第三十五話 【因習村怪談】キナリ村のキナリ様③
しかし、アツシは鼻先で僕の言葉を笑いました。『キナリ村の奴らなんて、外の世界を知らない臆病者だ。ご神域が本当はどういうところかも知らないで崇めているんだからな。知ってるか? その昔には、ご神域で鬼火を見たって奴もいるんだぜ。そいつは鬼火を見た翌日に死んじまったそうだけどな。もし、ご神域が本当に神聖な場所なら、鬼火が出るのはおかしいだろ。大人はみんな嘘をついているんだ!』
アツシの声は大きく、僕は誰かに会話の内容を聞かれるのではないかと冷や冷やしてしました。
アツシはニエ様の息子なので、キナリ様やご神域の悪口を言っても注意されるだけですむかもしれません。でも、僕は違う。僕はアツシの意見に同調するわけにもいかず、適度に聞き流していました」
「アツシさんは、何というか……非常に怖いもの知らずというか、豪胆な性格だったんですね」
遠回しに表現すると、土屋さんは困ったように笑った。
「まあ、アツシの気持ちも分かりますよ。キナリ村には他にも奇妙な風習や決まりがたくさんありましたから。
そういう僕も、父にキナリ様やご神域について、こっそり尋ねたことがあります。父も僕と同じでキナリ村で生まれ育ったので、僕の疑問に答えてくれるかもしれないと思ったんです。
『お父さん、僕はご神域のことがすごく怖いと感じるんだけど、ご神域は本当に神聖な場所なの? それとも、僕がおかしいのかな? ご神域ってどうしてあんなに生臭いの?』
……僕からそう問われた時の父の顔は今も忘れられません。
何かに脅えるようというか……まるで死刑宣告を受けたかのようにショックを受けていて、子ども心に、自分は父にきいてはいけないことを聞いてしまったのだと強く思いました。
父は必死に動揺を抑えた様子で、『リョウ、それは家の外では絶対に口にしてはいけないよ』と僕をさとしました。それで、僕も二度と父にそういった質問をしませんでした。
ただあの時、父が何を恐れ、何に脅えていたのか……子どもの頃の僕はそれだけが不思議でなりませんでした」
――何を恐れ、何に脅えていたのか。
土屋さんの発したその言葉がひどく印象に残った。
つまりキナリ村の人々は、ご神域や長虫岩、ひいてはキナリ様に対し、必ずしも純粋な信心を抱いていたわけではないということか。
もっとも、ご神域の不気味な実態を聞く限り、それも当然な気もするが。
「確かに、キナリ村はずいぶんと風変りというか……失礼ですけど、何となくきな臭さがありますね。しかも、いろいろ根が深そうな印象も受けます」
僕が正直な感想を伝えると、土屋さんも頷いた。
「ええ、そうですね。僕もキナリ村の外に出て初めてそのことに気づきました。逆に子どもの頃は、キナリ村に存在する数々の風習や言い伝えを奇妙だと感じたり、いつも儀式やしきたりばかりで面倒だと思うことはあっても、異常だとまでは感じなかったんです。キナリ村ではそのどれもが当たり前のことだったので」
「そうですか……そういうものかもしれませんね。そこで生まれ育ったのなら、なおさら。他にはどんな風習やしきたりがあったんですか?」
土屋さんの咳は今のところそれほどひどくない。だから質問をしても大丈夫だろう。そう判断し会話を促すと、土屋さんはテーブルの上で両の手を組み合わせた。
「そうですね……。たとえば、キナリ村では絶対に蛇を傷つけたり殺してはなりませんでした。何故なら、キナリ様は蛇の神様だからです。そのため、野生の蛇はキナリ様の化身だと考えられていました。
もちろん、夏目さんも言っていたように、他の地域でも似たような考え方や風習はあると思います。ただ、キナリ村の場合はそれが異常なまでに厳しいんです。
他にも蛇の行く手を遮ってはいけないとか、道で出くわしたら手を合わさなければならないとか……家に入ってきた蛇を追い払うのさえ、禁じられていました。
極めつけは、真夏によく出る毒蛇のマムシも退治したり追い払ったりしてはいけなかったことです。特に医療機関が整っていなかった昔は、毎年マムシに噛まれて死者が出ていたそうです。それでも村はそのしきたりを改めなかった」
それを聞き、さすがに僕も眉をひそめずにはいられなかった。
