その軽音楽部はアブないようで……?
良文は激怒した。
新しい制服。これから毎日通うのは公立武山高等学校。良文が進路希望調査で志望していた通りの高校だ。
志望動機は至って単純。音楽が好きな良文は、最初こそ音楽系の大学系列の高等部へ進学すると決めていたが、中学生の時に行ったとあるライブイベントを経て、軽音楽部がある高校へ入ろうと決めた。
しかし、良文が住む地域では高校生バンドは流行っていない。実力主義というか本格主義というか、ともかく学生は一貫して皆、社会人か大学生のバンドに加入したがる傾向にあるようだ。
その傾向のためか、部活動でバンドを、つまり軽音楽をしようという人間は多くない。少なくとも、楽器経験者の数と比例するだけの軽音楽部は存在していない。
つまり軽音楽部そのものが貴重で、その軽音楽部が活動しているここ、武山高校は、地元からは出たくなかった良文にとっては助け舟だった。
のだが。
『新入部員が四人以上入らなかったら廃部になるんだけど、どうしたら良いと思う? by軽音楽部マネージャー』
入学式の翌日から気合を入れて朝早くに登校し、部室の場所を調べて来てみれば部室の前にこんな張り紙があるではないか。どうするじゃねぇよ自分で考えろ。つうか誰に聞いてんだよ。そんなツッコミは勿論、内心だけに留めた。というか、言うべき相手が近くに居なかった。
良文はその張り紙を勝手にはがし、教室へ持って帰って来た。字はびっくりする程に奇麗だ。多分、成績優秀で真面目な生徒か、もしくは国語の教師が書いたのだろう。そう思うくらいには奇麗だった。ただし内容は別とする。
「おう、今朝は付き合えなくてわりーな、良文」
自分の席で張り紙と睨めっこしている良文の背中を叩いたのは、とても高校生とは思えない偉丈夫、筋肉ばりばりの大男、卓郎だ。見るからにインドア派な細身で眼鏡で黒髪ノーセット(しかししっかりとキューティクル有)の良文と比べると、その異質さがより目立つ。
「構わないよ。タクが朝に弱いのは今に始まった事ではないし、なにより、これは僕が勝手にやったことだ」
と答えた良文は尚も張り紙から目を離さない。その事にようやく気付いた卓郎が覗き込むと、
「……まじ……?」
と、詰まったような声で言った。
それもそうだ。先述した通りこの地域は、学生が部活動でバンドをやろうという考えがあまり浸透していない。楽器をやっている生徒が居ても、それは大抵が、もっと本格的なところでバンドを組んでいる。
「どうやら大マジらしいよ。今朝、校長室へ確認しに行ったら、校長も認めた」
ため息を吐きながら良文が答えると、
「おう、職員室にすらまだ行ったことがねぇのに校長室へぶっこむお前の度胸に俺は驚きだ」
卓郎が一歩、身を引いていた。
良文はまたも張り紙を見つめて答える。
「そうでもないよ。実はこういう抗議というのは、中間管理職の人間より最上階へ真っ先に行ったほうが好ましいんだ。何故なら校長とは大抵が禿げている」
「んな薀蓄は聞いてねぇん――待て、後半の理由の部分が若干意味不明なんだが」
「入室早々に僕は言った。『校長、ヅラがづれてます』と」
「初っ端からひでぇなお前」
「校長は答えた。『ヅラじゃない。エクステだ!』と」
「うちの校長のお洒落度がぱねぇ」
「僕はにやりと笑った。『なんにせよ本物でない事は目で見て明らか。その事をバラされたくなかったら、この張り紙に書いてある軽音楽部の廃部を取り消せ』すると校長はこう答えた。『……もう、みんな知ってるよ……』」
「お前本当にひでぇやt――この学校の生徒達ひどくね!?」
「『脅され慣れているわたしは決してそんなものには屈しない! 廃部は廃部で決定事項だ!』とかって言われたよ。仕方ないからヅラの件は、学食の食券千円分で手を打ったけれど」
「完全に屈してんな、それ」
良文は張り紙の後ろに隠していた食券を取り出し、もう一度ため息を吐く。
「とにかく、このままでは本当に、軽音楽部が廃部になってしまうらしい。これは由々(ゆゆ)しき事態だよ、タク」
「ああ、まぁそうなんだが、なんだろうな、危機感が皆無なんだが、これなんでだろうな」
それはおそらく良文が何をしでかすか解らないがために、その恐怖心が勝っているから、というのが理由だが、卓郎がそれに気付く事は無い。
「昼休み、もう一度部室へ向かう。もしかしたらこれの書き手と出会えるかもしれないからね。そこで、より詳しい状況を聞く」
「おう、そうだな。当然だが、そん時は俺も手伝うぜ」
――そして昼休み。
『おい! 誰だ張り紙持ってったやつ! 返せ、返せよ! 奇麗な字で書くの超苦労したんだからな! あと、これは絶対に剥がすなよ! 絶対だからな! by軽音楽部マネージャー」
その場で良文が剥がした。
「剥がすのに躊躇いがねぇ……っ」
その所業に卓郎は頭を抱え、
「まぁ、これはダチョウクラブメソットというやつだろうね」
言いながら、良文はそれをびりびりに破いた。
「しかしなんつーか、……今朝のとは打って変わって汚ねぇ字だな……」
「そうだね、今朝のは多分、パソコンとかのフォントを頑張って写したのだろうね」
苦笑する卓郎と、冷静に状況を分析する良文。
良文は言った。
「とにかく、放課後になれば話が出来そうだ、このマネージャーさんと」
――放課後。
『剥がすなって言ったのに剥がされちやっててぅちは悲しぃ……ぃま、手首切った……痛ぃ、心が蝕まれてぃく……! ここが、ここが煉獄……っそう、この場所こそが、罰を受けた咎人達の集う地獄の終点。全ての人々が恐れ戦き、故にこそ我が居場所たりえる虚構なる地。その名も――軽音楽部マネージャー』
「すげぇ! びっくりするほど入りたくねぇ!」
「奇遇だねタク。僕もだ」
病みと闇が絶妙に交錯した、そこはかとなくどこかで見た事のあるような文章と、目の痛くなるような単語の数々。二人は別の意味で慄いた。なにより、軽音楽部マネージャーというのが場所の名前だった事に驚いた。
二人はしばらく、その場に立ち尽くしていた。