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婚約破棄された聖女ですが、初雪の夜に交わした約束を忘れていませんか? ~前世の記憶を取り戻したので、あなたを捨てて竜の国へ嫁ぎます~【短編/ざまぁあり/ハッピーエンド】

作者: uta
掲載日:2026/07/08

「聖女セラフィーナ。お前との婚約を破棄する」


王城の大広間に、その声が凍りついた空気を裂いた。


窓の外では、今年最初の雪が舞い始めている。初雪だ。


王太子アルヴィスは、金髪をかき上げながら、玉座の前で私を見下ろしていた。


「癒しの力も枯れかけた偽聖女に、王妃は務まらん」


その隣で、男爵令嬢ミレイユが栗色の巻き毛を揺らし、勝ち誇ったように微笑む。


「本物の聖女は、わたくしですわ」


――ああ、そう。


私、セラフィーナ・アルヴェンディアは、静かにその言葉を受け止めた。


幼い頃から、この国のために聖力を捧げてきた。魔物に傷つけられた民を、無償で癒し続けてきた。夜も眠らず、倒れかけても、「国のため」と自分を後回しにして。


それが――「偽聖女」。


喚こうとは思わなかった。ただ、胸の奥がしんと冷えていくのを感じた。


そのときだった。


窓の外で、雪がひときわ大きく舞った。ひとひらが、まるで時を巻き戻すように、視界を白く染めて――。


頭の奥で、何かが弾けた。


(――そうだ)


記憶が、雪崩れ込んでくる。


(私は……日本で……過労で倒れた、看護師だった)


前世の名は、初雪。


夜勤明けの病棟。数字で管理される命。魔力回路の解析にも通じた、理系研究職としての冷静な目。


すべてが、一瞬で戻ってきた。


(バイタルも取らずに偽物認定とは。殿下は、問診票も読めないのかしら)


口元に、思わず笑みが浮かびそうになる。


そして――もう一つ、思い出した。


初雪の夜の、あの約束を。



10年前。


あれも、初雪の夜だった。


魔物討伐の帰り、王都の外れの森で、私は倒れている少年を見つけた。


白銀の髪。背中には、見たこともない氷結の紋様。竜人の少年だった。


全身が傷だらけで、呼吸も浅い。放っておけば、朝を迎える前に死ぬ。


幼い私は、震える手で聖力を注いだ。誰にも言わず、ただ一人で、朝まで彼のそばにいた。


意識を取り戻した少年は、薄氷色の私の瞳をじっと見つめて、掠れた声で言った。


「……名前を、教えて」


「セラフィーナ」


「セラフィーナ」


彼は、その名を大切に舌に乗せるように繰り返した。


私は、癒しの祈りを込めた白い髪紐を、彼の手に握らせた。


「これを。……早く、元気になってね」


少年の瞳が、まっすぐに私を射抜いた。


「必ず迎えに来る。この初雪に誓って――君を、生涯守る」


その言葉の重さを、幼い私はよく分かっていなかった。


やがて彼は竜の国へ帰り、記憶は雪のように曖昧に溶けていった。


――けれど、今なら分かる。


(あなたは、あの約束を、忘れていないのね)


目の前では、アルヴィスがまだ何かをまくし立てている。ミレイユが甘い声で相槌を打っている。


どうでもよかった。


私は前世の記憶とともに、もう一つの真実を取り戻していた。


私の聖力は、枯れてなどいない。


それは――この大陸全土を、独りで浄化するために消費されていたのだ。



私は、ゆっくりと顔を上げた。


「かしこまりました、殿下」


大広間が、しんと静まり返る。


「では、この国の聖女職を辞させていただきます」


淡々と、けれど凛と響いたその声に、ざわめきが広がった。


アルヴィスが眉をひそめる。


「……なんだと?」


「殿下がお認めにならないのなら、無理に留まる理由もございません。本物の聖女様が、いらっしゃるのですから」


私は、ミレイユに向かって、雪解けのような微笑みを向けた。


ミレイユの顔が、一瞬こわばる。


(そう。あなたの力が、私の近くでしか発動しないこと――私は、気づいているわ。でも、今は言わない。いずれ国が、証明してくれる)


