一話
両親の『里』に来たのは久し振りの事だった。
遠縁の幼い少女が亡くなったと聞かされて、父と母は取るものも取りあえず、この里に来た。
母と少女の母親は幼馴染で。
父と少女の父親は古い友人で。
だから、本来なら来る必要は無かったのだけど。
大学も受かって、これといってやる事がないのなら一緒に来いと言われて。
そして、やってきたその地は、一面の桜に覆われていた。
元気な子供だったと聞いた。
近くの子供達と遊んでいたら、川に流されている子犬を見つけて助けに入ってのだと。
春とは言えまだ寒い。そんな中、濡れた服も乾かさずに助けた犬と日が暮れるまで遊んで。
…熱を出して、あとはあっという間だったという話だった。
犬を助けなければ…。
濡れた服をすぐに着替えに帰っていれば…。
誰もが思うことであっても、親族は誰もそんな事は口には出さない。
何故なら、みな知っているから。
人は生きるのも亡くなるのも意味があることを。
その『能力』故に。その『生業』故に。
そして、その犬は少女の家で飼われる事になった。
大型の日本犬と洋犬との雑種と思われるその犬は明るい茶色の体を持ち、将来を想像させる太い足を持っていた。
今は、少女の小さな弟の傍ですやすやと眠っている。
この犬がここで生きていくのも、何か意味があるのだろうか。
一族に生まれながら、今だこれと言った『能力』が現れない自分には良く分からないが……。
出なければ出ないでいいと、思うようになったのは最近の事で。
ただ、なんの『力』も無いのに、『鬼見』の才はあるらしく、そのテのものはしょっちゅう見るが、眼鏡をかけていれば、見ることも無いと気が付いて、かけ始めたのは何時のころだったろう。
小さな影が外に向かったのに気が付いて、通夜の席から立って外に出ると、少女が空を見上げていた。
亡くなった少女の双子の妹。
生来からだが弱く、その為家族と離れてこの里に暮らしているという話だった。
ゆらり。
ゆらりと、少女の腕が上がる。
ああ。
そういうことか。
ああ。
そういうことだったのか。
なんの躊躇いも無く、自分の中に突然沸き起こった知識。
誰に教えられる事も無く。誰に語られる事も無く。
ただ、自分もこの一族だと言う事を自覚して…思い知って。
そして、湧き上がる歓喜。
ゆらり……と、少女が光に包まれる。
「もともと、一人しか生まれなかったはずなのよ」
母の声がして振りかえると、何時の間に出てきたのか一族が皆集まっていた。
「それが、双子になっていてね」
そういいながら、優しい瞳で自分の息子を見上げた。
「貴方の『力』は『護り』だったのね」
二人とも『癒し』だったから、てっきり貴方もそうだと思いこんでいたわ。
だから、いくら待っても『出て』来なかったわけね。
くすり、と笑うと母は少女の方へと視線を移した。
「見ておきなさい。二つに分かれていた魂が一つに戻って行くわ」
ゆらり―――光は少女を包み、ゆっくりと少女の中へと消えて行く。
「無意識…か」
笑いを含んだ声で言う祖父の言葉に、振り向くと少し困った表情をしていた。
「無意識でここまで見事な結界を作り出せるのか、お前は」
え、と気が付いてその結界を解くのと、少女が倒れこんでくるのがほぼ同時で。
慌てて手を差し出すと、幼い身体を抱きとめた。
「『桜の媛』と『護り人』・・・か」
抱き上げた少女を連れて家に入ったその耳に、呟くような祖父の声は聞えなかった。
そして、彼がこの里を去るとき。
彼の記憶からは一族の能力も己の能力も。
綺麗さっぱり忘れていた事に本人は気が付いていなかった。
そして、いつしか時は過ぎ―――
男は4月から自分の受け持ちになる生徒の資料を確認しながら、数少ない外部の中学から入学してくる一人の少女の内申書に目を留めた。
父親の転勤と共に来た彼女の住んでいた地域は、偶然にも自分の両親の出身地の近くだ。
「…しかし」
微かに眉を顰め、書類を見て軽く息を吐く。
総合評価は申し分のない成績だ。理数系を除けば。
この学校は成績だけで生徒を合格させるわけではない。言い換えれば、学科試験だけでは合格するのは難しかったであろう成績。
「楽しみだな」
彼を知る生徒達が見れば青ざめる。
そんな笑いを浮かべた男であった。