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第三十三話 【因習村怪談】キナリ村のキナリ様①

 僕は今日も狩森図書館を訪れていた。


 目的はもちろん、怪談の聞き手役のアルバイトをするためだ。


 けれど、茜音さんと面と向かって話すのは何となく気まずかった。図書館の地下には絶対に近づかない。茜音さんとあれだけ約束したのに、それを破ってしまったからだ。


 だから僕はいつもの一般開架室ではなく、その隣の部屋にある資料室で一人きりで時間を潰していた。


 だが、何をするわけでもなくぼんやりしていると、どうしても図書館の地下で経験したことを思い出してしまう。


 地下には闇に包まれた手掘りの隧道(ずいどう)がまっすぐ伸びており、その途中には古い鳥居が立っていた。さらにその奥にはがっしりとした(かんぬき)付きの不気味な木扉。その扉の向こうから聞こえてきた、どこの誰とも知れない年寄りたちのひそひそと囁き交わす声が今でも忘れられない。


(あのお年寄りたちが話していたことは本当なのだろうか。茜音さんは『鬼の娘』であり、僕のことを怪談蒐集に利用しようとしている……あれは本当に真実なのだろうか?) 


 僕が茜音さんの怪談蒐集を手伝っているのは事実だ。


 それにきちんと報酬ももらっているから何も文句はない。


 そうでなくとも、僕は茜音さんに好意を寄せているし、茜音さんのために手伝えることなら何でもするつもりでいる。


 でも、それを『利用』されているのだと言われてしまったら、やはり心穏やかではいられない。


 おまけに地下のヒソヒソ声の主たちは僕の〈言霊の力〉を知っていた。茜音さんにすら打ち明けたことのない僕の秘密を知っていた。だからなおのこと平静ではいられない。


「茜音さんは……茜音さんはどう考えているのだろうか……? 本当に僕のことを利用しようと……?」


 もっと茜音さんのことが知りたい。


 茜音さんの気持ちが知りたい。


 でも、それを直接、茜音さんにぶつけることはできなかった。


 茜音さんはとても洞察力が鋭くて聡明な女性だ。詳しい話を聞き出そうとしたら、逆に僕が内緒で地下に行ったことがばれてしまうかもしれない。


 それに、茜音さんの個人的な事柄には安易に踏み込んではならないような気もする。この図書館は普通ではない。今も、誰もいないはずの二階から時おり誰かが何か重い物を落としたような、ゴトッという音がするし、最近は子どもの笑い声もはっきりと聞こえるようになってきた。


 もはや異常な状態がこの図書館にとっての普通と化しているのだ。


 ならば、尋常ならざる図書館の館長を務めている茜音さんも、きっと普通ではないのだろう。


 それを知るのが僕は怖い。


 茜音さんの抱えている秘密を知るのも怖いけれど、茜音さんの秘密を知ることで彼女との関係が壊れてしまうのが何より怖い。


(それに……『鬼譚(きたん)』って何だろう?)


 地下のヒソヒソ声によると、鬼譚は怪談と区別がつきにくいという。そこから察するに、おそらく鬼譚は怪談とは明確に違うが、両者は非常に似通っており、巷に溢れる怪談の中に鬼譚が紛れているということではないか。


(つまり、茜音さんが本当に探しているのは怪談の中に紛れ込んでいるという鬼譚の方なのでは……?)


 だが、もしその推測が当たっていたとして、その先がさっぱり分からない。鬼譚が何なのかは分からずじまいだし、茜音さんがなぜ鬼譚を集めているかも不明なままだ。


 どうしたらいいのか分からず、僕は溜息をつくばかりだった。


 資料室は一般開架室の半分にも満たない広さだが、書籍の数は非常に多い。部屋の四方八方を本棚で囲まれていて、部屋の中央には小さな木製テーブルと二対の椅子があるだけだ。


 本棚にずらりと本が並ぶさまは壮観で、中には図鑑や百科事典と思しき分厚い大型書籍も多数あり、その迫力に圧倒されそうになる。


 特にやることもないので、僕はその本棚から何とはなしに一冊を手に取ってみた。


 題名は〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉というものだ。


 どうやら、神御目(かごめ)市の郷土史であるらしい。神御目(かごめ)市の政治や農業、文化、経済の歴史などが、何十ページにもわたって記されている。神御目(かごめ)市はかなり古い町であるらしく、少なくとも飛鳥時代には既に存在していたと言われているそうだ。


(思っていたより、ずっと歴史のある町なんだな。見た目は僕の住んでいた町とあまり変わらないのに)


 〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉という本自体もかなり古く、紙が変色し古書特有のにおいがする。


 最初はパラパラとページをめくっていたが、突如、僕はハッとしてその手を止めた。本の文章の中に『狩森』という文字を見つけたからだ。


(狩森って……この狩森図書館のことか?)