ミレイユの「聖女の力」は、私が張り続けてきた大陸浄化結界に、便乗しているだけの借り物だった。私が離れれば、彼女の奇跡は消える。


「セラフィーナ様!」


悲鳴のような声。私付きの侍女、ノエルが人垣を割って駆け寄り、涙を堪えながら私の前に立ちふさがろうとした。


「殿下、あんまりです! セラフィーナ様がどれほど――」


「ノエル」


私は、静かに彼女の肩に手を置いた。


「いいの。行きましょう」


広間の隅で、父ガーランド侯爵が、拳を握りしめて俯いていた。何かを言いたげに、けれど王家への忠誠に縛られて動けずにいる。


(お父様。もう、大丈夫ですよ)


私は、深く一礼した。


背を向け、初雪の舞う扉の向こうへ、まっすぐに歩き出す。


喚きも、涙もなかった。


ただ――これが、私の断罪の始まりだった。



聖女職を辞した私が向かったのは、冒険者ギルドだった。


「鑑定スキルの登録を?」


受付嬢が、魔導具に手を触れた私を見て、目を丸くした。


「……Sランク、です。それに、治癒スキルも……こんな数値、初めて見ました」


「あら、そう」


前世で命を数字で管理してきた私にとって、魔力回路の解析は朝飯前だった。


そして、真価を発揮したのは――回復薬づくり。


「ノエル。この薬草、煮出す前に必ず器具を熱湯で消毒して。雑菌が混ざると効能が落ちるの。命は、数字で管理するものよ」


「はい! ……セラフィーナ様、この『しょうどく』って本当にすごいですね。傷の治りが段違いです」


前世の衛生・薬学知識で作った回復薬は、たちまち評判になった。


従来品の半分の量で二倍効く。しかも安価。


冒険者たちが列をなし、注文が殺到した。


ノエルは、意外な商才を発揮して帳簿と在庫管理を一手に引き受けてくれた。


「今月の売上、また記録更新です! これなら、竜の国だろうがどこだろうが、余裕で暮らせますよ!」


「頼もしいわね。……あら、なんだか外が騒がしいわ」


ギルドが、にわかに騒然となった。


「竜の国から国賓が――『氷竜』の将軍がお見えになるそうです!」


その名を聞いた瞬間、私の胸の奥で、何かが小さく震えた。



その男は、雪よりも静かに現れた。


白銀の長髪。凍てつくような蒼氷の瞳。背には、竜人の証たる氷結の紋様。


竜の国リンドヴルムの若き将軍――ジークヴァルト・ヴェルンハルト。


戦場では一切の私情を挟まぬ冷酷さで、大陸中の兵に恐れられる『氷竜』。


ギルドの空気が、ぴりりと張りつめた。


彼は、ゆっくりとホールを見渡し――そして、私で、その視線を止めた。


時間が、止まったようだった。


蒼氷の瞳が、大きく見開かれる。


次の瞬間。


その冷酷無比と謳われた武人の頬を、一筋の涙が、静かに伝った。


「……ようやく」


掠れた声。


「ようやく、見つけた。……10年、探した」


彼は、大股で歩み寄り、私の前で――片膝をついた。


ギルド中がどよめく。


「しょ、将軍が膝を!? 氷竜が、泣いてる……!?」


ノエルが目を白黒させている。


彼は震える手で、懐から何かを取り出した。


色褪せた、白い髪紐。


10年前、私があの初雪の夜に、瀕死の少年へ握らせたもの。


「これを、ずっと……肌身離さず。この日を、待っていた」


私の胸が、締めつけられた。


「……あなたが、あの夜の」


「そうだ」


ジークヴァルトは、まっすぐに私を見上げた。氷の将軍とは思えぬ、まるで初恋にこじらせた少年のような、不器用な瞳で。


