第三十四話 【因習村怪談】キナリ村のキナリ様②
土屋さんはいくぶん落ち着いたらしく、視線をテーブルに落とし、淡々と語り始めた。
「僕は子どもの頃、とある集落で育ちました。その集落は山に囲まれた広い盆地の中にあり、キナリ村と呼ばれていました。これからお話しするのは、そのキナリ村にまつわる話です」
そう言い終えると、土屋さんは再び数度、咳き込んだ。
「土屋さん……」
「いえ、大丈夫です」
土屋さんはそう言って、茜音さんが出した茶を一口飲んでから話を続ける。
「……キナリ村はとても豊かな村でした。村の大半が広々とした田んぼで占められており、米がよくとれたんです。おまけに土壌が肥沃で、村のそばを大きな川が流れているため水源も豊富でした。また、山の中にある盆地なので昼夜の寒暖差が激しく、おかげでとても質の良い米が収穫できた。もともと、昔から米作りに適した土地だったのだと思います。
さすがに農業以外の産業が発達した現代では、それほど豊かさを実感することもありませんでしたが、江戸時代やそれ以前は飢餓や困窮とは全く無縁だったほど恵まれた土地だったようです。
僕の子どもの頃も村では米をよく作っていたんですが、秋には広々とした田が一面、黄金色に染まるんですよ。その光景が息を飲むほど美しくて壮観で……今でもあの美しさは忘れられません。
……ただ、キナリ村はとても個性的というか、独特の風習を色濃く残している村でした。というのも、土着の信仰が当時もまだ強い影響力を持っていて、村全体がそれに束縛されていたんです。
キナリ村が祀っていたのはキナリ様という蛇の神様でした」
「蛇ですか。確かに蛇の神様って多いですよね、日本でも世界でも。五穀豊穣や不老長寿の象徴なのだとか。そのせいか、僕も祖母から蛇を見ても決していじめてはいけないと言われました」
同居している間、祖母はいろんなことを僕に教えてくれた。そのほとんどは大それたことではなく、生活に根差したことだった。今も日常に残る慣習や風習の意味、昔から言い伝えられてきた民間伝承。それが怪談蒐集に役立つとは思ってもみなかった。
土屋さんは目を伏せたまま、僕の言葉に頷く。
「村には代々、キナリ様に仕える巫女がおり、ニエ様と呼ばれていました。ただ、巫女といってもニエ様は女性ではありません。ニエ様になるのは昔から男性のみと決まっていました。その理由は、キナリ様が女性の神さまであるためです。
子どもの頃に教えられた言い伝えによると、キナリ様はもともとキナリ村にいた神様ではなく、外からやって来てキナリ村を豊かにしてくれた神さまなのだそうです。キナリ村を支えてきた豊かな田畑も、キナリ様が与えてくれたものなのだとか。
ですから、ニエ様が巫女となり、キナリ様と宗教的な婚姻関係を結ぶことで、キナリ様がキナリの地にとどまるようにしなければならないのです」
「確かに独特で面白い風習ですね。でもそれだと、ニエ様になる男性は生涯、結婚できないということですか?」
「いえ、あくまで宗教上の婚姻なので、ニエ様も人間の女性と結婚することはできますし、家庭を持つこともできます。
それどころか、ニエ様はキナリ村で破格と言っていいほどの特別待遇を受けていました。村から手厚い支援を受け、村一番の豪邸に住むことができ、働かなくてもすむほど贅沢な暮らしができますし、ニエ様の家族も同様に裕福な暮らしをすることができます。
それだけでなく、ニエ様は村人からまるで神さまのように崇められていました。みながニエ様に出会うと深々と頭を下げ、ニエ様に無礼を働いた者はたとえ子どもでも厳しく罰せられました」
「へえ……それじゃ、ニエ様に選ばれるということは、とても名誉でラッキーなことだったんですね」
ニエ様になるだけで豊かな生活ができ、おまけに村人から崇め奉られるのだ。ニエ様になった人はみな、さぞ喜んだに違いない。
僕は単純にそう考えたのだが、それを聞いた土屋さんは視線を落としたまま顔を強張らせた。
「それは……どうでしょう。何事にも裏というものはありますから」
何故、そんな含みのある言い方をするのだろう。
何だか気になったが、取り敢えずは土屋さんの話に耳を傾けることにする。
彼の話はまだ始まったばかりだ。
