第4話 炎の瞳
青い空の中を、黒い獣の影が舞う。
その数は十頭前後。しかし、青い空の中にまるでシミができたように飛び舞うそれに、ラグレーン国第一王子レイドリックはきつく眉をひそめていた。
「まるで青い空を喰らっているようだな」
「……レイドリック」
「わかっているさ、アリウェル。奴らの前でそんなことは言わない。言ったら最後、われらは空の代わりに食われてしまうからな」
動きの邪魔にならないよう短く刈り込んだ茶色の髪に、夜の色に近い深い紺色の瞳は皮肉気な色を秘めて後ろを振り返る。王族でなければ、将来は騎士団長になっただろうといわれるほどの剣の腕前を持つラグレーン国の第一王子レイドリックは、武人にふさわしい体格と、つねに相手に緊張を払わせるような、鋭い雰囲気をもっている王子だった。そんな彼とともに窓辺に立ち、同じ風景をみていた男性が、彼の気持ちを和らげるように笑う。
「出迎えにいくのだろう? そろそろ支度をしておいた方がいい」
さらりと肩できれいにそろえた艶やかな黒髪が耳から滑り落ちる。二人で眺めていた空のような青い瞳を細め、自分の胸の内をさらす幼馴染にアリウェルは笑みをこぼした。一見女性とも見間違えるほど、中世的な顔立ちをしている彼はナサール公爵の現当主。女性もうらやむほどの白い肌をもち、薄く紅を引いたような唇、目を伏せたときに見える長い睫毛、彼を前にすれば、頬を染めない者はいないと言われるほど美しい彼は、その外見とは裏腹に容赦のない性格をしている。彼の笑顔から吐かれた毒舌に、不埒な目的で側によった輩は数ヶ月間は立ち上がれないほどのダメージを受けるという噂だった。
こそこそと裏で策をめぐらす者が嫌いで、不正などは一気に断罪するレイドリックと、相手が逃げられないよう徹底的に追い詰めるアリウェル。次代の国を支える柱としては、これ以上にない相棒だった。
「ところで、ルエンには竜の姫が来ることを伝えたのかい?」
「さぁな。あれのことはヒールリッドに任せてある。とりあえず歓迎会には出るようには伝えておいたがな。顔出しすれば後は、いつものように姿を消すだろう」
公式の場には出るものの、ある程度の時間が過ぎればいつの間にか姿を消してしまう弟。王族の義務とか、務めとかいうよりも、気配もなく、誰も気づかぬうちに消すあの特技は、正直レイドリックも関心するほど見事なものだった。
「そんなことに頭を使わず、別のところに使ってほしいものだがな」
いつまでたっても、政治に興味を示さず、子供のような性格と振る舞いをするルエンにレイドリックは頭を悩ませていた。二人は母は違えど、それなりに仲の良い兄弟だ。将来はアリウェルとともに、自分の横で国を支える人物になってほしいと願っているのだが、ルエンにその気持ちは届いてないらしい。
「まぁ、彼もわかっているさ」
「だといいんだがな。とりあえず……今日の夜を乗り切るとするか」
椅子の上にかけていたマントを取り上げ、レイドリックは後に続こうとしていたアリウェルを振り返る。黙ったまま、自分の顔を見つめる彼にアリウェルが首を傾げていると、レイドリックが小さな声で呟いた。
「お前をあの姫などにはやらん。あの姫ごときには勿体なさすぎる」
ばさりとマントがひるがえり、レイドリックが足早に部屋を出て行った。わずかに赤かった耳をみて、アリウェルの顔がほころぶ。
「ありがとうございます。レイドリック」
私もあなたのそばを離れるつもりはありません。
ただ一人の主なのですから。
幼いときから彼が自分の王だと決めていた。
彼とともに国を支えていくつもりの自分。
窓を横ぎった黒い影。
身震いするような獣の声が、青い空に響き渡る。
その咆哮に身震いしたのは、本能的なものなのか、怯えなのか、それとも……武者震いか。