「セラフィーナ。竜の国は、とうに気づいていた。……この大陸の浄化を、君がたった一人で背負ってきたことを」


息を呑んだ。


「だから、迎えに来た。君を、あんな国から――」


初雪が、窓の外でまた舞い始めていた。


約束が、10年の時を越えて、私の前に還ってきた。



一方、その頃。レステリア王国は、崩壊の淵にあった。


私が去った直後から、魔物汚染が爆発的に拡大したのだ。


各地で結界が破れ、澱んだ魔力が地を蝕み、作物は枯れ、民が倒れていく。


頼みの綱であるはずのミレイユの「聖女の力」は――まったく、通用しなかった。


「な、なぜですの!? どうして、聖力が発動しませんの!?」


浄化結界の要であった私が去った今、便乗する相手を失ったミレイユの力は、ただの空っぽの祈りにすぎなかった。


「わたくし、なにも知りませんの……! こんなの、聞いてませんわ!」


可憐な仮面が剥がれ落ち、その下から醜い焦りが露わになる。


玉座の間では、アルヴィスが青ざめた顔で叫んでいた。


「なぜだ! なぜ、こんなことに!? ……私は悪くない! 私は、聞いていなかっただけだ!」


責任転嫁の言葉が、虚しく響く。


汚染は王都にまで迫り、貴族たちは我先にと逃げ出し始めていた。


そしてついに、アルヴィスは――かつて自ら「偽聖女」と切り捨てた女に、泣きついた。


国のためでも、民のためでもない。


ただ、自分の保身のために。


「セラフィーナを呼び戻せ! 早く! あの女がいなければ、この国は――!」


王家の使者が、慌ただしく私のもとへ走った。


だが、時すでに遅く。


事態は、すべてが白日の下に晒される――王国存亡会議へと、雪崩れ込んでいった。



王国存亡会議。


国中の貴族が集う公開の場に、私は――ジークヴァルトを伴って、静かに姿を現した。


「セラフィーナ! よく戻った! さあ、早くこの汚染を――」


アルヴィスが、みっともなく取りすがろうとする。


だが、その前に、ジークヴァルトが一歩進み出た。


氷竜の威圧に、広間が凍りつく。


「証言しよう。彼女は10年、たった一人で、この大陸の魔力汚染を抑え続けてきた」


彼の声が、朗々と響いた。


「竜の国は、早くからそれに気づいていた。だからこそ――迎えに来たのだ」


ざわめきが、広間を満たす。


そこへ、鑑定の魔導具が運び込まれた。


ミレイユの「聖女の力」を、公開の場で検証するために。


私は、静かにミレイユを見た。


「どうぞ、鑑定を。……本物の聖女様なら、何も恐れることはないでしょう?」


「い、いや……わたくしは……」


青ざめるミレイユの手に、魔導具の光が触れる。


魔導具が示した結果は――無。


「聖力、検出されず。この者の過去の『奇跡』は、すべて外部結界への便乗と判定」


広間が、爆発するようにどよめいた。


「借り物……!?」

「偽物だったのか、聖女は――!」


ミレイユが、へなへなと崩れ落ちる。


そのとき。


ずっと沈黙を強いられてきた父、ガーランド侯爵が、堰を切ったように立ち上がった。


「もう、黙ってはおれん!」


武門の当主の怒声が、広間を震わせた。


「我が娘は、幼き頃より身を削り、この国を独り支えてきた! それを王家は当然の義務と踏みにじり、あまつさえ偽聖女と断じた! ……私は、父として、それをずっと見過ごしてきた。だが、もう許さぬ!」


