紅ノ少女
町はいつしか赤から黒に変わり、右左がわからない状態だった。
そんな中、わたしは伊達政宗の後ろで馬に跨っている。
今まで乗馬の経験がないため、その速度の速さについていけず、わたしは彼の腰を掴んでしまっていた。
大名である御方に触ってしまっているのは恐れ多い。
けれど腰を掴むと表現しているが、実際には甲を掴んでいると言ったほうが正しい。
馬に乗りながら、わたしは一日で起きた出来事を思い返していた。
未だに状況は把握できていないが、一つわかる事はタイムスリップしてしまったという事だ。
それが良いのか悪いのかはわからないが、とりあえず今は帰る事だけを考えなければいけない。
もしかするとこのままこの時代で一生を過ごさなければいけならないかもしれないのだ。
それよりまずこの格好をどうにかしたい。
セーラー服でうろうろしていては目立ってしまう。
「…起きているか」
不意に前から声がしたので、わたしの思考はピタリと止まりすぐに我に返った。
彼はわたしのほうを見もせずに、ただ馬を操縦していた。
「あ、はい。起きています」
やはり名高い彼と話すのは緊張してしまう。
けれどわたしの事を気にかけてくれているのも事実だった。
彼はわたしの声が聞こえたのに安心したのか、少しだけ振り向いた。
「もうすぐで着くからな」
「はいっ」
わたしは変に上ずった声で返事をした。
辺りは真っ暗で、一体どれくらい進んだのかわからない。
それと落ち着かない場所に無駄に緊張して、凄く長い時間馬に乗っている気さえしている。
額には変な汗が浮かんでいる。
それはこの場所の所為か、それともこの先の不安なのか。
答えはわからないまま、いつしか城に着いていた。
城はあの時に見たものとは違うが、遥かに大きくて威厳がある。
彼は門兵の前を通り抜けると、その先で馬を止めた。
馬の足音が城内に聞こえたのか、出迎えの者が数名現れた。
彼はさっと身軽に馬から降りた。
「ほら、掴みな」
彼に手を差し出されてわたしはそれを掴む。
この行為は一般的に許されるのだろうか。
わたしは周りの目を気にしないように馬から降りた。
「ありがとうございます」
わたしは頭を下げて礼を言った。
彼は軽い相槌を打つだけだった。
城内から現れた者の一人は馬を休めに連れて行く。
もう一人は彼の武器を預かり手入れをしに行く。
その行動の早さに唖然としてしまった。
「長旅、お疲れ様です」
そんな彼らの後ろから現れたのは、黒色長髪で耳の横下で一つに結っている男だった。
丁寧な口調であるという事は、彼の家臣なのだろう。
すると伊達政宗は今までの表情とは打って変わり、柔らかな表情になった。
「ああ、お風呂は沸いているか?」
彼は兜を脱ぐと、さも当たり前かのようにそれを家臣に渡した。
「はい、沸いてはおりますが…。その隣の女は一体…」
家臣はそう言うと、わたしの顔を訝しい目で見た。
その反応が普通なのだとわたしは思った。
見覚えのない女が突然、城の中に入って来ている。
おまけに格好はセーラー服だ。
怪しまれて当然だ。
けれどわたしは決して何も言わなかった。
ここで言っても全て言い訳のように聞こえるだろう。
「ああ、また後で説明する」
わたしを連れて来た張本人である伊達政宗は適当に返事をした。
さすがにその返事に反応した家臣は、歩き出す彼の前に立ちはだかった。
「先に説明してもらいます。その後にごゆっくりされてください」
その家臣の頑固な物言いに呆れた伊達政宗は、彼の言う事を聞く事にした。
城内はさっぱりしていて、無駄なものは何一つない。
わたしは伊達政宗の後ろを付いて行くように歩いていた。
その後ろには例の家臣が、まるで監視するように付いて来ていた。
わたし達は広い部屋に入った。
時刻はおそらく真夜中なのだろう。
