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第1話 朝露の空

それは、この場に突然花開いた紅き華。

何もない暗闇にぱっと現れ、その場を支配してしまう。

しかし、誰もその華から目が離せない。


触れれば焼き尽くされ、華に選ばれれば囚われてしまう。


それは、手を伸ばしてはいけない華。

決して自分から望んではいかない華なのだ。


◇◇◇


 まだ眠っている耳にも届いた慌ただしい物音。

 気持ちのよい眠りから目覚めされられたルエンは、ぼんやりとした目であたりを伺いながら小さく欠伸をした。


「なんだ、こんなに早くから……?」


 ぼうっとした顔で自分の部屋の天井をしばし見つめながら、ルエンはべっとからゆっくりと起きだし、大きな欠伸を一つ。窓から零れ落ちる光の具合から、自分がいつも以上に早い時間に目を覚ましたことに驚き、どうりでいつも寝坊に容赦のない近衛騎士がいないわけだと納得する。


「起きてすぐ、あいつの顔をみないのは何とも気持ちがいいものだな」


 近衛騎士が聞いたら憤慨しそうな言葉を吐き、ルエンは窓を開けた。

 さわりと一陣の風が吹き、ルエンのくせのない、腰まである銀髪が揺れる。

 青い空をみつめる瞳は、宵の色とされる紺色の瞳。

 幼いころは、精霊の子供とさえ呼び称えられた、淡く儚げな容姿。

 しかし、今ではその呼び名は忘れ去られ、十七歳という年齢の割には細く、頼りなさげな体。

 ……これは王族のたしなみの一つである、剣術をさぼり、体を動かすことを一切しないためである。

 帝王学を教える教師たちも授業を行うことを諦めたほどの、勉強嫌い。

 ……優秀な兄がいるので、自分は最低限の嗜みを知っていればいいと、勝手に結論づけたためである。


 よって、ラグレーン国第二王子ルエンは、将来どんな大人になるのだろうと周囲から心配されているこの頃なのだが、そのことが耳に入った本人は、まったくだと頷くものだから、周囲の心配がいかほどのものか、理解できよう。


 ルエンは一人で着替えを済ませると、近衛騎士からの嫌味が来る前にと部屋を出ることにした。こんな珍しいことがある日には、何かがあるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませ、廊下にでれば、複数の人が走り回っているような、そんな慌ただしさが感じられた。


「今日は何かある日か? 兄上からは何もお伺いしていないが……」


 それとも事前に聞いていたか? と考えてみたものの、やはりそんな記憶はない。第一、何かあれば自分の近衛騎士が容赦なく言ってくるだろうと、ルエンはそれ以上考えるのをやめてさて、どこへ行こうかと思案する。とはいっても、朝食の時間までに戻れる場所といえば選択肢は限られる。


「ここはやはり、王妃様の庭だな」


 うんうん、と一人頷いてルエンは抜け道を使って庭へと足早に向かっていった。




 朝の庭は、朝露をあびて光輝いていた。

 淡い色の花たちが、風になびき、水の滴をこぼす姿はとても美しい。

 庭師たちが丹精こめて作り上げた円形の庭園は、王族達の憩いの場でもある。天気のよい日は毎日この庭園を散歩するという王妃の姿も、やはりこの朝早くからは見られないらしい。唯一、ルエンを叱ることのない、兄王子の母である王妃は、時折ルエンと出会うと一緒にお茶をする仲だ。

 ルエンの母ミシャールは、ラグレーン王の唯一の側室である。幼少の兄王子の体が弱く、王妃はその看病のため数年間子供を身ごもることができなかった。後継者問題を心配した家臣が、ラグレーン王の幼馴染でもあり、王妃の相談相手でもあったミシャールを側室とし、彼女はルエンを生んだ。しかし、兄王子が体を持ち直したあと、彼女は側室という肩書きだけを望み、今は王宮から離れた屋敷で一人日々を過ごしている。もちろん、王や王妃との関係は良好で、あと数ヶ月もすれば生まれる王妃の第二子を皆、心待ちにしていた。



