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第三十七話 【因習村怪談】キナリ村のキナリ様⑤

 しかしその疑問を口に出す間もなく、土屋さんの話は続く。


「さらに、キナリ村の中で最も重要であると位置づけられていたのは、八月のお盆直前に行われるキナリ祭でした。これは村特有のお祭りで、端的に説明すると、キナリ様に巫女であるニエ様の妻を生贄として捧げるんです」


「え、生贄って……!」


 まさか、生きた人間を生贄にするのか。


 信じられないが、キナリ村の人々ならやりかねない。


 思わず声を上げると、土屋さんは僕の考えを察したらしく、それを否定した。


「もちろん、あくまで儀式的な意味で、です。実際にニエ様の妻に何か危害を加えるわけじゃありません。もっとも、かなり過酷な儀式であることに変わりはないのですが……」


 そう言い言えると、土屋さんはまたもや咳き込んだ。


 心なしか、土屋さんの顔色はどんどん悪くなっていっている気がする。茜音さんが心配していた通り、本当は怪談を話すことができるような状態ではないのだろう。


 しかし土屋さんは、怪談を話す気力を失わない。


 彼の仄暗い瞳には奇妙な熱が燻り続けており、僕はそれが不気味で仕方なかった。


 とはいえ、今は聞き手の仕事に徹しなければならない。僕は土屋さんの語る話に耳を澄ます。


「キナリ祭の手順はこうです。まず、ニエ様の妻は滝行をしたあと、ご神域に入ります。ご神域の中央にはキナリ様のご神体である長虫岩(ながむしいわ)があるのですが、そのさらに北側の奥には真っ暗な洞窟があり、その洞窟の中に(ほこら)があるんです。ニエ様の妻はその祠に一週間、閉じ込められ、キナリ様に祈りを捧げるんです」


「一週間……! その間、生活はどうするんですか? 食事とか……」


「祠といってもそれなりの広さがあり、設備も整っているので一種間ほど生活するぶんには特に問題はないようです。

 とはいえ食事は毎食、水とゆで卵のみ、選ばれた村の者が水と共に祠の中に運びます。

 また、朝日が昇ってから夕方、日が落ちるまで、一週間、毎日祈り続けなければなりません。その間、ニエ様の妻は一歩も祠の外には出られないので、負担が大きいことは確かです。

 また、村の者たちも一週間、ご神域の前で儀式に参加します。儀式はニエ様が執り行い、村の者たちは(ひざまず)いて一心に祈りを捧げます。これもまた日の出から日没まで、ほぼ飲まず食わずで行われます」


 また、無茶なことを。僕は内心でうんざりした。


 キナリ祭の間、ニエ様の妻が口にできるのは水と卵だけだという。それはおそらく、卵が蛇の好物だからだろう。


 だが、三食すべてが水とゆで卵だけで一週間を乗り越えるなんてあまりにも過酷すぎる。


 また、ご神域の外でも村人全員が一日をかけて祈りを捧げるそうだが、八月に野外で行われる行事だ、必ず熱中症や脱水症状を起こす者が続出するだろう。


 しかし、そういった事態が改善されることはない。おそらく、このキナリ祭で行われることの一つ一つに重要な意味があるからだ。


 何故、ニエ様の妻を生贄として捧げなければならないのか、何故、北の祠にこもらねばならないのか。

その全てに意味がある故に、容易には変えられないのだろう。


 もはや村の全てが、しきたりと儀式で雁字搦めとなり、にっちもさっちもいかなくなっている。まさに最低最悪の因習村と化しているのだ。


 でもそれをそのまま土屋さんにぶつけるわけにもいかない。


 土屋さんもある意味では被害者なのだろうから。


 何とか気を取り直し、僕は土屋さんに気になった点を質問する。


「でも、キナリ祭が行われるのは八月ですよね。一年で最も暑い時じゃないですか。そんな時期に飲まず食わずって……倒れたりする人もいるのではないですか?」


 すると土屋さんは、あっさりと頷いた。


「もちろんいます。時には幻覚を見るものが出ることもあります。意識の朦朧とした状態で、『化け蛇に襲われる』と叫んだり……。

 しかし、最も負担が大きいのは何と言ってもニエ様の妻ですね。キナリ祭の終わりに祠から出てきたニエ様の妻は、再び滝行をし、そこでようやく生贄の役から解放されるのですが、その時にはすっかりやつれ果て、毎回、両側から人に支えられないと立てないほど衰弱します」


