第二十七話 【因習村怪談】おばあちゃんの下駄③
ともかくそれから、私たち四人は来た道を引き返すことにしました。
膝を痛めて歩けない私は、四人の中で一番年長で体格も良かった姉のミカに背負ってもらうことになりました。
ちなみに、鼻緒の切れた下駄はユリナちゃんが持ってくれることになりました。
ああ、良かった。
これでおばあちゃんの家に戻れる。
そしたら、もう二度とこんな不気味な山道なんかに来るものか。
胸をなでおろしつつも、私はキヨちゃんがさらに何かしてくるのではないかと不安で、つい後ろを振り返りました。すると、キヨちゃんは真っ黒なその瞳で、なおも食い入るように私たちを見つめていました。
そして最後に、こう呟いたのです。
「あーあ、あともう少しだったのに。……でもいいか。どうせ逃げられやしないんだから」
どうせ逃げられない……その言葉にどきりとした瞬間、体全体が大きく揺れました。どうやら、私を背負ってくれている姉のミカが、何かにつまずいてよろめいたようでした。
姿勢が安定してから、もう一度、後ろを振り返ります。
すると、キヨちゃんの姿はもうどこにもありませんでした。
そこには鬱蒼とした獣道が広がるばかり。彼女がどこに行ってしまったのか、誰にも分かりません。
祖母の家に戻ると、集まっていた子どもたちは既にみな帰っており、両親や伯父夫婦が血眼になって私たちを探していました。
よほど心配していたらしく、無事に戻ってきた私たちを見て大人たちはみな涙を浮かべて喜んだので、日美谷の里なんかに行かなくて本当に良かったと心から思いました。
「……それにしても、四人ともみなどこに行っていたのかい?」
祖母に尋ねられ、私たちはキヨちゃんのことを洗いざらい話しました。奥野津の〈むすめこ祝い〉のことや、日美谷の里のこと、そしてキヨちゃんにトンネルの向こうにある日美谷の里まで一緒に行こうと誘われ、山道に入ったことなど全てを、です。
すると先ほどまであれほど私たち四人の帰りを喜んでいた両親と伯父夫婦は、一転して私たちに雷を落としました。
「日美谷の里……? 何を馬鹿なことを言ってるんだ! 山の奥に人里なんてあるわけない。ここで育った父さんもそんな話は聞いたことがないぞ!」
「それに、いくら集落があったとしても、子どもだけで山の中に入るなんて……! あれだけ言ったでしょう、裏の山道は危ないから、絶対に登らないことって」
激怒する大人たちを目の当たりにし、私たち四人も思わず涙目になります。
「だって……ちょっとだけ面白そうって思ったんだもん」
「ごめんなさい……」
その後、私たち四人全員が大人たちにこってりと絞られたのは言うまでもありません。
けれど、祖母だけは怒ったり否定したりせず、顔を険しくして私たちの話を聞いていました。
いつもお喋りで快活な祖母がむっつりと黙り込むのはとても珍しくて……私はてっきり下駄のことが原因じゃないかと思ったんです。ですから、勝手に下駄を借りたこと、そして山の中で下駄の鼻緒が切れてしまったことを祖母に説明し、一生懸命に謝りました。
祖母はその古い下駄をそれはもう大事にしていたので、悲しませてしまうのではないかと思って、私は恐るおそる下駄を差し出したんです。
すると、祖母は鼻緒の切れた下駄を握りしめ、
「そう……そうなの……」
と何度も頷いていました。
その時の祖母の表情はとても悲しそうでしたが、同時に鼻緒の切れた下駄を慈しむようでもあり、いずれにしても小さな体を丸めて涙をこらえているみたいでした。
今でもあの姿が忘れられません。
その日の夜は祖母の家に泊まったのですが、あまりよく眠れませんでした。祖母の家は広いだけあり、夜になると本当に真っ暗になるんです。その闇の向こうから今にもキヨちゃんが姿を現しそうで……。
私と姉、そして従姉妹の四人は同じ座敷に布団を並べて寝ていたのですが、なかなか寝付けないのはみな同じであるようでした。何度も寝返りを打ったり、ため息をついたりしているのが聞こえてきましたから。
翌日、朝ご飯を食べ、身支度を整えると、誰ともなくキヨちゃんや日美谷の里の話をし始めました。
「ねえ、山の奥にあるトンネルの向こうに里があって、人が住んでるって本当なのかな?」
「美味しいお菓子もあるって言ってたね。日美谷の里……だったっけ。どういうところなんだろう?」
ユリナちゃんやマツリちゃんが楽しそうに会話するのを聞き、私は顔をしかめて忠告しました。
「もうその話はやめようよ。お父さんやお母さんにも、めちゃくちゃ怒られたし」
ところが、姉のミカまでわくわくした様子で、ユリナちゃんやマツリちゃんに賛同するのです。
「でも、少し興味あるよね。何か気になるっていうかさ」