(そういえば、王妃様には、何か贈り物でも贈った方がよいのか? 何か欲しいものがないかと聞いても、生まれてくる子供をかわいがってくれればいいとしか言わないから困るな)


 もちろん、生まれてくる弟か、妹をかわいがるつもりではあるが、ルエンにとって一緒に住んでいない母と同じぐらい、王妃は大切な人だ。彼女の喜ぶものをと考えてみても、普段贈り物などをしないので何が良いのか全くわからない。


(しかし、そろそろ結論を出さないと、このままでは子供が生まれてしまう……それでは意味がないではないか!)


 誰かに聞くという選択肢を思いつかないルエンは、はぁっと深くため息をついた。こんな気持ちでは、せっかくの綺麗な花を見ることも楽しめない。ルエンは、庭園の中央にある、薔薇のつるがからまったアーチの下にある椅子の腰掛けた。薔薇はもう少ししたら花開くのであろう、薄いピンク色の蕾が膨らんでいた。


 あと少しか。


 何気なくルエンがその薔薇へ、手を伸ばしたときだった。



 ごうっ!!!



「っ……!?」


 突然現れた突風が、薔薇の蕾をゆらし、朝露をすべてなぎ払っていった。薔薇から落ちた朝露をあびてしまったルエンは顔をしかめたが、同時に大きな影が自分を覆ったことに気づき空を見上げた。



 太陽をさえぎるような大きな影。

 バサリと翼に風をからめて、その巨体は空高く上昇していた。

 鋭い鉤爪のついた四本の足、巨体と同じぐらいの長さの尾。地上からもわかる、獣としての貫録と、荒々しさ。そして空の覇者に相応しい威厳。


「竜……」


 ここから離れた、遥かに遠い大陸にしかいないといわれている世界最強の獣。

 その強さや獰猛さは噂や絵姿などでは聞くものの、実際見たものは数少ない。彼らが、自分たちの住みかからあまり出ず、他の動物達を迫害することもないからこそ、竜という生き物は憧れ、尊敬され、恐れられているのだと聞いた。そんな獣が、こんな地に、大陸の隅にある小さな国の頭上に現れるとは、一体何事なのか。


 そのときだ、竜の影とともに何か大きなものが広がった。

 竜の体にしては、不自然な動き。竜の翼とは全く違う、薄い、布のような……


「布?」


 ルエンのつぶやきが聞こえたかとでもいうように、突然竜の体が反転した。墜落するのかと、ぎょっとした彼の頭上で、竜はその考えをあざ笑うかのように、再びくるりと体を回す。どうやら竜は風に乗りながら遊んでいるようだった。しかし、竜が反転したときに、ひとつの影が見えた。


 それはとても小さな影。

 先ほどみえた布が、その影がまとうマントであったというのは、ほどなく気づいた。


 誰かが竜の上に乗っている。


 世界最強の獣の上にまたがる人間など、聞いたことが……ない、そう思おうとして彼は気づく、竜に唯一乗ることができる人間たちがいるということを。


「アルゼール国の者か……」


 ぽたりと、前髪から落ちた朝露が服の袖を濡らす。

 彼らにとっては、辺境ともいえるこの地に何の用なのか。

 

 ルエンは、瞳を細めて自分の頭上から飛び去ろうとしている竜の姿を目で追った。わざわざ王宮の上を飛ぶということは、何かこの国に用事があってのことだろう。そして、この国は、その用事を断ることはできない。あの、竜という生き物を乗りつけてやってきたということは、自分たちの意見を通すという確固たる意志、そのものに他ならない。


「一騒動も二騒動も起きそうだな……何より、兄上の機嫌が悪くなることが恐ろしい」


 ぶるりと身をすくませながら、ルエンはもう豆粒のように小さくなった影を目で追い続けた。竜の影はまるで光の中に溶けるように、空の中へと消えていった。



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