第二十六話 【因習村怪談】おばあちゃんの下駄②
「ご馳走は……今はいいかな」
「うん、さっき食べたばかりだしね」
「それに、お母さんたちは絶対に山に入っちゃいけないって言ってた。子どもだけで行ったら、きっとすごく怒られちゃうよ」
私たちはそう言って、キヨちゃんの提案を断ろうとしました。
けれどキヨちゃんはしつこく私たちを誘うのです。
「少しだけならいいじゃない。山を登ってトンネルを潜って、里を見るだけ。それからすぐに戻って来ればいいのよ。そうすれば誰にもばれないわ」
「でも……」
渋る私たちに対し、キヨちゃんはさらに誘惑の言葉を重ねます。
「そうだ、日美谷の里にはお菓子もあるのよ。とろけるように甘いの。きっとみな夢中になるわ」
それに反応したのは従妹のマツリちゃんでした。
「そのお菓子、本当にそんなに美味しいの?」
マツリちゃんは少し食いしん坊でした。特にチョコレートやマシュマロといった甘くとろけるお菓子が大好きで、キヨちゃんの話にも興味を抱いたようでした。
マツリちゃんの姉のユリナちゃんが慌ててそれを止めます。
「やめなよ、マツリ。お菓子なんてお父さんやお母さんに買ってもらえばいいじゃない」
「そうだよ。そもそもキヨちゃんが本当のことを言っているかどうかなんて分からないよ。もしかしたら私たちに嘘をついていて、危険な目に遭わせようとしているのかも……」
私もユリナちゃんに加勢しました。何故だか分かりませんが、私はどうしてもキヨちゃんを信用することができなかったんです。
キヨちゃんもそれを察したらしく、挑発するような目を私に向けました。
「あら、嘘を言っているのは大人たちの方よ。昔からずーっと日美谷の里のことを無視していて、誰も来られないように隠しているんだもの。あなた達のおばあさまだってそうでしょう?」
私はムッとして、強い口調でキヨちゃんの言葉に反発しました。
「おばあちゃんは嘘なんて言わないもん! おばあちゃんのこと悪く言わないで!」
ところが、キヨちゃんは気分を害した様子もなく、にいっと笑います。
「サヤカちゃんはおばあさまの事が大好きなのね。だったらなおのこと日美谷の里に行ってみましょうよ。山道を登ったところにあるトンネルの向こうに日美谷の里があれば、私が正しくてあなたのおばあさまが嘘を言っていたということになるわ」
すると姉のミカが私のそばに立ち、冷ややかにキヨちゃんに指摘しました。
「でも、もし日美谷の里に辿り着けなかったら……もしくは日美谷の里なんて場所が無かったとしたら、それはキヨちゃんが嘘をついていたということになるね」
姉の援護を受け、私はこれでもかとキヨちゃんを睨みつけます。これでキヨちゃんが諦めて引き下がってくれたらと願ったのです。
けれどキヨちゃんはそれに臆することなく、鈴の音のような可憐な笑い声をあげるのでした。
「うふふ、なんだか面白くなっちゃった。ねえ、とにかく行ってみましょうよ。どちらが正しいか、はっきりさせましょう」
どうやらキヨちゃんは、勝負を退く気は全くないようでした。
そうして私は仕方なく山を登ることになってしまったのです。
正直なところ、裏の山道を登るのは嫌でした。その道は草が生え放題で、木々の枝も鬱蒼と茂っており、昼間でも真っ暗だったからです。でも、大好きな祖母が嘘などついていないことを証明したくて、私はキヨちゃんの挑戦を受けることにしました。
すると、それまで山道を登るのを渋っていた他の三人も、一緒に行くと言い出したんです。
マツリちゃんは昔から慎重な性格で、本来ならあまりこういったことに積極的ではないのですけど、その時はどうしてもキヨちゃんの言うお菓子への興味が捨てきれなかったのでしょう。