 それはそうだろう。


 土屋さんによると、ご神域は外に比べても気温が低く感じるそうだ。


 しかし、いくらご神域は冷やりとするといったって、一年で最も暑い時期に祠に閉じ込められ、一日中、祈りを捧げた挙げ句、ゆで卵と水しか口にすることができないなら、どれだけ健康的な人間でも弱りきるのが当たり前だ。


「ニエ様はアツシの父親です。つまり、キナリ祭で生贄の役を務めるニエ様の妻はアツシの母親ということになります。ですから、アツシはこのキナリ祭の間はとても辛そうでした。母親のことが心配でたまらなかったのでしょうね。

 けれど、ニエ様の息子である以上、弱音を吐くこともできません。陰でひとり泣いているのをたびたび目にしましたし、儀式が終わって滝行からも戻ってきた母親に、真っ先に抱きついていました」


 それを聞き、僕は初めてアツシという少年に同情した。


「それは……さすがに可哀想ですね。子どもなら自分の母親がそんな目に遭っていたら余計に辛いでしょう」


「ええ……。でも、キナリ祭はどの行事よりも重要視されていました。というのも、キナリ祭はキナリ様にとってのお盆なんです。つまり、現世に及ぼすキナリ様の力が最も高まる時期ということですね。ですから、キナリ様に生贄を捧げることで、キナリ様の怒りの力がキナリ村に及ばないようにしなければならなかったんです。

 八月はキナリ祭のあとに通常のお盆も行われるので、キナリ村の人間にとっては一年の中で最も忙しく、そして身体的負担も大きい時期でしたね」


「確かに、お話を聞くだけで大変さが伝わってきます。そもそも、八月といえば子どもは夏休みですが、大人は普通に仕事がありますよね。でも、その仕事を休んででもキナリ祭には参加しなければならないわけですもんね」


「そうですね。キナリ村の人間にとって、キナリ様は何より優先されなければなりませんから」


 土屋さんの口調は終始、冷ややかだった。それがこの世の真理であり、至極当然なのだと言わんばかりだ。あるいは、彼はとっくに諦めているのかもしれない。どうせキナリ村は変わらない、キナリ様なんて自分には関係ない、と。


 ……いや、そうではないかもしれない。


 むしろ、彼は知っているのではないか。

 

 土屋さんはキナリ神楽に込められた真の意味も、キナリ様が本当は何であるのかも全て知っているのでは。


 だからこそ、敢えて感情を押し殺し、冷静になろうとして、淡々とした口ぶりになってしまうのではないか。


 そう気づくと知りたくてたまらなくなった。


 土屋さんが何を知っているのか、そして何を隠しているのかを。


 僕は土屋さんに対し、ずい、と身を乗り出した。


「でも、そこまでの犠牲を払わなければならないキナリ様とは何者なのでしょうか」


「……」


「もちろん、キナリ村ではキナリ様を神さまとして祀っていたというのは分かります。けれど、キナリ様に関するしきたりや儀式の数々を聞いていると、どうしても違和感が拭えないんです。

 たとえば、キナリ村の人々はキナリ様を崇めると同時にひどく恐れていた。特に怒りを買わないように細心の注意を払っていました。それは裏を返すと、キナリ様はキナリ村のことを良く思っていなかった、少なくとも些細なことで(たた)りを与えるくらいには村を疎ましく思っていたということなのではないでしょうか。

 村人はそれをどこかで理解していたからこそ、キナリ様に脅えていたのではありませんか?」


 土屋さんの顔はどんどん青ざめ、もはや土気色と化していた。おそらく、僕の指摘が核心を突いているからだろう。


 土屋さんの体調を考えると、あまり刺激しない方が良いのは分かっている。


 けれど僕は、湧き上がる疑問を押さえることができなかった。


「それに、キナリ村に代々、伝わるしきたりや儀式は村人に過剰な負担を強いるものばかりです。キナリ様が本当にキナリ村にとって良い神様なら、そこまで過酷な祭事を求めるでしょうか。

 キナリ村で行われていた儀式や行事の数々が本当にキナリ様のためだというなら、キナリ様はキナリ村の人々を苦しめたがっているように感じられてならないのですが、キナリ様は本当に村にとって必要な神様だったのでしょうか」


