第四十話 【因習村怪談】キナリ村のキナリ様⑧
動揺する僕を見て、アツシは自嘲気味に笑いました。
「いや……俺も偉そうなことは言えないな。俺も親父のようにニエ様としての務めを最後まで全うしようと思っていた。でも、子どもが生まれて事情が変わったんだ」
「子ども……?」
「俺にも子どもがいるんだ。双子で、どちらも男の子だ。あの子たちには俺と同じような目にあって欲しくない。自分はどうなっても構わないが、息子たちには幸せになって欲しいんだ。だから、人を雇ってお前の居所を調べた。ニエ様はキナリ村の人間にしかなることができないからな」
つまり、アツシは自分の子どもたちを守るために、僕を犠牲にする選択をしたということなのでしょう。
「アツシ、お前……!」
「……悪いな、リョウ。でも、他にどうしようもなかった。こうするしかなかったんだ」
アツシの口調は不気味なほど静かで、僕はそのことにひどく戦慄しました。
のほほんとして日々を送っていた僕と違い、アツシはとうに覚悟を決めこの場に挑んだのでしょう。
いかにも偶然のように見せかけて僕に近づき、昔話に花を咲かせる振りをしてキナリ村の真実を語って聞かせ、抜け目なく継承の儀式を行った。
その結果、僕がどうなるかも、自分がどれだけ卑劣で人の道を外れたことをしているかも全て承知の上で、それでも彼はとうの昔に決断を下し、腹を括っていたのです。
だからアツシは罪悪感を抱いていなかったし、後悔もしていなかった。
僕はそのアツシの覚悟に、ただただ圧倒されるしかありませんでした。
それからどうやって居酒屋を出たのか、会計をしたのかどうかもよく覚えていません。
気づけばアツシは呆然とする僕をその場に残し、雑踏の中へと消えていきました。
彼がその後、どこに行ったのかは分かりません。
※※※
「それでは、土屋さんは今、ニエ様だということですか?」
僕が尋ねると、土屋さんは小さく頷いた。
「ええ。認めたくはありませんが、間違いないと思います」
それを聞いてもさほど驚きはなかった。確かに、なかなか止まらないひどい咳や見るからに体調が悪そうな様子を考えても、土屋さんの身にキナリ様の呪いが降りかかっているのは確実なように思える。
それに土屋さんは先ほど言っていた。最近、妙な幻覚が見えると。
ひょっとしたら、キナリ様の呪いは既に相当、土屋さんを蝕んでいるのかもしれない。
「でも、アツシさんと再会してキナリ村の真実を聞かされたのはたった二年前なんですよね? お話をされてきたこれまでのニエ様に比べても、土屋さんはキナリ様の呪いの進行が早いような気がするのですが……」
土屋さんの話によると、過去のニエ様の中には十年以上、務めを果たした者もいるという。それに比べ、二年で呪いの症状が現れるのは早すぎるのではないか。
すると、土屋さんは少し考え込んでから口を開いた。
「これは僕の推測なのですが、キナリ村で行われていた数々の儀式がニエ様の背負った呪いの力を弱める作用を果たしていたのではないかと思うのです。村で行われていた儀式は、清めの儀式にしろ、キナリ神楽やキナリ祭にしろ、どれもキナリ様の怒り……つまり呪いの力を鎮めるものばかりでしたから。
けれど、キナリ村は廃れ、それらの儀式も行われることがなくなってしまった。だから、今の僕は身を守るものが何もなく、無防備にキナリ様の呪いに晒されている状態なのだと思います」
たとえキナリ村が無くなっても、キナリ様の呪いは残る。
おまけに長年の月日を経ることで、キナリ様の呪いは弱まるどころかその力を増しているという。
さらにキナリ村で行われていた儀式が過疎化でことごとく中止となり、今やキナリ様の力を抑えるものは何もない。
つまり土屋さんは、過去のどのニエ様よりもキナリ様の力を強く受けている状態にあるのだ。
だから呪いの進行も異常なまでに早いのだろう。
(それにしても、村の成り立ちを聞くことそれ自体が一つの儀式……か。それはつまり、村の伝承そのものに何か呪術的な力が宿っているということなのではないだろうか)
僕は以前、茜音さんが言っていたことを思い出した。
言霊という考え方にもあるように、古来より言葉には霊的な力が宿っているとされてきた。言葉を発すると、その内容が現実になると考えられてきたのだ。
