第四十三話 【因習村怪談】キナリ村のキナリ様⑩
「カルラ……?」
僕が首を捻ると、土屋さんがすぐに説明してくれた。
「仏教の神さまの一人です。鳥の頭と人の体を持ち、背中には翼が生えているそうです。鳥は蛇の天敵であるため、迦楼羅天のご利益で少しでもキナリ様の呪いを弱めようとしたのでしょう」
「つまり、コンジ様がキナリ様の眷属だというのは嘘だということですよね? 昔のキナリ村の人々は、本当はキナリ様が本当は呪いだということを知っていて、それを隠そうとしたのでしょうか。それでそんな作り話を?」
「それもあるかもしれませんが……キナリ村の人たちは何よりも、キナリ様にコンジ様のことを知られるのを恐れたのだと思います。キナリ様の力を弱めるため、『本物の神仏』を祀っていたなんて知られたら、どんなタタリがあるか分からない。だからコンジ様は妖怪かと思うほど恐ろしく醜い姿をしていたんだと思います。
裏を返せば、昔のキナリ村の人々にとってもキナリ様は非常に恐ろしい存在だったのだということではないでしょうか」
「なるほど……キナリ様はあくまで呪いであって、人々を救ったり守ったりはしないということですね。でも、奇妙な共生関係というか……キナリ様が存在しなければキナリ村は存在せず、逆に、キナリ村が存在しなければキナリ様も存在し得ない。そういう感じがします」
「それはその通りだと思います。何せ千年もの間、共に続いて来たのですから、互いの存在が当たり前になっている部分はあるでしょう」
もっと正確に言うなら、キナリ様の本質は呪いであるため、それそのものだけで存在することはできないのではないか。
呪いは呪う対象があってこそ、その存在に意味がある。
もし仮に、キナリ村の村人が一人もいなくなれば、キナリ様は誰も呪うことができなくなってしまうだろう。
それはキナリ様にとって、己の存在の全否定に他ならない。
つまり、キナリ様はキナリ村の村人を容赦なく痛めつけ苦しめるが、さりとて彼らに全滅されては困るのだ。
土屋さんは咳き込んでから、再び口を開いた。
「……ただ、キナリ様やキナリ村のことを詳しく知ることはできたものの、肝心のキナリ様の呪いから逃れる方法は何も分かりませんでした。そもそも、キナリ様が呪いであることはニエ様しか知らない情報なので、そこから逃れる方法を村人が知るはずがないのです。
もし父が生きていたら何か教えてくれたかもしれませんが、今やそれもかないません。
僕は絶望しました。とうとう万策が尽きてしまった、このままニエ様として死ぬしかないのか、と。それも仕方のないことかもしれません。僕たちの先祖は罪を犯し、やってはならない方法で豊かさを手に入れました。一族全員をもってしても償えないほどの罪です。アツシが言う通り、誰かが背負っていかねばならいのでしょう」
土屋さんの言っていることは分かる。
キナリ村で生まれその恩恵を受けて育った以上、一族の罪を背負うのはある意味、仕方のないことなのかもしれない。何故なら、キナリ村で繁栄を享受してきた先祖がいなければ、土屋さんはこの世に存在していなかっただろうから。
その繁栄が他者を葬り去り奪い取って得たものであるなら、代償を支払うのは、考えようによっては当然のことだと言えるのかもしれない。
「でも、このままでは土屋さんの命は本当に……。怖くはないのですか?」
ぶしつけな質問だと分かっていても、そう尋ねずにはいられなかった。
土屋さんは肩を震わせ、呻くように言った。
「怖いですよ。怖くてたまりません、当然でしょう。それに……キナリ様の幻覚を見る回数やキナリ様の幻覚の数もどんどん増えていて……さらに最近、あることに気づいたんですよ。キナリ様はみな基本的に女性ばかりなのですが、その中にわずかながら男性の姿もあることを。
そして、その男性のキナリ様の一人がアツシのお父さん、マサシさんによく似ていたんです」
「マサシさんが? それってマサシさんがキナリ様になってしまったということですか? でも、マサシさんはニエ様だったんですよね? それなのに……」
土屋さんは沈痛な面持ちをして続けた。
「むしろ、だからですよ。キナリ様の呪いをその身に直接受けるニエ様は、死後もその呪いから解放されることなく、自らもキナリ様になってしまうのだと思います。いえ、魂がキナリ様に取り込まれると言った方が正しいかもしれない。
