第17話 竜姫からのお礼
聞けば、フェリアーデの一日はそれなりに忙しいらしい。
アルゼール国の皇女であり、将来の大国の王へつなぎを取りたい貴族や、あわよくば取引をしたいという商人も彼女のもとへと訪れているようだ。合間に騎士団の方へと顔をだし、体がなまるからとそこで訓練もしているようで最近は騎士たちの方が彼女のことに詳しくなっているのではとヒールリッドはいう。そして、アリウェルと会える時間を少しでもとろうと奮闘しているようだが、仕事を口実に使われあまりうまくいっていないようだ。…その愚痴をルエンに言いに来るのだが…
そんな彼女が正式に手紙をよこしてまで、自分と時間を取ろうとするのは珍しい。
(どういった風の吹き回しなんだ)
もしかしたら城の中にいるのに飽きてきたのかもしれない。
息抜きに訪れている国を見て回りたいというのはよく聞く話だ。だが、動きやすい服装でというのはどういうことなのだろう。てっきり馬車で城下におりると思っていたルエンは、首を傾げた。もしかしたら、馬で出かけたいということなのだろうか? だとしたら、馬の手配もしておいた方がよいだろうか。そんなことを呑気に考えていたが、彼はすっかり失念していた。フェリアーデが並の女性ではない…アルゼール国の竜姫だということに。
「ルエン王子!またせたな!」
石畳がぶつかる小さな靴音を響かせ、フェリアーデは颯爽と現れた。
長い髪を頭上でひとくくりにし、着ている服は落ち着いた赤い色。後ろにいるザルバと同じ騎士服だ。おそらく着慣れているだろうその服は、彼女の瞳と合いなってとても馴染んでいた。
ちなみに、ルエンも言われた通り飾りなどももない、しいて言えば上質の生地で作られた落ち着いた青色の服で身を包んでいる。遠乗りなどによく着ていく服で、メディサたちと会った森でも着ていた服である。
「突然すまなかった。今日の予定は大丈夫だっただろうか?」
「ええ、大丈夫ですのでお気になさらずに」
(ははは、予定なんて入ってないですよー)
そんな空しい心の声を聴きながら、無理やり笑みを作る。
後ろでヒールリッドが苦い顔をしているのは想定済みだ。許せ。
「そうか、なら私はついていたな、今日はルエン王子の時間は私にいただけるということか」
「……は?」
…さらりと言われた言葉にルエンが固まる。
なんか、今すごい台詞を吐かれた気がするのだが…
硬直するルエンのことなど知らず、フェリアーデは満足げに笑っている。それは今までドレス姿でアリウェルの相談をしてきた彼女の姿とは全く違う、肩の抜いたような…自然体のようにみえるものだった。もしかしたら、今の姿の方が本来の皇女に近い姿をしているのかもしれない。
そんなことを呑気におもっていたからだ、ルエンは刻々と変わっている状況についていけなかった。
「さて、それでは準備はいいか?ルエン王子」
「え、ええ。それは大丈夫ですか…??」
にっこりと笑うフェリアーデの笑みに、ぞくりとしたものが背筋をなでる。
にこにこと今までみたことのない、ご機嫌の竜姫。彼女の機嫌を良くするものが、騎士団の鍛錬所にあるとは思えないのだが…いやいや、そもそもなぜこんなところで待ち合わせなのだろう、出かけるのならば城の門で待ち合わせでもよかったのに、フェリアーデはこの場所を指定した。
騎士団が演習所としても使う、広い広い鍛練所を。
「おお、きたか」
その一言とともに空に影が落ちる。
雲の間をぬけ、日の光を遮り、風を従えて。
降りる、巨大な獣。
光の煌めきで赤い煌めきが宝石のように輝く。
「そなたの国をみるのは、空が一番だろう!」
ぐいっと手を引かれ、ルエンはいつの間にかメディサに騎乗していたフェリアーデのもとへと導かれる。
驚く間も、何かをいう間もなくルエンを自分の後ろへと乗せこんだフェリアーデは、あっという間にメディサの翼を羽ばたかせた。
「ルエン様!!」
ヒールリッドの声が遠い。
声一つ上げる暇もなく、ルエンを襲う風圧。
…うわっ!!
初めて感じる浮遊感。
体全体を襲う、何とも頼りない感覚を全身が多い、ルエンは思わず唯一頼れる背にがしりとしがみつく。
(うっわっ…!!)