一方、ユリナちゃんや姉のミカは好奇心が旺盛な性格で、あとから聞いたところによると本当にトンネルの向こうに日美谷という里があるのか、あるなら行ってみたいと思ったそうです。
それも仕方のないことかもしれません。当時の私たちは小学校四年生から六年生でしたから。
そのくらいの年代ってちょうど大人の言いつけを破ってあれこれやってみたくなる年頃ですものね。
幸いと言うべきか、〈むすめこ祝い〉に参加していた他の女の子たちはオセロゲームに熱中していて、誰も私たちのことは気に留めていません。また、大人たちも行事の後片付けなどで忙しくしていて、やはり子どもの行動に注意を払う人はいませんでした。
そこで私たちはこっそり祖母の屋敷を抜け出し、靴を履いて山道に向かうことにしました。
ところが玄関に行って困ったことが起きていることに気づきました。
私の靴が無いんです。
玄関には女の子用の下駄や靴がたくさん並んでいたのですが、どんなに探してもその中に私のスニーカーがない。
当時、私が履いていたスニーカーは子どもに大人気で、たいへん流行していたものでした。学校でも三人に一人は同じスニーカーを履いていました。
実際、祖母の家の玄関先にも私のスニーカーと同じ型のものは二、三足あったのですが、どれも私のものではありませんでした。
おそらく、誰かが間違えて履いて行ってしまったのでしょう。
仕方がないので、私は祖母の家の下駄箱を開け、中を覗き込みました。何か履けるものがあれば、それを借りようと思ったのです。
しかし、あるのは大人用の紳士靴やヒールの高い靴、あるいはサイズの大きい靴などばかりで、子どもの履けそうなものはありません。
さらに奥の方を探すと、一足の下駄が出てきました。
古い品ですが、大切に保存されてきたのか新品同然で、大きさも私の足に合いそうでした。
これなら辛うじて履いて行けそうだ。そう思ったものの、すぐに思い出したんです。
その下駄は祖母がとても大切にしてたものだということを。
私がもっと幼い頃、祖母が一度だけその下駄と、下駄の鼻緒と同じ柄をした着物を見せてくれたことがあって、その時に祖母が言っていたんです。「この着物と下駄は、ばあちゃんにとって家宝同然なんだよ」、と。
その下駄はとても古く、父や伯父はよく祖母に「そろそろいい歳なんだから、古いものは捨てたらどうか」と苦言を呈していました。しかし、そのたびに祖母は「この下駄は我が家にとってとても大事なものだよ。捨てるなんてとんでもない。勝手にどこかにやったら、あんたたちと言えど許さないからね」と言って、決して下駄や着物を手放そうとはしませんでした。
祖母にとって、よほど大切なものだったのでしょうね。
そんなものを断りもなく、勝手に履くのはどうかと思ったのですが、他に子どもの足に合うものはなし、愚図愚図していると他の三人とキヨちゃんは先に行ってしまうかもしれません。
それは何だか良くない気がしました。
何故かその時、姉や従姉妹たちをキヨちゃんと共に山奥へ行かせてしまったら、二度と戻ってこないような気がしたのです。
悩んだ末、結局私は祖母の下駄を借りることにしました。祖母はそんなに小柄な人ではなかったのですが、その下駄のサイズは何故か小さく、子どもの私にもそれほど違和感が無かったからです。
一方、私と違い、姉のミカや二人の従姉妹たちはちゃんと自分の靴を見つけられたようでした。
私たち四人はキヨちゃんに先導され、こっそり屋敷の裏口から外に出て、薄暗い山道を登っていきました。
実際に足を踏み入れると、山道は思った以上に荒れていました。途中まではアスファルトが敷いてあったのですが、そこから先はそれもボロボロになり、苔や枯れた落ち葉で埋め尽くされてしまっていました。
ぼうぼうと草が生い茂っている場所もありあしたね。おそらく、長い間、誰も手入れをしていなかったのだと思います。