つまり、ニエ様は死後でさえもキナリ様から逃れられないんです。
それに気づいた時、僕は戦慄しました。どうあっても、ニエ様となった者がキナリ様の呪いを解くことはできないのだ、と。同時に、キナリ神楽でキナリ様役を務めたマサシさんの舞いが、何故あれほど悲しそうだったのか、その理由が分かった気がしました。
マサシさんも歴代のニエ様が死後、キナリ様と化してしまったことを知っていたのだと思います。村の誰も、犠牲となった歴代のニエ様がどういった末路を辿ったのか、それを知らない。それを知ることができるのは同じニエ様だけです。
だからこそ、マサシさんは歴代のニエ様を憐れんで神楽を舞ったのでしょう。彼らの魂を慰められるのは自分しかいないのだ、と」
それを聞き、僕は思わず声を荒げた。
「それが本当なら、いくら何でもひどすぎます。それじゃ文字通り、ニエ様はただのイケニエじゃないですか!」
ただでさえニエ様は、キナリ村でも最も多くの負担を背負う。ニエ様となった瞬間から、キナリ様に自分の人生の全て……それこそ、自分の家族や己の命さえも捧げなければならないのだ。
その上、死後もキナリ様に囚われ、キナリ様の呪いの一部として永遠の苦しみを与え続けられるというのか。
それはあまりにも理不尽だし、残酷すぎるのでは。
土屋さんも眉間に深い皺を寄せ、頷いた。
「ええ、そうですね。あまりにも残酷で無慈悲だと思います。でも、僕の村はその方法で千年ものあいだ存続してきたんです」
土屋さんの顔には濃い諦めの感情が浮かんでいた。
彼はもはや、自らに定められた如何ともしがたい運命に抗うことを完全に放棄してしまっているように見える。それだけキナリ様の呪いは無慈悲であり、なおかつ強力なのだろう。
もはや人の力でそれを制御することは不可能なのだ。
さすがに土屋さんのことが気の毒になってきた。
彼は望んでニエ様となったわけではない。それどころか、本来、ニエ様としてキナリ村から与えられるはずだった、広い屋敷や豊かな生活も何ひとつ手にしていない。ただ、ニエ様の負担のみを押し付けられている。
そして、このままニエ様として死に、その魂はキナリ様の一部として未来永劫の苦しみを味わうことになるのだ。
何という残虐な仕打ちだろうか。
いくら先祖の因縁があるとはいえ、土屋さん自身には何の罪もないのに。
正直なところ、最初は土屋さんにあまり良い印象を抱いていなかった。土屋さんは時おり、挙動不審な態度を見せていたし、何か深刻な隠し事をしているのではと感じることもあったからだ。
でもそれは、あくまで直感的なものにすぎないし、土屋さん自身は善良な人だと思う。
だから、このままキナリ様の犠牲になってしまうのはあまりにも可哀想だ。
「本当にもうキナリ様の呪いを解く方法は無いんでしょうか?」
僕がそう口にすると、土屋さんは悄然として首を横に振った。もう何も解決策はないのだと言わんばかりに。
「僕も独身だったら……結婚さえしてなかったら、仕方ない、これも運命だと割り切ることもできたかもしれません。けれど、子どもが生まれてそれもできなくなりました。何故なら、生まれてきた僕の子どもが男の子だったからです」
「……! つまり、このままではお子さんも、ニエ様になる可能性があるということですね」
「そうです。最初は父親になるという実感はほとんどありませんでした。でも、僕の妻の出産に立ち会い、紅葉のような小さな手が毎日、少しずつ大きくなるのを自分のこの手で感じていると、本当に愛おしくてたまらなくなって……強く思うようになったんです。
自分が苦しむのはいい、自分だけが不幸になるのはまだ耐えられる。でも、この子には同じ思いをさせられない。この子だけはニエ様にするわけにはいかない……!」
土屋さんの目は潤んでいた。心の底から我が子を大切に想っているのだと伝わってくる。
土屋さんもアツシさんと同じなのだ。
ただ、自分自身が助かりさえすればいいと思っているわけではない。大切な家族を守りたいのだ。
土屋さんの想いが報われて欲しい。僕はそう感じずにはいられなかった。
僕はキナリ村には行ったこともないし、そもそもどこにあるかも知らないくらいだ。それくらいの、完全な部外者。