 改めて該当箇所に目を通すと、そこには『狩森神社』と記してあった。


(狩森神社……? 狩森図書館と何か関係があるのだろうか……)


 そういえば、茜音さんは言っていた。図書館の地下部分と地上の建物部分はそれぞれ別の時代に建てられたのだ、と。


 もともと存在していたのが地下部分で、図書館の建物は後の時代に建てられたのだ。


(もしかして、狩森図書館が建つ前、ここは神社だったんじゃ……?)


 そう考えると、図書館の周りが雑木林に囲まれているのも納得がいく。神社は神域であるため、その周囲は開発の手が及びにくく、原生林がそのまま残されることが多いと聞くからだ。


 それに、地下の隧道(ずいどう)の途中には、確かに鳥居が立っていた。狩森図書館が建つ以前、そこには神社があった可能性は極めて高いように思う。


 その〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉という本には、『狩森神社』について以下のように記されていた。


『狩森神社は一般の神社と違ってどの流派にも属しておらず、独自の文化や信仰を形成してきた。その源流は古神道と鬼道の融合にあると見られており……』 


(鬼道……)


 ここでも鬼の文字。


 狩森神社もまた狩森図書館と同じように、鬼に関わっていた点は変わらないらしい。


 ただ、この本が書かれた時には既に狩森神社は廃社となっていたようだ。文中でもそのように書かれている。


 もっとも、幸いなことに当時の写真は残っているらしい。その証拠に、僕が目を通していたページの最後には『次ページ、狩森神社の写真付き説明』と書いてある。


 狩森神社とはどういう神社だったのだろう。


 狩森図書館や狩森神社の歴史を知れば、もっと茜音さんのことを理解することができるのだろうか。


 茜音さんを傷つけることなく、彼女のことを知ることができるのだろうか。


 僕は胸の鼓動が高まるのを抑えつつ、素早くページをめくった。


 だが、そこに広がる光景を目にし、言葉を失う。


 狩森神社の風景を写した写真が載っているはずのページ、そこは真っ黒になっていたのだ。そのページに何が書かれていたのか、どういう写真が掲載されていたのか。全く分からないほどに。


「何だこれ……?」


 墨やマジックで塗り潰されたような痕跡はない。インクを染み込ませたわけでもない。その証拠に、紙は全くよれていない。どちらかというと、長い年月をかけて紙そのものが自然と変色していったという感じがする。


 血液が酸化し、徐々に黒ずんでいくように。


「……。これは一体……」


 どう考えても普通ではない。ページの端から端まで、徹底してムラなく均一に黒く染められている様は狂気的ですらある。


 衝撃を受けつつも、黒々とした紙面を見つめていると、頭上から不機嫌そうな唸り声が降ってきた。


 ぎょっとして上を見上げると、例のオッドアイをした黒猫が本棚の上に乗り、シャーッと牙を剥きだして僕の方を威嚇していた。まるで、これ以上は首を突っ込むなと言わんばかりに、僕を睨みつけている。


「何だよ、そもそもお前が僕のスマホを奪って、地下なんかに行くから!」


 しかしその時、不意に気づいた。スマホを奪った黒猫と目の前の僕を睨む黒猫は何かが違うということに。


(……あ、分かったぞ。確かにどちらも金と紅のオッドアイだけど、その位置が違うんだ!)


 目の前の黒猫は右目が紅色で左目が金色だ。


 でも、スマホを咥えて地下に逃げていった黒猫は右目と左目の色が逆だったような気がする。もっとも、そう言い切れるほどの確かな証拠は何もないけれど。


(どういうことなんだ? この図書館には黒猫が二匹いるということか? それとも……僕のスマホを奪って逃げた黒猫はこの黒猫の偽物……?)


