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第二十九話 【因習村怪談】おばあちゃんの下駄⑤

「先ほどもお話しした通り、私と姉、従姉妹の四人はとても仲が良かったので、祖母が他界し、親に連れられて祖母の家に行くことが無くなった後も、よく会って遊んだりしていました。だいたい年に四、五回ほどでしょうか。一緒にカラオケに行ったりショッピングに行ったり、遊園地や水族館、映画館に行ったこともありました。

 そうしてひとしきり遊んだ後、必ず誰からともなく日美谷(ひみや)の里の話をするのです。そして真っ赤な着物を着て私たちを里へ誘ったキヨちゃんのことも。

 みな、当時はまだ幼かったのにあの時のことは驚くほどはっきりと覚えていて、鮮烈な記憶となって残っているようでした。もちろん、それは私も同じです。特に日美谷(ひみや)の里のお菓子を食べたがっていたマツリちゃんは、成長しても里に惹かれ続けているようでした」


 サヤカさんによると、彼女たちは四人で集まるたび、日美谷(ひみや)の里について次のような会話を交わしていたそうだ。


『私ね、今でも時々思うんだ。あの時、キヨちゃんと一緒にトンネルの向こう側に行ってたらどうなっていたのかなって』


『もう、マツリったらまたその話? おばあちゃんが言ってたじゃない。トンネルの向こうは崖になってるって』


『それは分かってるよ、お姉ちゃん。ちょっとそう思ってるってだけ』


『私はマツリちゃんの言ってること、何となく分かるな。だって私たち、実際にトンネルの向こう側がどうなっているかこの目で見たわけじゃないもんね。

 あれからずっと考えてるんだけど、おばあちゃんの話から推察するに、キヨちゃんは多分、奥野津(おくのづ)の他の村の女性を誘き出して里へ連れて行ったという語り部の少女で、言うなればいるはずのない日美谷(ひみや)の里の生き残りだったわけじゃない? 

 いるはずのない人物が現実に存在していたなら、消失してしまった里が復活している可能性も十分にあるんじゃないかなって』


『ミカ姉、考え方がファンタジーすぎ。そもそもキヨちゃんが生きてる人間だったという確証はどこにも無いでしょ』


『え……それって、キヨちゃんが幽霊だったってこと?』

 

『確かにキヨちゃんの格好はかなり古めかしかったというか、現代人らしさは全くなかったけど……』


『まさか。そっちの方がファンタジーじゃない?』


『でもあの時、下駄の鼻緒が切れなかったら、私たち全員この場にはいなかったかもしれないんだよ』


『そうなんだよね……よく考えるとけっこう怖い話なんだけど、不思議と今でも時どき、日美谷(ひみや)の里に行ってみたいと思っちゃうんだよね。それとこれとは別っていうか……うまく言えないけど。サヤカちゃんもそういう事って無い?』


『それは……』


「……私はユリナちゃんの言葉に反論することができませんでした。正直なことを言うと、私も日常のふとした瞬間に里のことを考えることがよくあったからです。

 マツリちゃんのように実際に行ってみたいと思うほどではありませんでしたが、キヨちゃんは何者だったんだろうと考察を巡らせたり、日美谷(ひみや)の里のイメージを少しでもつかみたいと考え、ネットで日本じゅうの田舎の風景を検索したりしていました。

 日美谷(ひみや)の里は怖くて最低なところ、あんな里に行かなくて本当に良かった。心からそう思っているのにその一方で何故かキヨちゃんや里のことを考えたり想像してしまう自分がいるんです。どう考えてもちょっと異様ですよね。

 しかも、それは私だけではないんです。姉や従姉妹たち……あの時、キヨちゃんから里の話を聞いた全員が今なお日美谷(ひみや)の里に囚われ、あの桃源郷……この世の楽園に行ってみたいと思い続けているんです。

 私はいつしか、自分たちは呪いにかけられたのかもしれないと考えるようになりました。きっと、何歳になっても私たちは日美谷(ひみや)の里への誘惑から逃れられない。あのトンネルを潜り崖下に身を投じるまで、私たちが里の幻影から解放されることは無いのかもしれない、と。

 もしかしたら、いつか私たちのうちの誰かが一人であの山道を登り、本当にトンネルを潜ってしまう時が来るのではないか。そういった恐怖に駆られたこともありました。特にマツリちゃんは日美谷(ひみや)の里に行きたがっていましたから、それとなくメッセージアプリで連絡を取って様子を確認したこともありました。

 あの時の私は里の誘惑に脅えるあまり、少しノイローゼ気味になっていたと思います。ところが、そんな日々に突如、終止符が打たれることになりました。」


「それは……何があったんでしょう?」


 僕は強い興味に駆られ、サヤカさんに尋ねた。


 あれほど日美谷(ひみや)の里に執着していた彼女たちの身に、一体何が起こったのだろう。


「最初にその変化が現れたのは従姉のユリナちゃんでした。彼女、二十五歳の時に結婚することになったんです。結納もすませ、もうすぐ結婚式という時、私たちは四人で一泊二日の小旅行をすることにしました。おそらく四人でゆっくり遊べるのはこれが最後になるだろうと思ったからです。

