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第五話 【ペット怪談】猫のマル①

 それから三日後の、ちょうど水曜日の放課後。


 僕は高校の授業が終わると、茜音さんとの約束通り、すぐに狩森図書館に向かった。前回と同じように竹林のそばに設けられた駐輪場に自転車を停め、雑木林を潜り抜ける。すると、青い屋根瓦を戴いた三階建ての木造の洋館が見えてくる。


 「こんにちは、茜音さん」


 「こんにちは、夏目さん。今日もよろしくお願いします」


 何だか陰気な廊下を抜け一般開架室に向かうと、茜音さんはいつも通り落ち着いた佇まいで僕を出迎えてくれた。僕が制服姿であることに気づき、にっこりと笑う。


「すみません、わざわざ下校途中に寄っていただいて。学校はもう始まっているのですよね? 高校生活には慣れましたか?」


「ええ、まあ……中学の時とはいろいろと勝手が違って苦労しています。おまけに僕、一人暮らしなので、余計に生活に慣れるのが大変ですよ」


 閲覧テーブルの椅子の一つに鞄を下ろしながら答えると、茜音さんは少し驚いた顔をした。


「夏目さん、一人暮らしをなさっているんですか?」


「あ、はい。本当は大学進学まで待っても良かったんですけど、どうしても家を出たかったんです。その……これ以上、僕のせいで家族に迷惑をかけたくなくて」


 正直、家のことはあまり話したくない。そんな僕の意を汲んでくれたのか、茜音さんは詳しい事情を根掘り葉掘り聞いたりせず静かに微笑んだ。


「……そうですか。夏目さんはとても頑張っているのですね」


「いや、その……僕なんてまだまだです。でも……茜音さんに励まされると、何ていうか……とても嬉しいです。……すみません、うまく言えなくて」


「いいえ、夏目さんが元気になれるのならそれが一番です。けれど、一人暮らしは何かと大変でしょう? この図書館の手伝いを続けるのは負担ではありませんか?」


「いいんです。僕の場合、忙しいくらいの方が。それに、僕、一人暮らしなので、学校以外で話をする相手がほとんどいなくて、家に帰っても自分の帰りを待っている人が誰もいないんですよね。自分で選んだこととはいえ、それはさすがに寂しいというか……精神的にきつくなることってやっぱりあります。でも、この狩森図書館に来たら茜音さんといろいろ話をすることができる。だから僕もこの図書館に来るのが楽しみなんです」


「そうだったのですか。それならいいのですけど……もし怪談蒐集の手伝いを続けるのが辛いと感じることがあったら、すぐに仰ってくださいね」


「はい、ありがとうございます」


 やはり茜音さんは優しい。おまけに、気遣いのできる大人な人だ。


 茜音さんに会うたび、身も心も浄化されるかのような、不思議な清涼感とぬくもりに包まれる。騒がしい同級生と一緒にいるよりずっと気分が落ち着くし、何より自分らしくいられる気がする。


 もちろん、同年代の友達と喋ったりくだらないことで笑い合ったりするのも、決して嫌いではないのだけど。


 そんなことを考えていると、茜音さんはふと顔を上げて呟いた。


「おいでになったようですね」


「……え?」


「今回、お話をお願いした怪談の語り手の方です」


 茜音さんが答える間もなく、コツコツと廊下を歩く足音が聞こえてきて、女性が一般開架室に顔をのぞかせた。僕のおばあちゃんよりさらに年上の高齢女性だ。


「あら、良かった。ちゃんと人がいたのね。怪談を蒐集しているという図書館はこちらでよろしいのかしら?」


 僕は茜音さんと共に女性に近づいていって挨拶を交わす。


「ええ。怪談の語り手の方ですね? ようこそ狩森図書館へ。私は館長を務めております、狩森茜音です。こちらは私の怪談蒐集を手伝ってくれている夏目さんです」


「夏目悠貴です。本日は僕が怪談の聞き手を務めさせていただきます。よろしくお願いします」


 女性はふくよかな体形で、身なりがよく、上品な老婦人だった。


 彼女は僕を真顔でじっと見つめる。僕は少しだけ緊張してしまった。ひょっとして、怪談の話し相手が高校生であることが不服なのだろうか。


 すると女性はおもむろに口を開いた。


「……あなた、高校生?」


「はい、そうです。今年、高校一年生になりました」


 素直に答えると、女性は一転して相好を崩す。


「ああ、やっぱり! 私の家の近所にも高校があって、新入生の子たちの姿をよく見るわ。初々しい雰囲気が似ているから、なんとなくそうじゃないかと思ったの。入学おめでとう。こちらこそよろしくね」