だとするならば、言葉によって構成され、聞き手に共感させたり感情を揺さぶったりする物語……特に怪談は、集積した言霊の増幅装置、もはや一種の呪術だと言っても良いのではないか。
それが茜音さんの見解だった。
もちろん、それはあくまで一つの仮説にすぎない。
少なくとも僕は、そこまで現実に強い影響を及ぼすような怪談に出くわしたことはない。
けれど、土屋さんの話……語り継がれることでほぼ強制的に呪いも継承されてしまうキナリ村の伝承を聞いていると、どうしてもそれを思い出さずにはいられない。
多くの人は無邪気に怪談を語り継ぐ。
だが、中には軽々に口にしてはならない、あるいは聞いてはならない『怪談』も存在するのではないか、と。
土屋さんはまたしても咳き込み始めた。医療の知識がない僕にも、土屋さんの状態が芳しくないということは分かる。
けれど、土屋さんは決して怪談を止めようとはしないだろう。
僕としても、ここまで来たら最後まで土屋さんにつき合うつもりだった。
土屋さんの咳が収まるのを待ってから僕は問いかける。
「……アツシさんのことを恨んでいますか?」
すると土屋さんは、一瞬、怒りとも悲しみともつかない、複雑な表情を見せた。
「最初は、そりゃあもう恨みましたね。何てことをしてくれたんだ、僕の人生は滅茶苦茶じゃないかって。でも、今はそういった感情はあまり毬ません。実際に自分がニエ様になったことで、アツシやマサシさんが何を背負っていたのか、何を背負わされてきたのかを嫌というほど思い知らされたので。
それに……僕にはアツシを恨む資格なんてありませんから」
僕は思わず眉根を寄せた。それはどういうことなのだろう。土屋さんにアツシを恨む資格が無いとは、どういう意味なのか。
すると、僕が疑問を抱いていることに気づいたのか、土屋さんは気まずげに僕から目を逸らすのだった。
「あ、いえ……何でもありません。今のは忘れて下さい」
土屋さんの様子は何だか変だ。
彼は僕に何か隠しているのではないか。
胸の内で再びその疑問が頭をもたげる。
思えば怪談を話す間、土屋さんはほとんど僕の顔を見なかった。今も、できるだけ僕と目を合わせないようにしているのが伝わってくる。まるで僕に対し、何か負い目でもあるかのように。
それだけではない。土屋さんは僕が談話室に入った際、初めて顔を合わせた時も、何故かぎょっとした顔をした。
今思えば、あの時、土屋さんは明らかに動揺していた。
それは一体、何故なのだろう。
最初は土屋さんが内向的な性格をしているからか、もしくは体調不良のせいで体裁を保つ余裕がないだけかと思っていた。
けれど、本当はそうではなく、彼の一連の行動には何か明確な理由があるのではないか。
土屋さんは怪談を話す他に、何かしらの強い目的を持ってこの狩森図書館を訪れたのでは。
土屋さんはそれを誤魔化すかのように話を続ける。
「アツシと別れたそのあと、僕はいつもの日常に戻りました。お前が次のニエ様だと言われたところで、その実感はありませんし、今さらキナリ村に戻るつもりもありません。
仮に僕が戻りたいと言ったって、妻はそれを認めないでしょう。妻も東京で仕事をしていますから。それに僕だって勤務先に出社しなければなりません。気味が悪くはあったのですが、その時の僕にとっては日々のタスクをこなすことの方がよほど重要でした。
しかし、それからしばらくして、異変が僕の体を襲いました。まず最初に咳が出るようになったんです。その時は風邪が長引いているのだろうと思い、市販薬を飲んで様子を見ていたのですが、なかなか治らず咳はひどくなるばかりです。
何か悪い病気にかかったのかと心配し、病院にも行ったのですが、特に異常はないと言われました。けれど咳はひどくなる一方なんです」
土屋さんは数度、激しく咳き込んでから、再び口を開いた。
「次の異変は体調の悪化でした。咳が出始めたころと時を同じくして、強い疲労感に苛まれるようになりました。どれだけ休息や睡眠を取っても、へばりつくような疲労が抜けないんです。
それに加えて頭痛や眩暈、吐き気などにも悩まされるようになりました。あまりの辛さで夜も眠れないことが増えていき、妻や会社の上司にも心配されるほどでした。それほど顔色も悪かったのでしょう。そちらも病院にかかり全身くまなく検査してもらったのですが、やはり原因は分からずじまいです。
