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第三十一話 【因習村怪談】おばあちゃんの下駄⑦

 右手の手首にはめた水晶の腕輪念珠に触れていると、だんだん気持ちも落ち着いてきた。


(それにしても、怪談はそれを聞くこと自体が呪術にもなり得る……か。面白い考えではあると思うけど、怪談の聞き手である僕にとってはちょっと怖い話だな)


 〈言霊の力〉のせいか、つい自分が相手に危害を与える可能性のことばかり考えがちだ。


 でも、僕が怪談の語り手から呪術的な影響を受ける可能性も十分にあり得るのではないか。


 そう考えると、すこし聞き手の仕事が怖くなってくる。そういえば、狩森図書館のアルバイトは信じられないほど給料が良い。ひょっとしたら、そういった部分に対する危険手当みたいな意味もあるのかもしれない。


(まさか……な)


 思考を巡らせながら、ティーカップを口に運ぶ。しかし中身は既に空で、どれだけティーカップを傾けても、紅茶は口の中に入ってこない。


 話が弾んだせいか、いつの間にか出された紅茶を飲み干してしまっていたのだ。しかも、いつもよりずっと早いペースで。


 それに気づくと、猛烈にお手洗いに行きたくなってきた。


「あの……茜音さん、すみませんがお手洗いをお借りしても良いですか?」


「ええ、もちろん構いませんよ。ただ……」


「絶対に地下には近づかないこと……ですよね? 分かっています、心配しないでください。茜音さんとの約束は絶対に守りますから」


 僕は以前、地下に下りる階段のところで誰かがヒソヒソと話す声を聞き、その事実をうっかり茜音さんに話してしまって気まずくなったことがあった。それ以来、できるだけ狩森図書館のトイレには近づかないようにしてきた。


 何せ、トイレは地下階段の真向かいにあるのだ。本当は今だって地下階段の近くには行きたくない。


 でも、とても家まで我慢できそうにはなかった。


 狩森図書館のトイレは相変わらず古くて、けれど手入れは隅々まで行き届いていた。家のトイレに比べると妙に広々としていてお洒落なのは気になるが、それ以外はとても快適だ。


 手洗い器で手を洗い、トイレの外に出る。そして正面に広がる地下階段の方はできるだけ見ないようにして廊下を右手に曲がり、一般開架室に引き返すことにする。


 既に日が傾いているからか、図書館の廊下にも西日が差していた。


 その西日すら届かない地下階段がある方は、真っ暗な闇に包まれている。常に暗いせいか、何となく冷やりとした湿り気も感じるし、形容しがたいほどの不気味な雰囲気を醸し出している。


 正直、茜音さんの忠告が無かったとしてもあまり近づきたいとは思わない。


 けれど、地下階段の前を足早に通り過ぎようとした時だった。


 何故か制服のポケットに突っ込んでいたスマホが落ちてしまった。これまで制服のポケットからスマホを落としたことなんてなかったのに。


 スマホが木製の床に落下し、ゴトンという硬質な音が廊下に響き渡る。


「あ、しまった……!」


 学生にとってスマホは高級品だ。慌てて拾い上げようと身を屈めると、どこからか犬か猫くらいの大きさをした黒い影が勢いよく飛び出してきて、僕の手元を掠めていった。


「は……?」


 見ると、いつの間にか床から僕のスマホが無くなっているではないか。


 ぎょっとして辺りを見回すと、廊下の奥まったところ、地下階段の手前で一匹の黒猫がこちらをじっと見つめていた。紅と金のオッドアイをした、あの可愛げのない黒猫だ。


 黒猫は口元に僕のスマホを咥えていた。


 僕は凹凸のついた手帳型のスマホカバーを使っているから、猫が咥えられなくもない構造にはなっている。ツルツルしたスマホカバーよりはよほど牙をひっかけやすいだろう。だが、実際にスマホを咥えた猫の話なんて聞いたことが無い。


 あの黒猫は本当に猫なのだろうかとすら思ってしまう。


「僕のスマホ! 返せ!」


 しかし、オッドアイの黒猫は僕の言葉を完全に無視し、スマホを咥えたまま地下への階段を下りて行ってしまった。


「なっ……こら待て! スマホを返せよ!」


 しかし、地下階段の下からは何の反応もない。


 前々から感じていたが、やはりあの黒猫は僕を馬鹿にしている。いっそ追いかけていって、とっちめてやろうかとも思うが、あの黒猫の下りていった先が地下となれば、迂闊に近づく気にはなれない。茜音さんとの約束を破りたくないし、地下は何となく気味が悪いというか、嫌な感じがするからだ。


(仕方ない。茜音さんに頼んであの黒猫からスマホを取り返してもらうしかないな)