 そして僕は改めて青ざめた土屋さんを見据えた。


「……そもそも、キナリ様は本当に神さまなのですか?」


 村人を脅えさせ、極端なしきたりや儀式で雁字搦(がんじがら)めにし、苦しめたり死に至らしめるものが本当に神さまであると言えるのか。


 そんな神さまを祀ることが本当に正しいと言えるのか。


 僕がそう問いを発した途端、土屋さんの肩はぎくりと強張る。


「そ……、それは……」


 彼の目が泳ぐのが分かった。声にも動揺が現れている。


 その時、僕は悟った。


 もしかしたら、土屋さんもまたキナリ様を恐れているのかもしれない。


 誰よりもキナリ様のことを知っているが故に、人一倍その危険性を恐れ、脅えているのかもしれない。


 ところが次の瞬間、土屋さんは激しく咳き込み始めた。これまでの咳より、ひときわ激しい。今にも血を吐きだして、倒れるんじゃないかと心配になるほどだ。


 酸素が足りていないのか、唇は紫色に変色していた。それと同時に、土屋さんから漂ってくる水の腐ったような生臭さもどんどん増していく。


 僕は慌てて土屋さんに声をかけた。


「土屋さん! 土屋さん、大丈夫ですか?」


「は……い、だ、大丈……」


 けれど、その言葉は途切れ途切れで、とても大丈夫であるようには見えない。


 体はどんどん前のめりになり、今にも倒れそうだ。咳も全く止む気配がない。


 どうしたらいいのだろう。途方に暮れた、その時だった。


 何かの気配を感じたのだろうか。


 土屋さんは咳き込みながら、ふと談話室の窓を見る。


 そして目を見開き、表情を引き()らせた。


「う……うわああああ!」


 土屋さんは突然、悲鳴じみた声を上げて、勢いよく立ち上がった。まるで、その場から逃げようとするかのように。


 その弾みで、彼の座っていた椅子が、がたんと大きな音を立てる。


 あまりに異様なその様子に、僕は驚いて絶句してしまった。


 土屋さんの後ろで怪談を原稿に書き留めている茜音さんと目が合う。茜音さんも何が起こったか分からないようで、戸惑ったような表情を浮かべている。


 何があったのかは分からない。けれどとにかく、土屋さんを落ち着かせなければ。


 僕は慎重に土屋さんへと声をかけた。


「……土屋さん、どうしましたか?」


「へ、蛇……蛇の化け物が……!」


 土屋さんは窓の方を指差しつつ、上擦った声で叫んだ。


「蛇の化け物……?」


 僕は椅子から立ち上がり、窓のそばに歩み寄った。


 談話室の窓は上げ下げ窓になっており、僕は下の方の窓を上に押し上げ、外に顔を出して周囲を見回してみた。


 だが、蛇はおろか、生物は何もいない。いつもの憎たらしいオッドアイの黒猫すらいない。


 ただ、雑木林の木々が葉を揺らす音が聞こえてくるだけ。


「あの……どこにも蛇はいないみたいですけど……」


 ふり返ってそう告げると、土屋さんは激しく肩を上下させ、我に返ったようにまばたきをし、そして脱力してくたりと椅子に座り込んだ。


「す……すみません。最近、その……妙な幻覚を見るようになって……」


「幻覚……ですか」


 僕も自分の椅子に戻りつつ、そう答える。


「あ、いえ……。何でも……ありません」


 よほど強い恐怖を味わったのか、土屋さんの呼吸は浅く、しかもとても早い。額や頬も冷や汗で濡れている。顔色もさらに悪い。


 このまま怪談を続けられるのか。


 むしろ、今日はもうこの辺りで切り上げておいた方が良いのでは。


 すると土屋さんは微かに口を開いた。


「怪談……キナリ村の怪談を話さなければ……」


 うわ言のようにそう呟いてから、彼はやつれきった顔で僕の方を見る。


「あの、キナリ村の話を続けていいですか?」


「え……ええ。どうぞ」


 これだけ具合が悪くても、土屋さんはキナリ村の話をやめようとはしない。


 どうして彼はここまでキナリ村の話をしたがるのだろう。


 どうしてそこまでして僕たちにキナリ様の話を聞かせたがるのだろう。


 どう考えても、そこには何らか目的があるように思えてならなかった。


 だが、その目的が何なのかがどうしても分からない。


 考える余裕もなく、土屋さんは話を再開する。


「これまで話してきた通り、キナリ村は奇妙な儀式やしきたりが多く残るところでした。とはいえ、僕はそのキナリ村で生まれ育ち、それが当たり前でしたし、これからもキナリ村の中で生きていくのだと思っていました。