「それは……さすがにいくら何でも……、ですね。まるで人の命よりキナリ様への信仰の方が大事だと言わんばかりじゃないですか」
いくらキナリ様のためであっても、人命には代えられない。それが一般的な考えではないのか。
キナリ様への信仰心を捨てるべきとまでは言わない。でも最低限、現代の常識に沿うようアップデートする作業は必要だ。
たとえば、蛇を大事にするという点は守りつつも、毒のある危険なマムシは追い払ってもいいとするといった具合に。
何故、キナリ村はそれができなかったのか。
土屋さんも表情を曇らせた。
「実際、キナリ村ではそういった考え方が当たり前でした。似たような例は他にもあります。
村では年に何回か、儀式の際にニエ様がご神域に入り、長虫岩に村特有のお供え物を捧げるんです。そのお供え物は白い砂糖を固めたお菓子で、ネズミの姿をしているんです。よくお盆の頃、仏壇に供える花の形をしたお菓子があるじゃないですか。それによく似ていて……」
「ああ、落雁ですね。僕の祖母もよくお仏壇にお供えしていました。因みに、お供え物のお菓子がネズミの形をしていたのは、ひょっとしてネズミが蛇の好物だからですか?」
「そうだと思います。キナリ村のしきたりは全てキナリ様のためのものですから」
土屋さんはそう答えたあと、俯いたままぎゅっと眉根を寄せた。そこに浮かんだ感情は、もはや嫌悪というより憎しみに近かった。
一体、何があったのだろう。
僕が見つめる中、土屋さんは何かに耐えるかのように組んだ両手を強く握りしめ、続きを話す。
「……ただ、お菓子といってもお供え物である以上、単に作ればいいというものでもないらしいんですね。ですから、そのお供え物を作る専門の係の人がいました。山内さんというおばあさんです。
けれどある時、その山内さんが腰を痛めてしまい、代わりにその実の娘さんがお供え物を作ることになったんです。突然の怪我だったので、他の代役が見つからなかったんでしょうね。
娘さんはお供え物のお菓子のレシピを母親である山内さんから口頭で教えてもらい、その通りに作ったそうです。
ところが、出来上がったお供え物に何かしらの不備があったとかで、キナリ村の村人たちは激怒し始めました。何でも、お供え物は材料の配合から作り方の手順まで、しきたりで細かく決められているのだとか。
僕の目には、山内さんの娘さんが作ったお供え物は、普段、山内さんが作っているものとほぼ同じであるように見えました。けれど、形だけ同じでも意味がないというのがキナリ村の人々の言い分です。中には、お供え物を作る役目に就いていながら腰を痛めるなんて、キナリ様に対する信心が足りなさすぎると山内さんを責める声すらありました。
村人たちの怒りは収まらず、とうとう山内さんの家はキナリ様を冒涜した罪深き一族と認定され、キナリ村の中で村八分にされてしまいました。そのせいか、山内さんは徐々に弱っていき、ついには衰弱死。娘さんも心を病んでしまいました。
山内さんのお葬式には、村の人間は誰ひとり参列してはならないとされ、式は隠れるようにしてひっそりと執り行われたそうです。残った娘さんも、しばらくして山内さんの後を追うように亡くなりました」
土屋さんが言い終えると、談話室は一瞬、静まり返った。
想像以上の陰惨な結果に、僕はすっかり絶句してしまい、何と返していいのか分からなかったからだ。
でもすぐに強い怒りがこみ上げてきた。
「そんな……それはあまりにもひどすぎます! しきたりを破ってしまったのはいけないことかもしれないけれど、今の時代に村八分なんて……いくら何でもやり過ぎだと思います! どんなに地元の神様が大切だったとしても、やり方があまりにも陰湿すぎるんじゃないでしょうか?」
それが今とは全く価値観も倫理観も違う、大昔の話だというならまだ分かる。共感はできないけれど、現代とは違うんだなと納得することができる。
しかしそれが、土屋さんの子どもの頃……つまり、つい最近に起きたことだなんて。
あまりにもひどすぎて、俄かには信じられない。
そんなことをして本当に許されるのだろうか。
「確かに夏目さんの言う通りだと思います。山内さんの事件が起こった時、僕はまだ小学校の低学年でしたが、そんな子どもの目から見てもさすがに何かおかしいのではないかと感じざるを得なかった。