 老婦人は僕のことをとても気に入ってくれたらしい。僕は内心でほっとした。これから、この老婦人から怪談を聞き出さねばならないのだ。印象は良い方がいいに決まっている。


 それから僕たちは三人揃って図書館の談話室に向かった。一般開架室の四分の一もない広さの小さな部屋。中にあるのは一つの机を挟んで二つの椅子、そして茜音さんが怪談をしたためるための原稿用紙や黒インク、羽ペンの乗った文机とその椅子だけだ。 


「どうぞ、おかけください」


 茜音さんは入り口近くにある椅子に老婦人を促した。僕は彼女と机を挟んで向かい合った奥の方の椅子に座る。


 僕の方から見えるのは、目の前に座る老婦人、そのさらに向こうに文机に就く茜音さんの横顔。茜音さんはさっそく羽ペンにインクを浸し、怪談を書き留める用意をしている。


 茜音さんから見てすぐ左手は談話室の壁で、前方には談話室のドアがある。


 老婦人が出されたお茶を飲み、落ち着くのを待ってから、僕は慎重に口を開いた。


「ええと……まずはお名前を窺っても良いですか? といっても、必ずしも本名出なくても構いません。この場限りの、いわゆる別名や仮名で結構です」


 老婦人はかくしゃくとした口調でそれに答える。


「私は木村信子。本名よ。特に隠す必要もないからそのままで構わないわ」


「でしたら、木村さんとお呼びしますね。……それではお聞かせください。木村さん、あなたの怪談を」


 すると、木村さんはふふ、と笑った。


「怪談というほど大袈裟な話ではないのだけど……せっかく来たのだから話を聞いてもらおうかしらね」


 そして木村さんはゆっくりと思い出すように語り始める。


「あれは私が子どもの頃のこと……まだスマホやパソコンもありませんし、バブルどころか高度経済成長すら始まっていない時代のことです。私の家には一匹の猫がいました。白と茶と黒の毛がまだら模様になっている猫で、お尻のところに黒の模様があったのだけど、それが満月のお月さまみたいに真ん丸の珍しい形をしていて、家族はみなその猫のことをマルと呼んでいました。

 不思議なことに、マルは私が生まれたちょうどその日、どこからともなくやって来て私の家に居ついたのだそうです。そして、あっという間に我が家に馴染んでしまったのだとか。まるで最初から家族の一員だったみたいに」


 それを聞き、僕はひどく驚いた。


「え……猫が勝手に家に居つくなんてことがあるんですか? すごいですね。僕にとって犬や猫のペットってペットショップで買ってくるイメージしかないです」


「そうね。今は動物愛護の意識が高いのが当たり前だけど、当時はまだそのあたりの感覚が緩かったから。人が犬や猫に対して負う責任も軽かったけれど、そのぶん犬や猫の方も人間に対して遠慮しないというか……ひょっとしたら人に飼われているというより、一緒にいたいから一緒にいるという感覚だったのかもしれないわね。まだ野良犬や野良猫も多くそれが当たり前でしたし、犬や猫もそれで十分生きていけたんですよ」


「そうなんですね。ちょっと……想像ができないです」


「今はいい時代になりましたよ。でも、昔は今とは違ったから……今では考えられないようなこともよく起こっていたんです。これからお話しするマルのエピソードも、当時ならではかもしれません」


 木村さんは再び湯呑みを口に運んでから、話を進めた。


「とはいえ、マルはとにかく気難しく気まぐれな猫でしてね。家族が名を呼んでも知らんぷり、軽々しく触ろうものならシャーッと毛を逆立てて引っかくほどでした。けれどマルは、なぜか私にはとても懐いていたんです。他の家族がマルの背中を撫でようとすると容赦なく猫パンチを繰り出していたのに、私には全く嫌がらず触らせてくれたのよ。当時の私はまだよちよち歩きで、動物の扱いも乱雑だったろうに、それでも……です。