おまけに斜面も急で、下駄を履いている私にはとても歩きづらい道でした。
ところが姉や従姉妹たちは妙にはしゃいでいて、ウキウキしているのです。
「日美谷の里ってどいう場所なんだろう?」
「とても美しくて桃源郷のような場所なんでしょう?」
姉のミカやユリナちゃんが、弾んだ声音で楽しげに会話を交わすと、マツリちゃんは首を傾げました。
「桃源郷って何?」
「豊かで諍いのない、ユートピアみたいな場所という意味よ」
ユリナちゃんが妹のマツリちゃんにそう説明をします。それを聞いていたキヨちゃんは、くすくすと機嫌よく笑い、こう言いました。
「日美谷の里にはね、誰もが幸せになれる場所なの。全ての悩みや苦しみ、嫌なことから解き放たれ、自由になれるのよ。あなた達にも悩んでいることや嫌だと感じることはあるでしょう?」
「私はママからピーマンを食べなさいって怒られるのが嫌かな」
マツリちゃんが悲しそうな顔をすると、姉のミカも顔をしかめます。
「あたしはお父さんからちゃんと勉強しなさいってお小言を言われるのがイヤ!」
キヨちゃんは紅を引いた唇を釣り上げ、みなを受け入れるように両手を広げました。その弾みで、彼女のまとっている真っ赤に染められた美しい着物の袂が空中で翻ります。
「日美谷の里に行けば、そういった煩わしいことや面倒くさいことも全て無くなって、満ち足りた日々を送ることができるようになるわ。だから、早くトンネルのところまで行きましょう。あともう少しよ」
不思議と、私以外の三人は、祖母の家を出て山に入ってから、すっかりキヨちゃんと打ち解けてしまったようでした。
祖母の家では確かにみな私と同じようにキヨちゃんのことを不審がっていたのに、山道を歩いているうちに、まるで魔法にでもかかったみたいにするすると警戒心が解けてしまったのです。
一方で、私は彼女たちとは真逆で、どんどん胸の中の不安が大きくなっていくのを感じていました。
山道は登れば登るほど荒んでいく一方で、倒木や木の根を跨いで進まなければならないほどでした。それに祖母の下駄も思いのほか重くて、歩くのに難儀したことも関係あるかもしれません。
こんな山の奥に本当に人里があるのだろうか。
そもそも人里の有無に関わらず、子どもだけで山に入るのは危険なのでは。
考えれば考えるほど日美谷の里などという場所には行きたくないと思えてしまって、歩くスピードも遅くなるばかりでした。
その結果、私は徐々に三人とキヨちゃんから取り残されるようになりました。頑張ってみなについて行こうとはするものの、どうにも下駄が重く、思うように進めないのです。
しかも、姉と従姉妹たちの様子もいつもと全く違っており、誰ひとり取り残されている私の方を振り向きもしません。
姉にしろ、ユリナちゃんやマツリちゃんにしろ、こういった時は必ず「大丈夫?」と言って私の元に駆け寄ってくれたものです。もし遅れたのが私ではなく、姉のミカやユリナちゃん、もしくはマツリちゃんだったとしても、誰かが気づかって声をかけていたでしょう。
私たちはそれだけ仲が良かったのですから。
しかし、その時の三人は私の方など見向きもせず、浮き立つような足取りでキヨちゃんの後をついて行くのでした。
まるで私の存在など忘れてしまったかのように。
そこへ、さらにキヨちゃんがみなを急かし、鼓舞します。
「さあ、みんな急いで、早く早く! 早くしないと鬼が来るよ!」
歌うような口調でそう言うと、キヨちゃんは上機嫌でくるくると舞いながらみなを山奥へ誘いました。山道の途中だというのに、重力なんて亡くなってしまったかのような身軽さです。
姉や従姉妹たち三人は、催眠術にでもかかったみたいにうっとりとした表情でキヨちゃんの後を追いかけていきます。