それでもまだその時は、それらの不調は自分がニエ様になったせい、つまりキナリ様の呪いの影響なのだという風には考えていませんでした。あくまでもただの体調不良だと盲目的に思い込んでいたんです。いま考えると、自分がニエ様になったということを認めたくなかったのかもしれません。
でも、それも考えを改めざるを得なくなってしまいました。とうとう妙な幻覚を見るようになったからです」
「幻覚……先ほどもおっしゃっていた蛇の化け物のことですか?」
尋ねると、土屋さんは一瞬、ぎくりと体を強張らせた。
彼は相変わらず僕の方を見ない。
テーブルを一心に見つめるその目は大きく見開かれ、そして強い怯えの色が浮かんでいた。
「……ええ、そうです。最初に表れたのは微かな幻聴でした。電車に乗っている時や町中を歩いている時、ふとした瞬間にどこからともなく女性の低い嗚咽が聞こえてくるんです。
初めの頃は耳鳴りの一種だろうと思ってさして気にしていなかったのですが、その嗚咽はどんどん大きくなり、やがて咆哮と言ってもいいほどはっきり聞こえるようになったんです。しかも、一人や二人じゃない。大勢の女性の声が重なり合っており、余計に恐怖をかき立てます。
何かをひどく恨んでいるような、憎しみのこもった絶叫。時には夜に眠っている際、突然、鼓膜が破れそうなほどの金切り声が聞こえてくることもあり、もう頭がおかしくなりそうでした。けれど、隣で眠っていた妻は何も聞こえないと言うんです。
その後、僕の前に現れたのが例の幻覚……蛇の化け物でした」
土屋さんは再び大きく咳をした。
その度に彼の体は大きく揺さぶられる。どれだけ咳き込んでも楽にならず、次々ともっとひどい咳が出てくる。
さぞや苦しいに違いない。
けれど土屋さんは、咳のことなど気にもせず話し続ける。
「その日も僕は会社に出社するため、身支度を整えていました。洗面所で顔を洗っていると、背後に誰かが立った気配がしました。最初は妻だろうと思っていたんです。それで、タオルで顔を拭い、ふと洗面台の鏡に目を留めました。すると……そこにいたんです。例のあれが……!」
土屋さんの声は震えており、おまけにところどころ裏返っていた。
これまで、キナリ様やキナリ村のことを話す時の土屋さんの口調は、常に抑揚を抑え淡々としていたのに、今は彼の感情の全てが露わになってしまっている。もはや冷静さを取り繕う余裕も無いのだろう。
それほど恐ろしい思いをしたのか。
僕は固唾を呑み、土屋さんの話に耳を傾ける。
「それは……女でした。手入れのされていないボサボサの髪は長く、顔は能面のように真っ白。カッと大きく見開かれた目は血走っており、耳まで裂けた口からは人のものとは思えないほど鋭利な牙がのぞき、さらにその奥から蛇のような細長い舌がチロチロと身をくねらせています。
顔があまりにも怒りで歪み過ぎているため、年齢も分かりません。禍々しいその姿はまさに鬼女と言っていい。その女が鏡越しに僕のことを睨みつけているんです。今にもお前を縊り殺してやると言わんばかりに。
さらに異様なのが胴体です。女の体……首から下はやたらと細長く、びっしりと鱗に覆われ、心なしかその表面はぬめっていました。両腕はおろか肩すらもありません。女は体そのものが大蛇と化していたんです。
僕は鏡に映ったそれに驚き、背後を振り返りました。けれど、その時にはもう、そこには何もいませんでした。ただ、台所の方から、妻が朝食の準備をする音が聞こえてくるだけです。恐るおそる鏡の方を振り返ると、今度はおかしなものは何も映り込んでいませんでした。
その頃、治まらない咳と幻聴で、僕は眠れない日々を過ごしていました。だから疲労のあまり、おかしなものを見たのだと思いました。しかしその後も、その蛇の化け物は頻繁に現れるようになります。
夜、電車で帰宅する時、ふと窓の方を見ると僕の後ろにあの女が立っているのが見えるんです。こう……僕の肩の右側に、顔が半分だけ出ている感じで……。他の乗客には全く見えていないのでしょう。彼らは全くの無反応です。ですが、僕にはその女の姿が、何故か気味が悪いほどはっきりと見えるんです。あまりにも気持ち悪くて、自分の背後を直接ふり返ってみたのですが、やはりそこには何もいません。