鍛えられた体でありながらも、女性特有の柔らかさを感じ、ルエンは不覚にも動揺してしまう。
女性の体にしがみつくなんて、言語道断だと思うものの初めての竜の飛翔に恐れをなして彼女の体から離れることができない。
無礼者!
そう罵倒される覚悟もしていたというのに、抱きついたフェリアーデがあげたのは笑い声。
「ルエン王子、そなたの素晴らしい国を空から見てみるといい!」
(たかいっつ…!!!)
それは圧巻の一言だった。
まず感じたのは空の青さ。地上でみるよりもはるかに濃く近い。
まるで今にも手が届きそうなほど、そしてその色に染まりそうなほどだ。
眼下に広がるのは一面の緑。
緑の敷物が広げられたようなその間に、小さな箱のようなものがいくつかみえ、黒い点もみえた。
(あれは、家…そして人? あんなに小さいのか!)
時折みえる黒い大地は畑だろう、人が何人も働いているのが見える。
こちらのことには気づきもせず畑の手入れをしている人々。
ぐるりと旋回したメディサが見せたのは、緑と青い湖の間に建つ真っ白な城。
あれが、自分の住んでいる場所だが、空からみるとやはりとても小さい。
(綺麗だな…)
太陽の光の下にあるせいか、どこもかしこもが美しいと感じる。
自分の国を空からみるなんて、こんな経験をしたことのある者がどれだけいるだろう。
精霊の住む国、ラグレーン。
自分の国はそう呼ばれるにふさわしい国だと、ルエンは今日初めて実感することができた。
「私も数々の国をみてきたが、この国ほど自然が豊かで、空気が澄んでいる国はみたことがない、ルエン王子そなたの国はとても美しいな」
それは、彼女の正直な賞賛の言葉だった。
ルエンはそれを嘘偽りのない彼女の気持ちだと感じて、素直にうなずく。
「自分の国がこんなに美しい姿をもっていたんんて、知りませんでした…」
この胸に渦巻く気持ちはなんだろう、思わず涙が出そうになるほどの、誇らしく、切なく、愛しい気持ちは。この国が、自分にとってどれだけ大切なのか、ルエンは生まれて初めて感じたのだ。
「ありがとうございました、こんな景色をみることができる機会をくださって」
「いや…なに、いつもいろいろと迷惑をかけているからな、詫びになればと思ったが満足してもらえたようでよかった」
どうやら、毎日の突撃訪問はフェリアーデの方も悪いとは思っていたらしい。言いにくそうに、どこかシュンとした姿は今まで聞いていた大国の姫とはかけ離れた姿だ。
(ふつうなら、こんな小国の王子のことなんて気になさらないだろうに)
フェリアーデによって勝手にアドバイザーにされてはいるが、彼女にとって少しでも気に掛ける存在になった自分は、ちょっとだけ誇らしい。
「とはいっても、聞くしかできませんけどね、私に恋愛の話を振る方が間違っていますよ。恋の話は侍女や令嬢たちの方が詳しいですよ」
「う…だが、私は令嬢たちに怖がられるタイプでな。ほかの国でも遠巻きにみられるだけだったからな」
声をかけようと努力はしたみたいだが、令嬢たちはこぞって逃げてしまうらしい。もういい加減疲れたな、とこぼした言葉は本心のようだ。
「慣れないドレスを着て、髪をごてごてと装飾品で飾り、淑女のマナーとやらも憶えたが…もともと性に合わぬ。あんなひらひらしたもの、竜に乗るには邪魔だし動きにくいし、心ともない」
「…では、お国ではどんな姿を?」
「決まってる!今着ている、動きやすい服装だ。これならばいつ、何が起きても動きやすいしな。そういえば、わが国の令嬢は私が騎士服などで王城を歩いていると、よく顔を見せに来て差し入れとやらをもってきたものだ」
パーティなどでは近づいてこないのに、鍛錬所などではきゃあきゃあと騒ぐ、何とも女とは不思議な生き物だと思う…と言うフェリアーデも女性なんだけな…とルエンは思った。
「では、我が国でもそうしてみては?」
「……は?」
何気なく提案したルエンのこの一言が、竜姫の周りの状況をひっくりかえすことになるとは、この時誰も思わなかった。