第7話 灰かぶり姫は毒リンゴの罠を回避する
媚人たちとの生活は、快適そのもので、アシュリンは帰ろうとしなかった。
エドワード王子の偵察隊が屋敷をうろつくので、『猫被りの仮面』を常に保たなければならない生活から解放されて、アシュリンにとってはまさに天国だったのだ。
だが、そんな天国でも一つだけ不満があった。媚人たちが用意する肉が鶏ばかりだということだ。
「……おい(素)」
アシュリンの低い声が小屋に響く。
「鶏胸肉は確かに優秀よ。でも、毎日これじゃあアミノ酸のバリエーションが偏るわ。いい、お前たち。今すぐ外へ行ってイノブタラを狩ってきなさい」
その瞬間、七人の媚人たちは「ひっ……!」と短く悲鳴を上げ、ガタガタと震え出した。
確かにイノブタラはこの森に大量に生息している。しかし、そいつは鋼のような剛毛と、巨大な牙を持つ、猪突猛進の極めて気の荒い獣なのだ。
さらには、恐ろしい伝説がある。
イノブタラを仕留めた際の血の匂いは、森の深淵に棲まう『巨大イノブタラ(通称:森のラスボス)』を呼び寄せる可能性があるというのだ。
あらゆる罠も、矢も、姑息な手段もその巨体には通用しなかった。
この獣を正面からねじ伏せた者は歴史上、一人もいないのだ。それどころかそのラスボスに遭遇して命を落とした熟練の狩人は数知れない。
「お、お嬢さん、イノブタラは危険すぎますぅ! あれはもはや獣ではなく災害……!」
「とてもじゃないけど、俺達では狩るのは無理です」
「命をかけるのが嫌なら、お前たちが今まで貯め込んだ金で、イノブタラを買ってきなさい。」
アシュリンは、彼らが床下に隠していた金貨の袋を土足で踏みつけた。
「……もし、明日の朝食にイノブタラのステーキが並んでいなかったら。お前たちを『高重量のダンベル』代わりにして、スクワット1000回の刑に処すわよ?」
「「「ひ、ひぃぃぃ! 買ってきますぅぅ!!(血涙)」」」
こうして、彼らが今まで『わがままボディの美少女』をドナドナして稼いできた貯金は、アシュリンの食費として湯水のごとく消えていった。
蓄えが底をつき始めた夜、ついに彼らの我慢は限界を迎える。
「……ひぃ。もう限界だ。このままじゃ俺たちが過労と金なしで干上がってしまう」
「こうなったら、あの『森の魔女』に頼んで、最強の毒リンゴを作ってもらうしかない」
「殺すのか…? それはいくらなんでも非道すぎないか?」
「俺たちはわがままボディの美少女を売っても、殺したりはしなかった」
「ほら……童話であるじゃないか? 毒リンゴを食べた王女様を王子がキスで目覚めさせるって……食べたから死ぬってわけでもないと思う」
そんなご都合主義は童話でしか成立しない。毒リンゴは毒リンゴである。食べたら死ぬに決まっている。だが媚人たちは、毒リンゴを食べたら『死』という結果になるということを考えないようにしてしまっていた。
疲労と我慢が蓄積しすぎて、『もうどうにでもなれ!』状態だったのだ。
翌朝、狩りに出かける前に、七人の媚人たちは、茨の囲いを抜けて、禍々しい煙が立ち上る魔女の小屋へ向かった。
「魔女様! 毒リンゴをください!」
大釜をかき混ぜていた魔女は、邪悪に口角を上げた。
「毒リンゴか……いいだろう。ただしただじゃないのは、分かるよね」
媚人たちは唾を呑み込んだ。魔女の代償といえば、魂か、寿命か、はたまた身体の一部か。
魔女は釜のヘラを止め、這いずるような低い声で告げた。
「代金として、今日か明日のうちに『若くてハンサムな男』を一人、ここに差し出しなさい」
「若くてハンサムな男を……差し出す?」
いったい何をされるのか。育てて食べるつもりなのか、それとももっと恐ろしい魔術の生贄にされるのか。
聞くのも怖かったが、魔女の目は本気だった。媚人たちは「理由は聞かない」ことに決め、背筋を凍らせながらその商談を成立させた。
「(……ま、まあ、あの軍曹さえいなくなれば、イケメンの一人や二人、どこからか連れてくればいいしな!)」
こうして彼らは、魔女特製のリボン付き毒リンゴを手に入れ、小屋へと戻った。
「お、お嬢さん! 今日のトレーニングのご褒美に、この世で最も甘く、栄養価の高い究極のリンゴをどうぞ!」
「これさえ食べれば、翌朝には上腕三頭筋が今の二倍になりますぞ!」
アシュリンは、差し出された毒リンゴを素の無表情でじっと見つめた。媚人たちは唾を呑み込む。
「(食え……! 食って永遠に眠れ……!)」
しかし、アシュリンはリンゴを受け取ることなく、鼻をフンと鳴らした。
「……いらないわ」
「えっ!? な、なぜです!? 筋肉にいいんですぞ!?」
「私、リンゴアレルギーなの。食べたら喉が腫れて呼吸困難になるわ。そうなったら明日のスクワットに支障が出るじゃない。そんなリスク、冒せるわけないでしょ」
「そ、そんな……アレルギーなんて、そんな人間らしい弱点があったのか……」
絶望し、呆然と立ち尽くす彼らに、アシュリンは慈悲を与えた。
「でも、もったいないわよね。……さあ、あなたたち七人で分けて食べなさい。日頃の食事管理のボーナスよ」
アシュリンはリンゴを媚人から奪い取ると空中に放り投げる。
「フンッ!!」
という気合と共に、鋭い空手チョップを七連閃で叩き込んだ。
シュパパパパッ! という風切り音の後、宙でリンゴが綺麗に七等分され、媚人たちの手のひらに寸分の狂いもなく着地した。その断面は、研ぎ澄まされた刃物で切ったかのように滑らかであった。
「……遠慮しないで、私の目の前で完食してちょうだい」
アシュリンが拳をパキパキと鳴らすと、逃げ場を失った彼らは震える手で毒リンゴを口に運んだ。
「「「いただき……ますぅ……(絶望)」」」
幸い、七等分されたことで致死量にならなかったが、強烈な吐き気と口の痺れが彼らを襲い、その場に倒れ込み泡を吹いて痙攣した。
「あら、美味しくて腰が抜けちゃったのかしら? ……まぁいいわ、今のうちに腹筋追い込みよ」
アシュリンは、ピクピクと動く媚人たちの体をちょうどいい段差として利用し、その上に足をかけて腹筋運動を開始した。
小屋の中には『自業自得の毒に苦しむ七人の媚人』と、それを踏み台に腹筋を割り続ける『アシュリン軍曹』という、地獄のような光景が完成した。




