十話
泣きつかれて眠ってしまった娘に痛ましそうな視線を投げかけて、母親は大きく息を吐いた。
気配に気がついて扉に目を向けると、息子が心配そうな表情でこちらを伺っている。安心させるように笑顔を向けると、ほっとした顔をして自分の部屋に戻っていった。
開いたままの扉が軽くノックされ、夫が顔をのぞかせる。頷きを一つ返すと、傍に置いてあった洗面器でタオルを濡らし娘の目の上においてやる。与えられた冷たさに身じろぎして、少女は体を起こした。
「起こしちゃった?ごめんね」
「・・・大丈夫」
タオルを目に当てたまま応える声は微かに震えていた。無理も無い。
「『里』に問い合わせた。どうする?後にするか?」
父親の心配そうな声に、一瞬言葉を詰まらせ咲良は首を振った。
「ううん、聞く」
「そうか。下に来れるか?」
頷く娘に「先に行っている」と父は階段を降りて行った。
自分も聞く、と譲らなかった弟を交えて、彼らはリビングのソファに腰を降ろした。姉の横に陣取ってその手を握る弟に咲良は小さな笑顔を向けた。
大丈夫。
弱くはあるが握り返してくる姉の手に、彼はもう一度力を入れる。
子供達のそんな様子を、微笑ましさ半分、哀しさ半分の気持ちで見ていた両親だったが、最初に口を切ったのは父親だった。
「暁くんだが・・・確かにお前の『半身』だ。これは間違いない」
「なら、どうして『目覚め』ないんだよっ!」
「落ち着きなさい、聡」
息子の荒げた声を母親が嗜めた。
「長老・・・暁くんのおじいさまに当たる方だが、彼に言わせれば、暁くんの性格に端を欲しているのだろう、ということだ」
「なにそれ?意味解らないんだけど」
大きく息を吐くと、父親は娘へと視線を移す。
「最初に目覚めた時が6年前。咲也の葬儀の晩・・・お前が9つ、暁くんが18。時期尚早と長老が術を掛けお前達を離した」
もっと早ければ、もっと遅ければ、もしくは二人の年齢がもっと近ければ問題は無かったかもしれない。しかし、どれをとっても中途半端でしかなかった。
彼らが里に住んでいれば、話は別であっただろうが、志望大学に進学を決めたばかりの息子を見て、反対したのは氷室の両親だった。
「本人に話せば、大学進学を蹴るか、一年待って近隣の大学に進学すると言っただろうけどね。桜杜の男は皆そうだろう?」
苦笑を向ける父親に聡は顔を真っ赤にして頷く。早くに半身と巡り会った少年は、引越しが決まったとき最後まで里を離れることを嫌がったのだ。
「今回の引越しは、表向きは私の転勤だが、一族経営の会社でそれはありえない。一つは、聡、君の為。キミと瑠璃の為。それは解るね?」
「近くにいるとお互い庇い合って、依存してしまうから、だろ?2年離れてみて良く解った」
大人びた離し方をする息子に、父親は苦笑を深いものに変える。それでも、彼らは毎日のように電話をし、メールを交わしているのだ。
自分達もそうだったが、半身を持つ者の結びつきと執着は半端ではない。男性の場合特に強い。それは、長年連れ添ってきたにも拘らず、今も変わらず自分の中にある。
「そして、もう一つは咲良のため。あの学園に暁くんがいると知っていたからね」
「・・・そう、だったんだ」
俯く娘に母親が笑顔を向ける。
「いっておくけど、入試に不正は無いわよ。それがあの学校のポリシーですもの。合格すればめっけもの、とは思ったけどまさか本当に受かるとは思わなかったわ」
さりげにひどいことを言う母親に、姉と弟は複雑な顔をあわせた。
「だが、今となってはそれが良かったかどうか・・・だな。まさか、それが枷となるとは思わなかった」
「どういうこと?」
妻の言葉に夫は息を吐くと、ソファに体を預ける。
「真面目すぎる彼の性格だよ。一生徒・・・ましてや女生徒に特別な感情を寄せることなどもってのほか、というね。教師と生徒という立場が彼の最大の枷となっている」
恋心を自覚したとたん、あっさりと解けてしまった咲良とは異なり、彼は無意識のうちに自分自身に封印していたのだ。
「先程一族の一人が調べに行って呆れていたよ。無自覚の癖に堅牢な結界を学園に張っているんだ・・・彼は。半身を守る為に、ね」
とたんに顔に血が昇るのを自覚する。先程まで励ます為に繋がれていた聡の手が離れ、軽く姉の腕を突付いていた。
子供達の姿を見て、両親は微笑み合う。しかし、すぐにその顔を真面目なものに変えた。
「暁くんの封印を解く事は難しくはない。すでに『目覚めて』いるのだからね。お前が生徒で無くなればいいだけだ」
「それは、転校する、ってこと?」
咲良の表情に複雑な色が混じる。離れがたい友人も多く出来た。転校することで彼らの友情が壊れることはないだろうが、疎遠になることも確かだろう。
「どちらにしても、聡の小学校卒業とともに戻るつもりでいた。お前の高校の卒業と同時期だからね」
「それまでに暁くんが自覚するか、貴女が待つか、よね?」
二年になって間が無い。あと二年近く彼女は自分の気持ちを隠し続けなくてはいけない。そうでなければ氷室に迷惑が掛かってしまう。
遠巻きにされているとはいえ、氷室の人気は咲良も良く知っている。一族の運命に胡坐をかけるほど自分に自信などありはしない。
「2、3日考えて見なさい。学校には体調を崩したと欠席の連絡をいれておくから」
ぽん、と肩を叩く母親の顔を見て咲良は頷いた。