第11話 誤解
「ひ、ヒールリッド……」
なぜここに、という言葉は続かない。
こちらを笑顔のまま見ている彼が、無言のままでいればいるほど恐ろしかった。
(き、気づかれないよう来たつもりだったのに……!!)
午前中の勉強の時間はきちんと受けたものの、体調が悪いと午後の予定をやめて部屋に引きこもっていたルエン。あのとき、ヒールリッドはゆっくり休んでくださいねなど、優しい言葉をかけてくれていたから、安心して部屋を抜け出してきたのだが……
(ば、ばれてたのか!?)
だてに自分の近衛騎士を続けてきただけあるなと、的の外れた賞賛をしながらも、ゆっくりとこちらへやってくる彼に体は自然と後ろへ下がっていく。そんな二人を一人と一匹は首を傾げながら見ていた。
「ルエン様」
「は、はいっ!!」
「先ほどの会話、もう一度ゆっくり、じっくりお聞かせ願いたいんですが」
「そ、それは……」
「私に話せない理由でもおありですか?」
ついにルエンの目の前まできたヒールリッドの目はとても冷たかった。その目は物語の「魔王」と呼ばれる者にも値するような迫力で、ルエンは顔をひきつらせ、ついに一歩も動くことができなくなる。
(殺される、殺される、殺される……!!)
フェリアーデのときとは違った命の危険を感じたルエンが、ここでお終いかっ!! と心の中で覚悟を決めたときだ、ゆっくりと上がってきたヒールリッドの腕がルエンの首元を掴む。え?と思ったときには、失礼という短い言葉とともに襟元が開かれた。
そこにあったのは、指の痣。
くっきりと残っている数本の黒い筋。
ひぅっと風が鳴ったように思えた。
気づけばルエンの前には、ヒールリッドの姿がなかった。同時に聞こえてきた、サジュールの警戒した声と鋼の音。
「ヒールリッド!?」
「貴様かっ!!! あれは貴様がやったのか!? たとえアルゼール国の来客であろうとも、容赦はしないぞ!!!」
まさに激高といった怒りに身を任せ、彼はランバートに向かって剣を次々と振り下ろす。片腕が使えないランバートもそれを己の剣で防いではいたが、彼の怪我は腕だけではないのだろう、ヒールリッドの剣を受け止めるたびに歯を食いしばっているように見えた。
「よせ!! ヒールリッド!!」
ルエンがいくら叫んでもその声はヒールリッドに届いた様子もなく、我を忘れているといった言葉が当てはまる、彼の攻撃にルエンは次第に焦りだす。
(だめだ……!! よせ! ヒールリッド!!)
二人が合わせる剣技は目で追うのがやっとで、ルエンが割って入る隙間などない。ヒールリッドの剣の速さをランバートが何とかかわし続けているものの、時折彼の服や腕をヒールリッドの剣が掠めていくのが見て取れた。ランバートが剣をかわすだけで攻撃をしないのは、ヒールリッドがルエンの関係者だと思っているからだろう。ルエンの首のことに対して、一番責任を感じているのはランバートだ。このことに対して怒っているヒールリッドに向かって彼が剣をふるうなどできるはずがない。
「違うっ!! 違うんだ!! ヒールリッドっ!!!」
しかし何度叫んでも、声は届かない。
ルエンの首を見て冷静さを一気に失ってしまった彼は、主であるルエンのことさえ見えなくなってしまっている。だが、このまま放っておけば二人とも無事ではすまない。ランバートだとて、いつまでもこの状況を続けてはいられない。それに、彼のパートナーがそれを許しはしないだろう。
(くそっ……!! どうすればいいっ!!!)
一方的な戦いが続けられている中、竜が次第に攻撃性を増す気配を高めているのがわかる。ヒールリッドが最初に剣をふるったとき、ランバートが動くなと叫んでいてくれなければ、あの竜はいつでも割って入り、パートナーであるランバートを守るために、あの牙と爪を振るうだろう。二人の戦いを早くとめなければ、命の危険があるのはヒールリッドの方だ。これは自分が勝手なことをした責任の続きなのだと、ルエンはぐっと唇を噛みしめる。
(こうなったら、いちかばちかっ!!)
