちらっと見ただけですけど、赤鹿がほとんどで、四不像と黒背も単独のやつがいました」
「ナオキさんが見たのは、昨日の昼から夕方ですね。分かりました」
ナオキの示した測量図でおおよその位置を把握すると、アデレイドは何かの書類を確認する。
十数枚が束ねられたそれは、アズーリの他の組合員による生態調査の報告書で、ナオキの言った範囲の周辺から情報を読み込んでいく。
「……おそらく、群れの中で繁殖期に入った個体がいるのでしょう。組合員向けに警報を公布しますので、ナオキさんも作業の際は注意してください」
「あの、それ倒しちゃってもいい分ですか?」
「ええ、報告が上がっている個体数を見る限り、だいぶ増えてきているようですので。討伐クエストも発布されるでしょうね」
「で、俺はまだ受注できない、と……ふーん。分かりました」
ナオキは、素直に頷いて報告を切り上げる。
今日は森林整備の工期の報告と、リーバーの出した樹木の分布調査の中間報告をしに来ていたのだ。
「じゃあ、お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様です」
あっさりと組合を出たナオキだったが、もちろん大人しく凶狼を避けるわけもない。
「よぉし、本格的にフリーハント始めようかな!」
この数日、ナオキはもっぱら薬草採集で小銭を稼いでいた。
それは、木工所のチーム筋肉(伝説を目指す会)への指導と、森の地形調査、樹木の分布調査を並行して行っていたためだ。
伝説を目指す会の面々は、基礎知識を瞬く間に吸収し、今は実際の伐採に移っている。ナオキによる実技指導だ。こちらも、あっという間にコツを掴み、めきめきと腕を上げてきた。
地形調査と分布調査は、リーバーの依頼である。依頼は分布だけだが、地形も調べておいたほうが都合がいいので、ついでにざっくり調べているのだ。
メモを片手に森を歩き回る日々で、魔物や動物は見かけても無視していた。向こうから襲い掛かってきたら反撃するのだが、ナオキが「今忙しいから寄るんじゃねぇぞ」オーラをバリバリに出していたので避けられていた。これを別名「牽制」と言う。ちなみに伝説を目指す会の筋肉たちも若干ビビッていた。
なので、戦士としては開店休業もいいところだった。活動内容を見れば、どう考えたって誰に聞いても「戦士って言うか組合員」と言うだろう。ああそうさ、組合員だ。
しかし、いつまでも調査ばかりしているわけにもいかない。
そもそも、この調査だって報酬目当ての金稼ぎなのだから、調査自体が目的ではないのだ。
(朝の鍛錬で、筋力値も上がってきたし。そろそろ実戦に入らないと間に合わなくなりそうだし)
筋力値は、RDの重要なステータスの一つだ。
人間の筋肉と同じくらいの項目に分かれて、それぞれの数値が連動してモーションを決定する。大雑把に言えば、腕の筋力値を上げればパンチのモーションが鋭くなり攻撃力が上がる、といった感じだ。
その筋力値が、ナオキの身体の筋肉と連動しているようなのだ。
朝の鍛錬で筋トレをした時に、いつもよりも服が重いのに、いつもよりも負荷が軽く感じたのがきっかけだ。毎朝欠かさず行ってきた筋トレだからこそ、ゆるやかな変化ではなく急激な変化に気付いたのだ。
おそらく、筋力値の初期値が、ナオキの筋肉量に上乗せされている。
逆に言えば、筋力値は初期値+ナオキの筋肉量になっている。
つまり普通のクラス1よりも筋力値が高い=モーションがキレッキレ=強い。
(俺の素の筋肉も、そんなに少ないわけじゃないし。刀に転向するの早くなるかなー楽しみだなー)
ナオキの現在の主武器はナイフである。
が、ゲームで愛用していたのは刀だ。あと強弓と、サブでナイフ。自称「合戦スタイル」の変態ビルド。
RDの武器は全十二種。分類は公式には「近接」と「弓」からの「刀剣」「槍」などだが、プレイヤーの間ではもうひとつの分類がある。
優遇武器か不遇武器か。あるいは、鉄板か地雷か。
近接十種
├刀剣┬ナイフ
│ ├短剣★
│ ├長剣
│ └刀
├槍┬スピア★
│ └ランス
├斧┬アックス
│ └ポールアックス
└鈍器┬ハンマー
└メイス★
弓二種
├短弓
└強弓
このうち、優遇武器(鉄板)と呼ばれるのは長剣、ランス、短弓。扱いが比較的容易で攻撃力が安定している。デメリットとしては、瞬間火力が高くないため、短期決戦にはあまり向かない点だ。
