第四話 【サークル怪談】路傍のカカシ④
「本がある空間って、何となく落ち着きますよね」
「夏目さんもそう思いますか? ……私もです」
「でも、この図書館には蔵書もたくさんあるし、管理が大変じゃないですか?」
「そうなんです。出版社から出版されたものの他に、うちで蒐集した怪談を資料としてまとめたものもあるので、年々、増える一方で。……でも、私にとってはどれも大切なものですから、大事にしたいんです」
「何だか分かる気がします。僕も自分で買った本とか、やっぱり特別な愛着があってなかなか捨てられないですから。と言っても、僕は普段あまり本を読まないんですけどね。茜音さんはどういう本が好きなんですか?」
「そうですね……ホレス・ウォルポールや、メアリー・シェリー、エドガー・アラン・ポー、それから泉鏡花や小泉八雲などをよく読みます」
「へ……へえ、そうなんですか」
どれもあまり知らない作家名だ。泉鏡花や小泉八雲は教科書に載っていたので辛うじて記憶にあるが、他は聞いたこともない。どんな作品を残した作家なのだろうか。スマホで検索しようとすると、待機マークがくるくる回転してうまく作動しなかった。
「あれ? なにか不具合を起こしたのかな」
茜音さんは、ふふ、と笑って僕に教えてくれる。
「ホレス・ウォルポールは『オトラント城奇譚』という作品が代表作としてよく知られています。同様にメアリー・シェリーは『フランケンシュタイン』、エドガー・アラン・ポーは『アッシャー家の崩壊』や『黒猫』など……みな優れた幻想小説を多数、書き残しているんです」
「幻想小説……」
「神秘的で不思議な世界を舞台にしていたり、幽霊や悪魔、妖怪などが出てくるお話のことです」
つまり日本で言うところの怪奇譚、広義の意味での怪談みたいなものか。
「ああ、だからこの図書館もそういったジャンルの本が多いんですね。神話や民俗学、宗教学、神秘学とか……。ちょっと個性的というか……偏ってるなって思ってました。茜音さんは本当に怪談が好きなんですね」
怪談の語り手である三浦さんが狩森図書館にやって来るのを待つ間、僕は一般開架室にある本をざっと見て回ってみた。その時に、くだんの特徴に気づいたのだ。もちろん、歴史や自然科学、技術や工業、文学といった他の分野の本もあるにはあるのだが。
「ええ……怪談蒐集は私のライフワークのようなものですから」
そう言って微笑む茜音さんは、けれど決して嬉しそうでも誇らしそうでもなく、むしろどことなく寂しそうに見えた。
何と言っていいのか……諦めと苦悩が混在しているようにかんじられて、僕の方まで胸が苦しくなってくる。
(もしかして、茜音さんが怪談を蒐集しているのは、ただの趣味とかそういう単純な理由ではないのかもしれないな)
いずれにせよ、今はこれ以上、踏み込まない方がいい。僕はあくまでただのアルバイトなのだから。そう判断し、僕は話題を変えることにした。
「でも、せっかくこれだけ静かでくつろげる場所なのに、この図書館にはほとんど来館者がいませんよね? 何だかもったいないな。神御目市の中心にあるとはいえ、周りを雑木林で囲まれているから目立たないし、ひょっとしたら神御目市の人たちもここに図書館があることに気づいていないのかもしれない。……そうだ。僕、狩森図書館のことを宣伝しましょうか。スマホを使えば簡単ですよ」
そう提案すると、茜音さんは口元に運んだティーカップから立ち上る紅茶の湯気の向こうで淡く微笑んだ。
「……夏目さんは優しいのですね」
「いえ、そんな……」
「お気持ちはありがたいのですが、私はこの図書館の静謐な空気が好きなんです。それに私、どうしても人見知りしてしまって……」
茜音さんの言葉はやんわりとしていたが、その中には確かな拒絶が感じられた。
「あ……そうですよね。来館者が増えたらそれだけ対応するのも大変ですもんね。茜音さんは一人でこの図書館を守っているんだし……怪談の記録作業をしている間は図書館利用者への対応はどうしても難しくなりますもんね」