 思えばあの時、地下階段の下の方から堀田くんの声も聞こえてきたが、実際には地下の隧道に堀田くんの姿はなかった。あれはどうしても僕を地下に行かせたい何者かが仕組んだ罠だったのではないか。


 僕は以前から狩森図書館は普通ではないと感じてきた。けれど、最も異常で恐ろしいのは地下部分なのかもしれない。


 改めて思う。


 地下にあった木扉の向こうには一体何があるのだろうか。


 当の黒猫は相変わらず毛を逆立て、僕を威嚇している。


「そんなに怒るなよ。僕だって被害者なんだぞ」


 すると黒猫は、急にすっと本棚から飛び降り、資料室のわずかに開いている窓の隙間から外に出ていってしまった。あまりにも突然の退場に、僕は呆気にとられる。


「なんだ、あいつ。急にどうしたんだ?」


 僕が首を捻っていると、その直後、資料室の扉をコンコンと小さくノックする音が響く。続いて茜音さんの声が聞こえてきた。


「……夏目さん、入ってもいいですか?」


「あ……は、はい!」


 僕は慌てて手にしていた本を閉じて本棚に戻す。何故そうしてしまったのか、自分でもよく分からない。ただ、僕が狩森図書館や狩森神社のことを調べていることを、茜音さんに知られない方がいい気がしたのだ。


 僕が本棚に〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉を収め終わったのとほぼ同時に資料室のドアが開く。


「夏目さん、やはりこの部屋にいらっしゃったのですね」


「あ……茜音さん、すみません。ちょっとうたた寝ををしてしまいまして……」


「そうなのですか。夏目さんは高校で授業を受けたあとですものね。ひょっとしてお疲れですか?」


 茜音さんはたちまち心配そうな表情になる。僕は慌てて自分のついた嘘を誤魔化した。


「あ、いえ。大丈夫です。図書館の中があんまり静かなので、つい眠くなってしまって……それだけです」


 すると茜音さんは、ほっとした様子で微笑んだ。


「怪談の語り手の方がおいでになりました。聞き手役のお仕事をお願いしてもよろしいですか?」


「ええ、もちろんです」


 それから僕は茜音さんの後ろにつき、いつもの談話室を目指す。


 いろいろな疑問を抱えてモヤモヤしていたせいか、どうにも黙ってはいられない。長い廊下を進むその途中で、僕は前を歩く茜音さんに問いかけた。


「あの……茜音さん」


「何でしょう?」


「鬼譚……って何ですか?」


 すると、茜音さんは不意に立ち止まり、僕の方を振り返った。


 茜音さんの神秘的な瞳が、じっと僕を見つめている。思わず怯んでしまいそうになるほどに。


 何の感情も浮かんでいない、こちらの意図を探るような目。彼女が何を考えているのか僕には全く分らない。緊張し、ごくりと喉を鳴らしつつ、質問を重ねる。


「その……鬼譚は怪談とは違うんですか?」


 すると茜音さんは、いつもと変わらぬ静かな声で答えた。


「鬼譚とは、一般的には鬼を題材にした物語のことを指します」


「……? それは裏を返すと、一般的ではない意味もあるということですか?」


 しかし、茜音さんはそれには答えなかった。それどころか逆に僕に質問を返す。


「夏目さんはどうして鬼譚について知りたいと思うのですか?」


「それは……」


 さすがに、本人に面と向かって茜音さんのことを知りたいからです、とは言えない。そこまでの勇気は、まだ僕にはない。


 だから僕は咄嗟に嘘をついた。


「僕は怪談の聞き手をしていますから。いつか鬼譚を聞くこともあるのかなと思ったんです」


「そうですね……いつかはそういうこともあるかもしれません」


 茜音さんは一瞬、目を伏せたが、すぐに視線を僕に戻す。


「けれど、心配しないでください。たとえ何が起ころうと、夏目さんは必ず私が守りますから」


「茜音さん……」


 それはつまり、鬼譚を聞いたら何かが起こってしまうということなのではないか。それも多分、あまり良くないことが。


 地下の老人たちは言っていた。鬼の娘……つまり茜音さんが本当に蒐集しているのは怪談ではなく、鬼譚だと。


 どうして茜音さんは危険を冒してまで鬼譚を集めているのだろう。


 僕はなおも口を開きかけるが、茜音さんはそれを遮るように口を開いた。


「……急ぎましょう。語り手の方がお待ちになっていますから」


「……。はい……」


 茜音さんは再び薄暗い廊下を歩き始めた。僕は黙ってその後をついて行く。


 茜音さんのほっそりとした華奢な肩に目を奪われた。ぴんと伸ばされた背筋は美しく、そこはかとなく孤独感を漂わせていて、けれど触れられるのを拒んでいるようでもある。


 すぐ目の前にいるのに、とても遠い。


 茜音さんのことを知りたくてたまらないのに、知ろうとすればするほど遠ざかっていくような気がする。


 その原因が僕にあるのか、それとも茜音さんにあるのか。それは分からない。どうすればその距離を縮められるのか、それすらも今の僕には分からないのだった。


 談話室に入ると、先に部屋に入っていた怪談の語り手が僕たちの方を振り返った。


 今回の語り手は三十代半ばほどと見られる男性だ。スーツにネクタイをしていて、いかにもサラリーマンといった格好をしている。


 けれど何か病を患っているのか、とても顔色が悪い。頬がこけ、目の周りも落ち窪んでクマができている。


 しかも彼は、僕の顔を見て何故だか一瞬、ぎくりとした表情をした。


(この人……)