「……ニエ様になる者は特に決まっているわけではなくて、キナリ村の男性なら誰でもニエ様になる資格を持っています。ただ、ニエ様はみなに敬われるという立場であることから、村長がその役を兼ねることが多かったようです」
土屋さんの説明に、僕は「なるほど」と相槌を打った。
「確かに村人から最も敬われ豊かな暮らしをしている人と、村の中でいちばん権力を握っている人が別々だったら、何かとやり辛そうですもんね」
「もちろん、そういった面もあったと思います。ただ、キナリ村の場合はかなり特殊な事情があって……いま思うと、歴代の村長はしぶしぶニエ様のお役目を務めていたのではないかと思うのです」
「え、あんなにたくさんの恩恵を受けられるのに、ですか?」
目を見張って驚くと、土屋さんはどこか自嘲気味に笑う。
「所詮、ニエ様のニエは、イケニエのニエですから」
それはどういうことなのだろう。
何故そこで『イケニエ』などという殺伐とした単語が出てくるのだろう。
不穏な空気を感じ、僕はふと眉根を寄せた。しかし、土屋さんは相変わらず淡々とキナリ村のことを語り続けるのだった。
「僕はそのキナリ村で父方の祖父母、そして両親の五人で暮らしていました。いわゆる二世帯住宅だったのですが、両親と祖父母の仲も特に悪くなかったので、よく晩ご飯を一緒に食べたりしていましたね。
祖父母は先祖の代からキナリ村に住んでいたらしく、自分はこのキナリの地で死ぬんだ、介護施設には何があっても入らないと息巻き、よく両親を呆れさせていました」
「先祖代々、同じ土地に住み続ける……現代ではかなり珍しい話ですね」
「ええ。でも、いたって普通の家庭でしたよ。祖父母は農家で田畑の世話に精を出していましたし、父は一般企業のサラリーマン、母は僕を育てるかたわら近くのスーパーでパートとして働いていました。
家族仲が良かったおかげか、僕が子どもの頃のキナリ村の思い出は、必ずしも悪いものばかりではありませんでした。
もっとも、キナリ村がいろいろな意味で忌まわしく、恐ろしい場所であることに変わりはないのですが」
土屋さんの家族仲が良かったのは本当なのだろう。家族の話をしている間、ずっと息苦しそうにしていた土屋さんの表情がほんの少しだけ和らいだからだ。
(それにしても、土屋さんにとってキナリ村は、あまり好ましい場所ではないみたいだな)
土屋さんの口からはっきりとそう語られたわけではない。けれど、彼の抑揚のない話しぶりからは、故郷に対する愛着があまり感じられないのだ。
ただ、こちらから細かい質問をするのはやめておいた。
土屋さんは相変わらず顔色が悪い。いつもみたいし語り手にあれこれと質問したりお喋りしたりして、余計な負担をかけさえるのは良くないだろう。
土屋さんは小さく咳をしてから再び口を開く。
「……そんなキナリ村にも、少子高齢化の波が押し寄せていました。
人口が五百人ほどの小さな集落でしたが、その七割は高齢者。未成年の子どもは僕を含めてたった五人しかいませんでした。そのうち三人は女子で、二人が男子です。もう一人の男子は僕と同い年で、大森アツシといいました。
僕とアツシは同学年ということもあり、いつも一緒に遊んでいました。ただ、アツシは何ていうか、こう……とても性格に難のある子どもでしたね。というのも、アツシの父親はキナリ村の村長、つまりニエ様だったからです。そのため、アツシも幼いころから広くて豪華な家に住み、何不自由のない贅沢をし、おまけに他の村人からちやほやされて育ったものだから、すっかりわがままで横柄な性格になってしまったんです。
アツシと遊ぶと、苛々したりムカッとしたりすることが度々ありましたが、それを面と向かって彼にぶつけるわけにもいきません。何せ相手はニエ様の息子ですから、どんなにアツシに非があったとしても問題を起こした時点で僕が怒られるに決まっています」
「それはちょっと嫌なシチュエーションですね。しかも、年の近い子がそのアツシという子だけなら、他の気が合う子を見つけてその子と遊ぶということもできないわけですしね。他に選択肢がない」
子どもの少ない田舎ならではの現象だろう。
友達がたくさんいる環境なら、気に入らない相手と無理をして付き合う必要はない。他にいくらでも友人は作れるのだから。
