第8話 優しい獣
王様なんてなるものじゃありませんよ。
王様なんて不自由で、やりたいこともできなくて、好きな人との恋だって大変よ。なのに、頭が良くなきゃいけないし、勉強もたくさんしていないとやっていけない。そんな苦労をわざわざしょい込む必要なんてありません。
物心ついたころからそう言われ続け、王様というものにだけは絶対になるまいと誓った。だから、そういったことは得意の人に任せておいて、自分は勉強も剣術もちょこっと知っていれば大丈夫……と最悪の結論に至ってしまったことだけは間違いだったかもしれないが、そうやって生きてきた17年間の意識をそう簡単に変えられるはずもない。
「だから、今更、私が勉強して宰相なみの知識を手に入れるとか、剣術をきわめて王国一番の剣士になるのはかなり無理があると思わないか?」
「……ギュウウ……」
「一応、勉強をしてみようと思ったんだが、法律の本を開いただけで眠くなるし、剣の素振りを数十回ぐらいしただけで腕が上がらなくなったんだ。こんなことしかできない私は、やはり兄上に迷惑をかけぬよう、ひっそりと、静かに生きている方が得策だと思うのだが……」
「……ギュ、ギュウウ……」
「おい、メディサ様に人生相談なぞするな。困っておられるではないか」
男の指摘にルエンははた傍にいる赤い竜を見上げた。
竜の表情などはよくわからないが、男の言うとおり、赤い竜の金色の瞳がどこかせわしなく、きょろきょろと動き回っている。
「……あれ」
「あれじゃないだろうがっ!! この不審者め! また、こんなところに来るとは馬鹿か!!」
「……いや、私も今気づいた」
自分の傍らに座る赤い竜を見上げる。
昨日、メディーセカから言われたことを一人で考えてみた。自分にできること、やらねばいけないこと、国のことなどなど考えてみたものの……どのことにも答えがでないので、とりあえず自分が逃げ回っていたことに向かい合ってみようと思ったのだが。
本の中には読むことはできるももの、意味のわからない文字がずらりと並びちんぷんかんぷん。理解ができないものだから、やる気はでないし、集中力が続かない。気づけば、うとうとしているので、これはダメだ、体を動かして気分を変えようと久しぶりに剣をもてば……重い。腰につけてはいてもほとんど飾り程度だった剣は、容赦なく鍛錬をさぼっていた腕の筋肉をあっという間に息切れさせてくれた。体力も落ちていて、たったそれだけのことでぶっ倒れる。自分で言うのもなんだが、非常に情けない。
やはり自分には無理だ。もう部屋に帰ろうと城の中を歩いていたはずなのだが……、無意識に森に来ていたらしい。そしていつのまにか傍にいたメディサに愚痴っていたようだ。
「聞いているのか!」
回想に浸っていたルエンに、無視されているとでも思ったのか男の怒鳴り声が響き肩をすくめた。赤い竜も耳をぺたりと下げ不快そうな目つきになっているのだが、ルエンを不審者として警戒している男は全く気付いていないようだった。ルエンはふぅっと一息吐いて、腕を組みこちらを睨んでいる男を見返し……
「ところで、貴方は誰だ?」
と、今更ながらの質問をすれば、男が一瞬ぽかんとした顔になり、みるみるうちに顔を真っ赤にしたかと思ったら、剣に手をかけてきた。いや、だって昨日名前を名乗るどころか、一方的な喧嘩を売られていただけで終わってしまったし、こっちが知らないのも当然と思うが……というルエンの心うちはあまり理解されていないようだった。
「こ、こちらが下手に出ていればっ!!」
激昂した男に、赤い竜が低く唸りだす。
ルエンに前足を背もたれにと提供していた竜は、彼をかばうようにずいっと顔を男の方に向けてきた。それに男は怯み、男の竜が怯えながらも男の傍らへとやってくる。どうやら赤い竜にかなわないことはわかっていても、パートナーの男を守ろうという気構えが見てとれる。
「いや、貴方とは昨日会ったばかりだ。しかも、それほど互いを知る会話などする時間もなかったので、私がそういった疑問を持っても仕方あるまい? 無論、アルゼール国の竜騎士とは推察できるが……ちょうど良い機会だ、今から少し話をする時間としないか?」
ルエンの提案に、赤い竜によって冷えさせられた頭が正常に動き出したらしく、男は何か唸り声を出した後、剣から手を離し、その場へどかりと座り込んだ。そしてルエンの顔から視線を外しつつ、気まずげに詫びの言葉を口にした。
「……すまん、俺の方こそ冷静さを欠いていた。いつも上司にたしなめられるのだが……つい、こうと思ったら他の考えは飛んでしまって頭に血が上ってしまう。俺の方こそ、この森に慣れている様子からすると、この国に住んでいる者なのだろう? 昨日は悪かった……な、ああ、俺の名前はランバート。推察通り、アルゼール国の竜騎士だ、そして相棒のサジュール」
「グア」
サジュールが一声鳴き、顔をランバートに近づける。そんな二人の仲睦まじい様子を少し羨ましく思いながら、ルエンも自分のことを簡単に話し始めた。
「私はルエン。そしてこの森には幼いときからよく通っていた。この森は、時折精霊が現れると言われ、清らかな泉がいくつもある。ただ、この国の民は精霊が休むところの邪魔はしたくないと、こういった場所にはあまり入らないから、それが逆に隠れ家のようになっているので、私はよく訪れていたんだ。最近はいろいろあってあまり来られなかったのだが……昨日、この竜が舞い降りてきて正直驚いてしまった」