その頃になると、もはや山道と呼べるほどの道すらなくなっていて、キヨちゃんの行く手に伸びる道は草と木が生い茂る獣道と化していました。あれをかき分けて進むのかと、ぎょっとしたことを覚えています。
けれど他の三人には、自分たちの行く手を塞ぐ獣道を見て、驚いている気配が全くありません。それどころか、放っておいたら嬉々としてその中に身を投じそうな勢いなのです。
何か変だ。
その時、私は、はっきりとそう確信しました。
何か変だ。キヨちゃんも変だし、姉や従姉妹たちも変だ。このまま山奥に行くのは絶対に良くない。
日美谷の里がどういうところかは分からないけれど、この先に待っているのは桃源郷なんかじゃなくて、もっと違う別の恐ろしいものだ。
「何か、怖い……この先には行きたくない。家に帰りたいよ……!」
私がそう呟いた瞬間、借りていた祖母の下駄の鼻緒がブチッと切れたんです。
その拍子に私は体勢を崩し、転んでひざを擦りむいてしまいました。
幸いなことに傷は大したことが無かったんですけが、傷口には血が滲んでいました。怪我の痛みと、大事な祖母の下駄の鼻緒を切ってしまったショックで、私はとうとう、しくしくと泣きだしてしまいました。
「おばあちゃんの下駄が……! 膝も痛いし、もう家に帰りたい……!」
すると、さすがにそれに気づいたのか、姉や従姉妹たち三人も私の元へ集まってきました。そして、各々、私の擦りむいたひざを覗き込みます。
「サヤカちゃん、大丈夫?」
「血が出てる! 痛そう……!」
「絆創膏も持っていないし……どうしよう。みんなで一度、おばあちゃんちに戻ろうか」
「そうだね、それが良いかも。サヤカちゃん下駄だし、この山道は歩きにくいよね。今まで気づかなくてごめんね」
姉も従姉妹たちも、先ほどまでとは一変して、いつものように私を心配し、声をかけてくれました。彼女たちには自覚がないようでしたが、私には皆の心にかけられた暗示のようなものが解けたように感じられました。
私は心から安堵しましたが、キヨちゃんは黙ってはいません。
「みんな、どうしたの? 日美谷の里はもう少しだよ。あと少しだけ歩いたら、この世の理想郷に行けるんだよ」
キヨちゃんは獣道の奥を指さしながら訴えます。彼女はどうしても、みなをそこへ連れて行きたくてたまらないのでしょう。
けれどその頃には、姉のミカを始め、従姉妹のユリナちゃんやマツリちゃんも、すっかり日美谷の里に対する興味を失っていました。
「ううん……そりゃ、日美谷の里には興味があるけど、サヤカちゃんをここに置いてはいけないもの」
従姉のユリナちゃんがそう言うと、姉のミカもそれに頷きます。
「それに、道もすごく荒れてきているしね。子どもだけでこの先を進むのはやめておいた方がいいと思う」
「でも、マツリちゃんは? 里のお菓子に興味があるでしょう?」
キヨちゃんは頼みの綱とばかりに、マツリちゃんにアピールしました。けれどマツリちゃんはすっかり鼻白んだ様子で、素っ気なく首を横に振るのでした。
「ううん、お菓子はいらない。それよりサヤカちゃんの怪我の方が心配だし」
「そう……」
あれほどキヨちゃんの言葉に心躍らせていた三人は、噓みたいに日美谷の里に対する関心を失っていました。
それが何故なのか、私には分かりません。
もちろん、みなが私の怪我を心配し、気づかってくれたということは大きいでしょう。
でも私には、おばあちゃんの下駄の鼻緒が切れたあの瞬間が、彼女たちの日美谷の里に対する興味を失わせるきっかけを作ったように思えてなりませんでした。
「それじゃあね、キヨちゃん。バイバイ」
ユリナちゃんはキヨちゃんに手を振りました。
けれどキヨちゃんがそれ答えることはありませんでした。
キヨちゃんは微動だにせず、山道を下りる準備を始めた私たちをただじっと凝視していたのです。