でも、それを口にすることはできなせんでした。キナリ村では『キナリ様のため』という信心の強さが何よりも正しく、他の何よりも評価されるんです。ですから、『キナリ様のため』と言えばどんな無茶も通ってしまう。
逆に、一度でも『キナリ様のためになっていない、キナリ様を軽んじている』と決めつけられてしまったら、どんな善人も『犯罪者』にされてしまうんです。ですから、みな表面上では熱心にキナリ様を崇めるふりをしつつ、内心ではいつ『犯罪者』にされてしまうのではないかと、びくびくしていたと思います」
「何ていうか……こういう表現をしてはいけないかもしれませんが、すごく陰険な社会ですね。集団の中で個人が互いに監視し合っていて、キナリ様がそのための装置になってしまっている。権力があり、自分の思い通りに物事を進めたいという人にとっては、この上もなく便利は仕組みでしょうね」
もはやキナリ様の存在が悪い意味での相互監視社会を生んでしまっている。過度な同調圧力は誰にとっても不幸でしかない。
過疎地の共同体を維持しようと思ったら、それくらいやらねばならないということなのだろうか。
「夏目さんの言っていることはその通りだと思います。キナリ村は確かに陰湿で陰険な村だった。ただ一つだけ違っていることがあって、それはキナリ村の人々に悪意はなかったということです。
彼らはただ怖かっただけなんですよ。キナリ様を崇め、大事にし、同時にひどく恐れていた。それだけなんです」
そう言うと、土屋さんは再び、ひどく咳き込み始めた。先ほどよりさらにひどい咳だ。
肺が、ゴヒュウ、ゴヒュウと常軌を逸した音を立てている。それに伴ってか、水の腐ったような異臭もどんどん強くなる。
僕は慌てて土屋さんに声をかけた。
「土屋さん、大丈夫ですか? 少し休憩しましょうか」
「い、いえ……。このまま……このまま話を続けさせてください」
そして土屋さんは湯呑みを口に運んだあと、ふと顔を上げ、僕を直視した。
「……夏目さんこそ、大丈夫ですか?」
「え……?」
「キナリ村の話を……この先も聞く覚悟はありますか?」
まるで挑むような目。
何だろう。僕は強い違和感を抱く。
土屋さんはこれまで、一度も僕の方を見なかった。確かに会話こそ交わしていたものの、それはあくまで表面上だけのやりとりだ。彼はキナリ村やキナリ様のことを話す間、何故か徹底して僕のことを避けていた。
それなのに、どうして突然、僕をまっすぐ見つめるのだろう。
しかも、まるで何かを突きつけるかのような目をして。
違和感はそれだけではなかった。土屋さんはこんなにも弱っているのに、彼の瞳には強い意志が宿っている。まさに死にもの狂いという言葉がぴったりだ。
そのアンバランスさが何故だかとても恐ろしく感じられてならない。
このキナリ村にまつわる怪談の先を聞くのがだんだん怖くなってくる。
気づけば茜音さんも僕の方を見つめていた。
もし僕がここで怪談の聞き手役を辞めたいと申し出たとしても、茜音さんはきっと僕を責めたりはしないだろう。
でも、それでも茜音さんを失望させたくない。茜音さんのために、聞き手の仕事を全うしたい。
僕は土屋さんを見つめ返して頷いた。
「もちろん、覚悟はあります。僕はそのために怪談の聞き手としてこの場にいるのですから」
すると、土屋さんはほっとしたような表情になった。しかし、それはすぐに苦悶に代わる。
ここでもやはり、土屋さんの反応はアンバランスだ。安堵と苦悩、相反する二つの感情が同居し、せめぎ合っている。今まで狩森図書館を訪れた怪談の語り手にはなかった反応だ。
何となく、土屋さんは何か特殊な事情を抱えているのではないかという気がする。
怪談とは全く別の、何がしかの目的を秘めているからこそ、こんな風に表情が二転三転するのではないか。
もっとも、その目的が何かまでは分からないけれど。
何度か深呼吸をし、息を整えたあと、土屋さんは重々しく口を開く。
「……分かりました。それではキナリ村に話を戻しましょう」
土屋さんは再び僕から目を逸らし、テーブルを見つめた。