けれど千年も昔のことで土屋さんたちキナリ村の人々が苦しめられてきたのは、どう考えてもおかしいと思う。生まれたその時から、先祖の受けた呪いに苦しめられ、苛まれることが運命づけているなんて。それはもはや、因果応報ですらないのではないか。
それに、いくらそれで存続してきたのだと言われても、ニエ様が村の生贄にされるのは間違っていると思う。
確かに土屋さんの先祖たちは悪行の限りを尽くしたのかもしれない。でもその責任は、千年後の子孫である土屋さんたちが本当に負うべきものなのだろか。
もっとも、いくら息巻いたところで、怪談の聞き手である僕には何もできないのだけど。
「……土屋さんはこれからどうされるつもりなのですか?」
土屋さんの境遇に同情しながらそう尋ねる。
すると、その時だった。
彼はすっと僕の方を見た。
相変わらず顔色は悪く、頬もげっそりとこけていてくっきりと陰影が刻まれている。しかし、土屋さんの瞳は妙に冷ややかで感情の読めない無機質な光を宿しており、それは今までにないはっきりとした変化だった。
どくん、と心臓が大きく脈打つ。
何だろう。何か変だ。
土屋さんの目は追い詰められた者の目ではない。むしろ、追い詰める側の目だ。
先ほどまでは確かに憔悴して、何もかも諦めた様子だったのに。
事ここに至って、どうして彼はこのような力強い目をすることができるのだろう。一体、何が彼をそうさせているのだろう。
僕は何か見落としているのではないだろうか……。
「……怪談の続きを話しても?」
「は……はい、どうぞ」
土屋さんの、静かながらもどこか威圧感のある問いに、僕は慌てて返事をした。
土屋さんは一切の感情を排した声で語り始める。
「……これは僕ひとりの手に負える話じゃない。そう判断した僕は、自分がニエ様になったことを母に打ち明け、相談することにしました。それまでは妻はもちろん、他の誰にもニエ様やキナリ様のことを話したことはなかったんです。キナリ村のことに巻き込みたくなかったし、心配もさせたくありませんでしたから。
ですが、キナリ様の呪いに関する調査が完全に手詰まりになって、そんなことも言っていられなくなりました。母はキナリ村の出身ではなかったのですが、村の人たちとは特に軋轢もなくうまく溶け込んでいたので、何か聞いているかもしれないと思ったんです」
「そう……ですか。土屋さんがニエ様になったことを知ったお母さまは、さぞ驚かれたでしょうね」
「そりゃあもう、驚いたなんてものじゃありませんでしたよ。どうしてもっと早く教えてくれなかったの、と怒鳴られ、そして泣かれてしまいました。
母もキナリ村に住んでいただけあり、キナリ様の呪いがどれだけ恐ろしいかよく知っていたんでしょう。
すすり泣く母を宥めていると、ふと母が思い出したように言ったんです。そういえば、長い村の歴史の中で幾度か飢饉や戦争などによって男手を失い、村の存続が危ぶまれる事態が陥ったことがあったらしい、と」
「その……お母さまはキナリ村の歴史にお詳しいんですね……」
「父がアツシの父親……マサシさんと親しかったためか、母もアツシの母親と仲が良かったんです。アツシの母親はニエ様の妻ですし、しかも僕の母と違ってキナリ村の生まれだったそうなので、村のいろいろなことに詳しかったのでしょう。母はアツシの母親から聞いた話だと言っていました。
……もしアツシがその内容を知っていれば、ひょっとしたら今とは違った結末を迎えていたかもしれません。けれど、アツシがニエ様になるずっと前に彼の母親は亡くなりました。ですから、僕が母から聞いた情報をアツシは得ることができなかったのかもしれません」
何かがおかしい。
嫌な予感がする。
このまま、このキナリ村の怪談を聞いてはならない。
聞けば必ず後悔することになるだろう。かつて土屋さんがアツシさんの話を聞いて、死ぬほど後悔したように。
僕の直感はそう警告を発するのに、その場から動くことはできなかった。
何故なら、僕は怪談の聞き手役だからだ。この話を聞くのが僕の役目だからだ。
……いや、本当にそうだろうか。
怪談の聞き手役はただのアルバイトだ。嫌ならいつでも辞められるはず。
なぜ僕はこの場にとどまっているのだろう……。
「……それで母が言うには、村が大きな混乱に見舞われ多くの村人が死に、ニエ様の後継者となる者すらも失われた時、例外的にキナリ村以外の男性をニエ様に選ぶことがあったようです。