「サジュール!!」
ルエンがランバートの竜を呼ぶと、サジュールは目を吊り上げ、唸り声をあげながらもこちらを向いてくれた。メディサとは違い、サジュールはかなり温厚な竜だ。彼がこんな顔を見せるということは、かなり怒っているということなのだろう。それでも、ルエンの言葉は聞いてくれるようで、ひとまず安心しながら自分が思いついた作戦を伝える。
「ランバートの後ろに回り込み、ヒールリッドの剣をその翼で防いでくれ! その隙に私が彼をとめる!!」
「グァウ!!」
二人の元へと走り出したルエンを追って、サジュールも翼を大きく広げる。大人一人簡単に乗せられる巨体を持ちながらも、ルエンよりも早く動いた竜は、あっという間にランバートの後ろにその身を落ち着かせ、片方の翼を大きく広げ風を巻き起こし、一瞬だが空を覆い隠すような闇を作り出した。ランバートとヒールリッドが状況の変化に反応した隙を見逃さず、サジュールは反対の翼を二人の間に割り込ませ、まるでランバートを守るように彼を覆い隠した。
「なにをっ……!!」
「ヒールリッドっ!!!」
ギィィィン……!!
響き渡る鋼の音ではなく、太刀筋を間違えれば切られかねないような危うさでルエンはヒールリッドの剣を受け止めた。いや、剣の先がサジュールの翼の部分にあたっているために、正確には翼で勢いが止まったのでルエンがヒールリッドの剣を受け止めることができたというべきだろう。だが、ヒールリッドの正気を取り戻すために、この行動は正解だった。自分が剣を振り下ろした先に、主であるルエンがいる。緑の瞳が呆然と見開かれ、口がルエンの名をつぶやいたのが聞こえたからだ。
「落ち着け、ヒールリッド。ランバートは私を守ろうとしてくれた騎士だ。私の怪我は彼の責任ではない、私自身の責任なのだ」
「ル……エン様……」
ゆっくりとヒールリッドの剣が離れてゆく。ルエンはほっと息を吐き、ヒールリッドにもう戦う意思がないのを確認してから振り返った。
「すまない、ランバート。そしてサジュールも。大切なパートナーを傷つけてすまなかった」
ふわりと翼が広がって、そこからはすでに剣を収めているランバートとまだ警戒を解いていないサジュールの姿が現れる。ありがたくも気にするなと首を振ってくれたランバートに感謝しながら、ルエンはヒールリッドの前に立った。
「ヒールリッド」
ルエンの呼びかけに、彼の肩がびくりと揺れた。
意識をどこかへ飛ばしていたような彼は、ルエンの声にゆっくりと瞳を動かし、その目にようやくルエンを映し出した。
「すまなかった、ヒールリッド。すべて、私の責任だ」
「っ……ルエン様、私は……私は……申し訳ありません。私は主である貴方に剣を向けてしまった……」
守る立場でありながら、ルエンに剣を向けてしまった事実にヒールリッドは完全に狼狽え、唇を噛みしめその場に跪く。顔をうつむかせ、地面に触れている手が自分への怒りのためか震えていた。後悔と自分に対する憤りにそれ以上言葉も出せないヒールリッドの肩にルエンは軽く手を乗せた。
「謝ることはない、ヒールリッド。お前は私を守ろうとしてくれたのだから。勉強嫌いで、嫌なことからすぐ逃げ回ってる私でも、これぐらいはわかるぞ」
「……っ……しかしっ……」
「事情の知らないお前が、私たちの話を中途半端に聞いて、しかもこの首を見てしまえば……誤解するのもわかる。うん、これはやはり私の責任だな。近衛騎士であるお前に何も話さず、お前を撒いてしまったのだから、心配して当たり前だ。私は、そんなことにさえ気づいていなかったのだから。すまなかった、ヒールリッド」
「……ルエン様……」