「わたしには夏目さんがいてくれたら十分です。次もよろしくお願いしますね」
「は……はい!」
茜音さんのことはまだ謎だらけだ。
分かっているのは彼女が狩森図書館の館長であるということと、怪談を蒐集しているということだけ。
でも、茜音さんが僕をとても頼りにしてくれているというのは分かる。また、茜音さんは謎多き女性だけれど、その一方でとても優しくて僕のことをあれこれ心配してくれたり気遣ってくれたりもする。
だから僕も、できるだけ茜音さんの力になりたいと思う。
彼女の求める怪談が一つでも多く蒐集できるように。
それから僕は紅茶と一緒に出された洋菓子を口に運んだ。ほろほろとした口当たりの良い柔らかいクッキーだ。レモンティーにもぴったりだった。神御目市で古くからある洋菓子店のものらしい。
さらにしばらくして、一般開架室にある古い柱時計がボーン、ボーンと五回鳴る。
「……あ、もうこんな時間か。すみません、茜音さん。僕、今日はこの辺りで失礼します」
「そうですね、遅くならないうちに。」
茜音さんは一般開架室の入り口近くにある受付に向かう。そして戻ってくると、僕に給金の入った茶封筒を差し出した。
「お疲れさまでした、夏目さん」
「ありがとうございます。……あの、いつもこんなに貰っちゃって本当にいいんですか?」
「気にしないでください。それは怪談の聞き手が受け取るべき正当な対価です。本当はこれでも少ないくらいですので」
「そう……ですか……」
「次の予定日は三日後、水曜日の午後からですね。夏目さんは学生ですから、高校にも通わなければならないので大変でしょうけれど、今日のようにお手伝いしてくださると、とても助かります」
「はい、もちろんです! っていうか、僕けっこう責任重大だな、ははは。それじゃ……あ、紅茶とクッキーご馳走様でした。美味しかったです」
慌ただしく通学鞄を担ぐ僕に対し、茜音さんは静かに、けれどはっきりとした口調で言った。
「夏目さん」
「はい?」
「最初にお伝えしましたが……くれぐれも図書館の地下には行かないよう、お願いしますね」
「はい、了解です」
僕は茜音さんにあいさつし、一般開架室を後にした。茜音さんは廊下まで僕のことを見送ってくれた。
狩森図書館は古い洋館なだけあり何とも言えない趣がある。足音がけっこう響くし、古い建物特有の匂いも相まってなんだかとても不気味だ。
特に今は夕方だからか、館内はかなり薄暗い。気候は既にかなり暖かくなっているにもかかわらず、足元が冷やりとする。
静まり返った廊下を歩いていると、廊下に面した窓の向こうを何かがさっと横切っていった。小さくて黒い影のようなものだ。
(何だろう……猫かな?)
姿はよく見えなかった。ただ、大きさと素早い動きからそうではないかという気がした。窓の向こうには鬱蒼とした暗い竹林や雑木林が広がっている。猫の一匹や二匹、棲みついていたとしてもおかしくはない。
狩森図書館を出て雑木林の間に伸びる小道を抜けると、やがて竹林が広がっている。その一角に停めておいた自転車にまたがって帰宅の途に就く。
「はあ……茜音さん、今日もきれいだったな。おまけに大人っぽいし優しいし、怪談の聞き手役もそれほど辛くない。これで日給一万円か。本当にいいのかな……? 僕としても助かってはいるけれど……」
狩森図書館でのバイトはだいたい週に一回から二回の頻度で、一回当たりの勤務時間はおよそ二、三時間。業務内容は怪談を聞くだけ。それで報酬は一万円だ。
高校生だが親元を離れ、一人暮らしをしている僕にとって狩森図書館との出会いは降って湧いたような幸運だったと言っていい。というのも、僕はどうしてもお金を貯めたいと思っていたからだ。
両親からは十分に経済的支援をしてもらっている。実家から遠くに離れた私立高校に通わせてくれ、一人暮らしまでさせてくれていることにとても感謝している。
でもだからこそ、これ以上、二人に迷惑はかけたくない。