不思議なことに、あんなに怖い思いをしたにもかかわらず、私以外の三人全員が未だに何らかの形で日美谷の里に興味を抱いていました。それを知ったユリナちゃんが、身を乗り出してこう提案したのです。
「ねえ、これから私たちだけで行ってみようか。場所は分かってるんだから、キヨちゃんがいなくても辿り着けるでしょ」
「え、それはさすがに……」
「駄目だよ、そんなの。また怒られるよ」
「でも、たとえ怒られたとしても、私は気になるかな。何だかんだ言って、みんなも気になっているんでしょ?」
「それは、そうだけど……」
四人でそんな話をしていると、祖母が私たちのところにやって来て言いました。
「みんな、そんなに日美谷の里のことが気になるのかい?」
子どもだけで山道を登る算段を立てていたのですから、私たちはてっきり怒られるものだとばかり思っていました。ところが、意外にも祖母の口から日美谷の里の名が飛び出してきて、私たちはひどく驚きました。
「え……おばあちゃん、日美谷の里のこと知ってるの?」
「ああ、知っているよ。もっとも、おばあちゃんは日美谷の里に行ったことは無いけれどね」
そして、祖母は声を潜めて私たちに言ったのです。
「……そんなに気になるなら、今からばあちゃんと山道の奥まで行ってみようか」
私たち四人はみな目を見開き、仰天しました。
「え、本当? いいの?」
「ただし、絶対にばあちゃんから離れないこと。約束できるね?」
「うん、約束する!」
「やったあ! 行こう、行こう!」
そうして私たち四人は祖母と共に、再び鬱蒼とした山道を登り始めました。ちなみに、私は今度は下駄ではなく、手元に戻ってきたスニーカーを履いていました。
山道を進む間、姉や従姉妹たちは日美谷の里を目指せることが嬉しくてたまらないらしく、興奮していて大はしゃぎでした。けれど私はそれとは逆に、何だか怖くて緊張していて……山を登る間、ずっと祖母と手を繋いでいました。
「……昔はね、おばあちゃんの家があるあたりは奥野津と呼ばれていたんだよ。今はもう、年寄りしか知らない地名だけどね。だから、あんたたちがその言葉を口にしたのを聞いて、本当にびっくりしたよ」
祖母は道中、私たちにそう説明してくれました。
それはつまり、祖母世代しか知っていないような古い地名をキヨちゃんは知っていたということになります。それに気づき、私は改めてキヨちゃんに不気味さというか……得体の知れなさを感じたのです。
キヨちゃんは本当に私たちと同い年くらいの女の子だったのでしょうか。
キヨちゃんは、本当は一体何者なのでしょう……。
やがて例の獣道の前まで辿り着きます。まず、祖母が獣道に分け入って木の枝で周りの草を次々と横に払いながら道を作ってくれました。その後を私たち子どもが一列になり、ついて行きます。
鬱蒼とした獣道を抜けると、そこは開けた場所になっていて、確かにトンネルの入り口が待ち構えていました。最近できたコンクリート製のトンネルではなく、例の大昔に造られた手掘りの隧道です。
とはいえ、山道と同じく隧道もずいぶん長いこと手入れをされていないらしく、岩壁はすっかり苔むしていました。
おまけにトンネルの入り口は大きな閂つきの鉄扉で厳重に封じられており、その閂は鎖で雁字搦めにされていたんです。
まるでトンネルの向こうから何か悪いものが出て来るのを封じようとしているかのように。
私たちはみな四人とも呆気に取られてそれを見つめていました。子どもの目にも、それは異様な光景として映りました。
ただ、鉄扉の閂は外れていて、扉がわずかに開いていたのです。
隙間から少しだけ奥が見えたのですが、真っ暗で奥がどうなっているかは全く分かりません。
祖母はそれを見つけ、眉をひそめました。
「ああ……やっぱり開いているね。ここまで人が入ってくることは滅多にないはずなのだけど、どういうわけか時おり、こうして開いてしまうんだ」
そして扉を閉め、しっかりと閂をかけました。それだけではなく、さらにその閂を鎖で厳重に縛ったのです。
「……ねえ、おばあちゃん。この扉は何なの? 本当にこの向こうに日美谷の里はあるの?」
ただ事ではない雰囲気を悟った姉のミカが、おずおずと尋ねると、祖母はこう答えました。
「ああ、確かにこのトンネルの向こうには日美谷と呼ばれる里があった。ずっとずっと、ずうっと昔のことだよ」
「ずっと昔? それじゃ、今はもう日美谷の里はないの?」
姉が驚きと落胆を露わにして尋ねると、それにユリナちゃんの質問が重なります。
「どうして? 何故この扉はトンネルを塞いでいるの?」
「さあて……何から話したものかねえ」
祖母によると、大昔、その土地が奥野津と呼ばれていた頃、その一帯には九つの集落があったそうです。日美谷の里もその一つだったのだとか。