ようやく顔を挙げたヒールリッドは、自分の目線に合わせるようその場にしゃがみながら、にこりと笑ったルエンを見つめた。それは幼いときから、いろいろなことでヒールリッドを困らせ、怒らせてきたルエンが本当に反省したときにみせる顔。それを見た瞬間、体の力が抜け彼は軽く首を振った。
「……いいえ、私は……、いえ、貴方が無事であればいいのです。貴方の首を見て我を忘れるなど、まだ未熟な証拠です」
すっと立ち上がったヒールリッドは、こちらを見ていたランバートとサジュールに向かって大きく頭を下げた。
「先ほどのご無礼お許しください。事情もしらずに、本当に申し訳ありませんでした」
「え、いや……たいした怪我もしてないし、俺たちは大丈夫だ。なぁ、サジュール」
「グゥ」
ランバートの声に頷いた竜を見て、ヒールリッドは改めてもう一度頭を下げた。そして、隣に立つルエンを見る。
「詳しいことをお聞きしたいのはやまやまですが……どうやらまだそのときではないようですね」
「うん、ヒールリッドにはすまないけど、まだ言うことはできない……ただ、ランバートのせいじゃない。彼は私を守ろうとしてあんな怪我を負ってしまったんだ。それは、本当だ」
「わかりました。では、今はお聞きしませんが、いつかお話できるときがあれば、お教えください。しかし、ルエン様。忠告いたしますが、その痣は決してレイドリック様には気づかれませんよう、ご注意ください。あの方の追及にはさすがに逃げられませんよ」
「……わかっている」
少しげんなりとした顔をしたルエンに、ヒールリッドはようやく小さな笑みを見せた。だが、二人の会話を聞いていたランバートは、はてとどこかで聞いた名前だと首を傾げていた。
「当分の間は、首が見えないような服を選び着るようにしてください。いえ、下手なボロがでないようにお会いするのも最低限にとどめておくのがよろしいでしょう」
「……ヒールリッドの言い方に反論したい気もするけど……その通りにした方がよさそうだな」
小さな変化に気付きやすいというか、勘の良い兄のことを思い出しげんなりする。あの顔と視線で見下ろされれば、思わずすみませんでしたと謝りたくなるのはもはや条件反射と言っていい。とりあえずは、毎日一緒にとる食事のときに注意が必要だなと二人で再確認していたときだ。
「……あの、申し訳ないが、少し聞いてもいいか?」
「? なんだ、ランバート改まって」
「いや、今二人の会話の中に、この国の第一王子の名前が聞こえた気がしたんだが、二人は親しい間柄なのかと思って」
正直、ルエンのことはどこかの貴族だろうとは思っていた。見るからに世間知らずそうだし、着ている服はシンプルながらも上質なものということには気づいていたし、言葉遣いなどからももしかしたら少し良い家柄の家の子供だと考えてはいたのだ。だが、ルエンを守るために現れたヒールリッドは、その剣技や振る舞いをみてもラグレーン国でも指折りの騎士。その彼を近衛騎士と呼んでいたルエンに、他国の身分をあまり気にしないランバートでさえ、ルエンの事情を気にするのも仕方のないことだった。
だが、彼の問いに二人は違う反応を示す。
きょとんとした顔をするルエンと、あきれ返った顔のヒールリッド。
「……ルエン様」
「そういえば言ってない。というか言う必要がなかったか」
こめかみを痛むように抑えたヒールリッドに、ルエンは気まずげに頬をかく。聞かない方がよかったのかもとランバートが思ったは後の祭り。
「この方は、ラグレーン国第二王子ルエン様です。ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ありませんでした」
主に代わりに頭を下げたヒールリッドだったが、ランバートにはそんな姿は目に入らず、パートナーのサジュールが後ろからどついてもぽかんと大きな口を開けたまま、その場に立ち尽くしていたのだった。