けれど人数の限られた過疎地ではそうはいかないのだ。
そこに親や家の事情が絡んでくると、なおさら抑圧的な人間関係になりがちだ。
土屋さんもさぞかし息苦しい思いをしたに違いない。僕はそう同情した。
ところが、意外にも土屋さんは笑みを見せたのだった。口調もそれまでの冷淡さが消え、腐れ縁の友だちのことを話す時のようなくだけた感じになる。
「アツシも根っからの悪人というわけではないんですよ。彼はゲームが好きでゲーム機やソフトをたくさん持っていたので、頼むとそれで遊ばせてくれたりしました。発売されたばかりの新作ゲームを貸してくれたこともあります。ただ、育った環境があまりにも特殊だったため、周りに注意してくれる大人がいなかったんです」
そして土屋さんは吐き捨てるように付け加えた。
「……アツシもある意味、キナリ村の被害者ですよ」
彼の声はわずかに震えていた。それもおそらく、強い怒りのせいで。
先ほどから薄々感じていたが、やはり土屋さんはキナリ村に良い感情を抱いていない。
これまでは理性でそれを見せないようにしていたのだろうけれど、それもだんだん隠し切れなくなっている。むしろ、どうにか激昂を抑え込んでいるという気配すら感じられた。
ただ、あまり怒ると土屋さんの体に障るのではないかと心配になってくる。
僕は敢えて話を明るい方に持って行こうと考えた。
「アツシさんとはどのような遊びをなさっていたんですか? 田舎だと、虫取りや川遊びなど遊び方も多様で楽しそうなイメージがありますが」
すると、土屋さんの声はたちまち元の無機質な調子に戻ってしまった。
「いえ……田舎の子どもは却ってそういう遊びはしませんよ。山も川もありふれているし、自然の怖さもよく知っているので。
……特にキナリ村の人間は子どもが外で遊ぶことを嫌がりました。もし子どもがご神域に入ったり、長虫岩にいたずらしたりしたら、キナリ様の祟りがあると言って……」
「ご神域……ですか。それはどういうものなのでしょう?」
それに、長虫岩とは何なのか。
頭上に疑問符を浮かべる僕に気づいたのか、土屋さんは気まずげに後頭部をかいた。
「ああ、すみません。先にご説明すべきでしたね。ご神域というのはキナリ様を祀っている場所のことです。神道で言うところの、神社の境内みたいな場所ですね。キナリ村の北側のはずれには朱塗りの大きな鳥居があるのですが、その鳥居から奥がご神域とされていました。
さらにご神域は小高い丘になっていて、大鳥居から延びる階段を上っていくとその天辺には高さが三メートル以上もある巨岩が祀られているんです。長虫岩と呼ばれていたその巨岩がキナリ村のご神体です。
キナリ様の棲み処であるご神域と、キナリ様のご神体である長虫岩は、村の中でも最も神聖な場所とされていました。ニエ様ですら気軽にご神域に足を踏み入れることは許されなかった。ご神域に入れるのはキナリ様を祀る儀式や祭りの時だけです。
……もっとも、大人たちに注意などされなくとも、ご神域に近づきたいなんて一度も思ったことはありませんでしたが」
土屋さんの口調には、強い嫌悪の感情が込められていた。僕はそれが引っ掛かり、つい質問を重ねてしまった。
「それは何故ですか? ご神域はキナリ村の中で最も神聖な場所なんですよね? 厳かな雰囲気に気後れするから……とかでしょうか」
「そうではないです。ご神域は僕にとって、とても不気味で怖い場所だったんですよ。
ご神域、特に長虫岩の周囲は、何故か草一本生えていないんです。誰かが手入れをしているとかそういうことではなく、一年を通して全く植物が育たないんですよ。うまくは言えないんですが……まるで何かが草木の生命を吸い尽くしているかのようで、本当に薄気味が悪くて……。
時たま、どこかから運ばれてきた木の実や草の種が長虫岩に近くで芽吹くこともあったそうなのですが、一週間と経たないうちに枯れてしまうのだそうです。ですから、長虫岩の周りは真っ黒に染まった地面が常に剥き出しになっていました。
おまけに、いやに黒々としたその土壌からは尋常でないほど生臭いというか……魚の肉が腐ったみたいな強烈な臭いが漂っていて、その腐臭が鼻先を掠めるだけで吐き気がするんです。