 ところが突然、その生活に終わりが訪れます。きっかけは僕の家にたくさんの村の大人たちがやって来たことです。

 大人たちはみな眉根を寄せ、いかめしい顔をしており、両親を取り囲んで何か真剣な話をしているようでした。子どもだった僕は外に出ているように言われたので、彼らが両親と何の話をしているか分かりませんでした。

 けれど、あとから聞いた話だと、どうやら村人は父に新しいニエ様になってくれないかと打診していたそうなんです」


「ニエ様に……? でも当時のニエ様は、アツシさんの父親、マサシさんが担っていたんですよね?」


「はい。ですがその頃、マサシさんはひどく体調を崩していて、儀式を行うことができないこともあるほどだったんです。

 キナリ村ではキナリ様にまつわる儀式や行事は何よりも重要なのに、儀式の主役であるニエ様が不在だなんて許されるわけがありません。そのため、ニエ様を交代させるべきではないかという話は前々から出ていたみたいですね。

 代々、キナリ村の村長がニエ様を務めてきたという慣例に従うなら、次のニエ様はアツシです。しかし、アツシは当時まだ小学生ですから、ニエ様になるにはまだ幼すぎる。ニエ様は単に巫女の役割を負うだけでなく、村の外部の人間との話し合いや交渉の役も担っていますから、とても子どもに務まるような役目ではなりません。

 それもあり、僕の父に白羽の矢が立ったんです。父は長年、ニエ様であるマサシさんの補佐をしていましたから」


「土屋さんのお父さんはその話を受けたのですか?」


 僕が尋ねると、土屋さんは表情を険しくして俯いた。


「父は自分がニエ様になるべきか否か、悩んでいるようでした。ニエ様になれば負担は大きい。もちろん生活は豊かになりますが、それを差し引いてもニエ様のお役目はそう簡単に引き受けられるものではない。

 ただ、父も僕と同じでキナリ村で生まれ育ったから、村の人たちのたっての頼みを断り辛かったんでしょうね。また、自分が最も適任であることは、父が誰よりよく分かっていたでしょうし。

 けれど、母がその話に猛反対したんです」


「ああ……それもそうでしょうね。土屋さんのお父さんがニエ様になってしまったら、土屋さんのお母さんはキナリ祭で生贄の役をしなければならなくなりますもんね。躊躇するのが普通だと思います」


「もちろんそれもあります。ただ、それだけじゃなくて……ニエ様は代々、とても短命なんです。特に重篤な病気を患うわけでもないのに、若いうちに衰弱死してしまう。

 ニエ様は六十歳まで生きられない……それが村では公然の秘密となっていました。なんでも、ニエ様はその立場上、最も多くキナリ様の力の影響を受けます。そのあまりにも強すぎる力に、体が耐えられないのだとか。

 当時、ニエ様を務めていたマサシさんも、学生の頃はとても元気だったそうです。体力もあり、僕の父よりスポーツも得意だったみたいですね。ところが、キナリ村に戻ってニエ様になってから、みるみる衰弱してしまった。

 父にニエ様の打診が来た頃、アツシさんはまだ三十代でしたし、何か病を抱えているということもなかったはずです。それでも既にかなりのレベルまで衰弱が進行していた。それを考えても、どれだけ異様な状況か分かっていただけるかと思います。

 母は父がニエ様になってしまったら、マサシさんと同じ末路をたどってしまうのではないかと……それを恐れたのです」


 ニエ様は短命。


 キナリ様の強すぎる力に体が耐えられない。


 それを聞いて、僕は思った。それでは本当に、「ニエ様のニエはイケニエのニエ」ではないか、と。


 いくら良い生活ができたって、命を縮めてしまったら意味がない。話を聞く限りニエ様は儀式における負担も大きいようだし、多少豊かな生活が送れたとしても、とても釣り合いがとれているようには思えない。

 

 そういえば、土屋さんも最初に言っていた。「歴代の村長はしぶしぶニエ様のお役目を務めていたのではないか」と。


「でも、キナリ村の人々もそう簡単に引き下がらないでしょう。村人たちのキナリ様に対する執着は、尋常ではないみたいでしたし」


 僕の言葉に、土屋さんは「ええ」と同意を示した。


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