1-1-2 静かな放課後と屋上と
その数時間後、とある教室内にて。
「あー……やっと終わった……」
帰りのホームルームが終了し、担任が教室を出ていくと同時に室宮光輝は机に突っ伏した。
「お、どーしたよ光輝? お前さんの周りに疲れたアメーバっぽい雰囲気が漂ってるぜ?」
「よく分からない形容詞をサンクスっす時雨さん」
後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かずに返す。
「なぁ放課後ヒマだったらどっか行こうぜー。オレ的にはゲーセンの気分」
「ぐがっ」
時雨と呼ばれた生徒は光輝の肩に手を回すが、なおも彼は机に突っ伏した姿勢のまま。
「あれ、もしかして本格的にお前さんお疲れ?」
「昨日の夜中、いきなりねーちゃんに買い出し頼まれて。それでマジでおねむ状態なんです。どこか行く話とかだったらもう片方に聞いてくらはい……ふぁあ」
欠伸を噛み殺しながら顔を上げると、どことなく不良っぽい容姿の女子生徒が白っぽい棒を口に咥えていた。
「お、そーだった。……津堂はどーするよ?」
言いながら、夕月時雨は自身の後ろの席に声をかける。
「今日は何も用事なかったはずだから、私も大丈夫……と言いたいところだけれど」
その席の女子生徒、津堂悠は授業で使った教科書類を手に抱え込んだ。
「今日は葵や兄さんたちと出かける事になってるから、それと一緒で良ければ、になるかな」
そんな事を話しながら、三人で教室を出る。
「えーマジかよ。せっかく津堂と二人きりになれると思ったのによー。光輝は途中で撒いて」
「あー、俺はまあいいとして悠とどこ行く気?」
「そんなの決まってんだろ、デートだよデート。オレは常に津堂にアイラブユーだぜ?」
謎のサムズアップポーズを取りながら、ニカッと笑う。
「……私は限りなく行きたくないんだけれど」
「まあそんなカタい事言うなよー。トモダチだろ?」
「たまに時雨の言う友達の定義を問い詰めてみたい事がある」
そして昇降口で上履きを履き替えようとしたその時。
「……?」
「あん? 何だそりゃ」
悠の靴入れから、一枚の紙がヒラリと舞い落ちた。
学校の屋上にて。
微かに夕焼け色に染まった太陽が見守る中。
悠は名も知らぬ一人の男子生徒と対峙していた。
「……」
「……」
「……」
彼女が無言でいるのと同様に、その男子生徒も無言のまま。
ただし、相手の方は顔を真っ赤にして。
「…………!」
やがて彼は意を決したのか、ゆっくりと口を開いて大きく息を吸い込むと――
「あー、またかよ……」
その光景を遠くから見つめていた光輝は、こっそりとため息をついた。
その数秒後、号泣しながら走り去っていく男子生徒に階段への道を譲りつつ、特に動揺するでもなく普段通り表情を変えないままの彼女に声をかけた。
「悠さん、質問一つ」
「?」
「……告白されたのは入学してからこれで何人目ですかいやマジで」
「さあ、そんなのいちいち憶えてない」
「……うわ何このリア充。ちょっと痛い目見ればいいのに」
「何か言った」
「いえ別に」
全くと言っていいほど表情を変えないまま、しかしどこか面倒そうに悠は息を吐く。
ふと、辺りに着信音が響いた。着メロでも何でもない、ただの一般的な呼び出し音。
「あ、電話……私のだ。ちょっと待ってて」
そう言って悠は自分のケータイを取り出すと、光輝から少し離れた位置に移動した。
「ククク、ざまーみろだ……」
その声に振り向くと、いつの間にか時雨が背後に立っていた。
彼女はポケットから無造作に引っ張り出した小箱から、一本の白い棒を取り出す。
その見た目は完全に校則違反のタバコ。しかし……。
「フッ、オレの津堂に手を出そうなんて百億光年早いぜ。一昨日来やがれってんだ」
「……」
悠は恐ろしいほどモテる。
見た目がいいとか雰囲気がヤバいとかマジ女神とか知り合いが騒いでいたが、少なくとも光輝自身はそんな事を思った事は無かった。
その知り合い曰く、学校内にファンクラブがあるなどと都市伝説的なウワサまで流れているらしい。
そのせいかどうなのか、今までに屋上やら体育館裏やら果ては教室にまで押し掛けてきて、見ず知らずの男子生徒が告白やらラブレターやらを押し付けていった事もしばしば。たまに変なのも混じってはいたが。
「? どーした?」
その『変なの』の具体例が、目の前で白い棒を咥えているのを見つめていると。
「お前さんもこれ食うか?」
言いながら、コーラの味がする白い棒を光輝に押し付けてくる。
彼女はシガレットチョコやら棒付きキャンディやら、何故かやたらとタバコっぽいものを咥えている事が多い。
前に光輝が理由を訊いたら「その方がかっけーから」。
彼女が一部の生徒から「見かけ倒し不良」などと噂されている所以でもある。
「そうそう、光輝、ついでにオレもお前さんに言っておくぜ?」
「……何を?」
「オレはお前さんみたいなヤツ、結構好きだ。……おっと、人間としてだぜ? 勘違いするなよ? オレの本命はもちろん……うふふ……うへへ……うぇっへっへ……」
中年オヤジのようなにやけた笑みを浮かべ、時雨は自身の数歩先にたたずむ彼女を舐めまわすように見る。
同時に実は中身はただのオッサンではないかと噂されている。
「ところでよー、お前さんと津堂ってどういう関係なんだ? 入学式の時にオレが話しかける前から一緒にいたよな、お前さんたち。……もしかしてお前さんも津堂を狙うライバル?」
何やらよく分からない威嚇のようなポーズを取り始める時雨に、光輝は手を振って返した。
「ああ、昔からの顔馴染みなだけ。ただのご近所さん、ってヤツ。ここにはいないけど、他にも俺の妹と、悠の兄貴の合計四人で昔からつるんでただけ」
そんな話をしていると、悠が電話を終えて戻ってきた。
「それにしてもさっきの津堂にコクった奴、うちの会長っぽかったな」
「演劇部? でもだったら部長だよなぁ」
目の前の彼女が、確か演劇部に所属している事を思い出して言う。
「いや、津堂のファンクラブの会長」
「……え、ファンクラブあるって噂マジなの?」
「……私も初耳なんだけど、それ」
「ああ、マジだぜ。なんたってファンクラブの副会長がオレだから」
「解散して。今すぐ」
悠が珍しくどこか顔を引きつらせて言う。
「ま、そんな事はともかくよー。さっきの電話って誰からなんだ?」
「……。バイト先の店長。一時間後に集まれって。……というわけでごめん時雨、出かける話はまた今度」
相手は一瞬だけ心底残念そうな表情になったが、
「ま、しゃーねーか。つかバイトって何やってんだよ? そのうちオレも遊びに行きてーから」
「あー、残念ながら接客業じゃないんだなコレ」
「?」
光輝が苦笑いしながら返した言葉を、悠が引きとる。
「具体的に言うなら……まあ、」
「便利屋、かな」