 観光をすませ、旅館で夜をゆっくり過ごしていると、また誰からともなく日美谷(ひみや)の里やキヨちゃんの話をし始めました。すると、ユリナちゃんは不思議そうな顔をするのです。『え、ちょっと待って。キヨちゃんって誰? 日美谷(ひみや)の里って何の話?』、と。

 ……私たちは最初、ユリナちゃんが私たちをからかっているのだと思いました。けれどユリナちゃんは本当に日美谷(ひみや)の里が何なのか分からないというんです。私たちは彼女に、〈むすめこ祝い〉の時に祖母の家で体験したことをつぶさに話しました。けれど、それでもユリナちゃんは何も覚えていないと首を捻るばかりでした。その一年前、みなで遊んだ時には一緒に日美谷(ひみや)の里の話をしたはずなんですけど」


「確かに変ですね。どういうことなんでしょうか?」


「その時は私たちにも何が何だか分かりませんでした。結婚前って両家の顔合わせをしたり結婚式の予定を組んだりと、やることが多いじゃないですか。実際ユリナちゃんもけっこう忙しいようでした。だから日美谷(ひみや)の里に思いを馳せる余裕なんて無いんだろうと……私は姉やマツリちゃんとそう話していました。

 しかしユリナちゃんは結婚式や新婚旅行を終え、時間に余裕ができてからも日美谷(ひみや)の里やキヨちゃんのことを思い出すことはなかったんです。つい一年前は『今でも日美谷(ひみや)の里のことは気になってる』と言っていたのに、結婚後の彼女はまるで山道に登ったこともトンネルの前で祖母から奥野津(おくのづ)の歴史を聞いたことも、全て最初からなかったことのようにきれいさっぱり忘れてしまったようでした」


 俄かには信じがたい話だった。単に興味を失うとか、無関心になるというだけなら分かる。誰にだって、熱中していた事物に醒める瞬間というものはあるからだ。


 でも、存在そのものを忘れ去ってしまうなんて、そうそうあることではない。


「そんな事ってあり得るんでしょうか。失礼ですけど、何らかの理由でユリナさんが演技をして周りの人に嘘をついていたのでは?」


 遠慮がちに尋ねてみると、サヤカさんは気分を害した様子もなく、さらりと答えた。


「そうですね。その変化がユリナちゃんだけに現れたものなら、私もそう考えたかもしれません」


「つまり……キヨという子や日美谷(ひみや)の里のことを忘れてしまったのはユリナさんだけではないということですか?」


 サヤカさんは「ええ」と頷いて話を続ける。


「ユリナちゃんの次は姉のミカでした。ユリナちゃんが結婚してから二年後、姉のミカも結婚することになりました。そしてやはり結婚式を終える頃にはキヨちゃんや日美谷(ひみや)の里のことをすっかり忘れ去っていたのです。姉のミカもあれほど日美谷(ひみや)の里に執心していたのに、その名はおろか手掘りの隧道(ずいどう)の存在さえ全く覚えていませんでした」


「不思議ですね。僕はまだ経験がないのであまり想像できないのですが、結婚をするとガラッと心変わりしてしまうものなのでしょうか?」


「私も従姉妹のマツリちゃんと首を傾げました。そして二人で話し合って、一つの仮説を立てたんです。日美谷(ひみや)の里は嫁となる若い娘を求めていました。強引に若い娘を誘拐し周囲の村々と対立することになっても、里は決してそのやり方を変えることは無かった。嫁が来なければ里は人口が減少し、ゆくゆくは滅んでしまう。言うなればそれは里の生存本能のようなものだったのかもしれません。

 しかし、必要としているのはあくまで何でも言うことを聞く無知で若い独身娘だけ。ですから、その条件を満たさない者……たとえば既婚者といった者の記憶には残らないようになっているのではないでしょうか。それが、私たちがキヨちゃんにかけられた『呪い』だったのでは……」


 呪い。


 そのあまりにも禍々しい言葉に僕は身震いした。


 そして同時に、サヤカさんが十歳の頃、下駄の鼻緒が切れて山道を下ることになった際、『キヨ』という少女が最後に放ったという言葉のことを思い出した。


 ――あーあ、あともう少しだったのに。……でもいいか。どうせ逃げられやしないんだから。


 『キヨ』は知っていたのかもしれない。


 サヤカさんたち四人が、山を下りても日美谷(ひみや)の里への憧憬から完全に逃れることはできないということを。


 そして里への過剰な想いに憑りつかれた結果、いつか自ら隧道を潜る可能性すらあったことを。


 そういった意味では、確かに四人には呪いがかけられていたのだと言えるのかもしれない。


「……そのマツリちゃんも去年、結婚して、やはりキヨちゃんや里のことを忘れてしまいました。いま日美谷(ひみや)の里のことを覚えているのは私だけです。そんな私も半年後には結婚します。そうなったら、きっと奥野津(おくのづ)日美谷(ひみや)の里のことを覚えている人はほとんどいなくなってしまう」