 この男性と関わるのは良くない。僕は直感的にそう感じた。


 うまく言葉にできないが、すごく嫌な感じがするのだ。


 これまでの語り手にはそんなことを感じたことは無かったのに。あまりにも胸騒ぎがするので、談話室の入り口で一瞬、立ち止まってしまったくらいだった。


 けれど茜音さんはいつも通り男性に対応する。


「お待たせしてしまってすみません、土屋さん」


「あ、いえ。どうぞお気遣いなく」


「こちらは私のお手伝いをしてくれている夏目さんです」


 僕は我に返ると、慌てて茜音さんの元に駆け寄り、語り手の男性に頭を下げた。


「怪談の聞き手を務めます、夏目悠貴です。本日はよろしくお願いします」


「あ……は、はい。僕は土屋リョウといいます。こちらこそよろしく……」


 しかし、土屋さんは途中でひどく咳き込み始めた。しかも、たまたま空咳が出たというかんじではない。長引く風邪で喉や気管支を痛めてしまった時のような、濁った音のする咳だ。


 茜音さんは気づかわしげな表情をして、土屋さんに声をかける。


「土屋さん、大丈夫ですか?」


「え、ええ。最近、少し体調が悪くて……。すみません、少ししたら良くなると思います」


 しかし、その言葉とは裏腹に、土屋さんはすごく苦しそうだった。咳はいつまでも止まず、とても怪談を話せるような状態ではない。


 しかも、土屋さんが咳をするたび、何か生臭いにおいが立ち込める。


 どんよりと淀んだ水辺を思わせる、強烈な腐敗臭だ。


 茜音さんは土屋さんの体調を案じてか、ある提案をする。


「土屋さん。せっかくお越しいただいたのですけれど、体調が優れないようですし、怪談はまた別の機会にして今日は家で休まれた方がいいのではないでしょうか」


「いえ、大丈夫です。僕は話せます」


「けれど、その状態では……」


 茜音さんは判断に苦慮しているようだった。僕もすかさず茜音さんに加勢する。茜音さんの判断は間違っていないと思ったからだ。


「あの……僕も今日は怪談を話すのはやめておいた方が良いと思います。怪談蒐集には特に期限が設けられているわけでもないですし、体調が回復してからもう一度、狩森図書館に来ていただけたらいつでも……」


「あなたたちは!」


 急に声を荒げた土屋さんに、僕は思わずびくりとしてしまった。土屋さんもそれに気づいたのか、声の調子を落としつつ、言葉を続ける。


「あ……あなたたちは、僕の話を聞いてくれるのでしょう? そうでしょう?」


「は、はい」


 僕が返事をすると、土屋さんは縋り付くような目をして訴えた。


「だったら、このまま予定通り怪談を話させてください。僕は……僕はどうしても誰かにキナリの話を聞いてもらわなければならないんだ……!」


 激しく咳き込んだからか、土屋さんの目は充血していた。しかも、咳をした拍子に丸めた背中は、とても健康であるとは思えないほどやせ細っていて、スーツの上からも肩甲骨が浮き上がっているのが分かる。おそらく土屋さんの具合は、相当、悪いのだろう。


 にもかかわらず、彼は異常なまでに、怪談を話すことに執着している。


 おまけにとても切羽詰まった様子で、まるで何かに追い詰められているかのような緊迫感さえ感じられる。


 茜音さんも、土屋さんの強い意志を感じ取ったようだった。


「……分かりました。土屋さんがそこまでおっしゃるなら、予定通りこれから怪談の聞き取りを始めます。……夏目さんもそれで構いませんか?」


「ええ、僕はいいですけど……」


 本当にこのまま怪談の聞き取りを始めてしまって大丈夫なのだろうか。


 それが茜音さんの判断であるなら、異議を唱えるつもりはない。けれど、土屋さんの様子を見ているとさすがに不安になってくる。


 ともかく、僕たちはいつもの定位置についた。


 僕と土屋さんが向かい合って中央にある机を囲み、茜音さんは土屋さんの後ろにある小さな文机で原稿用紙を広げ、インクに浸した羽ペンを手に取る。


 

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