父の目に、涙が光っていた。


「初雪の夜、幼いセラフィーナが竜人の少年を救ったこと――私は、覚えております。あの子は、ずっと、誰かのために生きてきたのです」


名誉が、回復されていく。


真実が、すべての人の前に明らかになっていく。


私は、静かに息を吸った。



私は、崩れ落ちたアルヴィスとミレイユを見下ろした。


怒りは、なかった。


ただ、雪のように静かな微笑みを浮かべて、告げる。


「殿下」


その一言に、アルヴィスがびくりと肩を震わせた。


「枯れかけた偽聖女は、竜の国が丁重にお迎えくださるそうです」


「セ、セラフィーナ、待て……! 私が悪かった! 婚約破棄は撤回する! だから――」


「どうぞ」


私は、彼の言葉を、静かに遮った。


「本物の聖女様と、この国を守ってくださいませ」


ミレイユを一瞥する。空っぽの祈りしか持たぬ、借り物の聖女を。


アルヴィスの顔が、絶望に染まっていく。


失って、初めて気づいたのだ。


自分が何を切り捨てたのか。この国の生命線が、誰だったのかを。


「い、いやだ……行くな……! お前がいなければ、この国は――!」


「それは」


私は、微笑んだまま言った。


「……もっと早く、気づいておくべきでしたね」


喚きも、罵りもいらなかった。


ただ静かに背を向けることが、何よりの断罪だった。


ジークヴァルトが、そっと私の肩を抱いた。


「行こう、セラフィーナ。……もう、君を苦しめるものは、何もない」


「ええ」


ノエルが、涙を拭いながら私に駆け寄る。


「セラフィーナ様、どこまでもお供します! ……ふん、あんな王太子より、髪紐一本を10年抱えた将軍様のほうが、百倍まともですよ!」


私は、思わず小さく笑った。


背後で、崩れゆく王家の悲鳴を聞きながら。


私たちは、初雪の舞う王城を、後にした。



そして、再び――初雪の夜。


竜の国リンドヴルムへ向かう道すがら、雪化粧をした静かな丘の上で。


ジークヴァルトが、私の前で、片膝をついた。


10年前と、同じように。


けれど今度は、瀕死の少年ではなく、私を守ると誓う一人の男として。


「セラフィーナ」


蒼氷の瞳が、まっすぐに私を見上げる。


その手には、色褪せた白い髪紐。10年間、肌身離さず持ち続けたもの。


「あの夜の約束を、今度こそ果たさせてほしい」


雪が、ふたりの間に静かに舞い落ちる。


「生涯、君を守る。……永遠に」


氷の将軍と恐れられた男の、不器用で、まっすぐで、10年こじらせた初恋の告白。


私は、微笑んだ。


前世の名を、初雪という私は。


「ええ。……私も、約束します」


そっと、彼の頬に手を伸ばす。


涙が、頬を伝った。ずっと、誰かのためだけに生きてきた私の、初めて自分のために流す涙。


「今度は――私が、あなたを守る番」


ジークヴァルトの瞳が、大きく揺れた。


そして彼は、まるで壊れ物に触れるように、そっと私を抱きしめた。


「……ずっと、この日を待っていた」


「私も。……ようやく、帰れる気がするの。あなたのそばに」


雪が、ふたりを祝福するように、静かに、静かに降り積もっていく。


初雪の約束は、10年の時を越えて、ここに果たされた。



竜の国リンドヴルムで迎える、最初の冬。


私は、竜人と人間の架け橋として、新たな役割を得ていた。


前世の知識と聖女の力を活かし、竜の国の医療を改革し、両国の民を癒す。


もう、誰にも搾取されない。


ここには、私を大切にしてくれる人がいる。


「セラフィーナ様! 新しい治療院、大盛況ですよ! 帳簿がまた黒字です!」


ノエルが、そばかすの顔を輝かせて駆け込んでくる。この国でも、彼女は変わらず私の頼もしい右腕だ。


「ふふ、頼りにしているわ、ノエル」


窓の外では、竜たちが雪空を悠々と舞っている。


「セラフィーナ」


背後から、低く優しい声。


振り向くと、ジークヴァルトが少し照れくさそうに立っていた。その手には、不格好に包まれた贈り物。


「その……君に。何日も、悩んで選んだ」


氷竜と恐れられる男が、贈り物ひとつでこんなに緊張している。私は思わず笑みをこぼした。


「ありがとう。……開けてもいい?」


「ああ。……いや、待て、やはり気に入らなかったら――」


「ジーク」


私は、つま先立ちで、彼の頬に軽く口づけた。彼が、真っ赤になって硬直する。


これが、私の新しい居場所。私の、家族。


――そのときだった。


従者が、慌ただしく一通の手紙を運んできた。


「……あの、お取り込み中すみません。レステリア王国から、救援要請の手紙が届きまして」


封蝋には、見覚えのある紋章。


汚染は、いよいよ止まらぬところまで来ているらしい。かつて私を「偽聖女」と切り捨てた国が、今、私に助けを求めている。


私は、その手紙を、静かに見つめた。


ジークヴァルトが、私の隣に立つ。


「……どうする?」


私は、窓の外の初雪を見上げた。


そして、静かに微笑む。


「そうね。まずは――お茶でも淹れましょうか。返事は、それから」


雪は、まだ降り続いている。


私の新しい物語は、ここから始まるのだ。

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