 サヤカさんはそう言って危機感を募らせた。


 日美谷(ひみや)の里の危険を知り、なおかつそれを伝える者がいなくなってしまったら、新たな里の犠牲者が出てしまいかねないからか。


奥野津(おくのづ)の集落には他に誰かいらっしゃらないんですか?」


 そう尋ねると、サヤカさんはどこか悲しげに苦笑した。


「あそこは辺鄙(へんぴ)なところですから。奥野津(おくのづ)にあった九つの村々は、今は二つに激減し、高齢化も激しく、特に若者は寄り付きません。残った二つの村もそう長くはもたないでしょう」


「そうなんですか……」


奥野津(おくのづ)は今や過疎化ですっかり寂れ、村々を支えていた年寄りもほとんどこの世を去りました。私の祖母もとうに亡くなり、祖母の住んでいた家は父と伯父が交代で様子を見に行っているそうですが、家屋の経年劣化が激しく、そろそろ取り壊すべきかと相談し合っているそうです。

 これも時代の流れですし、仕方のないことかもしれませんけど……奥野津(おくのづ)の文化や存在そのものが失われるのはやはり悲しいですし、何とも言えない複雑な気持ちになります。いつか消えてなくなるのだとしても、奥野津(おくのづ)は私の故郷ですから。

 日美谷(ひみや)の里も……私は滅んで当然だと思っていますけど、それでも誰からもその存在を忘れられてしまうのは……少しかわいそうですしね。里がどれだけひどいことをしてきたか、その結果どういう末路を辿ったか。一部始終を教訓として残すためにも、奥野津(おくのづ)日美谷(ひみや)の里のことを誰かに話しておこうと思ったんです」


「それでこの狩森図書館に来られたんですね」


「ええ。この図書館で話した怪談は資料として収蔵され、永遠に保管されると聞いたので」


 つまり、サヤカさんがこの狩森図書館まで足を運んだのは、単に怪談を話すためだけではなく、日美谷(ひみや)の里の危険性を喧伝するためでもない。純粋に奥野津(おくのづ)での記憶を残したかったからなのだろう。


 今や過疎化など珍しい話でもない。でも、どんないわくや歴史があったとしても、奥野津(おくのづ)はサヤカさんの故郷なのだ。だから、消えゆく故郷のことを何らかの形で少しでも残したいと願うサヤカさんの気持ちは分かる気がした。


 日美谷(ひみや)の里や『キヨちゃん』のことがあったとしても、サヤカさんは自分の故郷を嫌いにはなりきれないのだ。


「それにしても……サヤカさんは結婚したら日美谷(ひみや)の里のことや〈むすめこ祝い〉の時におばあさんの家で体験したことを忘れてしまう可能性が高いんですよね? もしそうなら、この図書館で日美谷(ひみや)の里の話をしてくださったことも忘れてしまうんでしょうか?」


 僕が疑問を口にすると、サヤカさんは「さあ……」と首を捻る。


「分かりません。ひょっとしたらそうなるかもしれませんね。いずれにせよ、これで里の呪いから逃れられるのだと思うと一安心です。それにユリナちゃんやマツリちゃん、姉のミカもみな日美谷(ひみや)の里のことを忘れてしまったので、彼女たちが里に連れていかれることもないでしょうしね。

 ……その一方で、どことなく寂しい気もするんです。大切な何かを失ってしまうみたいで……それも日美谷(ひみや)の里の呪いの一部なのかもしれませんけどね」


 けれどともかく、サヤカさんたちは日美谷(ひみや)の里の呪いから逃れることができたのだ。


 これで彼女たちが、命を奪われかねない物騒な隧道に足を運ぶ危険性はなくなった。それ自体は非常に喜ばしいことだ。


 サヤカさんは最後にこう締めくくった。


「ああ、そうそう。私が鼻緒を切ってしまった祖母の下駄と着物のことなんですけど」


「サヤカさんのおばあさんの、そのまたおばあさんから譲り受けたという……?」


「ええ。祖母は亡くなる間際、あの着物と下駄を私にくれたんです。サヤカちゃんならこの着物と下駄を最大限、生かしてくれるだろうからって。

 ……いま思うと、祖母は私がこうして奥野津(おくのづ)日美谷(ひみや)の里のことを何らかの形で遺そうとすることを見越していたのかもしれませんね」


 サヤカさんはそう言い終わると、清々しい笑顔を浮かべた。


 朗らかに笑う彼女の顔は、自分の使命を果たした、これで心残りは無いという安堵感と充実感で満ち溢れていた。



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