「キナリ村特有のしきたりは、まだまだあります。たとえば夜間は絶対に村の中を歩いてはいけませんでした。キナリ村では、夜はキナリ様の活動する時間だと考えられていたからです。蛇って中には夜行性のものもいるじゃないですか。それが影響しているのかもしれません。あと一つ、忘れられないのはコンジ様です」
「コンジ様……キナリ様とは別の神さまですか?」
「というより、コンジ様はキナリ様の眷属なんです。
コンジ様は金色の翼を持つ鳥の姿をしています。キナリ様は外の世界からキナリ村にやって来た神さまなのですが、その時にキナリ様を背に乗せ、キナリ村まで運んできたのがコンジ様だと言われていたんです。
そのため、キナリ村では村のそこかしこにコンジ様の石像が建てられていました。コンジ様もキナリ様と同じくらい村人から大切にされていましたね。
ところが、コンジ様の像は神さまとは思えないほど不気味な姿をしているんです。鋭くて大きな嘴、ぎょろりとした目。背中には翼が生えていて手や足には肉食獣も青ざめるほどの凶悪な爪がついています。西洋にガーゴイルってあるじゃないですか」
「建物に設置してある怪物みたいな石像ですよね?」
「ええ。コンジ様もそれと同じで、神さまというより魑魅魍魎や妖怪のような姿をしているんです。
子どもの頃はコンジ様の像が怖くてなりませんでした。何故、神さまなのにあれほど恐ろしい姿で表現されているのかと」
「まるで魔除けみたいですね」
僕がそう言うと、土屋さんはぎくりとした表情で僕を見る。
「え……?」
彼の目は怯えを含んでいて、僕は土屋さんに対して何か悪いことをしてしまったような感覚になる。
別に、他意はなかったのに。僕は慌てて弁明した。
「あ、いえ……たとえば仏像でも不動明王や金剛力士像など、いかめしさや力強さを強調したものもありますし、実際、そういった怖い仏像の方が悪いものを追い払ってくれそうじゃないですか。キナリ村の人たちもそう考えたのかもしれないなと思ったんです」
「そう……ですね。多分そうだと思います」
土屋さんの返答は妙に歯切れが悪かった。気まずそうというか、明言を避けているという感じだ。
(僕は何かまずいことを言っただろうか?)
それは分からない。
ただ、土屋さんは怪談を話す以外に何か別の目的を持っているのではないかという疑問は、今や確信に変わりつつあった。
純粋に怪談を話すため、それだけのためにこの場にいるわけではないからこそ、相反する感情がぶつかり合ったり言葉を濁したりするのではないだろうか。
(だとしたら土屋さんは何が目的なのだろう。何のためにわざわざこの狩森図書館にやって来たのだろう?)
土屋さん自身は悪い人ではないと思う。
けれど、初めて彼を目にした時の、すごく嫌な感じがなかなか拭えなかった。
土屋さんは間違いなく、何か複雑な事情を抱えている。しかも彼は、敢えてそれを僕に伏せているのだ。
そんな相手の怪談など聞くべきではない。
腹に一物ある相手の怪談など、本来は聞いてやる義理もないのだから。
そしてできるなら、一刻も早くこの場を立ち去るべきだ。
僕の直感はしきりにそう囁くが、土屋さんに彼の怪談を聞く覚悟があると断言した手前、今さら聞き手をやめるわけにもいかない。それに、茜音さんを失望させたくもなかった。
一方の土屋さんは気を改めたように口を開いた。彼の様子からは、一刻も早く怪談を進めたいという気持ちが伝わってくる。
「そんな数あるキナリ村のしきたりの中でも最も時代錯誤だったのは、キナリ村の外の地域の人々との接触を禁止されていた点です。
余所者は村に入れないし、キナリ村の人間が他の村に行くこともできない。周辺地域と何かトラブルがあった時や、役所や警察、消防などの行政の人が来た時は、ニエ様がその対応をしていました。キナリ村の村人は基本的に余所者と口をきいてはならなかったのです。
また、ネット環境も制限されており、テレビ番組も一部の視聴が禁じられていました。ドラマやバラエティーなどの娯楽番組はまだ縛りが緩かったんですが、いわゆる報道やドキュメンタリ―ですね。『社会の闇や悪を暴く』というスタンスの。そういったものは決して見てはならないとされていました」
「ある種の情報統制……ですか。徹底していますね。そこまでしてキナリ村の人を外部の人たちと接触させたくなかったんでしょうか」