 あの黒猫はこの図書館に棲みついている。多分、茜音さんから餌をもらっているのだろう。だから、茜音さんならあの黒猫を御することができるのではないかと思ったのだ。


 ため息をついて一般開架室の方に戻ろうとした、その時だった。


 視界の端に何かが映った。


 あるはずのないものがそこに在るという、異変。


 僕は恐るおそる、先ほど黒猫が消えていった地下階段の方へ視線を向けた。


 その登り口、一階に登ったすぐのところに、いつの間にかポツンと手が置かれていた。まるで階段の下から這い上がってきて、一階の床に手をかけたかのような具合だ。


 そこにあるのは手だけ。手から先、つまり腕や胴体、頭などは全く見えない。


 ただ、手だけがそこにある。


 大きさは子どもの手と大人の手の中間くらいだろうか。生きている者の手とは思えないほど白い。階段の周囲は真っ暗なのに、その手だけ闇に浮かび上がっているかのように克明に見える。


 僕は一瞬、何が起こっているのか理解できずに硬直してしまった。


(え……手? 誰の手だ? 何でこんなところに……?)


 しかも、何故こんな不自然な形で置かれているのか。トイレから出てきた直後には、確かにこんなものなかったはずなのに。


 さまざまな疑問が一斉に湧き上がってきて収拾がつかない。


 ただ、自分の全身から血の気が引いていくのは分かる。それと相反して、心臓が鷲掴みにされたかのように締め付けられ、鼓動がどんどん速くなっていくのも。


 するとさらに階下から声が聞こえてきた。


「夏目くんが悪いんだよ。余計なことをするから」


 劣等感のこもった、恨みがましい声。聞き間違いようがないほど脳裏にこびりついている。


 それは中学時代にクラスが一緒だった、いじめられっ子の堀田くんの声だった。


「堀田くん……?」


 僕が呟くと同時に、一階の登り口に置かれていた手はぬるりと動き、そのまま階下の方へ消えていった。


 僕は思わず階段の方へ近づいていき、上から階段の下の様子を伺う。


 階下は体の芯から震えが走るほどの真っ暗闇で、下がどうなっているのかは全く分からない。


 心臓が早鐘をうつ。我知らず呼吸が早くなる。


 何故、ここに堀田くんが。


 僕が中学校を転校してから堀田くんとは一度も会っていないし、堀田くんも僕が今どうしているか、どの高校に進学したかも知らないはずだ。ましてや僕がいま神御目(かごめ)市にいることや狩森図書館でアルバイトをしていることも知るはずがないのに。


(いや、どう考えてもさっきのは堀田くんじゃない。きっと何かが堀田くんに成りすましているんだ……!)


 だが、その『何か』はなぜ堀田くんのことを知っているのだろう。


 僕は茜音さんにさえ何も打ち明けていない。堀田くんのことはおろか、中学の時に起こしてしまった事件や〈言霊の力〉のことすら何ひとつ話していないのに。


 いや、そもそも堀田くんに成りすましている何かとは何なのだろう。


 この暗闇の向こう、地下階段の先には一体なにがあるのだろう。


 気づけば僕は地下階段を下り始めていた。一段、一段、まるで引きずり込まれるかのように。


 地下は思いのほか深かった。階段が何度も折り返しになっているほどだ。


 おまけに光源となるようなものが何もないので、気を抜くと段差に足をとられ滑り落ちそうになる。壁に手をつきながら慎重に木製の階段を下りていく。


 やがて足元の感触が木の柔らかさから、もっと硬くて冷たいものに変わった。これ以上、段差はない。ようやく地下の一番下に到着したようだった。


 その頃になると、暗闇にも徐々に目が慣れてきて、おぼろげに周囲の輪郭が浮かび上がるようになる。


 どうやら地下は細長い一本の通路となっているようだった。ただ、壁を触ったかんじだと、コンクリートやレンガなどで固められたものではない。ごつごつとしていて凹凸も激しい。まるで岩を触っているかのようだ。


(これは……手掘りの隧道(ずいどう)……?)


