表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜媛  作者: 藤堂阿弥
13/14

十二話


桜の花が舞い散る。



一瞬、風に視界を奪われる。

湧き上がる恐怖。花が彼女を奪っていく。



視界が開け――男の世界が、静かに形を成して行った。




いつも聞こえるはずの声が無いという事は、こんなにも不安を呼ぶことなのだろうか。


自由参加の社会見学の当日。

朝、点呼を取った時には返事があった。


いつもの彼女ならば、折に触れ質問などをしながら、もしくは友人と話しながら見学するはずなのだが、今日はその声が聞こえない。

時折気になって振り返ってみると、確かに少女はそこにいるが、いつも興味深げに周囲を観察しながら、変えているその表情に覇気がないように思える。


引率者として、生徒の健康には気をつけなくてはいけない、と考えつつも、それだけではない何かが、自分の中にあることに彼自身気が付いていた。

だが、それは自分が気に掛けている(言い方としては、不本意ではあるが)「お気に入り」の生徒に対して、他の者達よりも注意がいってしまう。


ただそれだけだと、自分自身で納得していた。


だからこそ、見学が終わって彼女に声を掛けた時、自分が何をしようとしているのかと、半ば呆れてしまった位であった。




車の中で、何処に行くのかと少女が訊いてきたときも、つい「秘密だ」と、意味ありげに言うことであっただろうかと考えてしまったほどだ。




だが、彼の好きなこの場所で、彼女の顔が元気になっていくのを見るのは嬉しかった。

自分が好きなこの場所を、気に入ってくれたのも嬉しかった。

満面の笑顔を自分に向けてくれたことが誇らしかった。


柔らかな夕日と、周囲の雲が一刻一刻すがたを変化させ、気が付けば、辺りは薄闇に包まれていた。



その帰り道、少女の少し寄りたいところがあるという言葉に、時間的に多少問題があると思いながらも、ハンドルを切ったのは、自分自身がこの余韻にまだ浸っていたいからだと、苦笑せざるを得なかった。



(何を考えているんだ俺は。相手は自分の生徒だぞ)





街から少し外れたそこは、一面に桜が植えてあった。


染井吉野だけではない、少し赤みが買った山桜、白の色が強い大島桜に緑萼桜。まだ咲いていないのは八重桜であろうか。

枝垂れ桜のイトサクラ、シダレヒガシなどもある。


「こんなところに、これほどの桜の名所があったとは…」


氷室の呟きに、咲良は微笑んだ。

「この辺り一帯が個人の土地ですから、普段は入れないんです」

実は知り合いの土地なんですけどね。と、いたずらっぽく笑う彼女についつられて笑う。

「あの場所に連れて行ってくださったお礼…になるかどうかわかりませんけど」

「ありがとう」

氷室の礼の言葉に、咲良は微笑んだ。



時折彼女が見せるその笑顔は、どこか大人びた翳を垣間見せるものであった。


しかし、氷室と目が合う瞬間にはいつもの、年相応の笑顔の戻る。それを、どこかで残念に思う自分が居ることを、彼は自分で気が付いていた。

大きく息をついて、自分の中の感情を無意識に押しつぶすと、氷室は咲良の方へと顔を向ける。


「さあ、もう遅い、そろそろ……」





その時、春の嵐のような風が二人の間を吹きぬけた。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