愛と悲しみの惚気
うん、彼とはうまくいっているわよ。
つきあって三年、同棲始めて一年だけど、一緒にいてわりと幸せ感じられるもん。
もちろん、たまには喧嘩もするわよ。むかつくこともあるわ。でも、一度だって彼と別れたいなんて思ったことはないわね。
秘訣……?
そんなこと尋ねられてもわからないわ。考えたこともないし……そうね、秘訣があるというより、彼とは相性がいいんだという感じね。しっくりくるというか、なんかこう、一緒にいて安心できるというのか。
でもね、イヤなこともあるのよ。やめて欲しいんだけど、彼ったら笑ってやめてくれないの。えっ、なにかって? それがねえ、ううん……いえないわ。
ちょっとやめてよ。肘で押さないで。教えてあげてもいいんだけど、私としてはちょっと恥ずかしい話なのよね。あまり人に話したくない話というわけ。もう、そんなに顔近づけて迫らないで。聞いたからって、得にもなんにもならない、どうってことない話なんだから、もぉう。
わかったわよ。話せばいいんでしょう。いいわよこの際、告白しちゃうわ。ちょっとお酒も入っているし、まあ、いいわ。ただし、聞いたあとでつまらなかったなんていわないでよ。
ええっと、あれは彼とつきあい始めて最初のころだったわ。彼ンチに遊びに行ったのよ。春のうららかな日で、彼の住んでいるボロっちい木造アパートも、いい気分で眺めることのできる日だったわね。うん、そのときが彼ンチに行ったのは初めて。男の一人暮らしだし、汚いの覚悟していたんだけど、わりと片づいた部屋だった。ま、狭いのはどうしようもないけど。
で、料理作ってやって、一緒にご飯食べて、借りてきたDVDの映画を二人で見ていたときのことよ。その映画がコメディだったのがいけなかったんじゃないかと思うんだけど、お腹かかえて笑っているうちに、わたしね――ついついオナラしちゃったの。
もう笑わないでよ。だから、恥ずかしいっていったじゃない。それにあなたたちだってオナラするでしょう。それとも、しない。とにかく映画が可笑しすぎたのよ。爆笑の連続で、お腹と腸がねじれて、つい緩んじゃったのよ。幸いなことに音はしなかったの。したとしても、テレビの音で聞こえない程度。それで私も知らん顔してたの。そしたら隣に座っていた彼が、鼻先をうごめかしてこっちを見たの。そして一言。
「オナラしただろう」
一瞬びくっとしたけど、そこはレディのたしなみがあるじゃない。それにつきあいだしてまだ日が浅かったから、私、浮かない表情を作って「ううん、してないわよ」と、とぼけてみせたの。
そしたら彼、私のほうをじっと見て、「嘘をつくなよ。しただろう」というわけ。
「ううん、ほんとうにしてないわよ。気のせいなんじゃない」
「あのな、したならしたと正直にいえよな」
「だからしてないって。なにも匂わないわよ。あなたの鼻が少し悪いんじゃないの」
「なにをいうんだ。こう見えても俺は、ワンワンコンクールで一等になったことがあるぐらい、鼻は利くほうなんだ」
「なによそれ、ワンワンコンクールなんて犬の話じゃない」
「だから、それぐらい鼻が利くといいたいわけだよ」
「そんなこと自慢にならないわよ。それに男のくせして、オナラがどうのこうのって、いちいちこだわるなんてみっともないわ」
「あああ、やっぱりしたんだな」
「だから、してないって」
「あくまでしらばっくれるつもりか。そうか、それならそれでいい。しかし、女だったら女らしいオナラしろよな」
「女らしいオナラって、なによそれ」
「そうだな。たとえば、フローラルの香りがするオナラとかだよ」
「バッカじゃないの。そんなオナラどうやったらできるのよ」
「やろうと思えばできるさ。なんか、こう……そう、それらしいものを食べれば、そんなオナラになるさ」
「なるわけないじゃない。もしできるんだったら、あなたが私にそういうものを食べさせてよ」
私のほうも、こうなったらぜったい認めてやるもんかと意地みたいになってね。なにがなんでも、してないで通してみせると、もうこう、なんていうか頭に血がのぼったみたいになっちゃったの。
そしたら、そんな私を見つめて彼が笑ったの。そしていったの。
「おまえ可愛いな」
その途端、なんか血がすうっと下がっちゃって、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになって、私も微笑んでいたのよ。彼が微笑み返してくれて、それがいっそう私には嬉しくて、なんかこういうの いいなぁ なんて思えちゃったりして。二人でバカして、二人で笑い合って、二人でこのままいられたら、ほんと……。
それからいままで彼とつきあっているんだけど、ロマンチックとか熱愛というんじゃないけど、二人なりに、いい感じのままでいるわよ。
ただね、そのこと以来、最初にもいったようにイヤなことがひとつあるの。それさえなければ、ほんといい彼なんだけどね。
あのね、それ以来彼が私のことを、≪クマのプーさん≫と呼ぶようになったの。
――それが悲しいのよね。