 僕は先ほど、サヤカさんから聞いた怪談の内容を思い出していた。


 奥野津(おくのづ)の山奥にある手掘りの隧道の先には日美谷(ひみや)の里という恐ろしい里があり、嫁に来た若い女性を虐待して苦しめていた。


 それなら、この地下の隧道の先には何が待ち受けているのだろう。


 地下に広がる隧道はかなり長さがあるようだった。しかも、異様なまでに寒い。階上にある図書館の内部と比べても明らかに温度が低く感じられる。


 しかもその冷気は隧道の奥から漂ってくる。


 その細長い通路の奥で、何かが光っているのに僕は気付いた。


「あれは……?」


 僕はその光を目指して歩き始めた。


 隧道はところどころ壁が崩れ落ち、瓦礫が床に落ちてしまっている。その瓦礫に足をとられ、何度か転びそうになったほどだ。茜音さんは、地下は一部が崩れて危険だと言っていたが、あながち間違いというわけでもないらしい。


 途中で鳥居があった。とても古い。島木と(ぬき)、そして柱だけというシンプルな作りなので、一瞬、隧道を支えている柱かと思ったが、しめ縄がついていること、そして額束(がくつか)のあたりに神額があるので鳥居だと分かった。


 神額には何やら文字が書いてあるが、暗すぎて何と書いてあるかは分からない。


 その鳥居をくぐり、さらに奥に進むと大きな木製の扉が隧道を塞いでいた。大きな寺社などの門にありそうな、がっしりとした分厚い扉だ。その扉は(かんぬき)で厳重に封じてある。一部が変色しており、かなり古いものであることがうかがえる。


 その扉の前の床下に、先ほどから光を放っているものの正体が落ちていた。


 それは僕のスマホだった。オッドアイの黒猫が咥えて持ち去ったものだ。


 しかし、あたりに黒猫の姿はない。やはりというべきか、堀田くんの姿もどこにも見当たらなかった。この隧道にいるのはおそらく僕一人だけだ。


 僕はスマホを拾い上げ、あれこれと操作してみる。


(特に壊れたりはしていないみたいだな。良かった……)


 ともかく、奪われたスマホは無事に回収できた。これ以上、ここにいることに何か意味があるとも思えない。


 茜音さんにばれる前に、さっさとこの地下から出よう。


 そう思った時、何かが聞こえた気がした。


 どきりとして耳を澄ます。ひそひそ、ぼそぼそと複数の人物が会話をする声。


 以前、トイレを借りた時、地下階段の方から聞こえてきた話し声だ。


 その声は分厚い木製扉の向こうから聞こえてくる。扉のせいで声はやたらくぐもっているのに、内容は妙にはっきりと聞き取れた。


 話をしているのは声のしゃがれたお年寄りたちのようだった。


「ああ……恨めしい、恨めしい」


「鬼の娘が我らをここに閉じ込めてどれくらいの(とき)が過ぎたかのう」


(『鬼の娘』……?)


 何のことだろう。僕が首を傾げる間も、お年寄りの会話は続く。


「……それにしても、図書館とは笑わせてくれるわ。どいつもこいつも、自分の足元に何が眠っているか知りもせず、呑気に怪談とやらを話しに来るのだからな」


「ほんにのう。人間というものはいつの時代も愚かなものじゃ」


「しかしまあ、鬼譚を集めるのには絶好の隠れ蓑なのじゃろうて」


「怪談と鬼譚の区別は、ちっとやそっとじゃつかんからのう。鬼の娘なりに考えたのだろうよ」


「それにしても退屈じゃ。退屈で退屈でたまらんわ」


「そうじゃ、そうじゃ。腹も減るしのう」


 そう言ってお年寄りたちは、ひひひ、と気味の悪い笑い声をあげる。


(よく分からないけど……『鬼の娘』って、ひょっとして茜音さんのことかな……?)


 ただ、どうしてこのお年寄りたちが茜音さんのことを『鬼の娘』と呼ぶのか分からない。


 そもそも彼らは何者なのだろうか。そして、この扉の向こうで何をしているのだろう。


 訝しく思っていると、他の老人が口を開く。


「……そういえば最近、面白い小僧っ子が図書館にやって来たな」


 僕のことだ。どきりとしつつ耳を澄ます。


「おお、知っておるぞ。巫覡(ふげき)の血筋の出でもないのに、強い力を宿しておる」


「あれは言霊を操る力じゃ」


「言霊か。巫覡の持つ力の中でも最も先天性に依存しておる力じゃな」


「しかし、あれほど強い力を持っておったら人の世で生きるのには難儀するであろうよ」


「あの手の力は生まれつきのものであるが故に永遠に逃れられはせんからの」


 ……どうして。


 どうして彼らは僕の〈言霊の力〉のことを知っているのだろう。


 あんなに誰にも知られないよう細心の注意を払ってきたのに。


 心臓がどくどくと音をたてる。背中を冷たく嫌な汗がしたたり落ちていく。無意識のうちに、全身の神経が耳に集中していた。


 こんな得体のしれない老人たちの与太話など聞かない方がいいのではないか。


 そう思うものの、何故か聞き耳を立てずにはいられない。


 それを知ってか知らずか、老人たちは楽しげに会話を交わす。


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