戦いに赴くかのように、アリウェルは気を引き締めてレイドリックの後を追った。
◇◇◇
「圧巻だなぁ」
「確かに、見事なものですね」
物見の塔と呼ばれる、外敵からの侵入者を監視する塔の窓からアルゼール国の来賓を見学していた二人は、後ろでなんでこんなところに王子が来るんだと、上司に怒られないか戦々恐々としている兵士をよそに、青い空に現れた竜の姿を眺めていた。
竜の数は十頭。
先頭の大きな竜を筆頭に、三角形の形をとって飛んできている。
じょじょに大きくなってくる獣達の姿に、別の窓からそれらを眺めていた兵士たちが息をのむのがわかった。その表情には怯えが入り、それらが襲ってきたらという可能性を考えたのか、青ざめている兵士もいる。竜の隊列の中に、ルエンは小さな竜の姿を捉えた。他の竜と種類が違うのか、小柄で赤い鱗をを持った竜だ。そしてその上に乗っている人物も、若干小さいようだ。
「ヒールリッド。あの中に竜姫がいるんだよな」
「と、聞き及んでおります。……時間通りのご来訪ですね」
ふぅんとつぶやいたルエンは、ということはあれが噂の竜姫かとあたりをつけた。しかし、風から身を守るためか、頭からフードをかぶっているようなので、はっきりと人物はわからない。
キァァァ……
竜の声だろうか、聞いたことのない獣の声が響き渡る。
びくりと兵士たちが動揺し、ざっと窓から離れた兵士も数人いた。それほど、竜という生き物の未知さが恐ろしいのだろう。特にここ数十年、ラグレーン国では、他国からの侵略を経験した兵士もほとんどいない。そんななりで国を守れるのかと、ヒールリッドは冷淡な目で彼らを見ていた。しかし、その場の緊張感を破る声が彼の隣から響き渡る。
「おお、すごい牙と爪だな。あれで襲われればひとたまりもないな。あの大きな竜だと人間を丸呑みにできそうだ。しかし、あの翼はいいな。空を自由に飛べるなど面白そうだ。そういえば竜に乗るときはどうやって乗るのだろう。あの太いしっぽから乗るのだろうか。ヒールリッド」
「……そんなことは知りません。後で聞いてみたらいかがですか」
「そうか。今度行ってみるか。厩舎? 竜がいるなら竜舎か? 確かそのようなものを用意したと聞いたな。明日にでも赴くとしようか」
見るからにウキウキとした様子のルエンに、ヒールリッドだけでなく兵士たちも無言になって彼を見つめていた。しかし本人はその視線に気づかず、竜がちょっと変わった動きをするたびに、子供のように喜んでいた。
くるりと城の頭上で何頭かの竜が方向を変えた。
二頭だけがどんどん城に近づき、そのほかの竜は今来た方向へ戻っていく。
先頭にいた竜と赤い鱗を持つ竜が翼を空中で止まるようはばたかせたあと、ゆっくりと降りてきた。
彼らが着地したのは、通常騎士団の演習場として使われている場所だった。
竜のような大きな生き物を下すのに適当な場所がそこしかなかったのだろう。
気づけば、そこに出迎えている兄王子や近衛騎士たちの姿があった。竜は砂塵を巻き上げ着地すると、翼をたたみ、首を下へと曲げた。それを合図に背に乗っていた人物がマントを翻し、地上に降りる。
小柄な人物が躊躇なく、顔を覆っていたフードを取り除いた。
黒く長い髪が風に舞う。
竜を操るアルゼール国の竜姫。
その噂とは違う、思ったよりも小柄な姿に意表をつかれたルエンだったが、兄王子と話している彼女がふと顔を上げた。
ぎくりと体がこわばる。
彼女の来訪を隠れてみているものは多数いるはずだ。
なのに、彼女は顔をあげ、ルエンがいる方向を見つめている。
遠目からもはっきりとわかる紅の瞳。
ざぁっと吹き荒れた風が物見の塔の窓から入り込んできた。その風に驚いた兵士たちが、目をかばうように腕を上げる中、ルエンはその瞳を見つめ返していた。
まるで炎のごとき、その瞳を。