「ああ、そういうことか……実は、この近くに俺たち護衛の竜騎士に提供された厩舎というか、竜がいても構わないといわれた開けた場所が近くにあって、この森はその場所に一番近い。竜たちもここがお気に入りでな、朝と夕方の飛行のときにたまに立ち寄ったりするんだ。すまない、俺たちのせいで、迷惑をかけたな……」
ぺこりと頭を下げてきたランバートに、逆にルエンが驚き、思いっきり顔を横へ振ってしまう。
「いや! 別に私の場所というわけでもないし、そういう事情も知らなかったのだから、仕方がない!」
「そういってくれれば、この国に客分として来させてもらっているこちらもありがたい。しかし……な、えっと、ルエン殿と呼んで良いだろうか?」
「え、あ、ああ。……いや、ルエンと呼んでくれ」
「……いいのか? では、遠慮なく呼ばせていただく」
名前しか名乗らなかったが、ルエンの格好をみて裕福な家柄と判断をしたのだろう。ランバートなりに気を使ったのだが(そのわりに馬鹿などルエンをののしっていたが、彼は忘れているようだ)、もともとかしこまったことが苦手なのかもしれない。ルエンの言葉にどこかほっとした顔をしていた。
「というわけで、先ほどの話に戻るがこの森にはこれからも、竜が頻繁に降りてくる可能性が高い。今のように竜がいてもパートナーがいれば問題はないが、昨日のように竜と一人で出会うことは正直、身の危険がゼロとは言えない」
それは、一人前の竜騎士として、竜をもち、竜を知るからの言葉なのだろう。
ランバートはルエンの後ろにいる赤い竜をちらりと見て、再び強い眼差しをルエンに向けてきた。
「竜もこの国の立場を理解しているし、自分たちの存在が人にどういった感情を持つかもわかってる。すごく頭の良い生き物だからな。だが、竜とて機嫌の悪いときはあるし、知らずのうちに竜の逆鱗に触れた行動をとれば、命が亡くなる可能性だってある。俺たちも竜をできるだけ一人にしないようにはしているが…ルエンも一人で竜と会おうと思わないで欲しい。何かあってからじゃ遅いんだ」
それはただルエンのことを心配しているように聞こえ、彼はうんと静かにうなずいた。
「勝手を言わせてもらえれば、俺たちがいる間は森にも来ない方がいいんだが……それを言ってしまう権利は俺にはないし、メディサ様にも怒られるからいうことはできないが……でも、正直驚いている。メディサ様になんでそんなに気に入られているんだ?」
「メディサ様ってこの竜のことか?」
傍らにいる竜を見上げれば、赤い竜は返事をしたかのようにグワウと小さく鳴いた。
……今更だが、これはもしかして、なんとなくとかではなくて、こちらのいうことがはっきりとわかっているのだろうか? そんな心の疑問を感じ取ったかのようにランバートはふぅと小さく息を吐いた。
「先ほど言ったように竜は頭がいい。話すことができないものの、俺たちの会話の意味もわかっているし、自分たちが他国にどういうふうに見られているのかもわかっている。だから、竜も他国の者には近づかないし、パートナーのそばから離れたりはしないんだが……何かあったのか? メディサ様に喜ばれることをしたとか、好物をあげたとか」
「昨日も聞かれたが、私には特別何かをした記憶はない。……というか、竜の好物などそなたの国の者以外だれも知らぬと思うが……この森で出会って、目が合って、こちらは正直食べられると思っていたからな」
今はこうやって友好的だが、やはりあの時の恐怖を思い出すと身がすくむ。そんなルエンの怯えを感じ取ったのか、メディサはまるであのときのことを謝るように彼の背に鼻を押し付けてきた。つんつんとこちらの機嫌を伺うように。それを見てランバートは息をのむほど驚いていたのだが、ルエンはそのことに気付かず、だんだんとメディサの仕草が可愛いものに思えてきて、仕方がないなと赤い体をぽんと軽く叩いた。
ランバートの目には、それは友好的なものだけではない、何かの絆があるようにも見えた。アルゼール国の民にとって竜とは身近な存在であり、友でもあり時には共に戦場をかけぬける仲間でもあった。彼らがもつ爪や牙の戦闘力は脅威にうつるだろう。しかし、彼らは本来争いを好まない生き物で、情に厚く、仲間を大切にする優しい獣でもあった。外見だけで恐れられ、それどころか物語の中ではつねに悪役、傍若無人な生き物として描かれていることに怒りも感じていたし、同時に悲しいとも思っていた。だからこうやって、ルエンのような他国の人と竜が仲睦まじくしている姿をみれば、少しでも竜を理解してくれたのではないかと嬉しく思ってしまう。
……しかし、騎士だからこそ、ランバートもサジェールというパートナーをもつものだからこそ、この状況が非常にまずいことがわかる。
(しかもよりにもよって殿下の竜……)
気づかぬわけがないのだ。自分の竜の変化に。いや、すでに気付いているのかもしれない。
ランバートができることは、メディサを説得することだけだ。
竜皇女が動けぬうちに、彼女がルエンに気付く前に。
間に合うだろうか。
最悪のことが頭をよぎり、ぶるりと身を震わしたランバートだったが、彼の悪い予感はほどなくあたってしまうのである。