スピア、アックス、ポールアックスは、扱いが結構難しいが習熟すれば高火力、という中堅~ベテラン向けの武器である。長さや重さをどれだけ活かせるかが鍵だ。
不遇武器、あるいは地雷と言われるのは短剣とメイスである。どちらも盾装備可能武器だが、武器より盾の方が大きいため、リーチの点で難がある。その上、装備できる盾の性能がスピアよりも高いため、盾に隠れて観戦するだけの「ヤドカリ」という寄生プレイがはびこっている。
寄生を置いておいても、火力を叩き出すのがかなり困難という難点もある。リーチの短さと武器の貧弱さ。短剣は叩き斬るには軽く、撫で斬るには短く、普通に斬るには鈍い。メイスも、鈍器としてはハンマーに劣る上、鈍器なので突く事も斬る事もできない。パーティプレイでの固定盾役にしても物足りないし、両手が塞がるので支援役や回復役としてもイマイチ。いっそ清々しいほどの不遇っぷりである。
残るナイフ・刀・ハンマー・強弓は「キワモノ」だ。扱いは非常に難しく、武器の特色も癖が強い。が、使いこなせれば圧倒的な火力を誇るのが、これら「キワモノ四種」なのだ。武器訓練の時に担当のマーシュが面白そうな顔をしたのも、初心者に見えない初心者がいきなりナイフなんぞを選んだからである。
そう、ナオキの刀・強弓・ナイフという「合戦スタイル」は、キワモノ四種のうち三種を担いでいるという変態ビルドなのだった。
かつての主武器・刀が要求するのは「膂力」「体幹」「下肢」の強さ。
現時点のナオキは、膂力こそ若干足りないものの、体幹と下肢、つまりバランス感覚とフットワークでフォローできる程度だろう。これは、以前じいちゃんの所有する刀を持たせてもらった時の感覚から大体で想像しているので、違うかもしれないが。
ともあれ、愛しの刀は売価が結構高い。ナオキの資産ではまだ買えないので、今はただ稼ぐのみだ。
「今日は予定が詰まってるし、明日の昼間に狩りに行こう」
この時、明日のチーム筋肉の放置が確定した。
そして翌日。
「凶狼の繁殖期の番が居る、ってのは知ってるな?」
「おう、組合からの通達が来てたぜ」
「俺はそれちょっと狩ってくるから、皆はこの辺りで作業してて。黒背のハグレが出るかもしれないから、気をつけるように」
「分かったぜ、アニキ……って、狩るぅ!? 無茶な!!」
「いやー、俺もそう思うけどね。でもまあ、なんとかなるだろ」
「危ねえよ、アニキ!! もしアニキに何かあったら……」
「そうなんだよなー。昼ごはんに間に合うか心配だ」
「そっちかよ!?」
ちなみに、本日の昼ごはんは仕出し弁当である。人数分まとめて台車に載っているので、さっさと狩って帰ってこないと喰われてしまうのだ。
「俺は大丈夫だから。それより、ハグレ黒背は、気が立ってたら結構危ないからさ。皆ほんとに注意してくれよ」
「黒背か……十人くらいで囲めばなんとかいけるか」
「無理はするなよ。怪我なんかして作業に影響が出るなんて、樵の名が泣くからな」
「精一杯気を付けます、ご安心下さいアニキッ!!」
「うん、じゃあよろしくー」
のほほんと笑って手を振ると、途端に狩人の顔になるナオキ。
ポケットから取り出した簡易測量図を見る。
一昨日、赤鹿の群れを見かけたのがA3からB4に跨る辺り。街道の位置と森の広がりを考えると、C2方向に凶狼の群れが居る確率が高い。
赤鹿の移動速度と目撃時の雰囲気からして、凶狼に追われていた風ではなかったと言える。ならば凶狼の行動範囲は赤鹿と逆方向、C2からD1方面だろう。
数秒の間に考えをまとめて、測量図から顔を上げたナオキは薄く笑んでいた。
どっかの筋肉薬師の真顔を怖いとか言っていたが、今のナオキの薄笑みも十分怖い。
運悪く直視してしまったヒースが「ギャース!!」とか悲鳴を上げていた。あれは「狩るモノ」の顔だった。
ナオキは駆け出す。
手入れのされていない森の中だろうと、林間パルクールに慣れたナオキには平地と変わりない。
JAPANESE NINJAのように、うねる疾風のように、迷う事なく進んでいく。
目的地はC2とD1の境目辺り。そこから凶狼の痕跡を探すか、気配を探るかして獲物を見つけるのだ。
ギャースさん他数名の悲鳴を置き去りに、ナオキは森の奥へと溶け込んで行った。
(…………いた!)
