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桜媛  作者: 藤堂阿弥
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九話

土曜日の昼下がり、咲良は学校に来ていた。


『休むときは休む』がモットーのひとつである西陵学園ではあるが、生徒のために施設の一部を開放していた。9時から16時までの間なら、守衛に学生証を提示すれば学内に入ることができる。

勿論、セキュリティの為出入りはきちんとチェックされるが、一般の教室は施錠されて入ることはできない。なんらかの理由で忘れ物をして取りにいきたくても、忘れた方が悪いと(体調不良などで早退した場合は担任か近隣の生徒が責任を持って荷物やプリントを持っていく)入室を許可されないのだ。



この日彼女は『図書館の主』と呼ばれる友人から、気になっていた新刊が入荷されたというメールを受け取り足を運んだ。

発売が予定されてからずっと気になっていた本を手にして、高揚した気分で図書館を出たとき、微かに聴こえた旋律に首を捻り、音源の方向へと足を進める。

静かなその音色はバイオリンのもの。高く低く、聴き慣れた旋律は「la Campanella」パガニーニのバイオリン協奏曲だが、リストがピアノ用に編曲した方が有名な曲であった。技巧を凝らした曲としては、ピアノ、バイオリン共に、難易度の高いその曲だったが、流れるようなよどみない曲の流れから、奏者が相当な力量だと思い知る。




「誰が弾いているんだろう。相良先輩の音とも違うみたいだし」


首を傾げながら音源へと向う彼女は、気付いていなかった。

近づいているはずなのに、少しも変わらぬその音量に。




音楽室の扉の小窓から見える姿に咲良は固まってしまった。

(氷室先生?)

バイオリンを奏でるその姿は、いつもの彼からは思いもよらぬ柔らかな気配が漂っていた。

(凄い…)

専門外の彼女でもわかる指使いの匠さ。弓使い。

同時に沸き起こる微かな嫉妬と独占欲。誰にも見せたくない、聴かせたくない。そんな気持ちに戸惑い、自覚する。自分の想い。


その瞬間。


それは咲良の内に入ってきた。

溢れるほどの恋情と記憶。遠い昔封じられていた一族の血。

ふらつく体を支えられず思わず扉に体を支える。


「誰だ?」

訝しげな響きを持った声と共に開けられた扉。支えた体がついていかず、思わずよろめいてしまう。


「五木?」

掛けられた声に体中が歓喜で震えた。

「こんなところでどうした?」

驚いたように見開かれた瞳を別の意味にとったのか、氷室は軽く眉を寄せて、扉に体を預けたままの彼女に身をかがめた。

「気分でも悪いのか?だとしたら、突然扉を開けて・・・・・・!五木!?」

息を飲んだ声とともに、咲良の頬を温かいものが覆う。それが氷室の掌だと気付いた途端、心の中に沸き起こる幸せな気持ちと同時に、男の声に何かがすぅ・・・と冷えていくのを感じた。


「何か、あったのか?」

いつもの男と変わらない声の調子。咲良が泣いているせいで多少慌てた感じではあるが、その中に、彼女が望んだ色は見出せなかった。

「申し訳ありません・・・大丈夫、です」

震える声をなんとか絞り出して、彼女は体を立て直す。同時に何気なさを装って、男の手から身を離した。


「ご心配をおかけして済みません。先生のバイオリンの音に酔ったみたいです」

感情が荒れるまま男に掴みかかっていきたかった。「何故?」の言葉が頭の中に荒れ狂っている。

それをぎりぎりの所で押しとどめているのは、封じられるまで続けられていた一族の教えによる矜持。


「バイオリンを弾かれるなんて知りませんでした。とても素敵な音色でした」

「・・・あ、ああ。ほんの手慰みだが。ありがとう」


そろそろ限界だ。そう感じて、咲良は深々と頭を下げた。


「失礼します」

「気をつけて帰りなさい・・・いや、送っていこう。校門で待っていなさい」

行きかけた少女の体がぴくり、と揺れた。一瞬の間をおいて、咲良はゆっくりと振り返る。

「ありがとうございます。ですが、母が迎えに来てくれますから」

もう一度頭を下げると、階段へと消えていく少女に、氷室は声を掛けることが出来なかった。



胸の中に湧き上がる言いようの無い寂寥感と、何かもぎ取られたような気持ちに目を向けることは出来なかった。そのまま、廊下の窓から外を見て大きく息を吐く。一人の、しかも女生徒を特別視することは良くない、と自分に言い聞かせ、バイオリンを片付ける為に音楽室へと戻っていった。




お互いに混乱していた為、彼らがそのことに気がついたのはずっと後のこと。

音楽室は完全防音の為、例えオーケストラ部が練習していても音が外に漏れるのは、よほど音楽室に近づいた時以外ありえない、ということに。









その気配に、生徒会室にいた三人は、仕事の手を止め三様に表情を変える。

一人は不快も露に、一人は呆れたように、また一人は何処となく怒りを滲ませて。



「顕著だな」

「柴田がいれば、少なくともここまで感じることは無かったと思うけどね」

「護り、でしょ?一気に膨れ上がった感じだけど問題ないんじゃないの?」

「どうだろうね?今まで無かったものが急に現れただけで、警戒の対象にはなる気がするけれどね」

「・・・とりあえず、静観しておこう」

中に含まれる意味合いは異なるが、それぞれに重い溜息を吐き彼らは作業を続行させた。


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