十三話
それはずるい、と男が笑う。
そうでしょうか?と少女が微笑む。
考えてもみなさい。と、男がいつもの口調で、だが甘い声で囁く。
君は一人で、この感覚を堪能していたのだから。
でも…。と、少女は口を尖らせ、甘えた声を出す。
でも、寂しかったんですよ。
視界が遮られる。
あたり一面の桜の花びら。
暗闇の中、それは、吹雪にも似て。
男は不安にかられた。
彼女が居ない。
彼女が何処にも居ない。
まるで、真白き闇に一人取り残されたような。
真白き闇が彼女を連れ去ってしまいそうな……そんな恐怖が彼を包んだ。
「…五木?」
男の呼び声に応えは無い。
「五木!?」
あるのは、一面の桜吹雪。
「五木…咲良?咲良!?」
「先生?」
その時視界が開き、男の世界が形を成した。
押し寄せる幸福感。
白い闇だったそれは、彼女を護る楯となり、少女をとりまく。
在るべきものは在るべき所に。
桜の下で舞う幼子の姿。彼女を取り巻く淡い光。
「先生?」
どこか視点の定まらぬ顔の男を、心配げな瞳が見上げる。
ゆっくりと視線を下げ、男は少女を見下ろす。
「さく…ら?」
「はい?」
名前を呼ばれ、少女の声に訝しさが混じる。
「桜…媛?」
大きく目を見開き、ついで花が綻ぶように嬉しげな少女の笑顔。
「はい、暁さん」
男は目を細め、少女を引き寄せる。
「すまなかった」
ふるふると首を振ると、色素の薄い髪が揺れる。そこにゆっくりと唇を寄せ、氷室は腕の中の少女をいっそう強く抱きしめる。
「咲良」
愛しげに少女の名を呼ぶ声は、普段の男を知っているものであったら信じられぬくらい甘い。
「はい、暁さん」
答える少女の声が柔らかく男を包む。
「咲良…俺の桜媛」
護人の腕の中、少女はそっとその胸に頬を寄せる。
そして、彼らは両翼となる。
殆ど手直しせず、以前の原稿を転記しました。
一旦「桜媛」をここで終了させていただきます。
いつか、じっくり腰を据えて最初から書き直していきたいと思っています。
お気に入り登録をしてくださった方々に心からの感謝を。
中途半端な状態で放置するよりも、どんな形ででも終了させたくてこのような終わり方をしてしまったことに、お詫び申し上げます。