そのため、僕は高校生になったらアルバイトをしようと心に決めていた。
ところが、すぐに問題が発生した。僕の入学した高校、柊星学院高等学校はアルバイトが禁止されていたのである。
おまけに、神御目市は地方都市の郊外にあるさらに小ぢんまりとした町だ。コンビニや飲食店でバイトをしていたらすぐに友人知人に知れ渡り、高校側にも把握されてしまうだろう。それは避けねばならなかった。入学早々、波風を立てて問題児のレッテルを張られたくない。
どうしたものか、何か良い方法はないだろうか。
自転車に乗り、神御目市の散策をしていると、間の悪いことに自転車のタイヤがパンクしてしまった。仕方がないので手で自転車を押し、サイクルショップを探していた時、たまたま竹林の前を通りかかり、そして目にしたのだ。『狩森図書館、この奥』という古い看板を。
こんなところに図書館があるのか。僕は興味を惹かれ、入口に自転車を停め竹林の奥に足を踏み入れた。特に本や図書館に興味があったわけではなく、ちょっとした好奇心だった。
竹林の奥には雑木林まであり、さらにその向こうから現れたのは大正ロマンとも言うべき三階建ての古い洋館。
その入り口には張り紙がしてあった。『この図書館では怪談を蒐集しています。あなたも是非、怪談を話してみませんか? ただし要予約ですのでその点はご注意ください』
それから最後に『怪談の聞き手を務めてくれる方を募集しています。希望者は狩森図書館事務室までお越しください』、と。
(怪談の蒐集か。そんなバイトがあるんだな。初めて知った)
少々、不審には思ったものの、その怪談蒐集のバイトは僕にとってまさに渡りに船だった。何故なら、狩森図書館はひっそりとしており、どう見ても人が多く出入りしているようには見えない。実際、僕が初めて訪れた日も、図書館には誰も客がおらず閑散としていた。これだけ人が来ないなら、バイトをしていても誰かにそれを見咎められることは無いのでは。そう思いついたのだ。
もっとも、怪談を蒐集するアルバイトなんて聞いたことが無かったため、一抹の不安が無いではなかった。しかしその懸念も、狩森図書館の館長である茜音さんに出会って吹き飛んだ。
有り体に言うと、僕は一目見て茜音さんに心を奪われてしまったのだ。
怪談の聞き手役をしたいと申し出ると、茜音さんもそれを喜んで承諾してくれた。かくして僕は狩森図書館でバイトをすることになったというわけだ。怪談蒐集という一風変わったアルバイトを。そして今日、初めて怪談の聞き手役という仕事をしてみて、今のところは特に問題もなく続けられそうだという手ごたえを感じている。
(自転車がパンクした時は、なんてついていないんだと嘆いたけれど、いま思えば逆に運が良かったのかもしれないな。おかげで、狩森図書館でアルバイトをすることができたんだから。茜音さんもいろいろ謎の多い人だけど、それは多分、茜音さんの人見知りな性格も影響しているんだろうし、これからきっと親しくなれるという予感がする。バイトの仕事内容的にも十分、高校生活と両立させられそうだ。せっかくだから頑張ろう。茜音さんの力になれるように)
正直なところ、狩森図書館は少し不気味だけど、それはきっと建物が古いせいだ。僕のおばあちゃんの家もそうだった。伝統的な日本家屋でいかにも何か出そうだったけど、住んでいるうちに全く気にならなくなった。それと同じでそのうちきっと慣れるだろう。
そう思うと何だか勇気づけられて、僕は自転車のペダルを漕ぐ足に力を込めた。
神御目市は小さな町だ。四方を山に囲まれていて、唯一、開かれた南側を下っていくとやがて海に辿り着く。新しい建物やマンションなどもそれなりに建っているが、古い民家もけっこう多い。それもあってか、夜になると真っ暗になる。夜空に瞬く星々がはっきりと見分けられるほどに。
僕は日が落ちて急速に寒くなった神御目市の国道沿いに自転車を走らせ、現在ひとり暮らしをしている、ちょっぴり古いマンションに戻ったのだった。