木々が風で揺れ、葉と葉が掠れ合う音しかしない。
その静まり返った空気が、わたしに恐怖心を与える。
「まず、女の名前は?」
家臣が伊達政宗に問うと、彼は少し困った顔をした。
「そういや、名を聞いてなかったな。名乗れ」
かなり滅茶苦茶な話の進め方にわたしは困惑したが、それよりも先に名乗らなければ話は進まない。
「東雲紅と申します」
わたしは名乗ると同時に挨拶の意を込めて頭を下げた。
これで許してもらえるとは思っていない。
まだ緊迫した空気が部屋中を包み込む。
「私は片倉小十郎景綱です」
すると今度は家臣の方が名乗りだした。
わたしはその行動に驚き、思わず頭を上げて目をぱちくりさせた。
しかし彼はそんなわたしをよそに再び主君に向き直り話し出した。
「政宗様、彼女は一体どこの娘なのですか?まさかとは思いますけど連れ去ったわけではありませんよね?」
家臣はかなり厳しい目で主君を見たが、彼は楽しそうに微笑んだ。
「お、勘がいいなぁ。さすが小十郎の事はあるな」
「おふざけはお止め下さい」
小十郎さんは優しく彼を嗜める。
このままでは一向に話が進まない。
この空気にいつまでも居ては、わたしが息ができなくなる。
ここはわたしが話を切り出さないといけない。
「あの!わたしが政宗様に助けて頂いたんです」
突然話し出した所為か、2人は咄嗟にわたしの顔を見た。
その迫力に一瞬おののきそうになるが必死で堪える。
先に口を開いたのは小十郎さんだった。
「その他、強要されたことは?」
「ありません」
わたしは言い訳に聞こえないよう即答する。
その必死さが伝わったのか、政宗がわたしの肩を軽く叩いた。
「おれはこいつの、この格好とこの目が気になるんだ」
言われ小十郎さんはわたしに顔を近づける。
"この目"ってどういう事なのだろう。
わたしは不思議に思い、素直に彼に聞いていた。
「あの…"この目"というのは…?」
「お前の右目が赤い事だ」
わたしの右目が赤い……?
言葉の意味が理解できないまま、わたしは小十郎さんに手渡された手鏡で自分の目を見た。
そこに映ったのは政宗が言ったとおり、右目だけが不気味に赤を帯びていた。
「え…?」
初めて知った事実にわたしは言葉を失う。
だから政宗は最初わたしと会った時、右目をずっと睨むように見ていたんだ。
一体いつ、この目になったのか想像するに余りなかった。
しかし視力はきちんとあるのも不思議だった。
答えはまったく見つからない。
おそらくタイムスリップと何か関係している可能性がある。
「それは特殊能力の一つだと思う」
わたしはこの声に聞き覚えがあった。
その声を聞いた途端、なぜか懐かしさを感じた。
その理由はすぐにわかった。
扉の向こうに立っていたのは、白茶の髪に着物を着た少年だった。
わたしは彼を見てすぐに目を大きく見開いた。
「トキ!?」
思っていた以上に大きな声に、政宗と小十郎さんは驚いた。
トキ――神代時成――は過去に一緒にいた同級生の男の子だ。
そういえば彼もわたしと同じ班で行動をしていた。
「久しぶりだね。まさかここで会うとは思ってなかったけど」
トキはあの頃と変わらないままだった。
わたしとトキを交互に見た政宗は納得したように頷いた。
しかし小十郎さんは状況を把握できていなかった。
「やっぱりな。時成と最初会った時も変な格好をしていた」
おそらくわたしと同じ状態でこの時代に来たのなら、彼の格好は学ランだ。
政宗はわたしと彼が同類だと思って、わたしをここに連れて来たのだ。
「お前らは一体何なんだ?」
わたしとトキは互いに顔を見合わせた。
政宗が投げかけた素朴な質問に対する答えは、きっと話せば朝日が昇るだろう。
それでもわたしは彼の純粋で真直ぐな目を無視する事はできなかった。