第3話灰かぶり姫は健康逃亡劇でドミノする
豪華絢爛な王宮の舞踏会場。
そこは、選ばれし令嬢たちが第一王子エドワードの視線を競い合う、恋の主戦場である。
だが、その隅で一人、異質なオーラを放つ影があった。
「……あぁ、なんですぅ〜。このお肉、とっても小さくて可愛らしいですぅ〜」
アシュリン・ルーカスは、亡き母の「外では猫を被りなさい」という遺言を忠実に守り、周囲には、あざとい美少女として振舞っていた。
だが、彼女の脳内は、目の前の肉に対する辛辣な検品で埋め尽くされていた。
「(……何よこれ。柔らかすぎて歯ごたえがないわ。おまけに脂身が少ないから肉汁がないじゃない! !イノブタラ(神)とは大違い。王家ともあろうものがこんな肉しか提供できないなんて…)」
不満を飲み込み、アシュリンはチラリと時計を見た。20時。彼女の就寝タイムだ。
「(最悪だわ。今この瞬間も、私の貴重な成長ホルモンが、この騒音とシャンデリアの眩しさのせいで行き場を失って死滅している。一刻も早く帰って寝ないと、明日の壁打ち修行に響く……!)」
周囲の令嬢たちが王子をゲットしようと必死に媚びを売る中、アシュリンだけは「一刻も早く、この不衛生な夜更かし会場から消えたい」という一心で時計を睨みつけていた。
そこへ、眩いオーラを放つ男が立ちふさがる。
「そこの魅惑のレディ。一曲お願いする」
エドワード王子からの、直々のダンスの誘い。周囲にどよめきが広がる中、アシュリンの心は荒れ狂った。
「(え〜っ、ダンスなんて踊ったら余計に目が冴えて眠れなくなるじゃないか! この金髪野郎!)」
だが、顔には即座に『猫被りの仮面』を張り付ける。
「……まぁ! 殿下ぁ〜。私のような者に声をかけてくださるなんて、光栄すぎて心臓がスクワットしそうですぅ〜」
「スクワット? ……不思議な例えだ。君は面白いな」
「お誘いありがとうございますぅ〜。でも、私、とっても虚弱(自称)なので、手短にお願いしますぅ〜」
「(爆速で終わらせるわよ! 私の睡眠時間を一秒たりとも奪わせないんだから!)」
ダンスが始まった。だが、それは優雅な舞踏ではなく、アシュリンによる最短ルートでの帰還に向けた格闘だった。
彼女は爆速で曲を終わらせるため、王子のリードを無視して超高速のステップを刻む。
エドワードは振り回されながらも、「なんて情熱的で力強いリードだ……!」と、あらぬ方向へ勘違いを加速させていった。
そして、深夜0時の鐘が鳴り響いた。
睡眠不足による『筋肉の老化』への恐怖、そして猫被りのあざとさの限界がきた。
「死ね! 私の成長ホルモンを邪魔する奴は、王族だろうとブチ殺す!!」
「えっ、アシュリ――」
王子の言葉が終わるより早く、アシュリンは王子の胸を全力の掌底で押し返した。
「睡眠不足は筋力の敵!」
アシュリンが爆走を開始した。
あまりの加速に、屈強な足を受け止めきれなくなった義姉の革靴が「メキョッ」と嫌な音を立ててひしゃげ、片方が脱げ落ちた。
だが、アシュリンは止まらない。
出口へ向かう直線上にいた令嬢、シャンパンを持つ伯爵、談笑する公爵夫人。
「どけぇ! 雑魚ども! 私の睡眠を邪魔するな!」
ドォォォォォン!!
彼女がなぎ倒した一人の令嬢が隣の男爵にぶつかり、それがビュッフェのテーブルを押し、人間たちが次々と重なり合う『人間ドミノ倒し』が発生した。
会場が地獄絵図と化す中、アシュリンは壊滅した会場を一切振り返ることなく、深夜の闇へと消え去った。
そんな地獄絵図の中にいて一人だけ微笑んだ者がいた。
「あの掌……あれこそが、真実の愛だ……」と彼は胸に手を当てて歓びに浸った。
翌朝、ルーカス伯爵邸。
夜会に行けず、吉報を待っていた義母レティシアは、アシュリンの付き人の報告を聞き、泡を吹いて倒れかけていた。
「な……なんですって……? 王子を突き飛ばし……会場の貴族をドミノ倒しにした……?」
付き人は震えながら、現場の凄惨さを物語った。
「はい……会場は壊滅状態。しかもアシュリン様は、最後の一撃で王子殿下の胸板に鮮やかな手形を残されたとか……」
「不敬罪……死刑よ……もうルーカス家は終わりだわ……!!」
レティシアがガタガタと震え、荷物をまとめて逃げ出そうとしたその時。
屋敷の前に、王家の紋章が入った豪華な馬車が到着した。
「ひぃっ!! 迎えが来たわ!! 処刑人が来たわよぉぉ!!」
レティシアが絶叫した瞬間、馬車の扉が開くよりも早く、どこからともなく現れた王家の使用人が、門から玄関先まで目にも止まらぬ速さで深紅のレッドカーペットを敷き詰めた。
さらに、馬車の脇には花かごを抱えた専用の使用人たちが整列する。扉が開き、エドワード王子が一歩踏み出すと同時に、使用人たちは王子の歩調に合わせて、その頭上に惜しみなくバラの花びらを降らせ始めた。
王子の後では、あの『ひしゃげた革靴』をまるで宝物のように台の上のベロアクッションに載せて歩く従者が続く。
「あぁ……この屋敷だ。あの、私を打ち据えた掌の熱気が、まだここから立ち上っているのを感じるよ……」
王子は怒るどころか、頬を薔薇色に染め、恍惚の表情だった。
レッドカーペットの上を、花吹雪を浴びながらうっとりと歩く王子の姿は、震えるレティシアたちの目には、いかなる死神よりも不気味で、そして救いようがないほどに――『ナルシスト』であった。