「その頃にはね、あんたたちが参加した〈むすめこ祝い〉、それからもう一つ男の子だけが参加する〈おのこ祝い〉というものがあるんだけど、どちらも今とは内容が少し違ったんだよ。
今では純粋に子どもの成長を祝う祭りで、当時ももちろんその意味合いもあったんだけど、もう一つ〈むすめこ祝い〉と〈おのこ祝い〉には重要な役割があった。それは大人たちが子どもたちを品定めし、どの子をどこの家に嫁がせるか決める場という役割だよ」
すると、私たち四人たちは、こぞって不満や仏頂面を浮かべました。
「え、大人が勝手に結婚相手を決めちゃうの?」
「そんなの、ひどい!」
「私たちに子どもに選ぶ権利はないの?」
すると、祖母は悲しそうな瞳をして、何度も頷きました。
「そうだね、とてもひどいことだよ。けれど、そうするしかなかったんだ。その頃はまだ、多くの人は生まれた土地で人生を終えていた。遠くへ移動するなんて、よほどの事情があるか身分の高い人でない限り許されなかったんだよ。もちろん、おばあちゃんのご先祖様もそうして奥野津で生きてきた人ばかりさ。
おまけに、奥野津は貧しい土地で十分な食べ物がとれなかった。放っておいたらすぐに人口が減って村が消滅してしまう。かと言って、人口が増えすぎても駄目だ。今度は食べ物が足りなくなって飢える人が出るからね。そのため、〈むすめこ祝い〉や〈おのこ祝い〉を利用して、うまく人口を調整してきたんだ。〈むすめこ祝い〉や〈おのこ祝い〉では結婚する相手だけではなく、産み育てる子どもの数も決められていたからね。みなも生き残るため、仕方なくその運命を受け入れていたんだよ。
男の子も女の子も、好きな人とは結ばれなかったし、〈むすめこ祝い〉や〈おのこ祝い〉で子どもの品定めをする大人たちもまた、同じ道を通ってきた。
もっとも、現代ではさすがにそういった風習は時代遅れだからね。時代の流れと共に〈むすめこ祝い〉や〈おのこ祝い〉も変化してきて、今の形になったんだ」
「ふうん……昔は大変だったんだね」
姉のミカは神妙な面持ちで言いました。もっとも、ちゃんと内容を理解していたかは怪しいところですけどね。いかんせん当時は子どもでしたし、遥か昔の時代の人々の苦労なんて想像のしようがありません。それは私も同じですけれどね。
ともかく、それを聞いた祖母はどこか遠い目をして言ったのです。
「そうだね。そりゃあもう、大変なんてものじゃなかっただろうけど、そんな中でもご先祖様が歯を食いしばって必死に踏ん張ってくれたからこそ、今のおばあちゃんやあんたたちの存在があるんだよ」
それから祖母は、そばに立つ私たち四人に愛おしむ視線を向けると、私たちの頭を順繰りに撫でていきました。
ごつごつしていて働き者の、とても優しくて温かい手です。私たちが大好きな、おばあちゃんの手。
そうして私たちを抱き寄せると、祖母は隧道を塞ぐ鉄扉の方を振り返って言いました。
「ばあちゃんは日美谷の里には行ったことが無いけれど、確かにとても美しい里だったと聞いているよ。里のそこかしこに四季折々の花が咲き誇り、里の畑や家々も美しく手入れされていて、まるで桃源郷のようだったとね。
けれど、日美谷の里が美しいのは見た目だけだった。あの里は〈むすめこ祝い〉での選別を受け、外の村から嫁としてやってきた娘をいじめ倒すことで有名だったのさ。
嫁だけご飯が与えられなかったり重労働を課されたりするのは序の口で、折檻や体罰も日常的に行われていたようだよ。それに、言葉ではとても言い表せないようなことも……ね。
あまりにも扱いがひどいので、嫁が里を逃げ出す事態が頻発した。だから嫁を閉じ込めておくための座敷牢まであったという話さ。日美谷の里に咲き乱れる色とりどりの花は、嫁たちの血を吸うことでその美しさを保っていると言われたほどだった」
「お嫁さん、かわいそう……」
祖母の話を聞いたマツリちゃんは泣き出しそうな顔になりました。マツリちゃんは共感力が高いところがあるので、被害に遭ったお嫁さんが気の毒で仕方ないのでしょう。
「何よそれ、ぜんぜん桃源郷なんかじゃないじゃない!」
一方の私は、間違っていることは間違っているとはっきり言うタイプでした。当然、日美谷の里の嫁いびりも許せず、激しく憤慨したのです。祖母もそれに深く頷きました。
「そうだね。誰だってそんなところに嫁ぐなんて真っ平ごめんさ。それに家族だって自分の娘がひどい目に遭わされているのだと分かっていれば、そんなところに嫁にやりたくないだろう。
奥野津は結婚の自由がない代わりに、人を大事にする地域だった。放っておけば人口が増えるなんて恵まれた土地じゃなかったから、一人一人を大事にせざるを得なかったんだろうね。だから余計に許せなかっただろう。
そのため、奥野津の他の八つの村は、日美谷の里を〈おのこ祝い〉や〈むすめこ祝い〉に参加させなくなったんだ」