また、蛇の化け物が見える頻度も、咳や幻聴と同じくどんどん増していきました。スマホの画面に自分の顔が反射した時、あるいはトイレの鏡や建物のガラス扉に近づいた時。そこに映り込んだ自分の姿の後ろに、必ずあの化け蛇が張りついているんです……!」
その幻覚にずいぶん悩まされてきたのだろう。土屋さんは頭を抱えた。
確かに、一度や二度くらいならまだしも、頻繁にそのような幻覚を目にすれば誰だってストレスを感じるし、精神的にも不安定になるだろう。
しかもその幻覚とは幽霊などという生易しいものではなく、明らかに人間ならざるモノなのだ。
それにしても、土屋さんが見たという、蛇の体をした女性の化け物の正体は何なのか。答えは明らかだったが、僕は確認のためにも敢えて土屋さんに尋ねた。
「あの……土屋さんは確か、キナリ様は女性の蛇の神さまだとおっしゃっていましたよね? ひょっとしてその蛇の体をした女性の幻覚というのは……」
「……ええ、キナリ様だと思います。僕がニエ様になったから、キナリ様のお姿を目にすることができるようになってしまったんです……!」
やはりそうか。
最初に土屋さんがキナリ様の説明をした時から何かおかしいと思っていた。
この世には神様として祀られている動物はたくさんいる。蛇はもちろん、狐に鹿、猿、牛などだ。以前、狩森図書館で怪談を披露してくれた木村さんは、猫を祀っている猫神神社の話をしてくれた。
だが、神さまとして祀られている動物が雄か雌かというのは、普通あまり言及されない。雄だろうと雌だろうと、鹿も猿も有難い神使であることに変わりはない。
だが、キナリ様は違う。
キナリ様は滅ぼされた村の女性たちと蛇の怨念や怒りが交じり合って生まれた神さまだ。だから蛇であると同時に女性であるということが強調されねばならなかったのだ。
「最後のとどめは、父の死でした。ある日、母から連絡があったんです。父が危篤だと。僕は驚きのあまりスマホを落としそうになりました。何故なら、その連絡が入る一週間ほど前、僕は妻と両親の四人で食事をしていたからです。その時に、アツシがキナリ村の実家の墓を管理してくれていたということを報告すると、父は複雑そうな顔をしつつも喜んでいました。だからよく覚えています。
その会食時の父はいつも通り元気そうで、どこも具合なんて悪そうになかったのに……。急いで病院に行くと、父は既にICUの中でした。口元に呼吸器をつけており、とても苦しそうで……担当の医師からは呼吸器疾患だと説明されましたが、僕には喘ぐような呼吸をする父の姿が死期の近づいたマサシさんに重なって見えて仕方ありませんでした。
母と僕の二人だけなら面会ができると言われたので、僕は母と共にICUに入り、父の元へ歩み寄りました。僕が声をかけると、父はうっすらと目を開き、そして僕を見て言いました。『リョウ……お前……。そうか……ごめん……ごめんな……』父の目には涙が浮かんでいました。
僕は自分がニエ様任ったことを父には告げていなかったのですが、父はそれを悟ったのだと思います。父は長年、かつてニエ様だったマサシさんを補佐し支え続けたので、何も言われずとも察しがついたのかもしれません。その夜遅くに父は亡くなりました。享年五十八でした」
それを聞き、僕は息を呑んだ。
「五十八才……まだまだ若いですよね。最近は八十歳以上の人も多いですし、よほどの病気でもない限り急死する年齢ではないと思います」
土屋さんも悔しそうに何度も頷いた。
「父はきちんと健康管理をしていましたし、健康診断も欠かさず受けていました。それなのに、こんなに急に死ぬのはおかしいと僕も思いました。
もちろん何事も例外はつきものです。しかし、キナリ村の村人は短命な者も多いですし、アツシのお母さん、つまりマサシさんの奥さんも早くに亡くなったと聞きました。
マサシさんの補佐役だった父は、いわばニエ様の次にキナリ様に深く関わる立場に置かれていましたから、他の村人よりキナリ様の呪いに触れる機会も多かったでしょうし、より短命だったのも自然の成り行きかもしれません」