儀式の際など、ご神域に近づかなければならない時は本当に辛かった。目がチカチカするほどの激烈な臭いなのに、鼻を押さえることすらできなかったんですから。そんな真似をしたら『キナリ様に向かって何てことを、この罰当たり!』と怒られ、子どもでも容赦なく殴られるんです」
それを聞き、ひどい話だなと僕は思った。
キナリ村の人々がキナリ様を大切にしていたのは、十分すぎるほど伝わってくる。そのことについて、外の人間がとやかく言うべきではない。
でも、それを理由に暴力を振るうのは間違っているのではないか。
しかも相手は子どもで、ご神域に入り込んで悪さをしたというわけでもない。ただ、鼻を覆っただけなのに。
(それにしても、魚の肉が腐ったみたいな強烈な臭い……か)
何となく、いま土屋さんから漂ってくる腐った水辺のような臭いを煮詰めて濃厚にしたら、そのような腐臭になるかもしれないと思った。実際に土屋さんと長虫岩に何か関係があるのかは分からないけれど。
その土屋さんは、相変わらず下を向いたまま、淡白な口調で話し続ける。
「ご神域の異常を感じ取っているのは人間だけではないようでした。田舎ではよく獣害が問題になりますが、キナリ村もその例に漏れずよく田畑を荒らされてしました。しかしその獣たちも、何故かご神域には絶対に侵入しなかったんです。
ご神域には毎日、お供え物のお菓子やお神酒が捧げられていたので、それを狙ってやって来ても良さそうなものなのに……。
ご神域は獣でさえ避けて通るほどの禍々しい場所でした。ましてや、子どもの僕が気軽に近づきたくなるような場所ではなかったということです」
それが本当なら、かなり不気味だ。
キナリ村のご神域は、神さまの宿る神聖な地というより、いわくつきの呪われた地と表現した方が正しいような気がする。
もっとも、そう決めつけるのは良くない。世界にはさまざまな信仰の形があるのだから。僕はそう考えなおした。
土屋さんは数度、咳き込んでから、再び口を開いた。
「……それだけじゃない。ご神域は周囲を大きな木で囲まれているせいか、いつもじめじめとしていて湿気がすごいんです。夏のどんな暑い日も、ご神域の周辺だけは背筋がぞくりとするほどひんやりとしていましたね。
子どもの間でも、キナリ様やご神域のことはタブーでした。ただ、アツシはニエ様の息子ということもあってか、私よりいろいろと詳しいことを知っているようでした。
アツシとは学校の登下校時も一緒だったのですが、ある日、こんなことを言ったんです。『リョウ、お前、ご神域の入り口にある大鳥居の裏側を見たことがあるか?』、と」
「大鳥居の裏側……?」
「おそらく、アツシは大鳥居の村に面している部分を表、ご神域に面している方を裏と表現したのだと思います。ご神域側は普段、村の方からは見えませんからね。
ご神域に入ることができる者は、ニエ様を始め非常に限られたものだけです。僕自身はそれまでご神域に入ったことが無かったので、知らない、見たことはないと答えました。ご神域に入ったことが無いのだから、大鳥居のご神域に面した側を見たことが無いのは当然ですよね。
するとアツシは得意げに言うんです。『大鳥居は村の方から見ると真っ赤だけど、その反対側、ご神域に面している方は真っ黒なんだぜ』、と。
アツシはニエ様の息子なので、僕と違ってご神域に入る機会があったのでしょう。
さらにアツシはこう言いました。『どうして大鳥居のご神域の側は真っ黒に塗ってあるのか、父さんに聞いたんだ。父さんはニエ様で、キナリ村のことは何でも知っているからな。すると父さんは、黒く塗ったわけじゃないって言うんだ。あの大鳥居は最初、正面も裏も朱色に塗られていた、でもご神域に面した方だけ自然に真っ黒になったんだって。
けどさ、そういう自然に黒くなったって感じじゃなかったぞ、あれは。あの大鳥居は呪われているんだ』
アツシがあまりにもあけすけに言うので、僕は『あまりそういうことを言うと、いくらアツシでも大人に怒られるよ』と窘めました。『キナリ様もご神域も、とても神聖なものなのだから、子どもが口を出していいことじゃないんだ』、と。
実際、少しでもキナリ様やご神域について何か言えば、『この馬鹿者め!』と怒鳴られ罰せられる、それがキナリ村では当たり前だったからです。