二時間ばかりも探しただろうか。
ナオキは凶狼の番を見つけた。
位置で言えばE1辺りだろうか。森の中にグリッド線は無いので、だいたいの感覚である。
(けっこうデカいな。群れの上位の番か)
凶狼の生態は狼と似ている。
群れを作り、「アルファ」と呼ばれるリーダーがそれを率いている。
群れの気質は様々だが、たいていはリーダーとリーダーに忠実な側近数頭とが「上層部」を形成し、下位の個体は上層部に従う。
動物の狼ならば、リーダーは主に指揮官で、狩りにおいても積極的に攻撃する事は少ない。
が、魔獣である凶狼は、ほとんどの場合リーダーが最も攻撃的だ。これは、動物と魔獣との差別化や、ゲームの敵としての地位など、メタい理由があるのだろう。
あとは、狼の群れが十頭未満であるのに対し、凶狼は報告上の最大で三十六頭の群れを作るなど、群れが大きい傾向がある。
上層部と下位個体というヒエラルキーは、時間経過や一定周期で変動が起こる。これは、加齢・老衰により引退する老狼と、成長していく仔狼との世代交代と、繁殖期における順位争いが理由だ。
狼の生態をモチーフにしているのもあるし、RDというゲームは魔物の種類があまり多くないので、同じ敵で多様性を出すため、という事情である。
今回は、番を作った個体がリーダー以外の上層部で、おそらくオスよりメスの順位の方が高かったのだろう。それで、オス同士でメスの奪い合いが起こり、負けた個体が群れを離れて道に出てきたと思われる。
クエストではなくフリーハントで狩ろうと思うと、以上のような情報と考察が必要になる。大部分は攻略サイト等で知ることが出来るが、その情報を揃えるのにどれだけの苦労があったのだろうか。こんな有様だから、解析班・情報収集班・地理班・経済班・気象班・ウィキ班などという集団が形成されて、総数三百名近い人海戦術で情報を洗い出しているのだろう。ご苦労様です。
さすが変態と名高い開発会社謹製のビッグタイトル、細かい所にこだわっている。
閑話休題、凶狼の番を見つけたナオキは、じっとその行動を観察する。
気配を消して忍び寄り、喉首かっさばいて倒す――――という事にはならない。
ナオキはNINJAっぽい高校生であって暗殺者ではないし、そもそも気配ってどうやって消すの、とか思っているので夢のまた夢である。
第一、相手はイヌ科だ。気配を消しても臭いでバレるし、身動きすれば音でもバレる。つまり、忍び寄る作戦は却下だ。
(今は微風、風向きはよく分かんね。まだこっち警戒してないから、番には気付かれてないけど……そろそろ誰か気付け。そんで囲め)
忍び寄る作戦ではなく、忍び寄らせる作戦だ。
凶狼は人間を獲物と認識し、森の中の人間をターゲットに狩りを行う。逃げられないように包囲して襲い掛かるのだ。
ナオキは自分から目立つ行動は取らなかったが、どうせすぐに気付かれるので、それなら「俺はうっかり迷い込んだおばかさんだよ、さあ狙って!」をやるつもりである。誘い受け作戦である。……いや、それは何か違うか。
(生息数は十分って受付さん言ってたし、この群れは潰すか)
いとも簡単に殲滅を狙うナオキだが、普通はこうはいかない。
クラス1で初期装備ダガーの攻撃力はゴミに等しいのだから。たいてい、どんなゲームでもレベル1で初期装備なら一発の威力なんて最底辺である。
だが、初期装備すら無い時に、ナオキは凶狼を倒した。三頭とも首を折る、という手段で。
(凶狼一撃落としなんて、せめてクラス15でなきゃ無理なのにな。だけど一頭目を一発で倒せたのは、首をへし折ったから)
ゲームでは、魔物のHPをゼロ以下にすれば倒せる。そのために、初期装備のしょっぱい攻撃力で何度も叩いて、HPを少しずつ削っていった。
この世界では、おそらくHPという分かりやすい耐久値が無い。代わりにあるのが「生物としての弱点」だろう。それは首であり、心臓であり、脳であり、肺や頭や太い血管や、そういった部分だ。
首の骨をへし折ったり、心臓をぶち抜いたりすれば、たいていの生物は死ぬ。
ナオキが狙っているのはそれだ。
わざと気付かせ、わざと囲ませて、襲い掛かってきた順に首を折る。
一対多数戦闘になるわけだが、体格差の関係で同時に攻撃してくるのは二頭までだ。凶狼の成体の大きさは大型犬程度。具体的に言えば、でっかいセントバーナードといったところか。
身長175センチのナオキに三頭以上が飛び掛れば、凶狼どうしで衝突してしまうサイズだ。
(同時に二頭なら、さばいてみせるさ)
凶狼がどれほど強かろうが、軍隊格闘の師匠たちや遠藤家の戦神たちより強い事はないだろう。
木刀一本で熊を倒すじいちゃんのほうが、よっぽど恐ろしい。日が沈んだ薄闇の中で「うるさいわねぇ」とか言ってコウモリを射落とすばあちゃんより、全然怖くない。
つまり、じいちゃん&ばあちゃんの最狂タッグにしごかれたナオキが死を覚悟するほどではない。
ナオキは一歩、足を踏み出す。
そこに枯れ枝が落ちているからだ。踏んで、かさこそと音を立てる。
視界に納めた凶狼の耳が動く。番の片方が周囲を見渡す。声は無いが、指示を出したようだ。
群れが動いた。
赤鹿:中国語だと「馬鹿」って……故事成語じゃねーかよぉ!
四不像:英名を短縮してディーズディアにしようとして、さらに短くしてみた(゜∀。)!