 私が大きくなってもその関係は変わりませんでした。私とマルはどんな時も必ず一緒。宿題をする時も、食べる時も寝る時も……風邪を引いた時まで、マルは寝込む私に寄り添ってくれました。私には年の離れた兄と姉がいたのですが、二人とも早くに家を出てしまいましてね。ですから、私もマルを時には姉のように慕い、時には妹のように可愛がっていつも一緒に過ごしていました。

 あんまり私とマルの仲が良いので、生前、両親は良く笑って私に言いました。『お前はマルに育てられたも同然だね。これも猫神様の思し召しだ。ありがたいことだね』、と」


「猫神様……ですか。ひょっとして、猫を神さまとして祀っているんですか?」


 僕が尋ねると、木村さんは頷いた。


「ええ。私の実家があった地域は農業の盛んな地域だったので、猫を神として祀る風習があったのよ。猫はネズミを捕ったりして農作物を守ってくれるから。特に実家の近くにある猫神神社は出産の神様としても有名だったみたいなの。ほら、猫って一度にたくさんの子を産むでしょう? だからいつしか、『子宝に恵まれますように』、『安全に出産できますように』と願う人たちがお参りをするようになったのですって。

 私が生まれた時は難産で、母はそれはもう苦労したそうよ。だから父や兄、姉たちは毎日、その猫神神社に参拝してお祈りしていたそうなの。『どうか赤ちゃんが無事に生まれてきますように』、『母子ともに健康で過ごせますように』、と」


「とても仲の良いご家族なんですね。羨ましいです」


 木村さんは、ふふふ、と嬉しそうに笑う。


「私は父と母が歳を取ってできた子どもだったので、それもあったのかもしれないわね。……来る日も来る日も、熱心に猫神神社に通い、そのおかげか私は無事、この世に生まれてくることができました。おまけに、その後ふらりとマルが現れたものだから、両親は半ば本気でマルのことを猫神様の使いだと信じているようでした」


「マルは木村さんやご家族にとって、特別な存在だったのですね」


「そうね。マルは私たちの大事な大事な家族だったわ。だからこそ、マルが死んだ時はそれはもうショックだった」


 当時のことを思い出したのか、木村さんは辛そうに目を伏せた。


「マルがこの世を去った時のことは今でもよく覚えています。その数日前からマルは具合が悪そうでした。その時、私は小学生でしたけど、正直なところ学校には行きたくなかったのです。マルのことが心配で心配で……学校を休んででもマルのそばにいてあげたかった。

 ところが、当時はペットが死にそうだからといって学校の欠席を許される風潮ではありませんでした。マルのそばにいたい、学校を休みたいと泣いて両親に頼んだのですが、ついに欠席は許されず、私はすすり泣きをしながら小学校へ向かいました。

 けれど、そんな状態で登校したところで授業の内容が頭に入ってくるわけがありません。今頃、マルはどうしているだろうか。辛くはないだろうか。苦しくはないだろうか。もし家に帰ってマルが息を引き取っていたらどうしよう。一日中、不安で悶々としていました。

 あの時はさすがに両親に対し、少し恨みに思ったわ。どうしてマルのそばにいさせてくれないの、これで最後になるかもしれないのにって」


 当時の木村さんの気持ちを想像すると、とても気の毒になった。けれどその一方で、木村さんのお父さんやお母さんの判断も分かる気がする。


「……難しいですよね。僕はペットを飼ったことは無いけれど、木村さんの気持ちはとてもよく分かります。僕が木村さんと同じ立場だったら、やっぱり学校を休んででもマルのそばにいたかったと思います。だって木村さんにとって、マルは家族だったんでしょう? 

 でも、世の中には、ペットはあくまでペットと割り切っている人もきっと多いです。もし木村さんの担任やクラスメイトがそういう考えの持ち主だったら、木村さんの判断を良く思わなかったかもしれません。木村さんのご両親も木村さんのことを考えて、敢えて欠席を許さなかったのではないでしょうか」


 ひょっとしたら時代もあるかもしれないと思う。木村さんの話によると、当時の犬や猫の扱いは今よりずっと悪かったらしい。だとしたら、犬や猫のために学校を休むなんて、と考える人がいてもおかしくはない。


「……そうね。私も今なら父や母の気持ちが分かるのだけど、いかんせん当時はまだ幼かったから……」


 木村さんは遠くを見るような目をして、再び語り始めた。


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