どれだけキナリ村の人間が死のうとキナリ様の呪いが解けることはあり得ませんし、誰かがニエ様となって呪いを封じなければなりませんから。おそらくキナリ村の外の男性を婿養子のような形で村に迎え入れたのだと思います。
実際、それでも村は変わらず維持されていたのです」
土屋さんの射るような視線が僕に襲いかかる。
あれほど僕と視線を交わすことを避けていた土屋さんが、今は射殺さんばかりに僕を睨みつけている。
僕はそれを跳ね返すことも、そこから逃れることもできず、ただ土屋さんの目を見つめ返す。
何も言えない僕を前に、土屋さんは一方的に喋り続けた。
「キナリ様の目的はキナリ村の人間を呪い苦しめることですから、キナリ村の人間がいなくなってしまったら苦しめる対象もいなくなり、キナリ様の存在意義が失われてしまう。だからキナリ様もそれを受け入れたのではないでしょうか」
土屋さんはそう言うと、僕の方へ身を乗り出した。
「それを聞いて、僕はあることを思いつきました。今のキナリ村は過疎化で消滅の危機にある。特にニエ様を務められるキナリ村の男子に限って言えば、もはや皆無に等しい。僕の子にしろ、アツシの双子の息子たちにしろ、ニエ様を務めるにはあまりにも幼すぎますからね。
……ひょっとしたら、今ならキナリ村の真実を村とは何の関わりもない他の男性に話せば、ニエ様の継承の儀式が行われたことになり、僕はニエ様のお役目から解放されるのではないか。少なくとも我が子をニエ様にせずに済むのではないか。そう考えたのです。
その方法が成功する確証はどこにもありませんでした。けれど、とにかく試すしかなかった。既に僕の体はキナリ様の呪いに蝕まれている。時間がなかったんです」
すぐ目の前にある土屋さんの瞳は光を全く反射せず、黒々としていて、僕を吞み込もうとしているかのようだった。
心臓の鼓動が速くなる。呼吸をするのも苦しいほどだ。
冷汗が滲み、全身にも鳥肌が立つ。
理性がどれだけ否定しようと、感情は……直感はすぐそこにある危機を感じ取っているのだ。
しかしそれでも、僕はその場を去ることができない。足に根が張ったかのように動かない。
それが怪談の聞き手役としての責任感ゆえか、それとも土屋さんに圧倒されて蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっているだけなのか。
もはや僕自身にも分からなかった。
土屋さんは闇夜を思わせる暗い目をして、呟くように続ける。もはや、僕がそこにいようといまいと関係が無いと言わんばかりに。
「……しかし、いくら試すといったって、相手は誰でもいいというわけじゃありません。親しい人や身近な人がキナリ村の呪いで苦しむのは見たくありませんでした。だって絶対に罪悪感に苛まれるでしょう? それに何より、これ以上、キナリ村の呪いには関わりたくなかった。だからキナリ村の真実を話す相手はできるだけ自分とは無関係で、かつ日常生活の圏内から遠く離れた者が良いと考えました。
誰を選ぶべきか。そう悩んでいた時に、たまたまこの狩森図書館の存在を知ったんです。この図書館に来て怪談の聞き手役が男性だと知った時、これは運命だと思いましたよ」
全身が硬直した。
肺が引き攣って息が上手く吸えない。
手足が現実を受け入れることを拒絶して細かく震える。
(つまり……僕? 土屋さんが次のニエ様に選んだのは僕なのか……?)
それまでどこか他人事だった怪談が急に実体を持ち、悪意をもって殴りかかって来る。僕はその衝撃にただただ呆然とするしかなかった。
僕が新しいニエ様? たちの悪い冗談だとしか思えない。
僕はキナリ村に行ったことがない。そもそも、どこにあるのかすら知らないのに。
キナリ様の呪いとは何の関係もない、ただの部外者のはずだったのに。
同時に、自分が最初、土屋さんに対して嫌な印象を受けた理由がようやく分かった気がした。
土屋さんは初めから怪談などどうでも良かったのだ。ただ、怪談を話すふりをしてニエ様を継承する儀式を行い、僕を新たなニエ様に仕立て上げることが出来さえすればそれで良かったのだ。
つまり僕は、怪談の聞き手役という立場を体よく利用されたということなのだろう。




